日米安保を問い直す

2010.09.04

*9月に入って2つの集会で日米安保に関してお話しすることになりました。皆さんと一緒に問題点を整理し、考えようという趣旨でレジュメを作りました。このコラムを訪れて下さる方たちにも日米軍事関係について考えて頂く上での参考材料になるかもしれない、と考え、掲載しておくことにしました(9月4日記)。

(はじめに)

-在日米軍基地問題は、多くの人が日米安保について考える上で、もっとも身近かつ自分の問題として考える「好材料」
-普天間基地移設問題で、移設先候補地として名前が挙がった地域であれだけ猛烈な反対の声が上がったことは、何を物語っているでしょうか
-沖縄では、かつては在沖米軍プレゼンスの主要支持母体だった経済界を含め、脱基地依存経済の構築を支持する声が高まっているといいます(沖縄2紙の報道)が、その変化は何を示唆しているでしょうか
-広島県に隣接する岩国基地への米艦載機移転問題をめぐる市長選挙で受け入れ派が勝利した結果、岩国市では何が起こっていますか。また、受け入れ反対派においても「米軍基地との共存は賛成、しかしこれ以上の負担受け入れには反対」派が多数を占める状況があるようですが、このことから何を学ぶ必要があるでしょうか
-国際平和都市を看板とする広島では、岩国問題(ひいては日米安保)に対する圧倒的な無関心が支配していますが、それは、普天間基地移設問題に対する本土側の圧倒的無関心(移転先候補地として名前が挙がった地域を除く。)と同根です。「同根」ということの中身を特定できれば(診断が正確であれば)、この無関心を関心へと転換する手立て(処方箋)が見つかるのではないでしょうか
-今日における日米安保賛成派の論拠は、①「北朝鮮(中国)が攻めてきたらどうする」(「北朝鮮脅威」論/「中国脅威」論)、②「日本の安全を守るためには米軍の存在が必要(日本を守ってくれる米軍に基地を提供するのは当然)」(「ただ乗り」論批判)、③「米軍に頼らないとすれば、自主防衛となって、軍事大国になる道しかないので、それは賢明ではない」(「軽武装」論、「憲法も安保も」論)、④「日本が核武装しないようにするためにはアメリカの核の傘が必要」(「拡大核抑止(核の傘)肯定」論)などに分類することができますが、これらの主張は本当に正しいでしょうか

Ⅰ 日米安保を根本的に考え直します

Q1 1960年(改定安保強行成立年)当時の日本及び世界の平和と安全にかかわる国際環境は、今日(2010年)ではどうなっているでしょうか? (この質問で考えたいのは、仮に1960年当時には日米安保が必要とされる国際環境があったという主張を前提としても、2010年の今日にも引き続きそういう国際環境があるかどうか、仮に「ない」という答えならば、日米安保を根本から見直すことは、民主国家として当然ではないか、ということです。)

-ヒロシマ・ナガサキの教訓を学び取り得なかったアメリカと日本の政治支配層という根本問題(核兵器の登場で「政治の継続」ではあり得なくなった戦争;戦争がもはや「手段」ではあり得なくなったことによる国家の変質)
-1960年の国際環境(米ソ核冷戦-政治軍事優先の国際関係-;ソ連の同盟国としての中国;朝鮮半島における厳しい南北対立;まだ圧倒的だったアメリカの国力;立ち直り過程の日本)
-2010年の国際環境(米ソ冷戦終結後の国際的相互依存の深まり-アメリカ主導のグローバリゼーションと混同しないこと-;脱核時代-「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」の普遍化-;人間の尊厳・人権・デモクラシー・国際関係の民主化;地球規模の諸課題;「力によらない平和観」)→Q3参照

Q2 1960年当時の国際環境は今日もはやなくなっているけれども、今日の日本及び世界の平和と安全にかかわる新しい状況が現れているから、日米安保は21世紀においても引き続き必要であり、さらに強化していく必要がある、と考えるべきでしょうか? (この質問は、1990年代から進んだ日米軍事関係の変質・強化を正当化する自民党中心政権及びこれを引き継いだ民主党中心政権の言い分に即して、その主張の正しさを考え直そうという趣旨です。)

-「ならず者国家」論(主権国家の対等平等性及び内政不干渉を原則とする国際「社会」を否定し、アメリカ的価値観に従わない国家を排除する国際「共同体」的発想)
-「核テロリズム」脅威論(国際犯罪を戦争対象と決めつけたアメリカの致命的誤り)
-権力政治的発想から抜け出せないアメリカの「国際的リーダーシップ」への固執(国際的不安定要因がアメリカ自身にあることを認めず、他国に脅威を見いださずにはすまない頑迷性)

Q3 そもそも21世紀の国際関係(国際社会)のあり方・枠組みはどういう要素によって動かされる(支配される)のでしょうか? 20世紀においては確かに大国の力、大国関係のあり方が支配してきたことは事実ですが、21世紀においてもやはりその構図は変わらないと見るべきでしょうか? それとも、大国・大国関係に代わる要素を考慮に入れる必要が出てきていると見ることが求められているのでしょうか? (この質問は、21世紀にふさわしい私たちの国際観とはどういうものであるのかを考え、それによって日米安保の今日的、さらには人類的な存在理由を根本的に見直そうという趣旨です。)

-人類の後戻りのない歴史的発展(尊厳・人権・デモクラシーの普遍的価値としての確立過程;権力政治→脱権力政治;「力による平和観→力によらない平和観」)
-地球規模の諸課題(国家単位の対応では対処・解決が不可能な問題群の登場)
-未成熟な国際社会における紛争の継続(1990年代からの軍事的対応の失敗によって証明された非軍事的解決、紛争化前の取り組みの必要性)
-国家の地位と役割(権力的国家のあり方から機能的国家への変質)
-脱核時代(原子力の「平和」利用?)

Ⅱ 日米安保に即して考え直します

Q4 「米ソ(東西)冷戦構造は終わったが、アジアにおいては今もなお冷戦構造が支配しているから、日米安保は引き続き必要である」という主張はそれなりの根拠があると見るべきでしょうか? (この質問は、冷戦構造を作り出した(作り出している)原因は何なのかを考えようという趣旨です。)

-アメリカの世界軍事戦略
-アメリカの天動説的国際観
-日本の天動説的国際観
-アメリカと日本における他者感覚の欠如

Q5 「北朝鮮が攻めてきたらどうする」という「北朝鮮脅威」論が日米安保正当化論にフルに利用されていますが、この主張は本当に根拠があるのでしょうか? 「中国脅威」論についてはどうでしょうか? (この質問は、私たちがともすればタジタジとなりがちなテーマについてしっかりと考えておこうという趣旨です。)

-朝鮮の立場から見た国際関係の実像と自画像(弱肉強食の世界で必死に身構えるハリネズミ);アメリカ(及び日本)が台湾を手放さず、台頭する中国を潜在的な脅威と位置づけるから、それに対抗して軍事的備えをする中国
-朝鮮の核武装(1950年以来アメリカの核恫喝にさらされ続けて北朝鮮にとっての我が身を守る最後のよりどころ;アメリカの対朝鮮政策の根本的見直しのみが朝鮮半島の非核化を可能にする)
中国の核政策(最小限核抑止政策から読みとるべきメッセージ;米日のミサイル防衛は中国の核軍拡を招く火種)
広島・長崎を体験した日本が打ち出すべき政策(対米核抑止力依存・「核の傘」政策の清算;「神戸非核方式」の全国化;非核三原則法制化;核兵器禁止条約実現へのリーダーシップ;アメリカの広島・長崎原爆投下正当化論を正すことによる核兵器違法化へのリーダーシップ)
-火種である日本(「過去をふり返らないものはその過去を繰り返す」;根強いアジア蔑視;「憲法も安保も」と平然としている日本人の怪しさ;非核三原則を言いながらアメリカの「核の傘」は必要と開き直ることが許されている日本的常識;アメリカの色眼鏡を通してしか国際関係を見ることができなくなった日本)

Q6 日米安保の本質について私たちは本当に分かっているでしょうか? (この質問は、1990年代から進んだ日米軍事関係の変質について考える趣旨です。)

-日米安保条約の法的枠組み(日本防衛;極東;基地提供;「思いやり予算」)
-今日の日米軍事同盟(湾岸戦争とPKO法-「カネだけでなく人も」-;1993~94年の朝鮮半島の危機的事態→ナイ・イニシアティヴ→新ガイドライン・日米安保共同宣言→周辺事態法→有事法制(憲法の国内的空洞化の完成と法的手続きを踏まない日米安保の実質的改定)とイラク派兵-「血を流せ」-→「2+2」諸合意による日本全土の米軍基地化及び米日軍事一体化;ミサイル防衛と核兵器再持ち込み体制)

Ⅲ 私の主体的問題意識に即して考えます

Q7 日本の基地問題は、どういう位置づけが必要でしょうか? (この設問は、私が日本の基地問題をどのように認識しているかを説明させて頂く趣旨からのものです。)

-生活に直結する問題(生存権にかかわって憲法を暮らしに直結させて捉える問題意識を養う格好の材料)
-他者感覚にかかわる問題(基地問題を考えることを通じて他者感覚が研ぎ澄まされれば、日本における理念としての人権・デモクラシーの内実を豊かにすることにつながる;具体的には、沖縄にすべてを押しつけて恥じることのないような地域エゴの支配を自らに許さない精神を養うことに通じる)
-主権者としての態度決定にかかわる問題(非政治的市民の政治的役割;平和憲法か日米安保か;非核三原則か核の傘か)
-日本の国際的役割にかかわる問題(アメリカと一緒になって力任せの政治を行う側に立つのか、アメリカの権力政治と対極に立つ脱権力政治の先頭に立つのか)

Q8 曖昧さに安住している日本の世論状況をどのように認識し、どのように働きかけることが必要でしょうか? (この設問は、戦後数十年間にわたって蓄積されてきた国内の複雑な世論状況を如何に認識し、真の多数派を形成していくためにどのようなアプローチが必要かについての自問自答です。)

-いわゆる60年安保闘争における安保反対・デモクラシー擁護の国民的運動が、安保の「自然成立」を機に雲散霧消し、戦後デモクラシーの最大の実践運動の意味が十分に咀嚼されず、理念及び運動としてのデモクラシーが国民的に定着する好機を失したという問題(日本における人権・デモクラシーは、韓国、フィリピン、台湾、タイにおけるよりも未成熟な段階にとどまっています)
-国民運動として発足した原水禁運動が、安保(基地問題を含む)をめぐっての保守勢力の運動離脱(1959年)、国際的核状況の評価をめぐっての社共分裂(1961~3年)によって、むしろ国民世論の分極化を助長したという問題(今や反核反安保の立場は絶対的少数派という烙印を押される状況になってしまっています)
-50年代後半から進行し、60年代に池田政権によって推進された「所得倍増論」(安保の争点化隠し)によって国民の関心が経済に誘導され、国民的ノンポリ化(受け身的現状肯定主義)が急速に進行していった問題(国民的には、基地問題が騒音問題・米軍犯罪問題の次元でしか扱われなくなっています)
-解釈改憲が常態化して9条を「変質化」させ、変質した9条を「所与の現実」として受け入れる「憲法も安保も」という国民意識・「世論」が自己肥大を遂げたという問題(日本人に固有な、既成事実を「現実」として受動的に受け入れてしまう感覚が支配しています)
-90年代の国際環境の変化が国民意識・「世論」のさらなる保守化を促したという問題(「米ソ冷戦終結・ソ連崩壊=社会主義破産=資本主義勝利=アメリカ勝利」という単純な図式的理解が日米安保肯定の「世論」を増幅しました;かつて革新陣営のよりどころだった非軍事中心の「国連中心主義」が、アメリカの息がかかった軍事肯定の「国連中心主義」として保守政治の表看板にすり替えられ、日米安保に基づく「軍事的国際貢献論」を国民が肯定的に受け入れる媒介物として働いてきました;村山内閣における「自衛隊合憲・日米安保肯定」への「路線転換」は護憲運動にとって深刻な混乱を持ちこみました)

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