「いかなる国」問題と1973年当時の日本共産党の立場

2010.08.25

*1973年11月に日本共産党中央委員会出版局から『核兵器全面禁止と原水禁運動』と題する文献が出版されています。私はかなり前に入手したし、その時に一応目を通していたのですが、その当時の問題意識が漠然としたものだったため、この文献の資料的重要性について気がつきませんでした。最近このコラムで「いかなる国」問題を何度か取り上げて検討している中で改めてこの文献を読み直すことになり、1973年7月の宮本顕治委員長(当時)の記者会見での「核実験禁止、核兵器全面禁止問題についての日本共産党の基本的見解」(以下「宮本見解」)を、今回は明確な問題意識をもとに読み込むことができました。この文献は、共産党の「基本的見解」を、第1章「核兵器全面禁止と日本共産党の立場」、第2章「米核戦略と核開発競争」などで、更に詳しく掘り下げており、極めて参考になりました。
 私は今まで、「宮本見解は出たけれども、共産党としての『いかなる国』問題についての総括が行われていない」のではないかと考えていましたし、このコラムでもそういう疑問を提起し、読者あるいは共産党の関係者の方からその考えの当否について私の理解を深める材料をいただくことをお願いしてきました(「総括は行われていない」というコメントは、2,3の方からいただきました)。しかし、宮本見解は、当時、核保有5カ国への日本共産党中央委員会の書簡を発出したことに関して「日本共産党の基本的見解」を述べたものであり、また、この文献に収録されている日本共産党第11回大会第11回中央委員会総会での不破書記局長の報告(以下「不破報告」)においても更に説明が加えられていることから判断すると、宮本見解は正式な共産党としての立場を明らかにしたものである、と認識することが正しい理解であると受け止めることができました。
つまり、これから詳しく見るように、当時の共産党側の説明による限り、宮本見解は「いかなる国」問題に関してそれまでの共産党の立場/見方を変えたというものではなく、「中ソの国際政治における立場には変化が生じている。そういう段階で初期(浅井注:アメリカの核兵器開発に対抗してソ連が開発して対抗した時期のこと)のように、中ソの行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは、簡単にいえなくなってきている」(宮本見解)という国際情勢判断に基づいた、「基本的な見地 (浅井注:「核兵器完全禁止の国際協定を結ぶことを要求することこそ、核兵器開発競争の悪循環から抜けだし、すべての核保有国に核実験をやめさせる根本的な解決策であり、いよいよこれを重視し、世界に呼びかける必要がある、という見地」(不破報告))での一貫性と同時に」「国際情勢の変化に対応して、中国やソ連の核にたいする態度について、あらたな現実的な態度を明確にしたという」「一つの発展」(同じく不破報告)と位置づけられたものだということです。つまり、基本的な立場/見方に変更を加えたわけではなく、情勢に応じた立場/見方の発展なのだから、「総括」ということではあり得ない、ということなのでしょうか。
共産党に体して批判的な方からは、「そんなのは共産党の自己正当化のへりくつだ」という辛口の批判が直ちに起こりそうですが、「いかなる国」問題は今日的になお未解決な論点を含んでいるのではないか、と考える私としては、もう少しくわしく当時の共産党側の語った言葉に耳を傾けておきたい、という気持ちが強いのです。今日的になお未解決な問題とは、やはりこのコラム(「『いかなる国』問題についての今日的視点」)で検討したことがある、「アメリカの軍事的な脅威に身構えざるを得ない立場におかれる国々(イラン、朝鮮)による核開発問題をどう認識し、位置づけるか」という問題です。そういう今日的問題意識を念頭に置きながら、1973年当時の共産党の「いかなる国」問題に対する立場/見方をふり返っておきたいと思います(8月22日記)。
元の文章で、1978年に再統一されて開催された世界大会と書いていたことを今日たまたま読み直していて気がつきました。1977年が正しいことは言うまでもありません。とんでもないミスで申し訳ありません。本文を改めますことを報告いたします(8月25日記)。

1.主要発言(強調は浅井)

(1)宮本見解(本書pp.8-12)

-社会主義国の核実験に対する態度の問題

 アメリカが核兵器を開発し、その後ソ連が開発した。その途上でソ連が、核兵器全廃の提案をした時期もあったがアメリカは受け入れなかった。そして、現状のような核競争が続いている。われわれは初期のあいだは、アメリカがその侵略政策のもとで、核兵器を背景に第一にはソ連、第二には中国にたいして封じ込め政策をやった。この段階では、社会主義国の核実験には賛成はしないが、よぎなくされたもの、防衛的なものという見方をしてきた。これには根拠があった。アメリカは核を背景にして、朝鮮やベトナムで侵略戦争をおこない、実際に核を使うという脅迫もやっていたからだ。
 しかし、この数年間重要な変化がおこった。社会主義国であるソ連と中国自体が互いに対立し合うようになった。…またソ連のチェコスロバキア侵略という、われわれが非難した事態、残念ながら社会主義国の大義に反した侵略行動がおこっている。このように中ソの国際政治における立場には変化が生じている。
 そういう段階で初期のように、中ソの行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは、簡単にいえなくなってきている。全体としては、この十年来、社会主義国-中ソなどの核実験にたいしても、とくに賛成という態度はとってこなかった。今日は、はっきりこれらすべての核保有国にたいし、核開発競争の悪循環からぬけでるべきであると率直に求める、同時に、根本的には核兵器の全面禁止を求めるという態度である。…
 だが、そうだからといって中ソとアメリカが国際政策全体で同じようになったという見方は決してしていない。ベトナムへのアメリカの侵略戦争にさいし、中ソ両国がはっきり侵略反対の立場をとったということは、他にいろいろ問題はあるにしても明白である。

-社会主義国の核実験は防衛的というかつての見方は誤っていたのか、との問いにたいして

誤っていなかった。しかし、社会主義国同士が国境で武力衝突をしたり、他国を侵略するということは、社会主義本来のあり方からはずれている…。

(2)不破報告 (本書pp.25-29)

-核保有5カ国への党中央委書簡の意義

第一、核戦争の危険の根絶のためにも、核実験や核兵器の開発競争に終止符をうつためにも、これを根本的に解決する道が核保有5カ国による核兵器全面禁止協定の締結にあるということをあらためてあきらかにしたこと
第二、原水爆禁止運動、平和運動にとっても、運動の原点が核兵器全面禁止協定の締結という核兵器禁止の根本課題にあることをあきらかにし、いわばここに運動をすえなおすという点でも、重要な意義
第三、中ソをふくむ核兵器開発競争の悪循環にたいし、わが党が国際情勢の変化に即して明確な批判的態度を提起したこと
 「中ソの核開発をめぐる状況を全面的に分析した結果、従来のように中国やソ連の核実験を、アメリカ帝国主義との関係での防衛的措置だとは無条件に評価できない事態になっている。それにどのような「根拠」づけをおこなうにせよ、今日の具体的な国際関係のもとでは、中国やソ連の核実験も、全体としては、アメリカを起動力とする際限のない核兵器開発競争の悪循環の一部とならざるをえないものとなっている。」
「一部には、中ソの核にたいするわが党のこうした現実的な評価をとらえて、共産党が核問題でこれまでの理論的見地を修正したといった議論をしているのもいますが、これはまったくの誤りです。われわれが、核の問題にかんしては侵略と被侵略の区別はないとして、すべてを同列視したり、核兵器そのものが人類と平和の敵だとして、アメリカ帝国主義が核戦争の危険の元凶であり核兵器開発競争の起動力であることを見失い、これを免罪するような態度をとらないことは、われわれの変わらない一貫した見地であります。中ソの核にたいする今日の評価も、そういう明確な科学的見地にたちながら、この中国やソ連の社会主義核保有国の現在の国際情勢のもとでの役割や態度を具体的に分析し、現情勢のもとでの現実的な評価を明確にしたということであって、これは、われわれが理論的に「いかなる国の核実験にも反対」などのスローガンに表現される侵略、被侵略の同列視論に移行したなどということとは全然共通点のない問題であります。」

(3)西沢富夫常任幹部会委員発言 (本書pp.39-41)

-日本共産党は、ソ連、中国の核実験にたいするこれまでの態度を変えたといわれますが、その点について。

 一部の人がひぼうしているように、わが党が「社会主義国の死の灰はきれいだ」などといったようなことは絶対ありえませんでしたが、当時、核戦争阻止、核兵器の全面禁止を原点としながらも、アメリカの核脅迫政策阻止という全体的観点から、社会主義国の核開発の政治的意義をアメリカ帝国主義のそれと明白に区別して、防衛的と積極的評価したことは重要な歴史的意義をもつものでした。(中略)
 またわが党は、いうまでもなく、以上にのべた対米関係などの点で、すべての社会主義国を同一視していません。たとえば、アメリカ帝国主義の核脅迫を直接うけているキューバの代表が、原水禁大会などで、「われわれは核兵器をもっていないが、アメリカ帝国主義が書く脅迫をおこなっている以上、キューバが核兵器をもつ権利を留保する」といっていますが、われわれはこういう主張を理解するものです。

(4)上田耕一郎中央委員会政策・宣伝委員長発言(本書p.68)

 わが党は、もし核兵器全面禁止が実現しないかぎり、アメリカ帝国主義の侵略をうけ、核兵器による脅威に直面してそれとたたかわなければならない状況におかれた国が、よぎなく核兵器をもつ権利を主張する場合が、理論的にはありうることを否定していない…。

(5)西沢舜一(本書pp.78-79)

 アメリカ帝国主義の侵略政策と核脅迫に直面している個々の社会主義国や解放勢力が、核兵器の全面禁止をつよく要求している理由も真剣に考える必要があります。アメリカがあくまで核兵器にたよって侵略政策をつよめるなら、その対象とされる側が防衛上の措置をとる権利も認めざるを得ないわけですから、そういうことのないよう、一日も早く核兵器の全面禁止を実現しなければならないのです。この場合もまた、侵略と被侵略、正義と不正義の区別をけっしてあいまいにせず、そのうえにたって、核兵器全面禁止の重要性を主張することが、わが党の一貫した見地です。(中略)
 初期のソ連、中国の核開発は防衛上やむをえないものであるというわが党の評価を、原水禁運動全体におしつけるようなことは絶対にしませんでした。社会主義国の核開発について、ことなる評価をもっていても、原水協の三つの基本目標(浅井注:核兵器禁止、核戦争阻止、被爆者救援)で一致しうるすべての人びとの団結こそ、原水禁運動の発展を保障するものです。
 このことは、現在の原水禁運動にとってきわめて重要です。…ソ連、中国の核開発にどのような評価をもつ人でも、原水協の三つの基本目標で一致しうる人びとをすべて結集し、原水禁運動の原点である核兵器全面禁止のための国際協定の締結を要求し、日本と世界の世論を高め、運動を発展させなければなりません。これこそ、アメリカを起動力とするはてしない核開発・核軍拡競争の悪循環を断ち切るための緊急課題なのです。

(6)井出洋(p.88)

 ソ連の核開発が、アメリカ帝国主義の核独占を打ち破った歴史的意義はきわめて大きい。もしアメリカの核独占がつづき、アメリカ帝国主義がこれに依拠してほしいままに侵略政策をおしすすめていたならば、社会主義諸国、民族解放闘争、反帝民主勢力は、いっそう大きな困難に直面し、世界における力関係も、反帝平和勢力にとってもっと不利なものとなっていたであろう。

2.若干のコメント

<宮本見解の性格>

冒頭に述べましたように、1973年における宮本見解は、「いかなる国」問題に関する共産党の見解を変更したものではなく、ソ連や中国の国際関係における行動が社会主義国としてふさわしいものではなくなった状況の下で、もはや「社会主義国の核実験は防衛的なもの」とは言い切れなくなったという認識を踏まえた認識の「発展」という位置づけを、共産党自身は行っているということです。
 ただし、私は、このような当時の共産党の説明について、当時の視点に立ったとしても必ずしも納得できないものを感じています。共産党側は、当時の新しい状況として、中ソ対立と国境でも武力衝突、中国の核開発がアメリカに対するだけではなく、ソ連にも対抗するものであることを明らかにしたこと、米ソ間で核管理に向けた話し合いが進行するようになったこと、ソ連がチェコスロバキアを侵略したことなどをあげています。
 しかし、これらの事実は、中ソ両国がアメリカの核恫喝政策に身構えて核政策を行ってきたという「初期」の状況を根本的に修正する内容のものと見なすことが可能でしょうか。米ソ間の核管理に向けた話し合いは確かに核問題がらみではありましたが、宮本見解のような結論を導く内容があったと言えるのかどうかについては疑問が残ると思われます。その点に着目する限り、宮本見解に代表される1973年当時の共産党の「いかなる国」問題に関する立場については、不破報告が強調するような見解の「発展」という位置づけには無理があり、やはり「実質的な見解修正」という性格を持っていたと見ざるを得ないように思われます。
 そのことを間接的に裏付けるのは、この宮本見解が出されたあとには、共産党は、原水禁運動の組織的統一に関して社会党に対して協議を申し入れているという事実が記録されていることです(本書p.207参照。ちなみに、この社会党に対する申し入れ書には、「周知のようにわが党と貴党は、第一回原水爆禁止世界大会以降、ともに日本原水協の有力な構成員として、わが国の原水爆禁止運動と世界大会の成功のため努力してきました」というくだりがありますが、私のこれまでの理解では、この運動は政党単位の参加を認めない立場を守ってきたということでしたので、私の中に新たな混乱を持ち込んでいます。この点についても、原水爆禁止運動に詳しい方からの適切なご助言が得られたら有難いです)。この申し入れを起点として、1977年の統一世界大会の開催にまで行くということになります。
 もっとも、宮本見解が1977年の原水禁世界大会の統一的開催にどの程度貢献したのかについては、現在の私には判断するに足る材料は正直ありません。この点は、今後の検討課題です。この点についてもご教示願えれば有難いです。

<アメリカの侵略政策の矢面に立たされた国家による核武装>

 1973年当時の共産党は、「アメリカ帝国主義の侵略をうけ、核兵器による脅威に直面してそれとたたかわなければならない状況におかれた国が、よぎなく核兵器をもつ権利を主張する場合が、理論的にはありうる」(上田耕一郎)、原水禁世界大会におけるキューバ代表の「核兵器をもつ権利を留保する」という主張を「理解する」(西沢富夫)、「アメリカがあくまで核兵器にたよって侵略政策をつよめるなら、その対象とされる側が防衛上の措置をとる権利も認めざるを得ない」(西沢舜一)などの発言から明らかなように、アメリカの侵略政策の矢面に立たされた国家が核武装の手段に訴えることについて、「理論的にあり得る」「理解する」「「権利も認めざるを得ない」という立場でした。これらの発言は微妙にニュアンスが異なりますが、「ソ連の核開発が、アメリカ帝国主義の核独占を打ち破った歴史的意義はきわめて大きい」(井出洋)という認識をも踏まえてみた場合、1973年当時の共産党は、アメリカの侵略の脅威に直面する国家が核兵器によって自らを防衛すること(あるいはその権利を主張すること)を否定する立場ではなかったことは明らかでしょう。
 その後、共産党がこの問題に対してどういう立場・見解を持つようになっているかについては、私は寡聞にして承知していません。少なくとも、イランや朝鮮の核問題に関する志位委員長以下の現指導部の発言やしんぶん『赤旗』の関連報道に拠って見る限りでは、明確な立場・見解が示されたことはないように思います。私は、「いかなる国」問題には、まだ明らかにされないまま残されている今日的問いかけが、正にイラン、朝鮮の核開発問題にかかわって存在していると考えていることは以前のコラムで書いたとおりです。2010年段階における共産党は、この問題についていかなる立場であるのか、私としては、説得力ある見解が示されることを期待しています。

<広島及び長崎の原爆体験と日本共産党>

 本書を通読して感じざるを得なかった大きな違和感があります。前にコラムで紹介した金子満広『原水爆禁止運動の問題点』を読んだ時にも感じたのですが、1970~80年代の共産党の核問題に関する見解からは、広島及び長崎の原爆体験を共産党がどのように踏まえ、自らの政策形成に血肉化しようとしていたのか、ということを窺わせる内容を見いだすことができないということです。唯一「一部の人がひぼうしているように、わが党が「社会主義国の死の灰はきれいだ」などといったようなことは絶対ありえませんでしたが、当時、核戦争阻止、核兵器の全面禁止を原点としながらも、アメリカの核脅迫政策阻止という全体的観点から、社会主義国の核開発の政治的意義をアメリカ帝国主義のそれと明白に区別して、防衛的と積極的評価したことは重要な歴史的意義をもつものでした」(西沢富夫)のくだりが、広島において根強い共産党に対する反感材料(前のコラムで紹介した高橋昭博著作参照)を意識し、それを「ひぼう」であると退けている箇所として注目されますが、その点を除けば、「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」を血肉化しようとする意識的取り組みの形跡を窺うことは、私の限られた読解力では不可能でした。
 私の印象が誤っているのであれば、是非ご指摘をいただきたいところです。ただし、これまでの限られた知見をもとに若干想像をたくましくすれば、次のような歴史的事情が共産党をして広島及び長崎の原爆体験の思想化を自らの立場/見解に採り入れることをむずかしくしてきたのかもしれません。
 一つは、1963年の第9回世界大会における社共分裂が、広島県原水協の中心を構成していた広島の大学人に重大な後遺症を残す(運動から距離を置くようになるなど)とともに、共産党の政策立案/形成過程における広島県側からするインプットの道を事実上閉ざしてしまった可能性はないかということです。実際、1964年以後の世界大会の実質事項は中央によって取り仕切られることになっていき、広島県原水協は大会運営の実行部隊(ロジ係)に特化して今日にいたっているようです。
 もう一つは、1963年に先立って、広島県共産党委員会の指導的立場にあった松江澄氏が1961年に反党分子として除名されたのですが、その彼が広島の視点を強調する立場で鋭い論陣を張って共産党と激しく対立したことが、共産党側の立論から広島(及び長崎)という要素を弱める方向に働いた可能性はないかということです。

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