「安保か9条か」をめぐる世論状況

2011.01.15

*少し古いのですが、2010年8月14日にある集会で「9条か安保か」をめぐる国内の世論状況についての私の見方を述べたところ、テープ起こしを主催者がされたので、字句修正を加えたものを掲載します。今の日本の世論状況は一日にしてなったものではなく、とくに憲法と安保をめぐる国民的な曖昧な認識を改めるには、その曖昧さを生んだ歴史的経緯を踏まえることなくしては有効な対策も出てこない、という私なりの認識を示したものです(1月15日記)。

 今日お話ししたい点は2点です。
1点目は、今日のテーマでもある「日米安保か?憲法9条か?」という問いですが、これは21世紀の日本の進路・対外関係、そして私たちのこれからの生き方そのものを決定する根本問題という認識を持っています。そういうことを確認する意味で「日本の進路・対外関係のあり方そのものを決定する根本問題」というテーマを考えています。
もう1つの問題は「日米安保か?憲法9条か?」という問題を考えて行く上で、特に混迷を深めている日本の世論の中で、私たちは世論がどういう状況にあるかということを理解しないで、私たちの考えを生のかたちでそのままぶつけても、おそらく私たちの訴えは多くの人にとっては心に響かない。あるいは何を言っているのかということで素通りされてしまう危険があると思います。つまり私たちが世論に働きかけるというときには、その世論がどういう状況にあるかということをしっかり見極めないと、私たちの伝え方・働きかけ方を誤るということになりかねません。かえって反感を買うことすらあり得ると思うわけです。従って、今世論はどういう状況にあるのかという点を考える必要があるだろうと思います。それが「複雑な『世論状況』」というテーマです。その点に関しても4つほどのポイントに絞ってお話をしたいと思っております。

1.日本の進路・対外関係のあり方そのものを決定する根本問題

 まず21世紀の日本の進路・対外関係のあり方、そして私たちの生き方を決定する根本問題ということを確認する意味で「日米安保か?憲法9条か?」という問いについて、確認しておきたい点を最初に3つほどお話しします。
第1には、本来的に(そして今日もなお)、「9条(平和憲法)か安保か」という問いは、「力によらない平和か、力による平和か」という根本的選択の問題であるということです。
それは歴史的には1952年に、日本が独立を回復するというときに問われていた問題であり、アメリカにつき従って行く形での独立か(片面講和)、それともアメリカとも仲良く、そして世界の国々とも仲良くという形で、独立を回復するか(全面講和)という問題であったわけです。その点を先ず確認しておきたいと思います。 そして1952年当時にもし日本で民主政治がしっかりと既に機能していたのであれば、平和憲法に基づく全ての国と仲良くする全面的な講和、つまり独立回復か、あるいは憲法を改正して日米安保と抱き合わせのアメリカとだけ仲良くする独立回復、片面講和かということを争点にして、時の政権、吉田茂政権は総選挙あるいは憲法の改正の是非を巡る国民投票によって、国民に選択・進路決定を行うことを提案し、主権者である国民に判断をゆだねるべきであったと思います。
 しかし、当時の吉田政権は、米ソ冷戦激化という国際環境の下で、憲法改正について国民の支持を取り付ける確信がないまま、アメリカの対日要求、つまり日本全土を引き続きアメリカの基地にするという形での対米従属を前提とした独立を受け入れるならば、独立を認めようという内容の対日政策の転換を受け入れて、つまり日本の民主政治の根幹を損なう、憲法9条の解釈を変えるという立憲政治の本義にもとる方法に訴えて日米安保を受け入れました。言うまでもなく、「力によらない平和」を体現する憲法9条の下では、「力による平和」そのものである日米安保を受け入れる余地はないわけです。両者は絶対に両立せず、共存し得ないものなのです。それが「新しい憲法解釈」なるものによって、憲法9条の下でも日米安保を受けいけることは可能だという解釈をでっち上げることによって、アメリカに従属する独立という形を選ぶということをやったわけです。
以上述べたのが歴史的な経緯ですけれども、その状態が今日もなお続いていて、それが「日米安保か?憲法9条か?」という問いが今日でもそのまま私たちに問い続けられている問題として存在しているということです。

 私が皆さんに考えていただきたい問題の一つは、米ソ冷戦が終わって、まさに平和憲法が前提とする「力によらない平和」という平和観に基づいて国際関係を営む国際的条件が生まれた今、改めて「日米安保か?憲法9条か?」ということを根本に立ち戻って問い直して、日本に真の民主政治を実現する絶好のチャンスを迎えていることを認識し、考えていただきたい、ということです。
 もう一つ考えていただきたい問題があります。9条を制定する最大の思想的・認識的な要因の一つは、広島・長崎に対する原爆投下で始まった核兵器の登場によって、戦争というものの性格が本質的に変わったということです。
つまりそれまでは、戦争は政治の延長、政治の継続、あるいは国際紛争を解決する手段として、国際的に認められていたという状況があるわけですが、核兵器が登場してしまって、最早紛争を解決する手段としての意味が失われる。つまり核兵器が使われたら人類が消滅する。共に滅亡するという現実が現れたことによって、戦争という選択肢があり得ないことになったのです。あり得ない選択になったということによって、戦争を政策遂行手段として持たない国家のあり方ということが問われることになってきたということ、それがまさに憲法9条を生み出した最大の要因であることを確認したいのです。
しかし、現実の国際政治・国際関係ではどういうことが起こったかと言いますと、その後米ソの核冷戦が続いたということはご承知の方もいると思いますが、その核によって支配されるということによって、しかもその核の政策にもっとも固執するのがアメリカであり、そしてそのアメリカにあくまでつき従う日本であるということによって、9条の趣旨が無視されるということになってしまった。 しかも、米ソ冷戦が終結した後になると、アメリカは、イランあるいは朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)などに核兵器が広がるということ、あるいは核テロリズムというものがアメリカの繁栄を脅かす、人類の存続を脅かすということを全面に押し出して核固執政策にしがみつく姿勢を変えようとしない状況が続いています。
アメリカの核政策に関しては、2009年にオバマ政権が登場し、そのオバマ大統領が2010年4月にプラハ演説で、「核兵器のない世界へ」という演説をしたということによって、非常に日本国内が色めき立ったという状況があることに触れておかないわけにはいきません。アメリカの大統領が「核兵器のない世界へ」と言い出したが故に、核兵器廃絶は現実的な可能性があるのではないかという期待感が急速に広がったという問題です。
この点について色々考え方の混乱が起きていると思いますので、一言私の認識を付け加えさせていただきたいと思います。
まずプラハ演説が行われたことが、どういう結果をもたらしているかと言うと、2010年5月にニューヨークで開かれたNPT(核拡散防止条約)の再検討会議があり、そこで最終文書が採択されました。
もしこのプラハ演説が無かったならば到底オバマ政権として、この最終文書を受け入れることはなかった。それほど、この文書には、アメリカとして到底受け入れられないような内容がたくさん入っていました。といいますのは、この最終文書の提案国は、主にアメリカの核政策に批判的な非同盟諸国であったということです。従って、もしオバマ政権ではなくブッシュ政権であったならば、おそらくアメリカ政府はこの最終文書を受け入れなかったであろう。拒否したであろうということです。しかし、プラハ演説をしてしまったが故にオバマ政権としては、この最終文書を受け入れざるを得なかったという歴史の皮肉が起こったのです。
また8月6日にはアメリカのルース大使が広島の平和記念式典に参列するということがありました。これも新聞でご承知の方がおられると思います。このことについてもどのように評価するかが、広島では分かれています。アメリカの核兵器廃絶への積極性を示すものとして理解した人が結構いるのですが、私はそういう解釈は取りません。
先に申し上げるべきだったのですが、オバマはプラハ演説においても、アメリカは核兵器がある限り、核抑止力を維持し続けるということを明言しています。つまり他の国が核兵器を放棄しない限り、アメリカは放棄しないと言っているわけです。しかし、そもそもの話としてアメリカが最初に核兵器を持ったから、それに身構える国々が核兵器を持つに至ったというのが物事の流れであり、その逆ではない。従って、アメリカが核兵器を放棄するという決定を行わなければ、世の中から核兵器が無くなる筋道は出てこないわけです。オバマが「核兵器が存在し続ける限りアメリカは核兵器を持ち続ける」と言っていることは、要するに核兵器は無くならないと言っていることに等しいわけです。
したがいまして、オバマ政権がアメリカ大使の平和式典参加を決めざるを得なかったというのは、核兵器廃絶に前向きに取り組みますという意思表示ではなく、プラハ演説と整合性を取るための苦肉の策であったというところが、私は本質だろうと思います。
 オバマ政権の登場によって核兵器廃絶という問題が、クローズアップされてきたということは新しい事実です。しかし、「核兵器のない世界へ」という言葉を口にしたからと言って、直ちに核兵器廃絶に向かって世の中が進み始めるわけではない。何よりも必要なことは、オバマをしてプラハ演説をせざるを得なかった背景、つまり国際的な核兵器廃絶を要求する世論の強まり、それを今後も更に強めていくことが更にアメリカ、特にオバマ政権をして核兵器廃絶に真剣に向き合わせる所以である。ここで私たちがぬか喜びをして手を抜けば、オバマ政権は国内の核固執勢力にまた足を引っ張られて、元に戻って行くという関係がある。つまりオバマ大統領を例えれば、やじろうべぇであって、右手を核兵器廃絶を願う国際世論に引っ張られ、左手を国内の核固執勢力に引っ張られるという形でとらえる必要がある。
従って、私たちの国際世論の力を強めない限り、核兵器廃絶への道を付けることは出来ないということです。そういうところにおいて日本の大きな役割があり、広島・長崎を体験した日本が本気になるかどうかによって、アメリカの政策を根本的に動かすことが出来るかどうかが決まってくる。つまりこの憲法9条の源である広島・長崎の体験を踏まえた、本当に核兵器廃絶を本気で求める日本になるということが、アメリカをして核兵器廃絶に向かわせる所以である。そしてその核兵器廃絶に日本が本気で取り組むということは、「日米安保か?憲法9条か?」という問いについて、明確に憲法9条を選択する日本にならなければ、大きな力は持ち得ないということです。

2.複雑な「世論状況」

私は今の日本国内の世論状況は、一筋縄ではいかない非常にやっかいなものがあると思っています。その一筋縄ではいかない状況がどのようにして生まれたかということについて、4つの点に絞って申し上げたいと思います。

 

理念及び運動としてのデモクラシー

1つは、1960年代から80年代にかけて日本国内の世論が、生活関心に気持ちが奪われ、日本の政治のあり方に対する問題意識を失ったという状況がいくつかあると思います。
いわゆる60年安保闘争における安保反対、民主政治擁護の国民的な運動が安保の自然成立を機会に雲散霧消してしまい、従ってその安保闘争の日本政治にとっての重要な意味が十分に国民的に生かされるまでにいたらなかった。従って民主政治が国民の間で定着する絶好のチャンスを失ったという問題があると思います。
日本において民主主義と言われるとき、それは専ら多数決という意味での制度として矮小化されたかたちでしか理解されない傾向が強いわけですが、本来の民主政治、理念及び運動としてのデモクラシーというのは、常に私たちが働きかけることによって中身が不断に充実していくいわば永久革命としての本質を持っています。これは私が個人的に私淑してやまない丸山眞男という政治学者の理論でありますが、そういう理念及び運動としてのデモクラシー・民主政治ということを理解・咀嚼・実践しないままに、60年安保闘争の貴重な経験が失われたという問題があると思います。

原水禁運動の分裂

 もう1つは、国民運動として発足した原水禁運動、これは1954年の第5福竜丸事件を直接のきっかけとする原水禁運動ですが、これが日米安保問題を巡って、先ず自民党あるいは当時の民社党の運動の離脱を呼ぶ、そして国際的核状況の評価という問題においても、アメリカの核は悪いけれども、社会主義のソ連及び中国の核は良いのだという考え方を取るべきどうかを巡って、当時の社会党と共産党が鋭く対立して運動が分裂するということが起こったわけです。これがまさに先ほど述べました60年安保闘争の直後に起こったということによって、更に政治に対する国民的な関心を失わせたという問題があると思います。

 池田政権によって推進された「所得倍増論」

そして、更にそれに輪をかけたのが、1950年代後半から始まり60年代から70年代にかけて推進された経済優先政治によって、国民の関心が経済の方に導かれ、いわゆる国民的なノンポリ化、つまり受け身的な現状肯定主義というものを生んでいったということだろうと思います。

「憲法も安保も」という国民意識・「世論」

そして、とどめを刺したのが9条の解釈を変えるということが頻繁に行われることによって、9条の意味が変質させられ、そして変質させられた9条を現実のものとして受け入れる国民的な雰囲気が出来てしまったということです。それが「憲法9条も肯定するが日米安保も肯定する」という国民意識・世論を生みだし育てたということです。
こういうような長い歴史的な経緯を経て、一筋縄ではいかない国民世論が形成されているということを理解してかからないと、私たちのこれからの憲法に関する取り組みをしっかりするものが出来ないと思います。

3.1990年代以降の国民世論の形成

このように1960年代から80代にかけて、主に保守政治側の攻勢と、伝統的に護憲の立場であった政治勢力や労働組合の体制内勢力への変質によって、憲法も安保もという国民世論を生み出す状況が作り上げられたのですが、1990年代以降には更にそういう考え方を強める動きが色々起こったことも考えなければなりません。
1つは、1990年代の国際環境の変化が国民意識の更なる保守化を促したということであります。
「ソ連の崩壊=社会主義の破産、社会主義の破産=資本主義の勝利、資本主義の勝利=その本家であるアメリカの勝利」というなんの証明もされていない単純な図式的理解が一気に支配することになって、日本国内で日米安保を肯定する世論をさらに増幅したと思います。
又、かつて私たちの拠り所であった非軍事中心の国連中心主義というものが、米ソ冷戦の終結で国連がアメリカの言うことを聞く存在になったということで、アメリカの息がかかった軍事肯定の国連中心主義という形で自民党などが表看板に掲げるようになったこと、しかもそのすり替えを私たちは見分けることが出来ないまま、軍事的国際貢献論というものを受け入れていくようになる。それが更に9条の空洞化を導いたということだろうと思います。
 もう1つの大きな問題は、90年代以降のアメリカですが、1993年から94年にかけていわゆる「北朝鮮の核疑惑」ということが起こって、アメリカは本気で朝鮮に戦争を仕掛けようと思ったのですが、その時にわかったのが発進・兵站基地になる日本が全然戦争をする準備が出来ていない、体制が出来ていないということです。それも1つの理由になってアメリカは朝鮮に戦争を仕掛けられなかったのですが、その体験に教訓を学んだアメリカは、日本に対して戦争が出来る国になれということで、強力な働きかけをするようになったということです。それがクリントン政権・ブッシュ政権のもとで対日工作が進められて、日本において有事法制が生まれ、あるいは日米安保協議委員会(2プラス2)の合意によって日米軍事同盟の再編強化ということになったわけです。
こういう中でまさに今問題になっている沖縄・普天間基地の移転問題なども、具体的に浮上してくるということが起こっています。
 時間がありませんのでもう一つだけ加えておきたいのは、自民党政権と民主党政権を比べた場合に、民主党政権は自民党政権、特に小泉政治がアメリカとの間で成し遂げた日米軍事同盟の再編変質強化をそのまま受け入れる政策を明らかにしていますが、自民党政治と比べた場合もう一つ際立っているのが、非核三原則を2.5原則に変えようという動きを非常に強めているということ、また武器輸出三原則を骨抜きにしようとしていることです。また民主党政権は、新防衛計画大綱、日米韓豪の軍事協力強化など、明らかに中国を軍事的に包囲する意図がありありとしている動きも急ピッチで進めています。これらの動きが目指すのは間違いなく憲法9条を変えるという方向と思います。そういうことを考えながら今の政治状況を見ていくことが必要だと思います。民主党政治に幻想を持つのはもはや許されないことだと考えます。そういう中で国民世論が揺れ動いている状況に対して、私たちがどのように働きかけていくのかが強く問われています。

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