長崎と広島の平和宣言(2)

2010.08.25

*8月25日付の朝日新聞(広島版)に掲載されたインタビューです。先にこのコラムで紹介した長崎新聞に掲載された発言と重複する部分がありますが、そのまま掲載します(8月25日記)。

――ルース氏(アメリカの駐日大使)の平和記念式参列をどう見ますか。
 オバマ政権が核廃絶というビジョンを掲げる以上、大使を参列させなければ政治的なマイナスが大きい。参列はするものの、発言はしないことで国内的には説明が付くとの判断だろう。秋の中間選挙もにらみ、高度に計算された政治パフォーマンスで、「核廃絶に一歩近づいた」というのは希望的観測に過ぎない。
 ――潘氏(国連事務総長)の訪問も含め、「核廃絶の機運の高まり」との評価もありますが。
 「機運の高まり」がマスコミの決まり文句だが、本当なのか疑問だ。米国の核廃絶論はあくまでテロ対策が主眼。オバマ政権の核態勢見直し(NPR)などを見ても核抑止論は堅持され、場合によっては日本を含む同盟国への核の再配備さえありうると言う。ロシアやフランスにも、今のところ核廃絶を目指す考えはかけらもない。
 ――被爆地に期待が高まっているのも事実です。
 私が懸念するのは、「機運の高まり」という根拠のない判断に引きずられることで、「オバマ氏や国連に任せていけば安心」という他力本願の考え方が広がることだ。オバマ氏のプラハ演説も、国連事務総長の参列も、広島、長崎、ビキニを起点とした1950年代以降の粘り強い市民運動なくしてはありえなかった。だが今、「お任せ」にしてしまえば、核に固執する米国内の世論にオバマ氏が対抗することも難しくなる。国連事務総長も政治的影響力は限られている。彼らが世界を動かすのではない。私たち市民が圧力をかけて彼らを動かし、政治を変えていく、という根本を忘れてはならない。
 ――菅首相や岡田外相は被爆地でも「核の傘」に固執する姿勢を見せました。
 広島の平和宣言が核の傘離脱と非核三原則法制化を要求した直後、岡田氏は「核の傘なくして日本国民の安全を確保することは困難。見解が異なる」と言ってのけた。宣言をくずかごに放り込んだも同然なのに、広島市は抗議しなかった。非核三原則は広島、長崎の体験を原点に生まれたものであり、広島は、この原則が軽く扱われていることにもっと怒りを感じるべきだ。
 ――長崎の平和宣言は、日印原子力協定の問題を含め、日本政府を強く批判していますね。
 「政府の対応に強い不信を抱いている」という長崎と、「今こそ日本政府の出番です」と過去を不問にしてエールを送る広島を比較すると、「歴史を動かす真の力は市民にある」という視点が貫かれているという点で、市民代表の起草委員会が練り上げた長崎の宣言が数段リードしていると思わざるをえない。1960年代に原水禁運動が分裂した後遺症が大きい広島の事情は認識しているが、広島市は自らにとって耳が痛い意見も真摯に聞いて宣言をまとめる努力が必要だ。そうでなければ平和宣言は真に市民を代表するものにならない。

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