朝鮮(中国)の核武装に関する物事の見方とは

2010.07.30

*私が「コラム」で書いた文章「日朝関係の現状と課題:天動説的国際観と他者感覚の欠如」に対して、アメリカからの核恫喝に対抗するためということで朝鮮(及び中国)の核開発を正当化するかの如き私の指摘はおかしいのではないか、という趣旨のコメントをお寄せくださった方がおられました。私の考え方については、しばしばこの種のご批判をお聞きすることがありますので、この機会に、私の考え方をもう少しくわしくご説明しておきたいと思います(7月30日記)。

この方のご批判はまず、「私たちが考えなければならないのは、朝鮮(中国)という他者自身の立場に自らをおいて、朝鮮(中国)から見た世界はどう映っているかについてできる限り想像力を働かせることである。アメリカ及びアメリカに全土を基地として提供して全面協力する日本、そして朝鮮の場合にはさらに韓国も加わって襲いかかろうとしている。それが実態なのだ」と私が書いたことに対して、次のように疑問を提起することから始まっています。

「この主張を100%受け入れたとして、だからといって北朝鮮の核武装化や中国の軍拡を正当化することにはならないのではないでしょうか。浅井先生の論理によれば、米国や日本や韓国が天動説的国際観に基づいて北朝鮮や中国を軍事恫喝しているから、北朝鮮の核開発も中国の軍拡もしかたのないことなのでしょうか。」

私がまず申し上げたいことは、核兵器開発という行為・政策の当否(私たちがどのような判断し、評価するか)の問題と、(1964年当時の)中国及び(近年の)朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が核開発に踏み切ったのはなぜかという問題とは、厳密に区別して扱うことから始める必要があるということです。
まず、第一の問題から考えます。私は、核兵器が生物化学兵器をはるかに上回る残虐で反人道を極める、存在することがそもそも許されてはならない最悪の大量破壊兵器であると認識しています。「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」の訴えの意味は、そういうものとして理解されるべきだし、現実にもそうであると思います。したがって私は、中国、朝鮮に限らず、アメリカを含めいかなる国家が核兵器を所有し、開発し、製造することにも明確に反対する立場ですし、生物化学兵器同様、核兵器が1日も早く国際法によって違法化されるべきであると強く考えています。
しかし、残念なことに、広島・長崎に対する原爆投下は正しかったとする立場を改めないアメリカ、また、核兵器を保有する政策にしがみつくアメリカ以下の核兵器国がそういう政策遂行を困難にする「核兵器の違法化」に頑強に抵抗していることが原因となって、核兵器は今日なお国際法違反の兵器であることが国際的に確立したと言える状況にはなっていません。たしかに1996年の国際司法裁判所の勧告的意見においては、「核兵器の威嚇または使用は、一般的に、武力紛争に適用される国際法、とりわけ人道法の原則および規則に反することになる」とは述べましたが、その後に続けて、「しかしながら、本裁判所は、国際法の現状および利用しうる事実の証拠に立って考えると、国家の存亡が危険にさらされている自衛の極端な状況において、核兵器の威嚇または使用が合法であるか、違法であるかについて、確定的に結論を下すことができない」と述べることにより、自衛のための核兵器使用を容認する余地を残しており、したがって核兵器の国際法上の位置づけは、多国間条約で明確に禁止された生物化学兵器とは扱いが異なっています。つまり、アメリカ以下の核兵器国が核兵器を保有することについて、これを禁止する条件は、少なくとも今日的条件の下では存在しません。
このように自らの核兵器保有について国際法違反を問われないことにあぐらをかいているアメリカ・オバマ政権は核兵器の拡散を防止することにのみ熱心であり、特にイラン及び朝鮮の核兵器保有(あるいはその疑い)に対しては、NPTに基づく国際的な「責任」を果たさないものと決めつけ、国際的な圧力を組織することによって両国の核兵器の保有(または保有への意図)を断念させようとしています。しかし、このようなオバマ政権のアプローチには極めて重大な問題があります。
核拡散防止体制を狙うオバマ政権が発表した「国家安全保障戦略(NSS)」では、核拡散を防止することに関する国家の「権利と義務」という言い方ではなく、ことさらに「権利と責任」という言い方をしています。NSSにはこの点についての明確な説明がないので、私の想像を含めた解釈なのですが、アメリカがイランに対して要求しているのは、イランが受諾していないIAEAの追加議定書に盛り込まれている厳しい査察を受け入れることですし、NPTを脱退してもはやそれに縛られない朝鮮に対して突きつけようとしているのは、NPT脱退後も引き続きNPTによって朝鮮の行動を縛ることなのです。そのいずれもが、条約上の「義務」として両国に受け入れを迫ることができる類のものではない(オバマ政権によるごり押しである)ために、NSSは両国が国際の平和と安定に対して責任を負わされるべきだ、という意味合いで「責任」という言葉を使っているように思われます。
すなわちアメリカは、今回のニューヨークでのNPT再検討会議に先立ち、NPTを脱退した朝鮮に対しては「脱退」行為に対する責任追及を可能にする枠組みを作ること、NPTの追加議定書の受け入れを拒否してIAEAによる厳しい国際査察を受け入れようとしないイランに対しては国際的制裁を強化することによって、つまり確立した国際法基準を曲げてでも、朝鮮及びイランをアメリカの意向にむりやり従わせるための仕組みを作ろうとしていたのです。しかし、そのようなアメリカの強引きわまるやり方は従来の国際法基準(「合意は拘束する」)を踏み外したものだけに、朝鮮及びイランは当然のごとく頑として受け入れを拒否し、多くの非同盟諸国もアメリカが恣意的に国際法を歪曲することの危険性に対する警戒感を強め、アメリカのアプローチに賛同せず、アメリカの試みは今回のNPT再検討会議では実を結びませんでした(コンセンサスで採択された最終文書には、NPT脱退国に関する扱い及びIAEA追加議定書の強制適用に関する扱いは一切含まれていません。オバマ政権は完敗したのです。)
以上からまず分かっていただきたいことは、現行国際法上は、ある国(例えばアメリカ)の核兵器保有は認められるが、他の国(例えば中国や朝鮮)の核兵器保有は認められないというルールにはなっていないということです。国際法から言える唯一のことは、NPTに加盟している非核兵器国は核兵器を保有しない義務を受け入れるという決まりが存在しているということだけです。イランは、自らが行っていることはNPTで認められている原子力の平和利用の権利を行使することであって、核兵器開発の意図は有していない、と繰り返し表明しています。アメリカなどは、イランがIAEAの追加議定書を受諾してより厳格な査察を受け入れよと要求しているのですが、特別議定書を受諾するか否かは主権国家の判断に委ねられており、アメリカが強要するわけにはいきません。また朝鮮については、NPTを脱退した上で核実験を行ったのですから、これまた、朝鮮が批判を受けたり、国際的な制裁を受けたりする国際法上の明確な根拠は存在していないのです。
以上、長々と申し上げましたが、要するに、この方のコメントに即して申し上げると、私自身は、核兵器は一日も早く地上からなくすべきだと考えていますし、中国や朝鮮が核兵器を持つことにも反対の立場です。しかし、それは、核兵器の反人道性、極悪性ということに対する私なりの認識に立った反対なのであって、中国や朝鮮に対して「国際法違反だから核兵器を持つのは許されない」と言い切るわけにはいかないのが、今日の核兵器に関する国際法の現実の到達点であるということです。

次に、第二の「(1964年当時の)中国及び(近年の)朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が核開発に踏み切ったのはなぜかという問題」についてですが、私はこの問題を冷静に考えることは、少なくとも二つの意味で非常に重要であると考えます。
第一に、日本国内では、何らの根拠もない「中国脅威論」や「北朝鮮脅威論」が大手を振ってまかり通っており、そのことが、戦後の自民党政権そしてその後を襲った民主党政権によって日米軍事同盟を正当化する材料として盛んに使われてきました。「中国脅威論」及び「北朝鮮脅威論」の虚構性(ウソ)については、この「コラム」で何度も書いてきたことがあるので、ここでは繰り返しません。要するに、天動説的国際観に毒されているアメリカと日本の人々は、中国や朝鮮の軍事的脅威に対しては軍事的な備えが必要だと言い張っていますが、アジア・太平洋の平和と安定に対する最大の脅威はアメリカ軍の前方展開であり、それを可能にしている日米軍事同盟の存在(在日米軍基地の提供)なのであって、中国、朝鮮はそういうアメリカ軍、日米軍事同盟に身構えざるを得ないできた、というのが戦後60年余の現実なのです。
中国が1950年代にはアメリカ及び1960年代初期にはソ連によるいつ何時襲いかかってくるか分からない核戦争の危険性に如何に身構えざるを得なかったか。また、朝鮮に至っては、1950年の朝鮮戦争勃発直後にトルーマンの核兵器使用の可能性に関する発言以来、本年4月の核態勢報告(NPR)でオバマが朝鮮(及びイラン)に対しては核兵器の先制使用があり得ることをハッキリさせるまで、60年間にわたって間断なくアメリカの核攻撃の恐怖にさらされてきたという歴史の事実があるのです。
このことから私たちが考えるべきことは、この方が言われるように「北朝鮮の核開発も中国の軍拡もしかたのないこと」かどうかというような、私たちの道義的判断基準を現実との間でどう折り合いを付けるかという次元の問題ではなく、中国、朝鮮にとっては文字どおり国家の存亡をかけたもっとも深刻な問題として位置づけられていたに違いない、という事実の認識のあり方ということだと思います。つまり、私たちが国際関係を正確に認識する上で必要なことは、物事を簡単に私たちの主観的な道義的基準を当てはめて判断して済ますことではなく、ましてや天動説的国際観で自らに「刃向かうもの」を単純に悪者扱いして決めつけを行うことではなく、相手の立場に立ったら世の中がどれほど深刻な様相を呈しているかについて、想像力を働かせて理解するように努めることではないでしょうか。そういう柔軟な発想ができるようになれば、「中国脅威論」「北朝鮮脅威論」などの虚構(ウソ)で振り回されるということも自ずとなくなり、私たち日本人も国際的に通用する安全保障論議ができるようになることでしょう。
第二に、朝鮮が核開発に踏み切ったのはなぜか、ということを考え、理解することは、朝鮮が核兵器を放棄することに応じる可能性、道筋を考える上でも不可欠であることが理解されなければなりません。朝鮮は、アメリカと異なり、一定の条件が満たされれば、核兵器を廃絶することに基本的に応じる立場を明らかにしています。一定の条件とは、アメリカが朝鮮との間の戦争状態を終了すること(具体的には、休戦協定を平和協定に変えること、アメリカが朝鮮を国家として認め、国交樹立に応じること)を確約することです。アメリカがそうしさえすれば、朝鮮としては、アメリカからの攻撃を心配する必要はなくなるのですから、朝鮮半島の非核化(朝鮮の非核化と韓国に対するアメリカの「核の傘」の撤去)に応じる用意があるということになるのです(そんなのは朝鮮の口先だけのことという人もいるでしょうが、朝鮮にとっての最重要の国家的課題は、自らの国家的生存を確実なものにすることです。朝鮮の国家的生存を不断に脅かしてきたアメリカとの間で、平和条約を結び、国交を樹立すれば、国家存続の最も確実な保証が得られるわけですから、朝鮮はその見返りに非核化に応じることは正に合理的な選択となるのです。仮に平和条約、国交樹立が実現した暁に朝鮮が非核化に応じないとなったら、その時こそ、朝鮮は中国及びロシアからも完全に見捨てられ、国家としての存続は成り立たなくなるでしょう)。つまり、朝鮮が核開発に踏み切った(踏み込んだ)理由が分かれば、彼らをして核兵器を必要としなくなる条件を特定することができるはずですし、それはとりもなおさず、「核兵器のない世界」実現への道筋を付けることにもなるということです。
中国についても、アメリカの台湾海峡有事をにらんだ対中政策が完全に清算されれば(あるいは、超大国として台頭する中国を潜在的敵国と見なす権力政治的発想を清算すれば)、アメリカに対して警戒する必要はなくなるわけですから、アメリカの政策次第で非核化に応じる用意はあるとする中国の立場を疑うべき理由はありません。その何よりもの証拠は、中国の核戦略は「最小限抑止」の考え方に立っており、中国が核兵器を先制使用することはあり得ないという原則的立場を明言していることです。つまり、中国の核兵器はあくまで防衛目的であり、アメリカの核政策に適応して非核化に向かう弾力性が、中国の核政策そのものに内在しているということです。

 この方のコメントについて私がさらに詳しく私の考え方を述べる必要を感じたことは以上の通りです。この方は、そのほかにもいくつかコメントされているのですが、例えば次のようにも言っておられます。

「もし浅井先生が親北、親中派でないのなら、もし浅井先生が本当の平和主義の愛国者なら、米国や日本政府に軍備縮小を呼びかける一方、北の核開発にも中国の軍拡にも同等に反対を呼びかけるべきでしょう。すでに呼びかけているのであれれば、ご容赦ください。ただし、よびかけをされたということあれば、それにもかかわらず北は核兵器を開発し、中国は軍拡を続けている状況についてどのようにお考えでしょうか。」

最初に申し上げておきたいのは、「親北、親中派」とか、「本当の平和主義の愛国者」とかの類のレッテル貼り的表現をお使いになるのはご本人の自由ですが、真剣に議論をするという心構えである場合には、「レッテル貼り」という行為は実りある議論の可能性を封殺するために使われるものですから、そういう悪しき風習はおやめになった方が良いのではないか、と指摘しないわけにはいきません。私は、自分なりの定義に基づく平和主義者であることを自認していますし、これまた私なりの定義に基づく「愛国者」であることも自認しております。しかし、「親北」とか「親中」とかいうレッテル貼りの対象とされる(正直、よくあることですが)と、私はそれだけで、そういう人とまじめに議論する気持ちが失せてしまいます。
 以上のことを申し上げた上で、中国の軍拡及び朝鮮の核開発について、以上に申し上げたことで基本点は尽きているはずですが、さらに蛇足を付け加えておきます。私は、アメリカが台湾を手放さない政策を続ける限り、中国が軍事的に備えを強化せざるを得ない気持ちになることは、それなりに理解できます。しかし、中国の軍拡努力は、今後さらに何十年も経済開発に多大な投資をする必要がある中国にとって大きな負担になるものであると思います。また、改革開放政策を始めた当初は、「永久に覇を唱えない」「中国は第三世界の一員」と自らを規定していた中国を私は高く評価していただけに、現在の「軍拡のための軍拡」という傾向に対しては極めて違和感を覚えています。ましてや、国際的な相互依存が進行する21世紀の国際関係において、一国の軍事力が担う役割は、今後ますます低下する運命にあるでしょう。台湾問題が、アメリカの妨害・干渉を受けることなく、両岸当事者によって平和裏に解決された暁には、軍事大国への道を邁進するのではなく、改革開放政策を打ち出した1980年代初期の原点を思い出し、真の平和愛好大国として、国際社会で建設的な指導力を発揮する国家として発展していくことを私は心から期待しています。
 朝鮮に関しては、1993~4年にアメリカが朝鮮に対して戦争を仕掛けようとしたけれども、朝鮮が38度線上に展開している火力(ソウルを火の海にすることができる)を考えて、戦争を思いとどまらざるを得なかったという見方が事実とすれば、朝鮮はアメリカに対する十分な抑止力を持っているということであり、核開発に走る必然性はなかったのではないか、と思います。ただし、すでに述べたように、アメリカが60年にわたって朝鮮に対する核恫喝政策を行ってきたこと、とくに1990年代後のクリントン、ブッシュ及びオバマ政権のもとでの対朝鮮政策の経緯が、朝鮮をして核開発を猛烈な勢いで進めることを促したのは間違いないところだと思います。

 ちなみにこの方は、韓国の哨戒艦「天安」事件に関しても次のように述べておられます。

「北の核開発を阻止できなかったことは、反米平和主義者にとっても日米同盟支持派にとっても敗北です。とりわけ日米同盟支持派にとって衝撃だったのは、韓国の哨戒艦が北朝鮮によって撃沈されたにも関わらず、また米国がテロ行為ではなく、北による戦闘行為だと認めたにも関わらず米韓安全保障条約が発動しなかったことです。北や中国が日本を攻撃したとしても日米安全保障条約が発動しない危険性があることを今回の哨戒艦撃沈事件は証明しました。北や中国は今回の事件を教訓に、さほどのリスクをとらずに日本に対する軍事的圧力をかけることができると考えているかもしれません。」

私はまず、「天安」事件が朝鮮によって引き起こされたというこの方のご判断自体に重大な留保を付けざるを得ないことをハッキリさせておきます。韓国側の発表内容については、ロシア政府派遣の調査団の調査、韓国籍の2名の学者(アメリカ在住)の独自調査結果の発表など、重大な問題点が示唆ないし指摘されており、その結果、国連安保理議長声明においても朝鮮の犯行と決めつけることを控える内容とならざるを得なかった経緯があります。アメリカが米韓条約を発動しなかったこと(正確には、発動し得なかったこと)は当然であるといわなければなりません。むしろ、そのような曖昧さ、国連安保理議長声明の慎重な対応にもかかわらず、アメリカと韓国が引き続き朝鮮に対する強硬姿勢を続けていることの方が不自然で、朝鮮半島情勢に無用な危険を持ちこむものとして強く批判されるべきです。
なお、この方が指摘するような、「北や中国が日本を攻撃したとしても日米安全保障条約が発動しない危険性があることを今回の哨戒艦撃沈事件は証明しました。北や中国は今回の事件を教訓に、さほどのリスクをとらずに日本に対する軍事的圧力をかけることができると考えているかもしれません。」というような唐突でかつ飛躍した議論に接すると、私としてはただただ唖然とするだけで、正直まともに議論を交わす気持ちにもなりません。

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