「政党の値打ち」(志位共産党委員長の発言について)

2010.11.11

*日本共産党が開いた「赤旗まつり」で、志位委員長が11月7日に「政党の値打ちは何によってはかられるか」と題する記念演説をし、その全文が9日付『しんぶん赤旗』で紹介されていました。私は全文を読み、非常に落胆しました。私がこのコラムで問題提起したことについて、志位氏はまったく歯牙にもかけていなかったからです(彼の目にも届いていないのでしょうか)。
その時は、「まあ、そういうものか」と思い、それ以上深くは考えませんでした。実は先日他用で上京した際に、ある記者から、共産党関係者に浅井のコラムでの発言に対して反応しないのかと質問したのだが、無視するという趣旨の答が返ってきたということを紹介されていたのです。正に志位氏の発言は、私のコラム発言を完全に無視した、これまでの党の主張を確認する内容で、私のか細い声などはものの数ではないという記者氏の紹介を裏づけるものだったからです。
 しかし、同じ日の毎日新聞の囲み記事を読んで、気持ちが変わりました。この記事によると、「領土問題は血が騒ぐ」と志位氏が言ったと書いているのです。括弧にくくってある引用なので、志位氏はそう発言したのだと受け取るほかありません(もしでたらめならば、共産党は厳重に毎日新聞に謝罪と訂正記事の掲載を要求するべきですし、そういう展開になることを私としては心から期待します)。そこにはまた、赤旗まつり目当ての右翼の街宣車が予想外に少ないことに関して、「共産党関係者からは「領土問題で日本政府顔負けの主張を展開する党の姿勢に『共感』したのでは」と冗談とも本気ともつかぬ声が上がった」とまで書いてありました。私は、「これは本当にやばい」と思いました。やはり黙っていてはいけない、と思い直したのです。
 ということで、志位演説に対する私の感想を記します。「基本的人権と自由の擁護、発展のためにたたかいぬく」(志位演説)共産党であるならば、今回の私のコラム発言には何らかの形で反応をしてほしいと思います(11月11日記)。

〇「韓国併合」100年-併合条約を「不法・不当」ときっぱりいえる党(演説の小見出し。以下同じ)

 この部分で私が気になったのは、志位演説が竹島(独島)問題には言及しなかったことです。尖閣諸島(釣魚島)問題、千島(クリール)問題には積極的に発言しているのに、竹島(独島)問題には触れなかったのには何か分けがあるのでしょうか。上記毎日新聞で引用された「領土問題は血が騒ぐ」志位氏であるならば、竹島(独島)問題に沈黙を守ったのがむしろ腑に落ちません。
ただし、『赤旗』ウェブサイトを検索してみましたら、10月17日付で「検証作業 尖閣問題と日本共産党」という記事が載っており、そのページの一番下で「日本共産党は1977年の見解で、竹島が1905年に日本に編入したことには歴史的な根拠があると主張しました。同時に、当時は日本が韓国を植民地にしていく過程であり、それらも考慮して韓国側と共同して歴史的検証を進めるべきだと主張しています。」と載っています。この文章だけからではよく分かりませんが、竹島(独島)問題については、日韓共同の歴史的検証の必要性を指摘していることが窺えます。また、疑問が膨らむのは、どうして尖閣諸島(釣魚島)問題についてはそういう日中共同の検証作業を行うという発想・提案・主張が出てこないのだろうか、ということです。

〇尖閣問題――侵略戦争に反対をつらぬいた党ならではの先駆的な見解

 志位演説は次のように述べています。

 「日本共産党は、すでに1972年に見解を発表し、尖閣諸島の日本領有は歴史的にも国際法上も明確な根拠があると表明してきましたが、10月4日に、さらにつっこんだ見解を発表いたしました。
 新たに踏み込んだ中心点は、「日本は、日清戦争に乗じて尖閣を不当に奪った」という中国側の主張にたいして、日清戦争の講和を取り決めた下関条約と、それに関連するすべての交渉記録を詳細に分析し、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖(ほうこ)列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」ときっぱり表明したことにあります。(拍手)
 この見解は広い反響を呼んでいます。ある防衛省関係者は、「最も重要なのは、日本の領有の正当性を粘り強く国際社会に訴えていくことだ。共産党の見解に敬意を表する」とのべました。ある外交官のOBは、「政府以上のものだ」と評価してくれました。あるアジアの駐日公使は、「中国にこれだけのことをいったのは見事だ」と感想を語りました。読売新聞はコラムで「尖閣アピール“1番は共産党”」と報じました(拍手)。衆院での代表質問で、この問題での党の立場を表明しますと、議場から大きな拍手がステレオでおこりました(笑い、拍手)。翌日には外務省のホームページにも(尖閣問題の)詳しい解説がのりました。その多くの論点は、わが党の見解とそっくりのものでありますが、もちろん、特許権の侵害だなどとけちなことをいうつもりはありません。(笑い、拍手)
 どうしてこういう見解をだせたか。私たちが、過去の日本の侵略戦争や植民地支配に最も厳しく反対してきた政党だからであります(「そのとおり」の声、拍手)。だから日清戦争で侵略で不当に奪ったのは台湾と澎湖列島であり、尖閣諸島はそれとは別の正当な領有だったと、きちんと論をたてられるのであります。」

 私は、以上の志位氏の発言に関していくつかの重大な疑問を感じないわけにはいきません。
 第一は、党が新たに踏み込んだのは、「日清戦争の講和を取り決めた下関条約と、それに関連するすべての交渉記録を詳細に分析」して、日本の領有は正当だったとしている点です。しかし、中国側が問題にしているのはそれ以前の段階からのことなのです。つまり、中国側の文献では、日清戦争に先立つ1884年当時から、日本国内において尖閣諸島(釣魚島)を領土に編入する動きがあったけれども、中国側の反応などを考えて外務省などがその動きを押さえたこと、そして日清戦争で日本の勝利を確信した後になって初めて外務省が編入OKを出し、1895年1月に編入した、という経緯を日本側の文献に基づく形で指摘しています。
日本側は無主先占というが、以上の日本側内部の動きからみても、その主張には重大な疑問があるし、むしろ、日清戦争勝利を確信した日本が無主先占という形をとりながら、実は尖閣を盗取したに等しいではないか、という主張なのです。しかも、中国側はそういう「無主先占」行為を日本がとったことも知らなかったとしており、したがってそういう中国側の認識からすれば、下関条約で日本に割譲を強いられた「臺灣全島及其ノ附屬諸島嶼」(第2条2)に釣魚島が含まれていることは当然だということになるのです。ですから、カイロ宣言にいう「滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域」には当然釣魚島も含まれるという主張につながります。ポツダム宣言の「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」に鑑みても、尖閣諸島(釣魚島)に対する主権を決めるのは、日本ではなく連合国であるということも、中国側は指摘することを忘れていません。
 以上から私が指摘せざるを得ないのは、共産党の見解は中国側が提起している問題点に答えていないものであり、したがって、共産党があくまで尖閣問題に首を突っ込み続けるつもりであるならば、さらに歴史をさかのぼって検証して、中国側の指摘しているいくつかの論点に対して誠意ある見解を示す責任があるのではないか、ということです。竹島(独島)問題と同じように、尖閣諸島(釣魚島)問題についても、日中共同の検証作業を行うことを提起することは最低限度必要なのではないでしょうか。共産党の再考を求めたいところです。
 私自身は、領土問題について白黒を付けることは至難であることを考えるとき、日中間の真の友好を目指すのが共産党の基本的立場であるならば、共産党としてはこれ以上この問題の深みに入り込まないという判断をするべきではないかと思っていることを附け加えておきたいと思います。
 第二に、志位氏が防衛省筋、外交官OB、アジア外交筋、読売新聞、国会論戦での議場の反応などが共産党の見解を評価するものだったことを、率直な表現を使わせていただくならば、手放しにかつ得意げに紹介していることについては、私は正直寒々した気持ちにさせられました。「領土問題は血が騒ぐ」と志位氏が語ったのも本当かも知れない、と改めて思いました。「尖閣は日本の領土」と主張して止まない人びとが今回の共産党見解や志位氏などの発言を双手を挙げて歓迎するのは、これまで日本の侵略戦争に対して客観的な歴史観に立って批判を加えてきた共産党、サンフランシスコ平和条約・日米安保条約・日華平和条約からなるサンフランシスコ体制を徹底的に批判してきた共産党からの「思いがけぬ支持表明」があったということだからでしょう。そういう人びとに大歓迎されるということは、むしろ自分たちの見解には問題が潜んでいるのではないか、という自戒の材料にするべき筋合いのものであって、手放しにかつ得意げに紹介する感覚には、私は到底ついて行けません。
 第三に、「どうしてこういう見解をだせたか。私たちが、過去の日本の侵略戦争や植民地支配に最も厳しく反対してきた政党だからであります(「そのとおり」の声、拍手)。だから日清戦争で侵略で不当に奪ったのは台湾と澎湖列島であり、尖閣諸島はそれとは別の正当な領有だったと、きちんと論をたてられるのであります。」というくだりには、正直あっけにとられました。私は、共産党が日本の侵略戦争や植民地支配にもっとも反対してきた政党であることに敬意を持っています。しかし、“そういう政党だからこそ尖閣諸島の正当な領有を論だてができる”というのは、いったいどういう論理に基づくのでしょうか。私には理解不能です。志位氏のこの発言に、会場から「そのとおり」の声が上がり、拍手が起こったようですが、私はますます寒心にたえない気持ちに襲われました。
私が既に紹介した中国側の主張は、まったくナンセンスとして片付けるにはすまない内容があることは否定できないでしょう(繰り返し言っておきますが、領土問題は20世紀までの国際政治の「遺物」でしかないと考える私は、掘り下げて研究する熱意も関心もありません。私が指摘する必要を感じるのは、共産党が首を突っ込む以上は、中国側の言い分にも耳を傾けることは最低限の礼儀であり、ルールだろうということだけです。)。
中国側からすれば、共産党のこのくだりの物言いは、“中国に対する侵略戦争に反対した共産党が尖閣諸島の領有権は日本にあると言っているのだから、黙って言うことを聞け”というきわめて乱暴な、無礼でさえあるものと受け止められる可能性すらあると思います。それほどに、このくだりの発言は基本的な外交感覚・他者感覚が欠けていると言わざるを得ません。
中国共産党は、日中両党の関係が回復して以来の交流の蓄積を通じて、日本共産党は日本の他の諸政党とはちがう中身を持った、話すにたる政党であると認識してきたと思います。しかし、今回のこの発言は、正に九仞の功を一簣に虧く恐れすら否定できない内容のものだと私は真剣に憂慮します。

〇歴代政府の弱点――侵略戦争への反省がないと、正当な領有権の主張もできない

 志位演説は次のように述べています。

 「歴代日本政府のどこが問題か。歴代政府は、本腰を入れて、尖閣諸島の領有の正当性を中国政府や国際社会に訴える政治的・外交的対応をやってきませんでした。
 1972年の日中国交回復の時にも、78年の日中平和友好条約の時にも、92年に中国が「領海法」で尖閣を中国領に含めた時にも、本腰を入れた領有権の主張をしていません。民主党に政権が代わっても、ここが弱いのです。
 どうしてそういう弱点が生まれているのか。根本には、侵略戦争への反省がないまま日中国交回復をおこなったという問題があります。1972年9月の田中角栄首相と周恩来首相との国交回復交渉の記録が公開されています。それを見ても、侵略戦争への反省はないのです。「迷惑をかけた」という程度のものなのです。尖閣諸島については、田中首相が「尖閣についてどう思いますか」と尋ね、周恩来首相は「話したくない」と答えている。これだけのやりとりしかないのです。領有権の主張はまったくおこなわれていません。侵略戦争の反省がないから後ろめたいんですね。だから領有の正当性を主張できず、卑屈な対応になっていく。だいたい、反省がないと、侵略で奪った領土と、正当に領有した領土との白黒の区別もつかなくなってしまいます。」

 日中国交正常化交渉の全体像を知る上では、岩波書店から栗山尚一『沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』という本が最近出ており、とても参考になります。栗山氏は日中国交正常化交渉に際しては、外務省の条約課長として、日中共同声明作成の中心人物として活躍した人物です。私が志位演説に関して指摘しておきたいのは、1972年の国交正常化交渉において、また、その後の日中関係全体において、尖閣諸島(釣魚島)問題の比重はきわめて小さい要素であるに過ぎないということです。この小さな問題のために日中国交正常化が実現しないという事態になっていたとしたら、それは日中両国にとって大変な損失であり、世界からは物笑いになる類の話であったでしょう。「領有権の主張はまったくおこなわれていません。侵略戦争の反省がないから後ろめたいんですね。だから領有の正当性を主張できず、卑屈な対応になっていく。だいたい、反省がないと、侵略で奪った領土と、正当に領有した領土との白黒の区別もつかなくなってしまいます。」という主張は、領土問題だけに目が奪われた、そして日中国交正常化交渉の全体像を把握しない、独断と偏見に満ちたものという批判は免れないと思います。このような粗っぽい議論をすることは、共産党自身のためにもならないと思います。

〇「核兵器のない世界」への流れをすすめている主役はだれか

 この段落の最後で、志位演説は次のように述べています。

 「第四は、日本の原水爆禁止運動、日本共産党が、なぜ先駆的役割を発揮できるのか。それは歴史の試練を経たものだということです。
 1963年、ソ連は、部分的核実験停止条約――地下核実験を野放しにする条約を日本の平和運動と日本共産党に押しつける干渉を開始しました。このなかで社会党・総評指導部が日本原水協から脱落したわけですが、日本の運動は核兵器廃絶の大義を守りつづけました。ソ連による干渉をはねのけ、自主独立の立場を鍛え上げてきたからこそ、今日の日本の運動があるし、日本共産党があるのであります。」

 この内容は、志位氏が訪米報告の中で言及した内容とほぼ同じです。私は、このコラム(「日本共産党への辛口提言―ふたたび埋没することがないように-」)で、こういう認識からは「今なお分裂し、このままではじり貧を免れない(としか私には思われない)日本の原水爆禁止運動の深刻な状況を直視する真摯な姿勢を窺えないことを非常に残念に思う」、「日本の平和運動の今日における沈滞は1963年の原水爆禁止運動における社共分裂に大きな直接的な原因があると言っても過言ではない。日本の平和運動が日本の世論を引っ張り、世界の平和を引っ張る力を発揮することを強く願うだけに、上記の志位委員長の発言は、正直言って理解に苦しむ。そして、このような自己正当化の主張を公然と行う共産党の姿勢は、やはり多くの国民・人々の共感を遠ざける方向に働かざるを得ないことを、私は恐れる。」と指摘したのですが、今回の演説が同じ認識を繰り返しているということは、私の辛口提言が共産党指導部の目に止まっていないか、冒頭に書きましたように、単純に無視されているかのどちらかでしょう。

〇人権と自由は今日の日本の大問題――将来にわたって擁護・発展のためたたかう

 志位演説は次のように述べています。

 「基本的人権と自由の問題は、今日の日本の大問題でもあります。「社会主義は独裁だ」と攻撃する勢力が、はたして自由と民主主義の守り手と言えるでしょうか。…
 私は、言論と表現の自由を求めるすべての正義のたたかいに固く連帯してたたかいぬく決意をここで申し上げるものであります。(歓声、大きな拍手)…
 日本共産党は、将来にわたって、基本的人権と自由の擁護、発展のためにたたかいぬくことを、この赤旗まつりで私は宣言するものであります。(歓声、大きな拍手)」

 私は、この決意と宣言を心から支持し、歓迎します。そして一つだけ注文があります。デモクラシー(民主)が真に生き生きとその生命力を発揮するためには、言論の自由が保障されなければなりません。そして、主権者である私たち一人ひとりの意見を自由に表明する権利が保障されるべきは当然ですが、その意見が本当に日本の政治を動かすことができるようになることが確保されることが不可欠です。そのためには、優れて主権者である私たち一人ひとりと日本共産党をふくむ各政党との関係において自由闊達に意見を交わし、それを通じて豊かな内容の政治が実現していく条件が確保されなければならないはずです。
つまり、私たちが政党に対して自由に意見を表明することが保証されるだけでは足りません。共産党をふくむ各政党は、主権者の意見に謙虚に耳を傾け、その意見に対して責任を持って誠実に反応することが求められているはずです。言いっぱなし、聞きっぱなし(馬の耳に念仏)では、デモクラシー(民主)は機能しないはずです。民主(デモクラシー)の守り手を自認する共産党として、私のささやかな意見にも、それを無視するのではなく、私の誤りを正すことを含め、誠実に対応することを求めます。

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