長崎と広島の平和宣言

2010.08.18

*長崎新聞の取材に応じて、本年(2010年)の長崎と広島の平和宣言の比較を行った発言を行いました。8月15日付同紙は、その内容を紹介しています。私の発言内容を的確にまとめているので、以下に紹介します。なお、二つの宣言の内容を踏まえないと、私の発言内容について読まれる方がその当否を判断する手がかりがないと思いますので、まず両宣言(全文)を紹介し、その後で私の報道された発言を紹介します。ちなみに、両宣言を歴史的に研究した成果としては、鎌田定夫編著『広島・長崎の平和宣言 その歴史と課題』(平和文化 1993年)、宇吹暁『平和記念式典の歩み』(広島平和文化センター 1992年)があります(8月18日記)。

1.長崎と広島の平和宣言

<長崎の平和宣言>

被爆者の方々の歌声で、今年の平和祈念式典は始まりました。  「あの日を二度と繰り返してはならない」という強い願いがこもった歌声でした。
 1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機が投下した一発の原子爆弾で、長崎の街は、一瞬のうちに壊滅しました。すさまじい熱線と爆風と放射線、そして、燃え続ける炎……。7万4千人の尊い命が奪われ、かろうじて死を免れた人びとの心と体にも、深い傷が刻みこまれました。
 あの日から65年、「核兵器のない世界」への道を一瞬もあきらめることなく歩みつづけ、精一杯歌う被爆者の姿に、私は人間の希望を感じます。
 核保有国の指導者の皆さん、「核兵器のない世界」への努力を踏みにじらないでください。
 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議では、当初、期限を定めた核軍縮への具体的な道筋が議長から提案されました。この提案を核兵器をもたない国々は広く支持しました。世界中からニューヨークに集まったNGOや、私たち被爆地の市民の期待も高まったのです。
 その議長案をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国の政府代表は退けてしまいました。核保有国が核軍縮に誠実に取り組まなければ、それに反発して、新たな核保有国が現れて、世界は逆に核拡散の危機に直面することになります。NPT体制は核兵器保有国を増やさないための最低限のルールとしてしっかりと守っていく必要があります。
 核兵器廃絶へ向けて前進させるために、私たちは、さらに新しい条約が必要と考えます。潘基文国連事務総長はすでに国連加盟国に「核兵器禁止条約」の検討を始めるように呼びかけており、NPT再検討会議でも多くの国がその可能性に言及しました。すべての国に、核兵器の製造、保有、使用などのいっさいを平等に禁止する「核兵器禁止条約」を私たち被爆地も強く支持します。
 長崎と広島はこれまで手を携えて、原子爆弾の惨状を世界に伝え、核兵器廃絶を求めてきました。被爆国である日本政府も、非核三原則を国是とすることで非核の立場を明確に示してきたはずです。しかし、被爆から65年が過ぎた今年、政府は「核密約」の存在をあきらかにしました。非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、私たちは強い不信を抱いています。さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定の交渉を政府は進めています。これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、到底、容認できません。
 日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、被爆国として、国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。
 NPT再検討会議において、日本政府はロシアなど41か国とともに「核不拡散・軍縮教育に関する共同声明」を発表しました。私たちはそれに賛同すると同時に、日本政府が世界の若い世代に向けて核不拡散・軍縮教育を広げていくことを期待します。長崎には原子爆弾の記憶と爪あとが今なお残っています。心と体の痛みをこらえつつ、自らの体験を未来のために語ることを使命と考える被爆者がいます。被爆体験はないけれども、被爆者たちの思いを受け継ぎ、平和のために行動する市民や若者たちもいます。長崎は核不拡散・軍縮教育に被爆地として貢献していきます。
 世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、それを選ぶのは私たちです。私たちには、子供たちのために、核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります。一人ひとりは弱い小さな存在であっても、手をとりあうことにより、政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれます。私たちの意志を明確に政府に伝えていきましょう。
 世界には核兵器廃絶に向けた平和の取り組みを続けている多くの人々がいます。長崎市はこうした人々と連携し、被爆地と心をひとつにした地球規模の平和市民ネットワークをはりめぐらせていきます。
 被爆者の平均年齢は76歳を越え、この式典に参列できる被爆者の方々も、少なくなりました。国内外の高齢化する被爆者救済の立場から、さらなる援護を急ぐよう日本政府に求めます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に、心から哀悼の意を捧げ、世界から核兵器がなくなる日まで、広島市とともに最大限の努力を続けていくことを宣言します。

<広島の平和宣言>

 「ああやれんのう、こがあな辛い目に、なんで遭わにゃあいけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊と共に、改めて「こがあないびせえこたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。
 ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。
 今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓くために必要であることが確認されました。
 核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。
 また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
 このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
 こうした絶好の機会を捉え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑っている人もまだ多いからです。
 今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理細かく優しい援護策を実現すべきです。
 また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
 私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創ります。
 最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。

2.私の発言

-宣言文をどう読んだか。

 長崎は市民目線が貫かれ、広島は、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成果と平和市長会議を結びつけたり、市民社会の声が国連に届いたのは「(国連事務総長の)潘基文閣下のリーダーシップの成せる業」「米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も大きな影響」などとした。「世界市民の声が国際社会を動かす最大の力」と言いながら、リーダーシップが物事を動かすという考え方。主体は市民ではない。長崎は「私たち」の視点が常にある。

-日本政府に関しては。

 長崎は「非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、私たちは強い不信を抱いています」「日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために非核三原則の法制化に着手すべきだ」としている。政府の過去の行為を強く批判し「私たちの立場に背いている」という思想がリアルに出ている。
 一方の広島は「今こそ、日本政府の出番です」「内閣総理大臣が被爆者の願いを真摯に受け止め自ら行動してこそ」など過去は関係なく、エールを送っている。長崎の宣言に非常に説得力を感じる。

-NPT再検討会議の最終文書の評価について。

 長崎は厳しくみているが、広島は評価する立場。長崎は「核保有国の指導者の皆さん、『核兵器のない世界』への努力を踏みにじらないでください」というように核保有国の抵抗で最終文書が薄められ、核廃絶が進まないという形でとらえた。
 広島は、平和市長会議の自己宣伝を兼ねて最終文書を評価。私自身は別の意味で評価している。NPT体制は核不拡散が目的。その枠で核廃絶を日程にあげることは本質的にむずかしいにもかかわらず、核廃絶を目指す内外の世論の主張が盛り込まれ、核兵器禁止条約にも踏み込んだ。これはNPT体制から核兵器禁止条約体制への過渡期を示し、積極的評価が可能だ。

-両宣言文の違いの背景は。

 広島の市民運動は1960年代の(原水禁運動の)社共分裂の後遺症がずっと残って、がんじがらめ。長崎の土山秀夫氏のような中心軸になる人も出てきていない。長崎は故秋月辰一郎氏、故鎌田定夫氏らが草の根から証言活動を始め、今日の市民運動につながっている。知性的な市民レベルの運動を発展させてきた長崎には先進性があり、それを背景にした「起草委」という長崎方式が今回、優れた宣言を生み出した。広島も頑張らねばならない。

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