米臨界前核実験に示されたオバマ核戦略

2010.10.20

*広島市は、オバマ大統領の出席が予定されているAPEC首脳会議の開催時期に合わせて、11月に「2010年ノーベル平和賞受賞者世界サミット」を開催し、そこへのオバマの参加を要請しています。2009年4月5日のオバマ大統領のプラハ演説以来、「核廃絶気運が盛り上がった」とフィーヴァー現象が起きてきた日本ですし、広島も例外ではなかったのです。今回の広島市による上記「サミット」の企画も、正にその一環であると思われます。そういう中で、9月15日にオバマ政権が臨界前核実験をしたことが明らかになり、広島には大きな衝撃が走りました。そのようなオバマを広島に呼ぶことは妥当なのか、という疑問の声が起こっているのです。
私自身は、オバマ政権の核戦略を冷静に見きわめる必要があることを機会あるごとに指摘してきたつもりですし、プラハ演説の中でオバマは「効果的な核兵器を維持する」と言っているのであり、その発言は臨界前核実験の実施が当然含まれるわけで、なんら驚くべきことではないと受け止めています。オバマ政権による臨界前核実験という事実から私たちが受け止めるべき教訓は、オバマに対する根拠のない期待、というより幻想、をもってしまい、頭が熱くなってしまった我が身をふり返るきっかけにするべきだということです。
そういう意味合いを込めて、地元の中国新聞の取材で述べた発言(10月17日付で掲載)を紹介しておきます。一つだけお断りしておく必要があることがあります。大手新聞と異なり、中国新聞は、インタビューをしても、本人にその内容をチェックさせないことになっている(最初のうちは、私の発言を正確に反映しているかどうかチェックするのは当然の権利だし、責任があると要求したこともあるのですが、ダメでした。)ので、今回の「発言」にも私としては必ずしも意に沿わない箇所があるのですが、ここでは掲載されたままの内容で紹介します(10月20日記)。

オバマ大統領の広島訪問への期待ばかりが先行することに深い懸念を抱いている。
 「ノーモア・ヒロシマ」。この言葉には、原爆は決して使ってはならなかったし、これからも使われてはならない、との思いが込められている。だからこそ、被爆地は原爆投下は誤りだったと米国に認識させなければならない。そうでなければ、核兵器使用が許される場合はあると、こちらが認めてしまうこと になる。
 オバマ大統領は、プラハ演説の後段で核兵器廃絶を「私が生きている間は無理だろう」と前置きし、「核兵器が存在する限り、米国は効果的な核抑止力を維持する」との論理を展開した。米国は核戦略方針でも北朝鮮とイランへの核使用の可能性を否定していない。
 9月の臨界前核実験はまさに、プラハ演説の後段で述べた内容を実行しているにすぎない。驚くに値しない。
 「オバマジョリティー」との言葉は、臨界前核実験を含む米国の核政策にも無条件の合意を与えてしまうことになる。大統領自身は、学生時代から純粋な気持ちで「核兵器なき世界」にこだわってきたのだろう。だが、理想主義と現実主義の二面性がある。本質を見誤ってはならない。
 もし、大統領が広島でプラハ演説の後段の内容を主張し、原爆投下責任について沈黙すれば、「被爆地がそれを黙認した」と受け取られる可能性がある。過去の原爆投下だけでなく、現在の米の核戦略を正当化する舞台に利用されかねない。
 一方で、「原爆投下は間違っていた」と米政府が認識し、表明するのであれば、オバマ大統領の広島訪問は非常に意味がある。謝罪表明に至るかどうかは米国自身の良心の問題だ。もっとも「間違っていた」と本当に思うのなら、謝罪の気持ちが表れるのが当然だ。
 ルース駐日大使の平和記念式典の参列は、政治的に計算づくの行動といえる。日米関係から広島訪問に踏み切りつつ、米国内では謝罪と取られないよう慎重に振る舞った。
 被爆地は、「核兵器廃絶に資することには賛成するが、そうでなければ反対する」との揺るぎない物差しを持つべきだ。米国へ原爆投下の過ちを訴え 続ける一方、日本政府には「核の傘」の欺瞞(ぎまん)を問い、非核三原則の堅持を迫る。オバマ大統領の動向に振り回される核兵器廃絶の取り組みではいけない。

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