日中関係への視点-中国漁船船長の釈放-

2010.09.25

*東京での月一のドクター検診の帰りに、新幹線の中でテロップが流れていて、沖縄検察庁が中国漁船船長を釈放することを決定、というニュースを見たときには、「ああ、やっぱりね」というのが第一印象でした。民主党政権に対する厳しい批判が起きるぞ、というのがその次に浮かんだこと。そして、やはり、私なりの考え方をコラムに書いておく必要があるな、というのが三番目に浮かんだことでした。ということで、日中関係への視点という観点から考えることを記しておきたいと思います(9月25日記)。

1.起こるべくして起こった事件

 21世紀に入ってからの日中関係は、小泉首相(当時)の歴史認識も対アジア観もまったく欠落した傍若無人な振る舞いによって大きく損なわれた状況から立ち直るきっかけがつかめないまま今日に至っている、というのが私の基本認識です。確かに自民党の福田政権の下で露骨な小泉外交(負外交)への軌道修正が試みられ、中国側はそれを好感しました。また、鳩山民主党政権の登場も、中国側からすれば、「小泉時代の再演はあるまい」という程度の予想は立つということで、慎重にお手並み拝見、ということだったと思います。
 しかし、菅政権も含めたこの1年間の民主党政権の「実績」を見る限り、対中国外交に関しては、明確な対中国観・認識が示されたことは一度としてなく、その実態は「漂うに身を任せる」という以外にないお粗末なものでした。したがって中国側としては、民主党政権の対外政策(無政策)のほかの要素から日中関係に対する意味合いということを模索することを強いられてきた1年間であった、ということだと思われます。
 その場合、中国にとってもっとも大きな関心事は、当然のことながら、台湾有事を明確に視野に入れることを公言するに至った日米軍事同盟の再編強化(アメリカの対世界・アジア戦略に対して深々とコミットした自民党政権下の政策的既成事実)に対して民主党政権がどういう対応を行うか、という点にあったことは間違いないことだと思います。私たちは普天間基地代替施設問題に目が奪われていますが、中国の目は2005年から6年にかけての日米安全保障協議委員会(「2+2」)の三つの合意全体に注がれてきたことに違いありません。そして、鳩山政権がこの日米合意遵守を決定し、菅政権がこの決定をそのまま引き継ぐことを決定したとき、中国側は、民主党政権が自民党政権と本質的に変わらない体質であると判断したのだと思います。つまり中国からすれば、「日米を基軸にする大前提のもとで対中関係のあり方を考える」という旧態依然とした場当たり的、その場しのぎ的な外交しか日本には期待できないということです。
 私には、尖閣諸島周辺での中国漁船操業(したがっていわゆる「領海侵犯」)が何らかの政治的意図を背景にしたものかどうかを判断する材料は何一つありません。しかし、日中関係のあり方に関するビジョンも戦略もない日本の現実を前提にした場合、何らの事前の指示・指針も受けていなかったであろう海上保安庁が「領海侵犯」し、巡視艇に「体当たり」してきた中国漁船と船長以下の船員を、国内法令に基づいて拘留したのは当然の成り行きだったと思います。問題の根本は、民主党政権の日本政府が、十分に予想範囲内であった今回のような起こるべき事態に対するほんの少しの想像力も備えていなかったということ、したがって海保庁の「独走」をチェックすることができず、成り行き任せになってしまったということです。しかもご丁寧なことに、中国側から起こるべき強硬な反応もまったく想定もできないまま、首相、官房長官を含め、「粛々と国内法に基づいて対処する」とノンキに構えていたということでした。私が、今回の事件は起こるべくして起こった、という所以です。

2.中国側の「強硬姿勢」をどう見るか

 民主党政権の外交姿勢から対中政策への具体的なヒントを見出せないできた中国政府としては、今回の事件は、場当たり的、その場しのぎ的な対応しかできない民主党政権が、中国をどう位置づけるのかを判断する上での重要な材料と見なした可能性は十分あると思います。民主党政権が曖昧な対応で糊塗することができないようにするため、中国政府はありとあらゆる外交手段を駆使して圧力をかけ、民主党政権に「日中関係の重要性」「日本にとっての中国というファクターの死活的重要性」について本気で考えるしかない状況に追い込む(退路をふさぐ)というアプローチを採用したのだと思います。
 「中国の強硬な外交に日本が屈服した」という形での中国批判(中国に対する反感)が25日付紙面には踊っています。しかし、私は、このような感情的な次元での対応に終始するのでは、いつまでたっても私たちの中国に対する認識を正すことはできないだろうと思います。中国は、どういう日本を求めているのか、どういう日中関係を求めているのか、というもっとも重要な根本的な問題を考える材料として今回の中国の「強硬姿勢」の背景にある中国側の真意を把握しなければならないと思います。
 私は、中国が日本に求めている最大のものは、改革開放政策30年の成果を踏まえて急台頭する、いまや国際関係にとって欠くべからざる存在となった、そして21世紀の国際関係においてますます重要性を増すことが衆目の一致するところである中国を正確に認識し、日本が「日米を基軸にする大前提のもとで対中関係のあり方を考える」という20世紀の遺物そのものである発想を根本的に改めることにあると思います。21世紀国際関係における中国の位置を正当に認識する場合、「日米を基軸にする」という20世紀的日本外交の枕詞・大前提そのものを見直さなければならないはずです。今回の中国の「強硬姿勢」は、正に日本外交に対する根本的見直しを迫るものなのです。

3.日本外交に求められる視点

 私は、21世紀における日中関係を規定するのは圧倒的な経済的相互依存関係の深まり(そのことは、日米軍事同盟に基づく日中の軍事的対立という伝統的要素を時代錯誤そのものにする。) だと確信します。前にコラムで書きましたように、20世紀後半の日中関係の前進を妨げてきたのは台湾問題と歴史認識の問題です。日中が再び相対立するという選択肢はあり得ないわけですから、日本外交において、中国を独立した要素として(つまり「日米基軸」の枠組みの中におくのではなく)位置づけることが焦眉の急だと思います。
 いま何よりも危険なことは、私たちが「偏狭なナショナリズム」(仙石官房長官は中国側のそれを指して言ったようですが、私は日本国内のそれこそ暴走する危険性をもっていると思います。)に身を委ねて、中国の「強硬姿勢」に感情的に過剰反応することです。そうではなく、私たちは、今回の事件を招くべくして招いてしまった民主党政権の無定見な外交政策のお粗末さにこそ、主権者としての批判の眼を向けなければならないと思います。「日本外交は変わったな」と中国側をして一目をおかせるようにすること、それは民主党政権の自浄作用に任せておいて実現できることではないのです。主権者である私たちが一皮もふた皮もむけなければなりません。そう、結局は、「自民党はダメだから民主党」と安易な選択しかできない主権者である私たちの政治的未熟性が問題の根本にあることを学び取ることが一番大切なことだと思います。

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