NATOの新戦略概念

2010.11.23

*11月19日及び20日に開催されたNATO首脳会議で「NATO加盟国の防衛と安全のための戦略概念」と題する文書(以下「新戦略概念」)を発表し、この戦略を「今後10年間の同盟のロードマップとなる」もの(首脳会議発表文)と位置づけました。文書全文をPDFで掲載するとともに、その注目点について記しておきたいと思います(11月23日記)。

<核抑止戦略>

「新戦略概念」は、まず前文において、「NATOは核兵器のない世界に向けた条件を創造する目標にコミットする、しかし、世界に核兵器が存在する限り、NATOは核同盟であり続ける。」と、今後10年間にわたって核同盟であり続けることを公言します(ちなみに、今後10年間ということは2020年までということです。広島は、何の具体的な裏付けもないままに2020年までの核兵器の廃絶をかかげ、その年を記念するとして広島でのオリンピック開催まで言っているわけですが、「新戦略概念」におけるこのような基本姿勢に対して一体どのように対処しようとするのでしょうか。)。そして「安全保障環境」という項目においては、「核兵器その他の大量破壊兵器及びその運搬手段の拡散は、世界の安全及び繁栄に計り知れない結果をもたらす危険がある。次の10年においては、世界のもっとも流動的な地域において拡散が焦点になるだろう。」(第9項)と指摘しています。核戦争がもたらす結果は想像もできないものになることは認識しているが、それにもかかかわらず核兵器にしがみつく政策を根本的に見直す意思はない。その結果、核拡散の危険におびえ、身構えることを強いられるという、自己矛盾に満ちた政策があらわにされていることを見て取ることはむずかしいことではありません。
 このような自己矛盾に満ちた支離滅裂さは、「防衛と抑止」という項目においては、「核及び通常の能力の適当な組み合わせに基づく抑止は、我々の全般的戦略の中核的要素であり続ける。核兵器の使用を考慮しなければならないような状況はほとんど考えられない。(しかし)核兵器が存在する限り、NATOは核同盟であり続ける。」(第17項)という叙述においても繰り返されています。要するに、核抑止戦略自体を批判的に検討のまな板に載せるという根本的な選択肢を事前に自ら排除してしまっているために、こういう自己矛盾に満ちた、支離滅裂な叙述になってしまうことは必然であるというしかありません。核政策を見直しの対象にしないというこのかたくなな姿勢は、「同盟の安全に関する最高の保障は、特にアメリカの戦略的核戦力によって提供されている。イギリス及びフランスの独立した戦略的核戦力は、独自の抑止力であり、同盟諸国の全般的な抑止及び安全保障に貢献している。」(第18項)という英仏の核政策まで無条件に肯定するという叙述において念押しされる始末です。
また、NATO諸国の住民の安全に対する脅威を抑止し、防衛するために、NATOは全面的な能力を持つことを確保するとして、その一環として、「核の役割に関する集団的防衛、平時における核戦力の配置そして命令・管理・協議の取り決めにおける同盟諸国のできる限り広範な参加の確保」(第19項)という表現で、全NATO加盟国が核問題にかかわることを予定しています。
 また、「協力を通じての国際的な安全保障の推進」という項目の下で「軍備管理、軍縮及び不拡散」がいちおう扱われていますが、これらは「すべての同盟加盟国の安全保障を損なわないことが確保されるべきである」(第26項)とわざわざ念押ししており、安全保障を損なわない限りでの軍縮・軍備管理・核不拡散でなければならないという考え方が露骨に出ています。そして、核関連では以下の3点が記されています。

 「国際的安定を促進し、すべてのものの安全保障が損なわれないという原則に基づいた核不拡散条約(NPT)の目標にしたがって、我々は、より安全な世界を求め、核兵器のない世界に向けた条件を創造する決意である。
 冷戦終結以来の安全保障環境の変化に伴い、我々は、欧州配備の核兵器の数を大幅に減少させ、NATOの戦略における核兵器への依存度を大幅に減らした。将来においてさらに削減するための条件を創造するために努力する。
 将来におけるいかなる削減においても、我々の目的は、欧州におけるロシアの核兵器に関する透明性増大についてロシア側の合意を得ることを追求するし、NATO加盟国の領域からこれらの兵器を引き離して再配備することを追求する。」

 以上の3項目の内容について特に注意する必要があるのは、NPTについての認識、位置づけのあり方です。2009年のオバマのプラハ演説以来、日本国内においては、まったく根拠もない「核兵器廃絶の気運が盛り上がった」という受けとめ方が広がり、その延長線上で本年5月のNPT再検討会議に対しても核兵器廃絶に向けた具体的な成果を期待するということになってしまった(もちろん、根拠の裏付けがないその種の期待は「裏切られ」、失望が広がった)わけです。しかし、「新戦略概念」は、「国際的安定を促進し、すべてのものの安全保障が損なわれないという原則に基づいた核不拡散条約(NPT)の目標」というように、NPTの本質をそれなりに間違いなく捉えていることが分かります。
一言蛇足を付け加えるならば、私たちに求められるのは、「オバマジョリティ」に代表されるようなオバマ個人のありもしない「神通力」に頼るのでなく、マスコミの言説(宣伝的キャンペーン)に踊らされてしまうのでもなく、核兵器廃絶を実現する力は私たち自身の核兵器廃絶の世論を格段に強める以外にないのだ、ということをしっかりと確認することだと思います。

<「脅威」認識>

 「新戦略概念」を読んで改めて感じたのは、「脅威」の意味内容を明確に定義することを抜きにして、正体の分からない「脅威」に対して身構えることの必要性を強調して止まないNATOのパワー・ポリティックス(権力政治)にしがみつく旧態依然とした認識の異様さということです。「中核的任務と諸原則」という項目の下で真っ先にいわれているのは、「今日、(NATO)同盟は予測できない世界における安定の主要な源である。」(第1項 強調は浅井。以下同じ)ということです。つまり、21世紀の世界は「予測できない世界」、したがって何が起こるか分からない世界、だから軍事的に備えを強化しなければいけない世界と認識されているということです。同じような国際情勢を不安定視する認識は、「世界の多くの地域及び国々では、国際的安定及び欧州大西洋の安全にとって予想することがむずかしい結果をもたらす大量かつ現代的な軍事能力の獲得が行われている。」(第8項)にも顔を覗かせています。
 国際的相互依存が不可逆的に進行して大規模戦争など考えられもしないという大状況の変化、大規模な戦争は核戦争に発展して人類の滅亡を招くことが誰の目にも明らかになっているという歴史的な変化(政治の延長としての戦争という位置づけはあり得なくなったということ)、人間の尊厳を損なうような暴力の行使はもはや許されてはならないことが広く認識されるに至った21世紀的状況、これらのことを考える時、以上の「新戦略概念」に示された旧思考には唖然、暗然となるほかありません。
 「新戦略概念」が脅威として具体的にあげるのは、核拡散のほかには、テロリズム(第10項)、サイバー攻撃(第11項)、通信・運輸などの脆弱性を狙った攻撃(第13項)、レーザー兵器や電子戦争などの技術関連の傾向(第14項)、環境及び資源的制約(第15項)です。しかし、「テロリズムは、NATO諸国の市民の安全に対する直接の脅威であり、より広くは国際的な安定及び繁栄に対する脅威である。」(第10項)という叙述が示しているとおり、その「脅威」としての性格は狭義の軍事的意味より広い意味で捉えられていることは明らかです。これらのいわば雑多な要素を「脅威」としてひとくくりにし、軍事同盟であるNATOの対処するべき対象として位置づけることには大きな無理があると言うべきでしょう。
 また「新戦略概念」は、「同盟の最大の責任は、ワシントン条約(浅井注:NATO条約のこと)第5条に定めるとおり、我々の領土及び住民に対する攻撃から守り、防衛することである。同盟は、いかなる国家をも敵とは見なさない。しかし、NATOのいずれの加盟国の安全が脅かされる場合におけるNATOの決意を疑うべきではない。」(第16項)と述べています(その後にすでに紹介した第17項及び第18項の核政策の記述が続くわけです。)特定の国家を脅威と見なすわけではないが、どの国家が攻撃を企むか分からないので、それに対して万全の備えを用意する、と言っているわけです。しかし、次のミサイル防衛にかかわって、NATOがイランを脅威となり得る国家としていることは直ちに明らかになります。
 ただし、「新戦略概念」は、NATOが国連憲章第51条に基づく集団的自衛権に立脚した軍事同盟であるという点を確認していることには留意する必要があると思います。すなわち、「同盟は、国際の平和と安全の維持に関する安全保障理事会の主要な責任を確認している国連憲章の目的及び原則に固くコミットしている。」(第2項)と述べています。
言うまでもなく、日米安保条約もNATOと同じ国連憲章第51条に基づいているわけですから、外からの攻撃、侵略があった場合にのみ発動され得る集団的自衛権の本質的制約の下にあることを明確に認識しておくことが必要なのです。上記の叙述はその点を確認したものであることは言うまでもありません。ところが、日本国内で集団的自衛権の問題が議論される時、よく例に挙げられるのは、「アメリカの艦船が攻撃を受けた時に、その攻撃に対して日本の海上自衛隊が反撃もできないようなら、とても同盟関係は成り立たない」という類の議論です。しかし、朝鮮半島有事にしても、台湾海峡有事にしても、アメリカが軍事シナリオとして考えているのは、アメリカが軍事行動を取ることで始まる有事であって、その場合には日本が集団的自衛権を発動する前提条件がそもそも欠けているのです。上記の類のケースは、アメリカの攻撃を受けた国家(朝鮮あるいは中国)が反撃として(即ち自衛権の行使として)行うものであり、それに対してアメリカの艦船と一緒になって海上自衛隊が軍事行動を取るとしても、それは集団的自衛権の行使ではあり得ないのです。「新戦略概念」の以上の叙述から、私たちが学ぶべきことがあることはあると言うことを指摘しておきます。

<ミサイル防衛へのロシア抱き込み>

 ミサイル防衛に関する「新戦略概念」の主要な叙述は、「集団的防衛の中核的要素として、同盟の一体的な安全保障に貢献する、弾道ミサイル攻撃から住民及び領土を防衛する能力を開発する。ミサイル防衛については、ロシアその他の欧州・大西洋のパートナーとの協力を積極的に追求する。」(第19項)とある部分です。しかし、NATO首脳会議は、ミサイル防衛システムの問題について、「新戦略概念」文書の採択に加え、さらに特別の合意を行いました。そして、このシステムの開発に対するロシアの参加に関する原則的合意を取り付けたことを、今回の会議の非常に大きな成果と位置づけています。  欧州正面におけるミサイル防衛システムの対象は、NATO側の言い分としては、いうまでもなくイランです。ロシアは従来、NATOのミサイル防衛計画が、表面上はイランを対象としているとしてはいるものの、真の対象はロシアではないかと疑い、これに反対してきたのでした。今回、NATOの計画への参加について、条件付きではありますが、原則合意したということは、イランに対するNATOの認識をロシアも共有するということ(少なくともその方向に向かおうとしていること)を示すものです。  これをアジアに即していえば、次のようなことになります。アメリカと日本が共同開発しているミサイル防衛システムは、日本国内では朝鮮のミサイルを迎撃するためのものと喧伝されていますが、中国は、米日の真の狙いは中国のミサイルだと疑っています。その意味では、中国とロシアの立場、認識は近い(あるいは近かった)のです。ロシアがNATOの計画に参加するということは、アジアについていえば、中国が朝鮮を対象とする建前のミサイル防衛システムに参加するということであり、イラン及び朝鮮は大国の軍事包囲網に取り巻かれるに等しいという意味を持ちます。  私たちはとかく、アメリカの影響が強いマスメディアの報道姿勢に見方を支配されて、イランや朝鮮を異端視することに慣らされており、したがって、今回のロシアの動きについてもその重大な意味合いを見分けることができません。しかし、今回のロシアの行動は、大国が結託するとどんなことでもしでかす可能性があるということを示しているという点で、国際関係のあり方としては非常に危険な結果をもたらしかねないことを、私たちは認識する必要があると思います。特にイランからすれば、猛獣がうようよするジャングルの中に投げ入れられたと同じことで、本当に危機感にさいなまれる事態だと思います。

<域外パートナーシップ>

 「新戦略概念」は「パートナーシップ」という項目を設けて、NATOとそれ以外の国々及び国際機構とのつながりを重視する姿勢を強調しています。

 「欧州・大西洋の安全保障は、地球上の国々及び機構とのパートナーシップ関係の広いネットワークを通じることによってもっとも確保される。」(第28項)
「我々は、平和な国際関係についての我々の関心を共有する世界中のいかなる国家及び関係ある機構とも政治対話や実際的な協力を進める用意がある。
我々は、共通の関心がある安全保障上の問題について、いかなるパートナー国とも協議する用意がある。
我々は、NATO指揮下の使命に貢献する作戦上のパートナーに対しては、戦略及び決定を行ううえで役割を付与するだろう。」(第30項)

 以上の叙述において直接言及はされていませんが、日本とのパートナーシップの可能性が含まれていることに留意しないわけにはいかないでしょう。例えば、アフガニスタン戦争に日本の自衛隊が加わるようなケースが想定されているということを私たちは考える必要があると思います。NATO側のそういう考え方は、民主党政権を含め、日本の保守政治層には筒抜けだと思います。しかし、そういう重大なことを鋭く見抜き報道する見識を備えたメディアがない日本では、圧倒的に多くの国民は何も知らされないまま既成事実の進行に巻き込まれていくのです。

(参考)
「新戦略概念」(英語全文)

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