草の根はすばらしい-自治体労働者全国研修会-

2010.10.23

1.草の根は力の源

10月16-17日に岡山で地方自治体で勤めている人たちの全国研修集会が開かれ、私は、17日に開かれた平和と地方自治を考える分科会に「助言者」として招かれ、出席しました。朝9時30分から午後3時30分まで、途中に昼食その他の休憩は入りましたが、とても中身の濃い、私の方がてんこ盛りの学習をさせていただく充実した時間を過ごすことができました。職場という現場で日常的に努力している方達の、生の体験、実感、悩みを踏まえた発言の数々はとても説得力がありますし、単に自治体労働者の闘い、運動のあり方だけではなく、広く国民的、市民的な闘い、運動のあり方についても広く適用され、考えられるべき内容が詰まっていたと思いました。
私がとても引き入れられた発言の内容の中のほんの2点を紹介しておきたいと思います。
〇沖縄県の仲井真知事(自民党と公明党支持の普天間代替施設の県内移設容認できた人物)ですら、県外移設要求を打ち出して県知事選に立候補表明するということは、争点隠しの試みとして警戒するべきことであるが、沖縄県内世論の力なくしてはあり得なかったことは間違いないことであり、やはり「世論こそが政治を動かす力だ」と実感する。
 また、5月28日の普天間代替基地に関する日米両政府の合意は憲法違反である地方自治への侵害として、地方自治体に勤める自分たちが地方自治体の首長や議会に対して反対する決議などの行動をとるように働きかけるという具体的な提案もあった。
 世論の力という点については、これから本格化する「国民保護計画」の実働訓練への住民参加に反対する運動を行えるかどうかについてもそっくり当てはまる。住民が明確に反対の意思表示をしなければ、自治体職員としては、職を賭す覚悟なしには逆らえず、行政の一環としてやる以外にない。(私からは、憲法違反の訓練実施に反対する行動を、47都道府県をあげての集団訴訟で闘うということは考えられないか、と提起)
〇問題の本質を踏まえることと運動の具体的進め方との兼ね合いを十分に考えることの重要性。沖縄県知事選では、仲井真氏による争点隠しの試み(県外移設をいうことで、もはやそれは争点ではないとして、別の争点づくりで選挙結果を動かそうとしている。)に対して、沖縄での選挙戦をどう進めるか、沖縄県以外での闘いをどう進めるか、ということについては、各地の状況を踏まえたきめの細かい取り組みが必要だ。イハ氏が当選を確実なものとするためには、沖縄では最大限の多数派を確実にする柔軟な取り組みが必要であるし、沖縄県知事選挙の国政上の重要性を考えるとき、本土では普天間問題の本質である日米軍事同盟の問題を見据えて国民の政治的認識を深めるような取り組みを構築していくことが必要だ。
 問題の本質論と運動論との関係という点では、9条の会についても同じことが言える。9条の本質を語ると同時に、9条が変えられてしまってはどうにもならないわけで、そうさせないためには、例えば「9条に賛成だけど、日米安保も必要」と考える国民の多数派を、「9条はとにかく変えさせないでおこう」という一致点で9条の会を支持するように働きかけるという運動上の柔軟性が必要だ。

2.草の根の力がなぜ全国的な力につながらないのか

 別に確かめたわけではないのですが、皆さんの発言を聞いていて、「ああ、たぶん多くの皆さんは共産党系か支持者の方なんだろうなあ」と感じました。私は最近、このコラムで共産党のあり方や中央指導部の見解・発言に対して率直に自分の意見をぶつけています。今回の集会で皆さんの発言を聞いていて一番感じたことは、現場というか第一線で頑張っている人たちの中にこれだけすばらしい考えを培い、悩み、人間的にもとても魅力を感じる人たちがいっぱいいるのに、どうして共産党に対する支持率が低迷したままなんだろうという素朴な疑問でした。
 私は前に「コラム」で、「『中国的民主』についての所感」という短い文章を書いたことがありますが、いまの日本共産党にもっとも必要なのは、中国共産党流の「群衆路線」ではないかと、今回改めて強く実感する思いでした。「人民に奉仕する」(為人民服務)、「(現地)調査なくして発言権なし」(没有調査就没有発言権)に代表される群衆路線こそは、中国共産党が数々の致命的な誤りを犯しながらも、今日に至るまでの60年以上(いや、内戦時代を入れれば実に約90年)にわたって中国政治に強力な指導力を発揮し得てきた力の源泉ですし、いろいろいわれるけれども、中国人の多くの人びとの支持を確保してきた最大の所以です。日本共産党が本当に日本政治の主流となることを志すのであれば、草の根レベルに深々と入り込み、地べたで生活する人々から真剣に学び、基層レベルに豊富に存在する人材、知恵、活力を生かし切る日本的な「群衆路線」をわがものにすることを第一の課題に設定するべきではないでしょうか。
その点では、最近の中国の人事も参考になるはずです。中国の次期最高指導者のポストに近づいた習近平氏の略歴を新聞報道で見ると、確かに「政治家二世」という点では日本の状況と似ているように思いがちですが、私たちは彼の歩んできた経歴に注目する必要があります。彼は福建省(アモイ市副市長、福州市党委員会書記、福建省省長)、浙江省(省党委書記)、上海市(党委書記)などの重要省市での地方実務(地方政治とは言え、一つの省の人口が数千万規模ですから、いわば国政担当能力を問われるのです。)の実績を評価されて中央入りを果たしたわけで、地盤、看板、鞄だけで政界入りする日本の二世政治家とは分けがちがうのです。しかも、福建省長だった2001年には「行政官は公僕であり、主人は人民であることを忘れてはならない」と国内メディアに発言して喝采をあびたという報道(10月19日付毎日新聞)から見れば、群衆路線を弁え、実践していることが窺えるのです。選挙のときだけ国民にぺこぺこ頭を下げる日本の政治家とは鍛え方がちがうことは間違いないと思いますし、「上から」目線で国民に説教する癖が染みついている日本共産党としては学ぶべき点が多いはずです。しかも、これは習近平氏だけに限ったことではありません。中国の指導者として名を連ねる人々は、先ず例外なく習氏のような経歴を経ているのです。
私は、日本共産党の指導者の人たちの過去の経歴については全く無知です(正直全然関心がないので)。また、個人的に少し知っている人の中で、高知県党委員長(私も何度か同県に伺いましたが、本当に高知県における共産党は元気だという印象を受けます。この元気さが生まれたのには、この方の柔軟かつ草の根に密着した活動を抜きにしては考えにくいのではないでしょうか。)から中央入りした人がいますし、長きにわたって全国革新懇運動の事務方の仕事に献身的に取り組んで、最近中央本部の仕事に就いた人のケースも赤旗で知りました。ですから、草の根で実績を上げて中央の仕事に抜擢される人もいるのだろうとは想像します。しかし、総じていえば、中国共産党のような組織及び運動としての、群衆路線に基づく政治運営、人材養成・登用の仕組みが備わっているようには見えないというのが私の偽りのない実感です。私は、このコラムの「日本共産党への辛口提言-2-」で、①「国民が主人公」を有言実行すること、②現場を尊重し、東京が仕切るのを止めるべきでは、③若いフレッシュなエネルギーはどうなっているのか、の3点を問題提起しましたが、その3点を集約すれば、日本共産党が中国共産党の群衆路線から大いに学ぶ必要があるのではないか、ということだと思います。若い優位な共産党員を中国の現場で「群衆路線」の実地訓練するというような計画を中国共産党の間で進めたらどうでしょう。
最近の日本共産党の中央委員会総会及びそれ以後の動きについては、赤旗紙面を通じて内容を私なりに確認してきているつもりですが、どうも従来の殻の中にとどまったままという印象を禁じることができません。具体例をいえば、尖閣問題のような枝葉末節の問題(というより、今日の日本が直面している本質的な問題の範疇には到底入らない類の問題)に大きなエネルギーを向ける決定をしたら何が何でも後に引かない、しかも相変わらず自説だけにこだわっている(中国側の言い分にしかるべく耳を傾けることもしない。1880年代から1895年までの日本国内の状況に関しては、中国側の論点は多分に井上清京都大学教授の説に学んでいると思うのですが、井上清氏がかつて親毛沢東派の反党分子ということだけで、その説の内容自体を顧みないとするならば、科学的社会主義を標榜する共産党の看板が泣くというものではないでしょうか。)というスタイルでは、「党内外の声に謙虚に耳を傾ける」という約束からはほど遠いのではないでしょうか。共産党が日本の政治を真に人民的、民主的なものにすることについての役割を期待するだけに、「国民が主人公」の政治にもっと愚直に、目の色を変えて取り組んで欲しいと願わざるを得ません。
(10月23日記)

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