広島離任インタビュー(2)

2011.02.16

*広島離任を前にして、朝日新聞広島支局から申し出があって、平和問題に関して連続3回のインタビューに応じることになりました。第2回目のものが2月16日付の広島版に掲載されましたので、ここにも載せておきます(2月16日記)。

<日米安保と憲法>

1951年、サンフランシスコ講和条約と最初の日米安保条約が同日に結ばれ、日本国憲法と安保の矛盾が始まります

 「力によらない平和観」の憲法と「力による平和観」の安保は「水と油」。本来は憲法改正手続きで国民の判断を問うべきでした。しかし吉田政権は「安保は憲法と矛盾しない」との解釈で乗り切ろうとした。憲法を得て日が浅く、主権者意識があいまいだった国民の多くも反対しませんでした。その結果、憲法9条は「座敷牢」に入れられ、解釈改憲の積み重ねで「安保も憲法も」という国民意識がつくられていきました。

日米安保は米ソ冷戦終結後も維持されました

 直後の湾岸戦争(91年)が転機になりました。それまでの日本は軍事を米国に任せて経済発展に専心してきましたが、米国は「金だけでなく血も流せ」と軍事貢献を要求してきたのです。国連が米国の言いなりになったことも大きい。米国が自らの戦争を正当化するために国連安保理決議を「護身符」にしたのは湾岸戦争が始まりです。「国連は正義の味方」という日本人の国連信仰も利用し、92年のPKO法で軍事貢献の道を開いた。これ以後、それを当然視する意識変化が進みました。

北朝鮮の核開発疑惑も安保の変質を加速させたようですね

 米国は93~94年に北朝鮮との戦争を真剣に考えました。それには日本全土を自由に使えることが不可欠でしたが、60年の安保改定で、日本が提供する基地しか使えないことになっていた。しかも日本には有事法制もなく、国民動員・後方支援の態勢も整備されていなかった。この状況に米国は驚いたと思います。

そこで法整備が進められたわけですね

 96年の日米首脳会談以降、日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、周辺事態法、有事3法、国民保護法・計画が次々と成立していきました。その基礎の上に日米軍事一体化、在日米軍再編という同盟の変質強化が進んでいます。注意しなければならないのは、今の日本はいざ米国が開戦すれば、いつでも全国民が動員される国になっていること。「安保も憲法も」どころか、「一にも二にも安保」になっているのです。

ただ、いずれの時も、広島も含め反対運動はさほど広がりませんでした

 既成事実に弱く、「お上」のやることに反対しようとしない日本人、広島人の心根は本当に変わっていないと思わされました。しかし、今の日本で私たちは主権者です。戦前までならば「天皇の臣民だから」と言い訳することも可能でしたが、いま戦争が起きれば、最終責任を負うのは私たち自身です。私たちはまなじりを決して「戦争しない国」に徹する決意を新たにしなければならないのでは。

<日本国憲法の平和観>

こう見てくると、憲法と安保の問題を考え直す必要がありそうですね

米国が日本を「海外で一緒に戦争する国」にできずにいるのは、憲法9条が首の皮一枚つながっているからです。改憲論者は「集団的自衛権は合憲」という解釈改憲の可能性を含め、その皮を引きはがそうとしていますが、「海外で戦争するのは……」との抵抗感はまだ根強い。だから私は当面、安保を肯定する人たちとも、「とにかく9条だけは残そう」という点で一致したいと思っています。

逆に言うと、日米安保が戦争の火種になりかねないということですか

 物事の本質に立ち返れば、「日米安保で守られる日本の安全」とは何でしょうか。中国、北朝鮮の脅威が言われますが、両国の日本侵攻で始まる戦争シナリオは米国にもありません。考えられているのは、台湾海峡有事や北朝鮮への米国の先制攻撃で、後方基地の日本が巻き込まれるシナリオだけです。つまり米国が仕掛けない限り戦争はありえない。そして米国は日本の後ろ盾がなければそのシナリオすら考える余地がないのです。だから私たちはやはり、憲法9条の力によらない平和観をもとに、安保を根本的に問い直す必要があります。

力によらない平和観とは

 20世紀までの世界は力による平和観(権力政治)が支配してきました。国家は個人の上にあるとされ、各国は国益に走って戦争を繰り返した。しかし現代では、個人の尊厳は何物にも代え難い普遍的価値として確立しています。核兵器の登場後、戦争は人類の生存をも危うくする絶対悪になりました。力によらない平和観が取って代わるべき歴史的時期がきています。

「理想論」との批判も出そうですが

 いまの歴史的現実をしっかり認識するか否かの問題で、決して理想論ではありません。ギリシャの経済危機で明らかになったように、国際間の相互依存関係の進行で戦争という選択肢はもはやありえない。温暖化対策をはじめ、国際社会全体で取り組まなければならない課題も山積しています。限られた資源を戦争で浪費する余裕はない。総合的に考えれば、力による平和観が成り立つ余地がもはやないことは明らかです。

では日本人は、日本国憲法に立ち返るべきだと

憲法は1947年の施行時点でこうした世界を見通していたとすら言えます。非常に幸福なことに、私たち日本人がよるべき理念と方向性はすでに憲法が示しており、私たちがなすべきことは憲法の思想を実践し、世界に向かって発信していくことだけなんです。日本が力によらない平和観に徹する国になったら、日本の協力なしで戦争できない米国も力による平和観を見直さざるをえない。中国、北朝鮮も軍事的脅威から解放されて対日観を根本的に改め、東アジア共同体の展望も開けてくるでしょう。私たち日本、日本人が変われば、世界を変えられるんです。

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