核政策に関する岡田外相の発言:衆議院外務委員会議事録

2010.08.19

*このコラムを訪れて下さる方には旧聞に属することかもしれませんが、気になっていながらついつい後回しになっていた、2010年3月17日の衆議院外務委員会において、自民党の岩屋毅議員が核密約及び核抑止政策・非核三原則に関して質問したのに対して、岡田克也外相(及び榛葉賀津也防衛副大臣)が行った重大答弁を国会議事録から抜き出してみました。岡田外相については、核軍縮に対して積極的というようなイメージが先行していますが、彼の立ち位置については、もっと厳しい見方をもつことが求められているのではないかと思います。
例えば、岡田外相は、核密約についての事実関係が明らかにされたことによって、国民感情と日米関係の狭間でこの密約を作らざるを得なかった当時の自民党政権の苦しい(?)状況が国民に理解されることは意味がある、と好意的判断を示しています。それは、当時の状況では核密約という手段に訴えたのはやむを得なかった、という認識に等しいわけです。ここには、広島と長崎に原爆が投下されたことからいかなる教訓を汲むのか、という視点はすっぽり抜け落ちています(核攻撃に対しては核兵器で応戦する、ということが当然の前提視されているわけです)。つまり、1950年代からの核兵器廃絶を目指す国民的な運動・エネルギーに対する恐ろしいまでの無関心・無感覚が露呈されているのです。「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」は、岡田克也氏にとっては何の意味も持たないということです。
また、すでにこのコラムで紹介したように、岡田外相は、核兵器持ち込みが必要になるような事態においては、非核三原則を変えることは当然だという発想に立っていることも、私たちにとっては到底容認できないところです。しかもその点に関し、自民党の岩屋議員と「エールの交換」まがいのやりとりをしているのです。いざというときには、非核三原則を変えることを国民は理解してくれるだろう、と岩屋議員が述べているのに対して、岡田外相はさすがに相づちは打っていません(国民の反核感情の強さに対する認識が岩屋議員との間で温度差があることが窺われます)が、しかし、「そのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する」、「最終的には、それは国を、国民の命をどう守るかという話でありますから、そのときの政権がぎりぎりの判断をどうするか、大事なことは、きちっと国民に説明する、そういうことだ」として、非核三原則を変えることについて国民の理解を得るべきだという認識を示しているのです。
原爆体験、そこから生まれた非核三原則を鴻毛の如く軽んじる(というより、それらがまったく思考の片隅にも位置を占めていない)両者のやりとりを読んで、私自身は、怒り、憤慨というより、「日本の保守政治はここまで来たか」と背筋が寒くなる思いがしました.なお、強調は私が附けたものです(8月19日記)。

○岩屋委員 私は、二つの成果を調査によって生まなければいけないんだと思います。一つは、今大臣がおっしゃった、国民の皆様の外交全般に対する信頼の回復というのか、強化というのか、この成果を一つ生まないといけない。もう一つは、これは事日本の安全保障の根幹にかかわる問題ですから、しからば、その密約の問題を明らかにした後で、これからの日本の安全保障政策あるいは核抑止政策をどうつくるかということについて、新たな姿を見せるということがもう一つの成果でなくてはならないと思うんです。
 国民の信頼を回復するということは非常に重要だと思いますが、岡田大臣のこの委員会での密約問題についての報告(浅井注:岡田外相は、3月12日の衆議院外務委員会で、核密約問題に関する調査結果について簡単な報告を行いました)の中で、「この問題によって外交に対する国民の理解と信頼が失われていた」という表現がありますが、私は、日本国民というのは非常に賢明だと思うんですよ。つまり、日本という国は、戦後、唯一の被爆国である、非核三原則という原則を国是として立てている、しかし一方で、米国の核抑止力に依存をしなくてはいけないというジレンマの中で、日本の外交安全保障というのはずっと推移をしてきた。賢明な国民の皆さんは、それは大体理解をしていただいていると思います。
 したがって、やむにやまれぬ苦渋の決断がこの間幾つかあったであろうということについても、大方、類推をし、また了解をしていただいてきたというふうに 私は思っているわけでありまして、「外交に対する国民の理解と信頼が失われていた」とまで断定するのは、いささか大臣の個人的な見解がちょっと過ぎているのではないかなという感じもするんですが、いかがでしょうか。
○岡田国務大臣 まず、岩屋委員おっしゃった、国民はわかっているというお話でありますが、そういう部分もあると思います。そして、私は、今回の密約調査の一つの目的として、なぜ当時、こういう判断を下さざるを得なかったのかということについて国民の皆さんに考えていただく、そういう材料も提供できたというふうに考えているわけであります。
 私は、この国会の場でもたびたび申し上げておりますけれども、例えば、当時の岸総理が、改定安保条約を結ぶに当たって事前協議制度を入れた、そのことを高く評価しております。しかし、それに、結果的には、朝鮮半島有事ということに関しては、いわば穴をあけざるを得なかったということ。そのことを一方的に批判することは簡単ですが、当時の日米の力の差、そして旧安保というのは全く一方的な、いわばGHQの時代を引きずるような安保、朝鮮戦争については、一九五三年に終わってまだ七年しかたっていなかった、そういったことを全体に考えたときに、果たして私が岸総理の立場であったとして、では、朝鮮半島有事についての例外ということを認めずに事前協議制度を入れることができただろうかというふうに考えると、それはかなり困難だったというふうに私は率直に思います。そういうことについて、国民の皆さんによく理解していただく、そういう材料を提供したことにもなった。
 あるいは、ちょっと長くなってしまいますが、佐藤総理が、その朝鮮半島有事についての密約をみずからの記者会見における言葉で置きかえようとした。つまり、事前協議はあるんだということに置きかえようとした、沖縄返還のときの話でありますが。そういうふうに努力されたというようなことも、この密約の報告書を読むと伝わってくるわけで、そういう意味では非常に意味があった。
 ただし、やはり、委員はどう思われるかわかりませんが、例えば九〇年以降の歴代総理あるいは歴代外務大臣、密約はありません、そういうふうに断言した方が多いわけです。幸いにして国会でそういう機会がなかった方は別にして、聞かれればみんなそう答えた。国民の多くが、アメリカの外交文書の公開などによって、そういうものは多分あっただろうというふうに思っているときに、いや、絶対ありませんということを総理が言う、外務大臣が言う。それが果たして政治に対する信頼につながっただろうか。私は、国民の政治や外交に対する信頼感を損なったというふうに思っております。ですから、そういう事態を早く打ち切らなければいけない。
 委員は、いや、そういったいろいろな苦渋の決断があったと。それはそのとおりですが、その苦渋の決断をした当事者じゃなくて、それから二十年も三十年も、あるいはそれ以上、四十年もたっているそういう状況において、しかも、国際環境が冷戦も終わって変わったときに、ずっと同じことを言い続ける、それが果たして民主主義にとって健全な姿かどうかということについて、もし委員の御異論があれば聞かせていただきたいと思います。
○岩屋委員 その問題は、後で触れたいと思っておりました。大臣の指摘については、自民党として、歴代政権はほとんど自民党政権下でしたから、私どもにもちろん責任はあるわけで、自民党として、どう受けとめ、特に九〇年代以降の問題についてどう整理すべきかということを党の中でしっかり協議しようということを私、提案しておりまして、その作業を進めていきたいと思います。
 ただ、なかなか簡単なことではなくて、九〇年代以降、確かに米国の核戦略も変わった、けれども、では、その時点に一体どういうやり方があったのか、どういうやり方をすれば適切だったのかということを考えると、これはなかなか容易に判断がつきかねる、そういう問題だというふうに思っておりまして、しっかり我々も検証して、我々なりの見解をやはりまとめなきゃいかぬ、こう思っておるところでございます。
 だから、今、岡田大臣が直面している問題、もし九〇年代に自民党政権がやっていれば、同じ問題に直面したと思うんですね。そのときにソリューションをきちんとつくれたかということになると、これはなかなかやはり容易ではなかったのではないかなというのが現段階での正直な私の見解でございます。
 もうちょっと聞かせていただきたいんですが、この有識者委員会の報告書の位置づけですね。
 外務大臣は、会見で、密約の有無をめぐる政府としての公式見解を出す考えはないと。調査結果は公表したけれども、これをもって直ちに、外務省の見解というか岡田大臣の見解というか、そのまま鳩山政権の見解ということではないという御判断だと思います。これは見識だと思いますが、この報告書の持つ意味合いというか性格というか位置づけというのは、どういうふうに理解すればよろしいんでしょうか。
○岡田国務大臣 今回の密約に関する調査、結果は二つの報告書になってあらわれております。一つは外務省の調査、いま一つは有識者による報告書。
 外務省による調査は、約二カ月かけて外務省にある文書を徹底的に調査して、その結果、出てきた事実というものを書いたものでございます。ですから、一定の推論とかそういうものはございません。資料を見て、その資料から出てくる結果をストレートに書いたというものであります。
 ただし、第三の密約については、そのときに、佐藤信二先生の公表された沖縄返還時の合意文書というのはありませんでしたので、それについては触れておりません。
 そして、私は、そういう事実関係を明らかにするだけではやはり国民にわかりにくいだろう、それからもう一つは、第三者によって、きちっとやはりそれをどういうふうに読み込むか、解釈するかということをお示ししていただいた方がいいということで、有識者委員会を立ち上げて、そこで、その外務省の調べた結果をもとにして、それにヒアリングなども行って、有識者委員会の報告書ができたということであります。これは有識者による報告書でありますので、外務省そのものの見解とは必ずしも一致する必要はないというものであります。
 よく記者の皆さんから、密約はあったのかないのか、マルかペケか、そういうふうに言われるわけですが、ゲーム番組のように簡単に出てくるものではなくて、そこはやはり一つの事実というものをどう解釈するか、そういう余地の残る問題ですから、そう簡単には言えないということであります。
 とはいえ、有識者の結果というのははっきりしておりまして、広義の密約があったが二つ、それから密約そのもの、狭義の密約が一つ、そしてそういうものはなかったというのが一つであります。
 大体、有識者の意見というものは、もちろん外務省の事実関係の資料に沿って出していただきましたので、私としてそれに大きな異論があるわけではありませんが、若干、これからさらに議論が出るだろうなと思うのが、第三の密約であります。沖縄返還時の再持ち込み密約、これについて有識者委員会は、これは密約に当たらないという結論を出しております。理由は二つ。
 一つは、それは表に出ている共同声明と余り変わらないと。ここは、我々はあの共同声明で、少なくとも私は核の再密約を示唆したというふうには思っておりませんので、当時の外務省もそういうことはないというふうに答弁していますが、どう見ても私は示唆したとは思えませんので、共同声明とあの結んだ約束、合意議事録が余り意味は変わらないというのは、ここはかなり議論があるだろうな、率直に言ってそう思っております。
 もう一つは、佐藤首相とニクソン大統領がいわば個人的に交わしたもので、その後、拘束していない、こういう根拠であります。これについても、そうはいっても、お二人が役職についている間はやはり拘束力はあったんじゃないか、政府はもちろん知らなかったわけですけれども、だからといって、トップが交わした約束というのはやはり拘束力はあったのではないか、そういう見方も当然あるわけでありまして、ここの第三の密約の評価については、私は、いろいろな議論が、これから専門家の間でどんどん発展して議論していただければいい、外務省はそれにあらかじめたがをはめるようなことはしない方がいい、そういうふうに思っているところでございます。
○岩屋委員 今までの大臣の御答弁を聞いておりましても、私は、ある意味、ちょっと安心しているんですね。非常に冷静にこの問題を受けとめていただいておると思います。
 やはり、これは歴代政権が何党であったかという次元の問題ではなくて、戦後日本の外交、安全保障、どういう判断があり、苦渋の決断も含めて決断があり、今日までやってきたかということを現外務大臣がどう受けとめ、評価しているかということでありまして、これはもう外務大臣としての資質にかかわる問題だと思っております。私は、そこは信頼をしております。
 そういう意味で、ちょっと気になるのは、今回の報告書は、暗黙の合意はすなわち広義の密約である、こういう、いってみれば新概念、新定義を持ち出しているわけでありまして、暗黙の合意が広義の密約であるというのは、この報告書によって初めて示された概念だと思います。
 密約があった、密約を結んでおったのがけしからぬ、こういう話ばかりがひとり歩きをして、問題の本質を国民の皆さんあるいは我々政治家がしっかり見詰めることができなくなってしまってはいかぬ、そんなつまらない議論をしておってはいかぬ、こう思うわけでありますが、この新しい定義、これをまた全く正しいとして定着させることにも問題があるのではないかな。報告書というのは、これからの我々の議論の貴重な材料にはなると思います。ただ、この新しい定義がひとり歩きするということについてはいかがなものかなと私は思っているんですが、いかがでしょうか。
○岡田国務大臣 ここは、もともと密約に対する定義がきちんとあったわけではなくて、それぞれのこの問題を論ずる方が自分の定義で議論していた。それをきちんと、狭義の密約、そして広義の密約というふうに定義づけたというのは、私は、これから議論を整理する上で非常に重要だというふうに思っております。
 そして、暗黙の合意という概念、ここの解釈、いろいろあると思いますが、この問題、特に議論になるのは第一の密約であります。
 第一の密約は、最初からお互い、核持ち込みということの中に一時的な寄港や領海通過は含まれないというアメリカの考え方を日本も了解して、そしてそういうことで最初から約束があったという見方が一方であります。いや、そこまでの証拠はない、いや、むしろそれに反するような資料も出てきた、だからそれはそこまでは言えない、そこで終わってしまったのでは、やはり議論が深まったことにならないのであって、最初はそうだったかもしれないけれども、しかし、その後の大平・ライシャワー会談、あるいは東郷北米局長のメモ、そういうものを見ると、どこかで日本は気がついて、気がついたけれども、お互い、これは詰めるとまずい、ですから詰めずにおこうということで、明確な文書での合意はしていないけれども、しかし、お互い詰めない、そういう合意は暗黙のうちにあった、 こういうことであります。
 私は、第一の密約の全体状況を明らかにする上で、こういう概念というものがなければ、議論はかなり混乱したと思いますし、そういう概念を入れたことが決して悪いことだというふうには考えておりません。
○岩屋委員 もう一つ、この報告書の中の記述で気になるところが私はありました。報告書文中には、「明白な嘘をつき続けた」という記述であるとか、「嘘をふくむ不正直な説明」などの表現がございます。
 ただ、事は一国の安全保障にかかわる問題なのでございます。マックス・ウェーバーの言を引くまでもなく、政治というのはやはり心情倫理で責任を問われるべき世界ではない。特に、安全保障というのは責任倫理ですね。結果がどうであったかということにおいてのみ歴史の審判を受けるという領域だと思います。
 そういう意味でいうと、歴代政権、この戦後の厳しい状況の中で安保という枠組みを結び、そして一度ももちろん戦争に加担することもなく、戦禍を受けることもなく、一発の銃弾も海外で発することもなく、今日まで平和を保ってきた。歴代政権は、そういう意味では責任倫理は立派に果たしている、むしろ誇りに思っていいことですらあるというふうに私は思っております。
 したがって、有識者が書いた文章としては、かかる表現はいかにも浅薄だなというふうに私は思います。まさか政務三役の関与がここにあったとは当然思っておりませんけれども、ここは、今回のこの報告書を材料に、さらに深い本質的な議論を我々していかなくちゃいけない、これは指摘だけしておきたいと思います。
 では、大臣、ちょっと感想を。
○岡田国務大臣 この「明白な嘘をつき続けた」、それから「嘘をふくむ不正直な説明」、これは外務省にとっても大変厳しい御指摘でございます。別に時の総理や外務大臣だけではなくて、外務省全体がそのことを真摯に受けとめなくてはならない。私は、いや、厳しい表現だなというふうに思いましたけれども、もちろん、有識者の皆さんが議論した結果として記述されたことで、有識者の皆さんのその報告書に注文をつけることは一切しておりませんので、これはこれとして真摯に受けとめなければいけないと思っております。
 「明白な嘘をつき続けた」というのは、これはマッカーサー・藤山口頭了解のところで出てくる話であります。口頭了解はある、しかし、口頭了解以上のものはないというふうに言い続けたわけであります。現実には討議の記録というものが存在した、にもかかわらず、そういうものはないと言い続けた。果たしてそれは、例えばアメリカで情報公開されて、そういうものの存在が明らかになった後も、言い続けなければいけないことだったのかどうかというと、私は、やはりそこは反省をしなければいけないのではないかというふうに思います。
 それから、もう一つは、「嘘をふくむ不正直な説明」、これは先ほどの話ですが、日米間で解釈が違う、持ち込みについては、一時的寄港や領海上の通過は含まないんだというアメリカの解釈を日本は明確に、ある時点から知りながら、そのことは、例えば北米局長のメモではっきりしているわけですね。そして、北米局長は、そのことを、アメリカと日本の解釈が明らかに違うということを歴代総理や外務大臣にきちんと説明しているわけです。
 にもかかわらず、そういう解釈の違いには触れずに、いや、日本政府として、一時的寄港は持ち込みに含まれます、そして、アメリカが事前協議をしてこない以上、核は入っておりませんと。アメリカが事前協議をしてこない以上というところで、アメリカの解釈が違うということをわかりながらそういうふうに言い続けた。これはやはり、私は、国民に対して極めて不正直な、そういう答弁だったと思うわけであります。やはりそういうことについて謙虚に反省が必要ではないかというふうに思っているところでございます。
○岩屋委員 報告書の記述が厳し過ぎるのではないかと思いながらもそれを受けとめたい、こういう大臣の御発言は了解したいと思います。
 ただ、何度も申し上げますが、やはり事は国の安全保障の根幹にかかわる問題ですから、極論すればですよ、極論すれば、うそをつかなければ国をきちんと守ることができないと判断した場合は、うそをつくべきなんです、極論すれば。そのぐらいのシビアな責任倫理を負っている領域だという認識は、我々、お互いに 持っておく必要があるのではないかなと思います。
 そこで、本題に入っていくんですが、だから、岡田大臣はパンドラの箱をあけたわけですね。パンドラというのは、ゼウスから箱を授けられて、あけたらいかぬのをあけて世の中にすべての邪悪があふれ出してしまった、慌ててふたを閉めたら希望だけが残った、こういう話ですね。
 何も、今回の調査で世の中に邪悪がばらまかれたとは私は言いません。例えが適切でなかったかもしれませんが、しかし、戦後の我が国の安全保障、特に核抑止に関しては、報告書に言う暗黙の合意が担保してきたということも私は言えると思うんですね。今回の調査によって、その担保をある意味じゃ外しちゃったわけですから、箱をあけて世界は変わったわけですから、箱をあけました、中を見てください、さあ閉めました、今までと何も変わりませんというわけにはいかなくなったというふうに認識しなきゃいかぬと思うんです。
 では、自民党時代は何でそれをやらなかったのか。箱をあけたら世界を変えなきゃいかぬと思っていたから、なかなか判断がつかなかったということだと思うんですね。
 だから、そのことを外務大臣がしっかりと認識していただいて、今回のことを今後の建設的な前向きな議論に生かしていかなきゃいかぬというふうに思います。特に、核抑止の政策について、暗黙でない、明示された形の何かの取り決めができて、国民にきちんと説明できるということじゃないと、調査をやった意味がないということになるんじゃないでしょうか。いかがでしょうか。
○岡田国務大臣 これは先ほどの最初の議論に戻るわけですが、やはり私は、余りにも明らかなうそといいますか、少なくとも、アメリカの情報公開などで明らかになっているにもかかわらず、歴代の総理や外務大臣がそういうことはありませんと言い続ける、そういう状況を終わらせることが、国民の政治に対する信頼というものをしっかりと取り戻すことになるというふうに思っております。
 委員おっしゃるようなリスクは当然あります。私もそのことはわかっております。しかし、どこかでこれは決断してやらなければいけない。それは役所にやらせるのは無理です。ですから、政治家が決断して、こういうことをしなければいけない、そういうふうに思っております。
 さまざまな厳しい御意見がこの密約を明らかにしたことによって出てくるし、論争も出てくるし、それは甘んじて受けなきゃいけないし、そして論争は大いにやっていきたいというふうに考えているところであります。
○岩屋委員 大いに甘んじて論争を、大臣、受けてください。我々も真摯にその論争に臨んでいきたいというふうに思うし、国民の皆さんも賢明ですし、問題の本質がどこにあるかということを理解していただいた後は、妥当な政府の結論が出てくれば、理解をし、受け入れてくれるというふうに私は思っております。
 外相から、大臣からたびたび指摘されています、九〇年代以降の歴代政権の対応はやはりちょっとおかしかったんじゃないの、あそこでもうちょっと調べて、 きちんと説明できるものは説明した方がいいんじゃないのという指摘がありました。我々も、今それを受けとめて、さっき申し上げたように、では、あのとき何ができたのかな、どうすべきだったのかなということを自民党の中でしっかり検証します。
 大臣はどう思いますか。あのとき、そういうことが可能だったと思われますか。どういう方法によれば、過去の密約の問題を明らかにし、新方針を国民に理解してもらうということができたと思いますか。なかなか私は思いつかないんですけれども。
○岡田国務大臣 九一年に、アメリカの核政策が変わり、それを反映してNPRも出たという段階で、しかも、その前提は、東西冷戦が終わったということであります。その前提で私は決断できたというふうに思います。今と基本的に状況は変わっていないというふうに考えております。
○岩屋委員 では、それまで形骸化してきた事前協議は、そうなった場合にどうしたらよかったのか。そういう日米間の取り決めが変わるということによって、近隣国の安全保障あるいは極東の安全保障の環境にどういう影響を与えるのかとか、あるいは方針の変更なりを国民の皆さんがどう受けとめてくれたであろうかとかですね。
 九〇年代というのは、確かに冷戦は終わったんですけれども、我が国周辺の安全保障環境というのはそんなに改善していないんですね。ソ連邦が解体をして、ソ連の脅威というのは確かに減じましたけれども、一方で、どんどん中国は軍拡を進めてくる、南北朝鮮の問題はある、台湾海峡の問題はある、北朝鮮はやがて九〇年代、NPTを脱退して核の開発に向かっていく、そういう状況の中で、本当にそういうことがなし得たかなということになると、これもやはりよく検証してみないといけないな、私どもの課題としてもそう思っているところでございます。
 ちょっと議論の前提を、材料をそろえるために、防衛省に幾つか基本的な問題を聞きますので、端的に答えてもらいたいと思います。
 一個ずついきましょうか。
 アメリカの核戦略が変更された後、撤去されたのは戦術核のみであって、戦略核はいまだに米国の航空機並びに艦船に配備されていると私は認識しておりますが、それでよろしいですか。
○榛葉副大臣 委員にお答えいたします。
 アメリカは、一九九一年に、配備されていたすべての地上発射の戦術核兵器と、海軍艦艇及び航空機に搭載されたすべての戦術核、これを撤去したというふうに理解しております。
○岩屋委員 だから、戦略核というものは配備されているわけですね。
○榛葉副大臣 さようでございます。
○岩屋委員 次に、これまでの岡田大臣の説明なんですが、戦略核搭載の機種は特定できる、特に攻撃型潜水艦は常時、米国周辺に配備されているのであって、したがって、それらが我が国近傍に出てくることはない、こういう説明をされておられますが、これは事実ですか。
○岡田国務大臣 委員のおっしゃった攻撃型潜水艦、私、そういう表現をかつて使ったかどうか記憶にないんですが、攻撃型潜水艦というのは戦術核を積んだ潜水艦のことであって、私が申し上げたのは、戦略核を積んだ潜水艦の話を申し上げたわけであります。
 そして、そこで申し上げましたように、戦略核を積んだ潜水艦というのは、別に実際に紛争地域の近くにある必要はない、むしろ、近くにあればそれだけリスクは高まりますから、基本的に、米大陸本土に置かれた大陸間弾道弾と同じ扱いですから、日本にそれがわざわざやってくるということは想定していないわけでございます.
○榛葉副大臣 先般の当委員会で、大臣がこのようにお答えをしております。「戦略核を積んだ潜水艦というのは機種で特定できますし、そもそも日本の近海には基本的にはいない、これはアメリカの周りにいる」というお答えでございます。
 一般的にはこのように認識をされていると私も承知をしておりますが、他方、どのような潜水艦がどこにいるというのは、アメリカの抑止の話でもあり、米軍の運用に関する事実関係でございますので、私の方からこのことについて明確に言及することは差し控えたいと思います。
○岩屋委員 だから、オハイオ級というものなんですね。十四隻あって、一隻に二十四発、SLBMを積んでいる。ただ、これについて触れられたことは、それはそれでちょっと不適切だったのではないかなと私も感じていました。
 今、副大臣が答弁されたように、やはり潜水艦の運用というのは軍事機密の中でも秘中の秘でありますから、同盟国の戦略核を積んだ潜水艦が常時どの辺にいるだろうからというような説明をするというのは、やはり外務大臣としては適切ではなかったのではないかということを指摘しておきたいと思います。
○岡田国務大臣 オハイオ級潜水艦、その中には核を積んでいないものもあります。しかし、どのオハイオ級潜水艦が核を積んでいるかということは、既にそれは明らかになっていることでございます。したがって、それが日本に寄港するということになれば当然わかる。そういうことは私はないというふうに思いますが、もし何らかの理由でそういうことがあったとしたら、事前にわかるということでございます。
 私の発言についていろいろ御心配いただいておりますが、もちろん、この密約の問題を議論するに当たって米国側とは意見交換をしておりまして、御心配には及ばないと申し上げておきたいと思います。
○岩屋委員 心配なきように、くれぐれもお願いしたいと思います。
 防衛省にもうちょっと聞きます。
 撤去された戦術核、現在、どのような状況に置かれておりますか。そして、それは再配備しようと思えば可能な状況にありますか。
○榛葉副大臣 委員指摘の撤去された戦術核兵器でございますが、既に撤去されたものと貯蔵されているものがあるというふうに承知をしております。貯蔵されている戦術核兵器の中には、再配備可能な状態で貯蔵されているものもあるということでございます。
○岩屋委員 続けて聞きますが、仮に、我が国の近傍国から核を搭載したミサイルが不幸にして我が国に向けて発射された場合に、着弾までの時間はおおよそどのくらいだと見積もっておられますか。
○榛葉副大臣 委員御承知のとおり、周辺国にある核弾道ミサイルが、その性能について明確に確たることを言いませんし、飛翔軌道といいますか、飛び方によっても時間が大体変わるわけでございますが、その上で、あえて一般論として申し上げますと、射程千キロ級の弾道ミサイルについては発射から着弾まで約十分程度、また一万キロ程度の弾道ミサイルにつきましては発射から着弾まで約三十分程度の時間がかかるというふうに一般的には言われています。
○岩屋委員 これらの防衛省の説明で、大臣、私が持っている問題意識というのは、確かに、米国本土にあるICBM、戦略核、それから潜水艦に積んでいる戦略核、それから一部爆撃機に今なお積まれている戦略核、今、アメリカの核抑止というのは大体この三本柱ですよね。戦術核はできるだけ撤去しよう、冷戦も終わった、大は小を兼ねるじゃないけれども、ちっちゃいものはどんどん外していこう、こういうことですね。
 ただ、我が国は近傍に核保有国を抱えているわけでありまして、今も説明があったように、最悪の場合は十分以内に着弾するような近いところに核の保有国があるという状況の中で、通常、戦略核が米国周辺にあるから日本の核抑止は大丈夫なんだということを言い切れるのか。しかも、戦略核というのはまさに最終兵器ですね。国家そのものを破壊しかねない兵器ですね。したがって、もちろん最大の抑止力ではあるけれども、むしろ使うに使えない兵器という意味ではかえって抑止力がないかもしれない。
 本当に我が国が核の脅威に現実の問題としてさらされたときに、今の体制のままで本当に大丈夫と言い切れるのか、こういう問題意識があるんですが、いかがでしょうか。
○岡田国務大臣 いろいろな議論が成り立ち得るということは、そのとおりだと思います。私は、基本的に、戦略核の抑止力というものが最終的に担保されているということ、そのことが核抑止という意味で役割を果たしているというふうに考えております。
 委員のおっしゃることは、恐らく、緊急時にそういう形で急遽、戦術核を潜水艦に積んで日本近海に配備するということが起こり得るのではないか、こういうお話だと思いますが、しかし、今アメリカは、九一年の政策以来、もちろん再配備ができる体制は残しつつ、しかし、今もとっていない、そういう宣言をしているわけであります。その政策が変わるということであれば、それは議論も必要になるかもしれませんが、今、変わる、そういうことは承知しておりませんし、我々も米国側とさまざま意見交換をしておりますが、そういった今取り除いている戦術核を再配備するということはないんだろうというふうに私は思っております。
○岩屋委員 そこが大臣、私は問題だと思うんですよ。大臣は、米国の戦略というものに依拠して日本の核抑止の政策を決めるという言いぶりに終始しているわけですね。問題意識は持っておられると思うんですよ。箱をあけた後、暗黙が支えていた核抑止というものが揺らいだ、新しい方針をつくらなきゃいかぬ、この問題意識は大臣は持っていながら、そこになると思考停止になるわけですね。
 今もおっしゃったように、アメリカの核戦略というのは環境に応じてどんどん変わると思いますよ。オバマ政権は核軍縮をやっていますけれども、御案内のとおり、新型の巡航ミサイルの開発というものを議会に諮っている。やはり運搬手段の近代化というか、あるいは弾頭の近代化ということを含めて多分計画を持っているんだと思います。
 大臣は、アメリカの核戦略が変更されているから、近い将来変わる可能性もなさそうだから、幸いにして核の持ち込みはあり得ないという説明をされているわけですね、この密約調査の後も。日本の安全保障というのは、幸いという偶然に依拠しておっていいんでしょうか。不幸にして事が起こったときに備え得る構えをとっているというのが安全保障であり、危機管理なのではないでしょうか。だから、大臣が直面している問題に真正面から何とか答えを出そうと努力していただかないといけないんじゃないでしょうか。いかがでしょうか。
○岡田国務大臣 もちろん、最悪に備えるということが非常に重要であることは、そのとおりであります。ただ、この議論をするときに、狭く論理だけを突き詰めていくと、誤った議論になりがちだ。東西冷戦、非常に対立が深まったときの核戦略の議論などを見ておりますと、例えば相互確証破壊、論理的にはそういう帰結というのはあり得るかとも思いますが、やはり人間ということに立ち戻れば、私は正気の議論だとは思えないわけであります。しかし、そういうことをアメリカとロシアのそのときの時代の最高の頭脳と言われた人たちが論理構築する中でつくっていったということであります。やはりそこは、人間ということに立ち返って議論を検証していかないと、とんでもないことになってしまうという一つの例だと思います。
 私は、十二月にクリントン長官とゲーツ長官に手紙を出しました。その中で、従来、日本政府がトマホークについて、これがなくなるということが日本の核抑止力を弱めるというふうに言ってきたとは思わないし、もしそういうふうに受けとめられたとしたら、それは私の考え方とは異なるというふうに申し上げたところであります。
 トマホーク、つまり戦術核によるそういう抑止というものがなくなると困るというふうに私は言うべきでない。やはり将来、核なき世界を目指していく中で、もちろん現実と理想とのバランスをどうとっていくかの問題ですが、私は、戦略核による抑止というものが確保できればそれで対応できる、基本的にはそういうふうに考えているところであります。
○岩屋委員 トマホークをやめていくというときに日本政府が懸念を表明したのではないかというのは、私もちょっと調べてみたいと思うんですが、ただ、そう いう問題意識は、必ずしも否定されるべきものではないんではないかなと私自身は思っています。大臣はそうではないというふうに今おっしゃいましたけれど も、やはりピンポイントで敵の策源地などを的確にたたく能力を持っているか持っていないかというのは、この日本の核抑止に限らず、抑止力の重要な部分を構成していたんではないかなというふうに思うだけに、これは細かい議論になりますので、またやらせていただきたいと思います。
 要は、密約調査をやりました、その後で、非核三原則はこれまでどおりです、アメリカから核が持ち込まれる心配は戦略が変わったのでありませんということだけを大臣は言い続けているわけですよ。
 では、事前協議というのは、これからどうするんですか。もうその心配がないから考えなくていい、こういうことですか。
○岡田国務大臣 非核三原則と事前協議の関係で問題になるというのは、いわゆる持ち込みの場合であります。ですから、持ち込みというのは、一時的寄港、領海通過、そして据えつけという本来狭い意味での持ち込みということがあると思いますが、この狭い意味での持ち込みというのは、我々としては、基本的に非核三原則があるというふうに申し上げているわけであります。もちろん、一時的寄港や領海通過についても、これは非核三原則の対象にするというふうに申し上げているわけです。
 それを危うくするような状況、例えばアメリカの核戦略が変わるというようなことになれば、それはお互い矛盾があらわになるわけですから、そのときにはしっかりと議論が必要になるというふうに思います。そして、そういう将来のことについても、私は、国会の中でいろいろな議論をしていただくということは非常に大事なことだというふうに思います。
 鳩山政権としては、非核三原則は堅持する、これは方針であります。それを変えるつもりはありません。しかし、将来の可能性というものを、私は、現実にその可能性は非常に少ないというふうに見ておりますけれども、しかし、そういうことに備えてさまざまな議論があるというのは結構なことだし、政党レベルでもそういうことについて突っ込んだ議論をしていただきたいというふうに思っております。
○岩屋委員 そうですね。だから、議論の門戸は、大臣、ぜひあけておいていただきたいというふうに思うんです。
 日米の核持ち込み、イントロダクションに関する認識の相違が明らかになった、明らかになったけれどもそれは放置しておきます、なぜならば、もうアメリカの核が近づいてくる心配がないからという説明になっているわけですけれども、やはり本当に緊急対応、有事の際にはどうやって日本の核抑止力を確保するかという観点に立つと、そのときの場合はどうするかということについても、政府として一定の方針を持っておられるべきだと思うんですよ。
 論理的に言うと、一つは、もう認識の相違を埋めてしまう。放置するんじゃなくて、埋めてしまう。しかし、そうなると、イントロダクションの意味が変わるわけですから、これはなかなか容易なことではないと思います。
 それから、もう一つは、今後とも、ある意味のあいまい戦略を続けていく、新暗黙の合意と言ってもいいのかもしれませんが、しばらくはそれを続けていく。でも、これは本来、この調査をやった後の結論としてはふさわしくないと思うんですね。
 もう一つは、今大臣も触れられたように、あるいは亀井静香大臣もおっしゃっていたのかな、いよいよ緊急のときは日米で早急に話し合う、核抑止についての体制をつくる話し合いをするということをあらかじめ取り決めておく、これだけでも一つの前進だと思うんですけれども、その辺についてどう思われますか。
○岡田国務大臣 まず、今後あいまい戦略を続けていく、そういうことではありません。はっきりしているわけです、日本の考え方、アメリカの考え方。しか し、そこに食い違いがある。食い違いがあるということも含めてはっきりしたということで、そこにあいまいさは残されておりません。
 問題は、委員御指摘の、では、緊急事態ということが発生したときにどうするかということであります。
 我々は、非核三原則を守るというふうに申し上げております。非核三原則というのは、それは国民を守るために非核三原則ということを我々は主張しているわけでございます。
 余り仮定の議論をすべきでないと思いますが、緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております。
○岩屋委員 きょうは、そこまでの話が聞けてよかったなというふうに思います。やはり、そのときの政権として、万やむを得なき場合には、非核三原則の一部にその例外が生じることがあってもやむを得ない、これは当然、そういう判断に立ってしかるべきだと私は思うんですよ。
 がらっと話はかわりますけれども、大臣、日本は唯一の被爆国ですね。だから、核に対する国民の特別な感情があります。それはもう当然のことだと思います。
 だけれども、これも仮にという話をしても仕方がないのかもしれませんけれども、例えば日本が被爆せずして敗戦をしておったら、日本の核抑止というのはどういう姿になったのかなと私は想像してみたりすることがあります。ドイツを初めヨーロッパ諸国は、もちろんつくらず、持たずですけれども、実際にアメリカの核を持ち込んで、据えつけて、核の抑止体制をつくってきたわけですね。私は、もし日本が被爆国でなければ、そういう選択も、もしかしたらあり得たのかもしれないなと。
 しかし、唯一の被爆国であり、なおかつ抑止力を必要とするという中で、歴代の政権が苦しんで、暗黙の合意あるいは広義の密約という形で、何とか核の抑止力を担保してきたという姿だったと思うので、そういうことも含めて国民の皆さんに明らかになって、万やむを得ない場合は緊急の措置をとるという説明をされた場合は、国民の皆さんは十分御理解をいただける余地があるのではないかな、私はこう思っているところでございます。
 やはり、唯一の被爆国であるということは、核軍縮・不拡散に努力をすることは当然ですけれども、二度と我が国に核を使用させないという決意を持つことも大事だと思うわけでありまして、今回の密約の調査を機に、ぜひ前向きで建設的な議論をやっていきたいと思います。
 大臣の見解を聞かせてください。
○岡田国務大臣 今、世界の大きな流れがどちらに行っているかというと、核なき世界ということを目指して、しかし、それは一挙にはできませんので、具体的に現実的な手段を講じていく。
 それは、アメリカとロシアの間で行われている戦略核に対する軍縮交渉もそうであります、間もなく合意に至ることを期待しておりますけれども。あるいは、私が盛んに言っております、核の目的というものを限定していく、これは実はオバマ大統領も言っているわけであります。その具体的中身、消極的安全保障とか あるいは唯一目的とか、いろいろな概念があります。それをどこまで、どういうタイミングでやるかということの議論はありますが、しかし、流れとしてそういう方向にあることは間違いないということであります。
 今、委員言われた欧州も、戦術核を欧州から撤去するという声を幾つかの国が上げて、まさしく議論しているところであります。流れとして、核の抑止というものを限定していこう、そういう流れがあるということも十分に踏まえた上で、日本の考え方をしっかりとまとめていく必要があると思います。
 委員言われましたが、私は、緊急時に非核三原則の例外をつくるべきだということを言っているわけではありません。しかし、本当にぎりぎりの局面になれば、我々は非核三原則を守る、堅持する、その方針を変えませんが、しかし、最終的には、それは国を、国民の命をどう守るかという話でありますから、そのときの政権がぎりぎりの判断をどうするか、大事なことは、きちっと国民に説明する、そういうことだと私は思っております。

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