中東情勢から学ぶこと -バハレーン(バーレーン)-

2011.05.05

*中東情勢から私たちが日本の民主化を実現するために何を学び取る必要があるか、という問題意識から、今回はバハレーン(バーレーン)について事実関係をまとめる作業をします。事実関係に関して、前回のシリアの場合と同じく、「中東・エネルギー・フォーラム」のHPに依拠しています(5月5日記)。

<民主化を求める動き>

 バハレーン(「バーレーン」とも呼ばれていますが、ここでは「バハレーン」に統一します。)では、フェイスブックやツイッターを通じて、すべての政治犯の釈放、司法制度の改正、酒類及び売春の禁止、拷問及び人権侵害の中止等の14項目の広範な内容の要求を掲げ、首相の辞任、憲法改正による一般人の政府への登用を求める反政府デモを2月14日に行うことを呼びかける動きが起こったのが発端のようです(ロンドンに拠点を置く「ミドル・イースト・オンライン」2月8日)。実際には、2月13日にシーア派住民による反政府デモが行われたのが最初で、その際に早くも治安部隊との衝突でシーア派住民の一人が死亡したことが報じられました。バハレーン青年人権協会によれば、反政府抗議デモは、シーア派の16の村で発生したとされます。
 翌14日には、前日の死者に弔意を表すためにシーア派の民衆が集まり、これを解散させようとした治安部隊による催涙ガス等での攻撃で二人目の犠牲者が生まれ、2名の死者が出たことに憤った約1万人のシーア派の若者たちは、バハレーン国旗を掲げて首都マナマの真珠広場を占拠しました。この反政府デモで掲げられた要求事項は、政治犯の釈放、雇用の創出、住宅の供与、国民の選出する議会の権限の拡大、国民が起草する新憲法の制定、シェイク・ハリーファ・ビン・サルマン・アル・ハリーファ首相(国王の叔父にあたる人物で、1971年の建国以来首相職。金権政治の象徴のような存在)解任と新内閣の形成、そして政府の進めるスンニ派外国人へのバハレーン国籍の付与の中止(王家や支配層はスンニ派ですが、国民の多数を占めるのは約7割といわれるシーア派。このため政府は人口比を変えようとスンニ派のアラブ人に国籍を与えることに力を注いできました。シーア派国民が政府関係の有力ポストにはつきにくいという状況や、シーア派の村落の社会サービスがスンニ派の人たちの享受するサービスよりも質的に劣るという状況は今でも変わっていない、と言われます。)等でした。これらの動きに直面したハマド国王はテレビ演説を行い、死亡した2人の家族に弔意を表するとともに改革を進めることを約束しましたが、16日にもデモはくり返されました。これに対して治安部隊は17日、ゴム弾、警棒等を使って真珠広場に泊まり込んでいた数百人の反政府勢力の排除に乗り出し、その結果再び少なくとも2人が死亡したと伝えられました。そして国防省は、「治安回復のためには厳しい対応を行う」という声明を発表しました。
 バハレーンには議会に野党が存在していたことがその後の事態に影響を与えることになりました。議会(定数40)で18議席を占めるイスラム国民協定連合(INAA)は、反政府デモで死者が出たことに抗議するために、14日に議会をボイコットすることを決めました。そして16日には、首相公選制や政治犯の釈放、新憲法の制定等の要求事項を政府に突きつけ、応じない限り審議を拒否することを明確にし、ハリール・イブラヒム・アル・マルズーク第一副議長は「我々は王家であるハリーファ家は受け入れる」「我々は王権を奪おうとはしていない。我々はハリーファ家の存続を申し出ている」(同日付ニューヨーク・タイムズ)と語り、要求しているのは新憲法制定を基本とする立憲君主制である点を強調しました。同第一副議長は、反政府運動の背後にイランがいるとの見方に対しては、「バハレーンで起きているのは国内的なことである」「イランとは何ら関係ない」(同上)と否定しました。
 2月18日には前日の死亡者の葬儀が行われ、金曜礼拝終了後の民衆も加わったデモ行進が行われましたが、軍が実弾を発砲して流血事態になりました。この事態を沈静化するためか、国軍副司令官を兼務するサルマン皇太子が国営テレビを通じて、「軍に直ちに撤退するよう命じた」と発表し、対話を呼びかけました。しかし翌19日に、野党「イスラム国民統合協会」幹部のイブラヒム・マタールが、「首相の解任を求める」「対話は抗議運動に参加するすべての人々とのものでなければならない」「反政府デモの参加者は、自由派、非イスラム派、イスラム派、スンニ派市民、シーア派市民で構成されている」と述べ、対話に参加するとしてもバハレーン国民として参加することを強調しました。
 2月20日にも真珠広場に約5000人の反政府勢力が集まり、政権の打倒等を呼びかけながらデモ行進を行いました。このデモには約100人の教職員、1000人超の医療関係者も参加しました。野党勢力は20日に協議、21日には「イスラム国民統合協会」が、国民対話入りの条件として、内閣の即時退陣、議院内閣制への移行、政治犯300人超の釈放等をあげました。22日のデモは数万人にふくれあがり、国王退位、王家廃止を要求する声も上がったといいます。25日には10万人超が真珠広場を埋め尽くすまでになりました。
3月に入ってからは、2日のデモでは、「ハリーファ家打倒」「殺人者とは対話しない」「230年間で十分だ。ハリーファ家は去れ」などが叫ばれ、4日の10万人超のデモでは「革命:唯一の解決策」が叫ばれました。また、6日のデモに続き、7日に行われたデモでは、国王退陣、王制打倒を叫ぶとともに、アメリカ大使館前で、アメリカがバハレーン政府に民主化圧力をかけるよう求めたと報道されました。また9日のデモでは、帰化してバハレーン国籍を取得したスンニ派国民の排斥を訴えましたし、バハレーン青年運動が「デモは国家の宗派構成を変えようとの帰化政策に抗議してのものである」(ミドル・イースト・オンライン 2011年3月9日)との声明を発表しました。13日のデモでは再び警察の機動隊との衝突が起こりました。
一方反政府6勢力は3月3日、対話を行う4条件(2002年憲法の廃止、議会選挙の実施による新基本法の制定、完全な立法権を持ち国民が選出する議会選挙の実施、対話の結果の完全実施・尊重の確約)を提示し、対話開始前でのこれらの承諾を政府に要求し、政府側は、サルマン皇太子が上記要求を受領するとの内容の声明を発表しました。そして8日には、スンニ派とシーア派のグループが宗派間の緊張の緩和を目指して協議しました。独立系紙アル・ワサットに掲載された7党の声明は、「両派は政治的な意見の相違を宗派間の争いとしてはならないということで合意した」(ロイター通信 2011年3月9日)としています。この宗派対話に参加しなかったアル・ハクや自由運動、ワファの3グループは、同日、「(バハレーン)共和国連合」を結成し、王家の退陣を要求し、民主共和国を提唱しました。ハクのハッサン・ムシャイムジム事務局長は記者会見で、「国民は王家の打倒を望んでいる」「連合の行動はイスラムの諸規則と人権に関する国際憲章に基づいている」(CNN.com 2011年3月10日)と発言しました。
3月12日以後に政権側がGCCの軍事介入を求めたことで事態は大きく変わりました。すなわち、12日に来訪したゲーツ長官と国王らが会談した翌13日、ハマド王室顧問は、ツイッターを通じて、同国がGCCに軍の派遣を要請したことを明らかにしたのです。14日のGCC軍が進駐したことに対し、最大野党のアル・ウェファク党のジャワド・フェイルーズ上級党員は、サウジ派兵は危機を深刻化させると批判し、15日には数千人の反政府デモ隊がサウジアラビア大使館に向けて行進し、サウジ軍を占領軍と非難しました。ハマド国王は同日、3ヶ月間の非常事態宣言を発令し、ハリーファ・ビン・アフマド国軍総司令官に、国家と国民の安全の維持のために必要な措置を講ずる権限を付与しました(16日には首都マナマの中心部に午後4時から翌17日の午前4時までの夜間外出禁止令を発布)。さらに17日には、ハッサン・ムシャイマ・ハック自由民主主義運動(シーア派系非公認野党)指導者を含む野党勢力の6人を逮捕しました(ムシャイマは2月末に亡命中のロンドンから帰国し、共和制への移行を求め王制打倒を公言していました。)。また、最大野党のアル・ウェファク党のシェイク・アリ・サルマン党首が、アル・ジャジーラTVで、①GCC軍はバハレーンから撤退すべきだ、②これはサウジ国王に向けた呼びかけである、③我々は国連に対して、2月14日から今日まで何が起きてきたのかを調査することを求める、と訴えました。
 3月18日の金曜日には、5000人超の反政府デモ隊が「自由バハレーン」「サウド家に死を」「占領者は立ち去れ」とのスローガンを叫びながら非常事態法の撤廃を求めて金曜礼拝後に行進しました。また、数千人のシーア派住民がシーア派の村落でデモを行いました。これに対してハリーファ外相が、夜の記者会見で、反政府勢力に脅かされている時にどうやって対話ができるのかと述べました。
 3月19日以後になると、野党の主張が「穏健化」する兆候が報道されます。19日には最大野党のアル・ウェファク党に率いられる反政府グループは、①1ヶ月超のデモでの拘束者の全員釈放、②弾圧の停止、③GCC軍の帰還、を治安部隊に対して要求しました。ところが20日には同党のシェイク・アリ・サルマン指導者が、記者会見で、①バハレーンには全国民と政府との新たな協定が必要である、②これまでのシステムは失敗し壊れた、③我々は新たなシステムと憲法を必要としている、④我々は問題を解決すべく最善を尽くしてきた、⑤我々はイランの介入を望んでいない、⑥我々はこの小さな島国に大きな問題を抱えたくない、と語りました。他の反政府勢力も19日、「バハレーンを真の民主主義の道に置くことを基本として、反政府勢力と政府との政治対話の開始に向けた健全な雰囲気作りを準備しよう」という内容の声明を発表し、野心的な要求を取り下げる姿勢を見せました。これに対してハマド国王は21日、「外国勢力が20年、30年に亘り政府転覆を計画してきたが、自分は本日、それらが失敗に帰したことを発表する」「仮に計画が成功していたら近隣諸国に広まっていたであろう」(ロイター通信 2011年3月21日)と述べ、外国勢力による干渉があったことを強調するとともに、勝利宣言をしました。3月30日には、反政府シーア派の指導者であるシェイク・アリ・サーレムが、記者会見で、イランに対してバハレーン内政に介入しないよう求めるとともに、①サウジアラビアに半島の盾軍の撤兵を求める、②我々はバハレーンがサウジアラビアとイランの戦場になって欲しくない、と語りました。
 しかし、3月31日にプレスTVのインタビューを受けたナビール・ラジャブ・バハレーン人権センター理事長は次のように語り、バハレーン政府が民主化の要求を潰すために大量の逮捕者を出しており、欧米諸国もこれを是認しているという厳しい見方を示しました。

-バハレーン政府はGCC軍の派遣で強化されたかのように振る舞い、弾圧を強め、すべての活動家、政治家、人権擁護者を標的にしている。
-バハレーン政府は対話と言っているが、クウェイトやトルコの仲介申し出を断っている。
-しかし、今や国際圧力はなくなった。米欧諸国はイランの影響力の拡大を懸念し、バハレーン政府の強硬対応に何も言わなくなった。
-アメリカがGCCで起きていることに沈黙を保つとの一種の合意のあることが日ごとに分かってきた。
-不幸なことにアメリカが湾岸の人々の信頼を喪失しつつあるのが明確になってきた。人々はリビアの件でアメリカのダブル・スタンダードを目にした。
-バハレーンは自国軍だけでなく他国の軍隊が国民と戦っている。バハレーンは平和的デモを潰すために別の抑圧政権から軍隊を招き入れた。

 ハマド国王は、4月19日掲載のワシントンタイムズとのインタビューで次のように語りました。

-バハレーン国王として、多くの国民が少数派により害されていることを残念に思う。だが自分は楽観的であり国民を信頼している。今や誰もが安定と段階的改革の間にバランスを維持すべきと考えている。
-バハレーンは、長期に亘る友好国や同盟国の協力を得ながら、このバランスを確立し、我が国の若き民主派の願いを叶えるような結果を生み出せると思う。
-安定の次に重要なのはすべてのバハレーン国民への雇用の創出である。
-すべてのバハレーン国民の市民権や政治的権利は合法的なものである。我々は、安定を保ち改革の要求を明らかにするために、反政府派との事前条件なしの対話を申し出た。しかしながら、不幸なことに反政府派の合法的な要求は地域の外国勢力とつながりのある過激派によりハイジャックされてしまった。
-我が国の安定・安全・経済的存立が脅かされていることが、極めて明白となった。バハレーンは事態の安定化に直ちに行動した。同時に、バハレーンの重要施設の保護のためにGCC軍の受け入れを歓迎した。
-バハレーンは湾岸の安保上の要に位置するので、その不安定化は地政学的な影響を持つ。湾岸からの石油の安定供給は、世界経済の安定にとって重要である。世界の石油資源の75%は湾岸に賦存し、湾岸石油の30%超がバハレーン領海を通って世界に供給される。GCC諸国はこれら資源を保護する責任を負い、石油を世界に運ぶタンカーやパイプラインの安全・安保の確保を図っている。

 4月におけるバハレーンの動きとしては、政府によるジャーナリスト弾圧、野党の活動停止、提訴、幹部逮捕、民主化運動に参加した医療協会幹部の更迭、同じく民主化運動に参加した大学関係者の解雇、スポーツ関係者のチームからの追放など、民主化運動の指導者に対する弾圧が次々と報道されており、政権側の高圧的な行動と反政府側のなりを潜めた状況が際立っている感じです。23日には、イスラム国民統合協会(ウィファーク)は声明を発表し、「バハレーン政府は、3月15日の非常事態令の発布以降、16のモスクを含む30箇所の礼拝場所を破壊した」「バハレーン政府にはシーア派の神聖な場所の攻撃を正当化する法的根拠はなく、攻撃は数週間におよぶ多数派のシーア派住民による反対政府デモへの仕打ちのようだ」(AP通信 2011年4月23日)と述べ、バハレーン当局がシーア派反政府勢力に対する弾圧の一環としてモスクを破壊していると訴えました。民主化を求めるシーア派を先頭にした動きは、政権側の外国軍隊の力を借りた弾圧によって押さえ込まれている状況にあるようです。

<GCCの介入>

 バハレーンで反政府デモが起こるとすぐ、2月17日に首都マナマでGCC緊急外相会議が開催され、バハレーン政府の治安対策を支持しました。同会議終了後に記者会見したハーリッド・バハレーン外相は、強制排除は宗派争いの回避には必要な措置だったと弁明しました。
 3月12日に国王らがゲーツ長官と会談した翌13日、ハマド王室顧問は、ツイッターを通じて、同国がGCCに軍の派遣を要請したことを明らかにし、アブドゥルラフマンGCC事務局長はすぐさま、GCC加盟国の安全・安定の保障は共同責任であると語り、14日にはサウジアラビア軍1000人以上、UAE警察500人がGCC軍としてバハレーンに入りました。アブゥドラUAE外相は、バハレーンのデモ沈静化及び秩序回復に向けてその他GCC諸国も参加すると語りました。
 4月3日にサウジアラビアの首都リヤドで開催されたGCC臨時外相会議は、以下のような内容の声明を発表し、イランが引き続きバハレーン及びクウェイトの内政に干渉していることに強い警戒感を表明しました。

-イランはスンニ派君主制国家の治安を危うくする策略を巡らせており、対立を煽っている。
-イランはGCC国家の主権を侵害している。
-イランのバハレーン内政への干渉は、国際規約や良好な隣国間の合意を犯している。
-サウジ軍のバハレーンからの撤退を求めたイラン国会の委員会の声明は無責任なものである。
-イランはこうした敵対的政策を止め、良好な隣国間の合意を尊重すべきである。それにより世界にとって重要な湾岸の安保と安全が維持される。

 また同日、サウジアラビアは、「サウジアラビアに対する誤った主張と大胆な攻撃に満ちたイランの無責任な声明(3月31日。下記参照)を非難する」「いわゆるアラブの春という抗議運動を支持するイラン声明は宗派対立を大きくする」と述べて厳しく反論しました。

<イラン及び各国シーア派の動き>

 3月15日、つまりGCC軍のバハレーン進駐の翌日、イラン外務省のメフマンパラスト報道官が、①合法的国民の要求を暴力で抑制するべきではない、②サウジ軍等のバハレーン派兵は事態を複雑にするのみである、と述べて批判しました。これに対してバハレーン政府が駐イラン・バハレーン大使の召還を決定しました。また16日には、アフマディネジャド・イラン大統領が、バハレーン政府の対応について卑劣で容認できないとして駐バハレーン・イラン大使を召還しました。
3月16日には、マリキ・イラク首相が、スンニ派諸国のバハレーン介入は宗派対立を惹起すると批判しましたし、イラクのムクタダ・サドル師の支持者たちがバグダッドのサドル・シティで、「イエス、イエス、バハレーン」と叫んで抗議デモを展開し、「サウジアラビアの支配者は殺人者」とのプラカードも見られました。バスラやナジャフでも抗議デモが展開されました。サウジアラビアの東部州では、シーア派住民数百人がバハレーンのシーア派住民への連帯やサウジアラビアの政治犯の釈放を求めるデモを行いました。サウジアラビアのシーア派指導者シェイク・ハッサン・アル・サッファーは、①バハレーンでの虐殺・住民への威嚇に失望した、②対話による危機解決をGCC指導者に要請する、と語りました。18日には、イラクの大アヤトラのシスターニ師が、バハレーンのシーア派のデモ隊との連帯を示すために、イラクの宗教学校での教えを中止しました。19日には、レバノンのヒズボラの指導者ナスラッラー師が、「我々は諸君と共にあり諸君を支援する」(ミドル・イースト・オンライン 2011年3月21日)等と語り、リビア、バハレーン、イエメンでの反政府運動の継続を促しました。
3月21日にハマド国王が外国勢力の介入を主張したことに対しては、29日にレバノンのヒズボラが声明を発表し、「我々はバハレーンの兄弟たちが軍事・治安訓練を要請したことのないこと及び、如何なる訓練等も行ったことのない点を確認したい」「我々は抗議者たちに政治的・精神的支援を行っただけである」(ロイター通信 2011年3月31日)と述べて否定しました。
 3月31日には、イラン国会の外務委員会と安全保障委員会が「サウジアラビアは微妙な湾岸地域で火遊びをしない方が良いことを知るべきだ」(AFP 2011年4月4日)との内容の声明を発出しました。また、4月3日のGCC声明に対しては、4日、カゼム・ジャラーリ国会外交委員会報道官は以下のように反論しました。

-GCCの声明は、アメリカ及び同盟国の圧力により発表された。声明は何ら法的価値を含んでいない。
-軍隊を撤退させ、国民の要求に耳を傾けよ。
-GCC君主国家はアメリカの罠にはまることなくイランとの関係を強化すべきだ。
-西側が湾岸に干渉するのはシオニスト政権を救いたいためである。
-近々、シオニスト政権のいない、米国や追随者の存在もない、新たな中東が出現することを約束する。

<アメリカ等の動き>

 バハレーンに第五艦隊基地を置くアメリカは、当初から情勢に対して敏感でした。2月13日及び14日の反政府デモで2人の死者が出た事態を受け、2月15日には、バハレーン政府が死亡者の捜査や治安部隊の行為に法的措置を講ずると発表したことを歓迎すると述べるとともに、双方に自制を促しました。クリントン国務長官は17日、ハーリッド外相に電話し、治安対策での強制排除で死者が出たことに懸念を表明するとともに、自制するよう要請しました。18日の事態に対しては、オバマ大統領自身がハマド国王に電話し、反政府デモへの武力弾圧を非難するとともに、再び自制を促しました。ちなみにヘイグ英外相もサルマン皇太子に電話し、軍の撤退を歓迎するとともに、デモ隊への実弾使用に深い憂慮と強い反対を表明しました。19日には、アシュトンEU外交安全保障上級代表が、国軍による発砲に憂慮を表明し基本的人権の尊重を求めるとともに、国民対話を遅滞なく開始することを呼びかける声明を発表しました。
 2月24には、湾岸諸国等を歴訪中のマレン米統合参謀本部議長がバハレーンを訪問し、ハマド国王やサルマン皇太子と会談し、両国の同盟関係が強固なものであることを強調するとともに、野党勢力との対話に向けて一層努力することを求めました。同日にはドニロン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)もサルマン皇太子と電話で会談し、自制した対応の継続を求めたほか、国民の人権の尊重が同国の安定の鍵となることを説いたといわれます。そして、デモの拡大を憂慮したオバマ大統領は、27日、内閣の大改造を行って改革姿勢を示すようハマド国王に要請する声明を発表しました。
 3月12日にはゲーツ米国防長官がバハレーンを訪問してハマド国王、サルマン皇太子と会談し、政治改革の実行を求めました。同長官は、会談後、①国王も皇太子も改革に真剣であると感じた、②問題は議会の野党が対話に向けた条件面で合意していないことだ、③自分は国王と皇太子に、「民主化を求める抗議が中東地域を包んでいるので、現状への後戻りはないだろう」「進んで変革するか、変革を押し付けられるかだ」と話した、④勿論、我々は変革をリードし、前向きに動いてもらいたいと思っている、⑤改革が遅れればイランが介入してくる懸念がある、などと述べました。
3月14日にGCC軍がバハレーンに進駐したことに関しては、ラパン米国防総省副報道官が同日、ゲーツ国防長官もマレン統合参謀本部議長もサウジ派兵は知らされていなかったと述べましたが、カーニー大統領補佐官は記者会見で、サウジアラビアの部隊派遣は武力侵攻ではないと述べて、アメリカがGCCの行動を是認していることを間接的表現ではありますが明らかにしました。また15日にはクリントン国務長官がシェイク・アブドゥラUAE外相に、アメリカとしてはバハレーンの問題の解決は軍事ではなく政治改革によりなされるべきと考えると伝え、カイロで記者団に、アメリカはバハレーンの全当事者に平静を保ち抑制するよう呼びかけると語りました。18日には、トナー国務省報道官が、アメリカはバハレーン政府がバハレーン法と国際的な法的責務を守りつつ、約束した司法面での透明性を遵守するよう求めたいと述べ、野党指導者の逮捕に懸念を表明するとともに、バハレーン治安当局による暴力の停止、特に医療設備や医療関係者への暴力行為の停止を求めました。
3月30日に有名なブロガーであるマフムード・アル・ユーセフが逮捕されたことに関し、31日に国務省のマーク・トーナー報道官は、①我々はマフムード・アル・ユーセフ氏の逮捕を深く憂慮している、②我々は、改革プロセスに戻り、国民対話を元の線に戻すことを目指している、③バハレーン当局は行動を抑制し、他方、反政府抗議者も法律に即して活動せねばならない、と述べました(バハレーン政府は4月1日に同氏を釈放)。

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