日中関係-回顧と展望-
 新防衛計画大綱に対する根源的批判として
第3回:21世紀国際社会と日中関係

2010.12.19

*民主党政権の下で新防衛計画の大綱が発表されました(12月17日)。前原外相を筆頭とする「勇ましい」連中が音頭取りをしたとも伝えられていますが、内容的には小泉・ブッシュ路線を忠実に継承「発展」させたものに過ぎません。要するに、対中国シフトを鮮明にしたということであり、それだけでは「まずい」という考慮も加わって対朝鮮対応的側面を加味したというのが本質です。私は、アメリカの対中軍事戦略に日本が思考停止のまま身を預けてしまうこと以外の何ものでもない今回の大綱は正に国の進路を誤る最悪のものだと確信します。
 11月10日に、広島弁護士会平和憲法問題対策委員会で「尖閣問題と日中・日米関係」というテーマでお話ししました(テープが起こされてきたものに、正確を期してかなり手を加えましたので、分量的に多くなってしまいました。)。今回の大綱が出される前のものですが、内容的には、なぜ大綱が根本的に間違った選択であるかということを理解し、認識するための基本的判断材料がつまっているはずですので、紹介します。ただし、4回に分けて掲載することにします。今回はその第3回です(12月19日記)。

Ⅲ 21世紀と日中関係

1 21世紀の特徴的要素

最後に、21世紀における日中・日米関係を考える前提条件ということについてお話しさせていただきます。私は、先週末土曜日(11月5日)に香港で、「東アジアに台頭する中国と日本」というテーマで行われたシンポジウムに出席して、本当にびっくりし、がっくりして帰ってきたのです。そこに出席しているのは中国人と中国系アメリカ人がほとんどでした。そこで議論された中身は、「もう世界は米中の2国間関係の推移如何で決まるんだ」ということに尽きていました。もちろん、米中間の軍事力の比較とか、台湾問題が火種になりうるということは議論の対象になりました。しかし、米中間の戦争の可能性に如何に対処するか、戦争を防止するために取り組むべき課題は何かという問題は、見事なほどに誰も語らないのです。思うに、戦争になったら全てが終わりだから、「そんなことを考えてもしょうがない。だからとにかく戦争になる前の段階での米中関係を議論しましょう」という、暗黙の了解ができているのです。そんな場違いの雰囲気を感じながらも、私は、「戦争という問題をいかにしてなくすかということが21世紀における最大の問題の1つである。」と問題提起してみたのですが、完全に無視されてしまい、非常に空しい思いを味わわされました。
しかし、私はやはり21世紀においてこそ戦争を本当になくさないといけないし、戦争の違法化を徹底しなければいけないと考えています。そのように考えるのは、単に道義的、道徳的に考えて戦争がよくない、という理由によるものではありません。むしろ実際問題として、いくつかの21世紀ならではの特徴的な要素が出てきているということに基づいてそう考えるのです。
1つは、人間の尊厳が普遍的価値として承認されたということです。20世紀の歴史的、人類史的な到達点というのは、国家レベルでは、人権・デモクラシー、人間の尊厳を実現することは当然の要請である、ということが世界的に承認されるに至ったということだと思います。その要請を実現できないような国は国際的に国家としての正統性を主張できない。代表的な例は軍事政権下のミヤンマー(ビルマ)です。また、その要請とのかかわりで問題視されているのが中国ということになるわけです。要するに、20世紀を経て21世紀に入った国際社会において、ある国家が国際社会のメンバーとしてのいわば市民権を得るためには、国内において人間の尊厳を実現するのは当然の前提になるということです。
ところが、一国単位を離れて国際関係ということになると、21世紀に入った現在もなお、相変わらず国益が優先されるという状況がある。しかし、人類史的な発展、その最大の成果物である人間の尊厳というモノサシに即して見た場合、これはどう見てもおかしいわけです。国家が私たち人間という存在より上にくるのは第二次世界大戦までの歴史的遺物以外の何ものでもありません。個人と国家の関係のあり方を根本的に見直し、逆転させて、主権者である私たち個人が国家を道具として使いこなすということにならなければ、人間の尊厳という価値は根本的に実現しないわけです。
そういう視点に立って考えますと、20世紀までの国際関係のあり方は、21世紀において本質的に変わる必要があるし、それは歴史的必然だと私は思うのです。具体的にどのようなイメージかと言えば、主権国家からなる国際社会を人間の尊厳を普遍的に実現するための機能的な存在として位置づけ直し、国家そのものを地方自治体の如き機能的な存在に変質させていくということです。人類史的な流れとしてはそういう方向に向かっていくのではないかと思うのです。
もう1つの21世紀に特徴的な要素とは国際的相互依存の進行です。そのことを劇的に示したのは、国際的にさして重きを占めないギリシャの財政危機が世界を揺り動かしたという事実です。リーマン・ショック直後のアメリカ経済の行方には、誰もが固唾をのんだことはまだ記憶に新しいことです。このように、今や世界中が雁字搦めに結びついている。こういう21世紀ならではの時代状況を認識するかぎり、自分の国家の利益のためだけにやみくもに戦争という手段に訴えるということはもはやあり得ないし、あってはならないことです。ほんの少しの想像力さえあれば、誰にも明らかなことです。
そして、21世紀の世界にとっての最大の課題の1つは、やはり人類そのものの絶滅をもたらす核兵器の存在だと思うのです。核兵器が存在し続ける限り、人類は常に滅亡の危機と隣り合わせの状況を逃れることはできないということです。逆に言うと、核兵器というものまで作り出してしまった人類の文明のあり方を根本から見直すという発想を我がものにしないと、核抑止という「神話」の呪縛から我が身を解き放ち、核兵器をなくすという課題にも取り組めないのだろうと思います。
まだ他にも、21世紀を特徴づける課題はいろいろあると思います。例えば、地球的規模の諸問題、その代表が地球温暖化ですが、こういう問題群ももはや一国単位ではとても解決がつかないことははっきりしている。国際的な取り組み、地球を挙げての取り組みしかない。要するに、国家というのは21世紀の諸課題に取り組む上ではもはや有効な単位ではないということです。そのことは、客観的には歴然としている。いかにそれを私たちは常識化して、それに適合した地球社会のあり方を展望するかということを考えなければいけなくなっていると思います。そういうことを考えたら、尖閣問題なんて実に小さい、本当に下らない問題だと私は思います。

2 日米・日中関係における当面の課題

最後に、日米・日中関係において着手するべき当面の課題について触れさせていただきます。何よりも緊急な課題は、さきほど申し上げた台湾の領土的帰属未決定論を清算することです。これは実は本当に簡単なことなのです。要するに、事実を認めればいいだけのことです。中国も台湾も1つの中国と言っているわけですから、台湾の地理的な帰属は未決定というフィクションにアメリカと日本がしがみつくことをやめさえすれば、それで万事が解決します。日本が、「台湾は中国の領土です」と一言言えば、もうそれだけでアメリカは日米安保に基づいて台湾有事に軍事介入する法的根拠を失います。そうすることにより、日本も中国と戦争する可能性を未然に防止できるのです。これは、日本が「台湾の領土的帰属は未決定というフィクションはもうやめます」と言いさえすればいいことであって、政府の決断ですぐできることです。
それから、朝鮮半島の非核化という問題も重要です。ここでも問題の根っこはアメリカにあります。要するに北朝鮮は、アメリカから攻撃されることから我が身を守る最後のよすがとして核開発をしたのです。その発想は1964年の中国の核開発のときと同じです。しかもオバマ政権は、イラン、北朝鮮に対しては、核兵器の先制攻撃のオプションを残しているわけですから、北朝鮮の心配は決して根拠のないものではないのです。ですから、北朝鮮をして核兵器をいらないものと認識させるためには、アメリカが「絶対に北朝鮮に対して戦争を仕掛けない」と約束しなければなりません。北朝鮮がもっとも安心するのは、休戦協定を平和協定に変え、米朝国交正常化を実現することです。北朝鮮は、「そうすれば、私たちは非核化する」ということを繰り返し言っているのです。
朝鮮半島の非核化を妨げているのは、アメリカとともに日本です。私たちは、北朝鮮が諸悪の根源と思わされていますけれども、そうではないのです。6者協議の進展を妨げてきた最大の原因は、アメリカの頑迷な対朝鮮政策と並んで日本の非協力的な政策にあるのです。2005年のいわゆる9.19合意により、朝鮮半島の非核化は、6者が相互的な措置を取ることを積み重ねていくプロセスの終着点として位置づけられています。そして、2007年2月の6者協議においては、北朝鮮が非核化に向けて取る措置に対し、北朝鮮以外の5カ国は北朝鮮に対して各々20万トンの重油を提供する約束を行ったのです。しかし、日本だけは、「拉致問題が解決しない限りその義務は履行しない。」として約束を履行してこなかったのです。つまり、6者協議が前に進まなくなったのは、日本に大きな原因の一つがあるのです。北朝鮮が、日本には6者協議に参加する資格はないと言いだしたのにはそれなりの根拠があると言わなければなりません。
それから、根本問題としては、私はやっぱり日米軍事同盟を清算するということが、本当にアジア太平洋の平和と安定の要諦だと思います。日本国内では今や、「アメリカの軍事プレゼンスが必要不可欠だ。」という議論が当たり前のように語られる状況があります。しかし、朝鮮半島有事にしても、台湾海峡有事にしても、日本列島がアメリカの出撃・兵站基地にならなければ、アメリカは中国に対しても朝鮮半島に対しても戦争を仕掛けられないのです。これは自明です。グアムやハワイから、どうやって戦争を仕掛けられるんですか。1回限りの攻撃・奇襲はできるかもしれませんけれども、日本の協力なしには、アメリカに継戦能力はない、あり得ないのです。
だから日米軍事同盟を清算すれば、アジア太平洋における火の元は消えるのです。そういう意味で、本当に、日本はアジア太平洋、ひいては世界の平和と安定に対してものすごい役割を担えるし、その力を持っているのです。その単純明快なことを日本が自覚して動き出すと大変なことになるから、アメリカは手を変え品を変えて日本を抱え込もうとしている。鳩山政権が対米自主性をにおわせただけでも、アメリカは目の色を変えて鳩山政権つぶしに乗り出してきました。菅政権はそういうアメリカの「怖さ」を知っているから、沖縄を犠牲にして対米関係を維持することに腐心しているのです。しかし、本来の日米関係というのは、そんな嘘と詭弁でつなぎとめられるものであってはいけないと思います。日米軍事同盟を清算して、日米関係も、日中関係についてと同じように、真に対等かつ平等な立場に立脚したものにしていくということが必要ではないかということを申し上げたいのです。どうもありがとうございました。

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