「いかなる国」問題についての今日的視点

2010.06.20

このコラムで「日本共産党への辛口提言」を書きましたところ、日本共産党員である方からのコメントをいただきました(その方からは、ご自分のブログで取り上げることへの了解を求めるメールをいただき、また、ブログのURLも御連絡いただいたという気持ちのよいやりとりがありました)。私の「辛口」提言の真意をご理解いただいて、私としても一人でもこういう反応をいただけることは嬉しく思った次第です。
ただ、その方のブログの中で、私が言及した1963年に原水爆禁止運動の分裂を引き起こしたいわゆる「いかなる国」問題について、その方は私の見解に異論があるとされ、具体的に書いておられました。そのくだりは次のようなものです。

「「いかなる国の核実験に反対」問題…について言えば(当時は少年だったので伝聞に属するが)、部分核実験停止条約とセットで持ち込まれたスローガンであり、「いかなる国の(大気圏での)核実験に反対」という核保有国に都合のいいものだったと思う。もし、あのとき「いかなる国のいかなる種類の核実験にも反対」というスローガンが提起されていたら事情は異なっていたと思うし、評価は違ったものになっただ ろう。」

以上の内容は正確でないご理解に基づく部分が含まれると思われますが、かなり思考を触発されましたので、私の思うことを書いておこうと思います。もう50年近く前の古い問題で、何をいまさらと思われる方が多いと思うのですが、そもそも私がこの問題を上記「辛口提言」の中で取り上げた契機となった理由は、共産党の志位委員長が訪米報告の中で「いかなる国」問題と並んで1963年当時の大問題であった「部分核停条約」問題だけに言及し、「いかなる国」問題については何も触れなかったことに大きな違和感を覚えたことにあることを思い出していただきたいと思います。また、私は「いかなる国」問題にはずっと引っかかるものを感じていきたので、この機会に整理して考えてみたいと思った次第です。
私の理解が正しいとすれば、「部分核停条約」問題は、1963年当時の核保有国であったアメリカ、ソ連及びイギリスが主導した、地下以外(大気圏内、宇宙空間及び水中)での核実験を止めることを内容とするものでした。近年核実験を強行した朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)ははじめから洞窟深くで核爆発を行う(つまり大気圏内ではない)ということで、大気汚染に配慮(?)した形なのですが、当時は、核兵器開発に乗り出すためには大気圏内での核実験は避けて通れないと認識される状況がありました。したがって部分核停条約とは、核兵器開発を進めていたフランス(最初の核実験は1960年)や中国(最初の核実験は1964年。特にソ連としては中ソ対立激化の中で中国の核開発を縛ることを狙いとしていたと見られました)の核兵器開発を制約する狙いがあったことは否めず、したがって中国(及び中国と友好関係にあった日本共産党)は部分核停条約に反対したのです。その限りでは、この方の指摘は当たっている部分があります。それに対して当時の社会党や、「ノーモア・ヒロシマ」の立場に立つ広島の多くの人々は、この条約は核兵器廃絶への一歩と評価して賛成したのでした。そういう経緯はあるのですが、この問題は、今や地下を含め核爆発実験そのものを各国が自制し、包括的核実験禁止条約(CTBT)が締結される流れが生まれている中で、明らかに過去の問題となっていると思います。
それに対して「いかなる国」問題は過去の問題として片付けることができない内容をもっていると思いますし、当時においても、部分核停条約問題とセットで議論されたわけではありません。その点では、この方のご理解は正確ではないと思われます。
この問題を正しく理解するためには、少し長くなりますが、当時の論争の経緯を振り返っておく必要があります。1961年の第7回原水爆禁止世界大会決議は、アメリカが核実験を再開するだろうことを牽制する目的で、「こんにち、最初に(核)実験を再開する政府は平和の敵、人道の敵として糾弾されるべきである」と明記しました。ところがその決議から1カ月もたたないうちに、アメリカではなくソ連が核実験を再開したのです。当時の社会党や広島県原水協の多くの人々は、この決議に基づき、ソ連の実験に抗議するのは当然だとしました。これに対して共産党は、「決議のこの一節は、…明らかに正しくなかったといわなければならない」(1961年9月8日付『赤旗』掲載の内野統一戦線部長)、「率直にいって、決議のこの部分は不用意であり正しいとはいえません」(同年9月9日付同紙の野坂議長)(浅井注:いずれも、金子満広『原水爆禁止運動の問題点』p.197による)として、ソ連の核実験を肯定する立場を取ったのです。
共産党がこのような立場を取ったのは、「核軍拡競争における…(米ソ)同列視の問題点は、…核軍拡競争の重要な一環の担い手となっていても、中・ソは核兵器全面禁止をかかげており、アメリカは全面禁止に反対して核兵器の管理しか求めていないという事実を捨象しているところにある。…アメリカと中・ソのこのちがいは、こんにちの核軍拡競争の起動力がアメリカであるという、原水禁運動のもっとも重要な認識とも深くかかわるものである」(前掲金子p.199)という見方に基づくものでした。この主張の背景には、当時においては「社会主義=平和勢力」「アメリカ帝国主義=戦争勢力」という大前提が共産党側にあり、「「アメリカもソ連も同じ」という積極中立主義やいっさいの軍備否定という絶対平和主義という特定の理念…は特定の政治的立場だけに、原水禁運動の参加者をかぎろうとすることになり、その特定の理念や特定の政治的立場に立てない勢力や人びとを運動からはじき出す分裂の道につうずることだった」(前掲金子p.194)という認識が働いていたようです。ですから、「もし、あのとき「いかなる国のいかなる種類の核実験にも反対」というスローガンが提起されていたら事情は異なっていたと思う」とされる上記共産党員の方の理解も正確ではないと思います。
確かにその後、共産党の立場には微妙な(と私には受け止められます)修正が加えられました。それは、1973年7月に宮本委員長が記者会見で、中ソの対立や(ソ連の)チェコスロバキア侵略などによって「中ソの行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは簡単にいえなくなった」「今日ははっきりこれらすべての核保有国にたいし、核開発競争の悪循環からぬけでるべきものであることを率直に求める」と述べたことにおいてです(前掲金子pp.197-198)。これらの発言は、日本共産党がソ連及び中国両共産党との公開論争を行うようになってからのものです。しかし、この発言と同時に宮本委員長は、「だがそうだからといって中ソとアメリカが国際政策全体で同じようになったという見方は決してしていない。ベトナムへのアメリカの侵略戦争にさいし、中ソ両国がはっきり侵略反対の立場をとったということは、他にいろいろ問題はあるにしても明白である」とも述べたと金子氏は附け加えています(同p.199)。
私は寡聞にして、その後の日本共産党のこの問題についての見解の発展・修正があったかどうかを承知していません。この文章を読まれる関係者の方から正確な指摘をいただくことを強く期待しています。しかしとにかく、「いかなる国」問題は、部分核停条約問題とは異なり、今日においても考える必要がある問題点を含んでいるのではないか、と私は思います。それは、具体的にいえば、イランや朝鮮の核開発問題をどう見るのか、どうすれば両国に核開発問題に関する政策を改めさせることができるのか、という問題ですし、もっと一般化すれば、戦争をどう位置づけるのか、特に侵略戦争とそれに抵抗する戦争(伝統的にはヴェトナムが行った民族解放闘争をイメージすればいいでしょう)とを「戦争は絶対悪」ということで片付けることができるのか、という問題です。前掲金子氏の表現を借りれば、「こんにちの核軍拡競争の起動力がアメリカであるという、原水禁運動のもっとも重要な認識とも深くかかわるもの」という問題の今日的有効性です。
あらかじめ申し上げておきますが、私自身は、核兵器の登場により「政治の継続」としての戦争という伝統的な考え方は根本的に成り立たなくなったと考えています。また、放射能禍を引き起こす核兵器は、生物化学兵器以上の非人道的な兵器であり、国際人道法上許すべからざるものであることは明らかだと思います。特に、日本がかかわる可能性がある戦争(朝鮮半島有事、台湾海峡有事)はすべて核戦争に直結しますから、日本が第9条を持つ平和憲法を将来にわたって堅持していくべきことは言うまでもありません。また、核戦争を不可分の一部として構成されている日米安保体制(日米核軍事同盟)は平和憲法と根本的に両立しないものとして廃棄するべきですし、廃棄という「法的」には問題が提起される形を取るべきではないとするのであれば、私たちは安保条約第10条にしたがってその一日も早い終了をめざすべきです。
しかし、国際社会の未成熟性は正にこの核問題においてあらわになっていることも否定できない事実です。つまり、生物化学兵器は国際条約によって禁止されましたが、ひとり核兵器については、アメリカ(及び他の核兵器国)がその違法化を肯んじず、核兵器の所有及び使用の「権利」を主張し続けているのです。そして、アメリカ(オバマ政権を含む)が核兵器の先制使用の可能性を否定しようとしない対象国がイランであり、朝鮮であるのです。付言すれば、本年4月にオバマ政権が核兵器使用に関する「消極的安全保障」政策を核態勢報告の中で公表した時、日本の政府、大手マスコミ、さらには広島の人びとを含め、これを積極的に評価しました。しかし、私は、被爆国・日本においてオバマ政権のこの政策を評価する声が上がること自体が異常だと思わざるを得ませんでした。なぜならば、オバマ政権は、これまでの政権同様、イラン及び朝鮮に対しては核兵器で戦争を仕掛ける政策を放棄しない、と明らかにしたのですから、「ノーモア・ヒロシマ」が否定されることとまったく同義だったからです。
その点を念押しした上でのことですが、イラン及び朝鮮からすれば、アメリカからいつ何時核攻撃されるか分からないという想像を絶する脅迫を受けているということです。このことを私たちが認識できないようであれば、私たちの想像力の絶対的貧困ということでしょう。朝鮮のテポドンや不審船だけでも大騒ぎする私たちが、もし仮にアメリカから「核攻撃の可能性を排除しない」と正面切って言われたら、それこそ大パニックに陥ることでしょう。イラン、朝鮮がその恐怖に対抗しようと思って必死にもがいて行き着いたのが核開発であり、アメリカが戦争を仕掛けてきたら、「かなわぬまでも核報復するぞ」と精いっぱいの虚勢を張っているのです(イランはまだそこまでも行っていませんが)。
私は、「社会主義=正義」「帝国主義=絶対悪」という1960年代の議論が今日でも有効だと言っているわけではありません。むしろ、国際社会の未成熟性故に、国際関係では権力政治(力による平和観)が横行している現実を直視しないものだけが、一方でオバマ政権の核兵器使用を含む「消極的安全保障」政策を積極的に肯定し、他方でそのアメリカに必死に身構えて核に頼らざるを得ない状況に追い込まれるイラン、朝鮮を悪者扱いするはなはだ筋の通らないアメリカ発の議論にだまされてしまうということを声高に言いたいのです。
私たちは、核兵器の非人道性、反国際法性を主張し、その法的規範性の確立を目指していくと同時に、国際社会の未成熟性の現実を踏まえた取り組みも同時に行っていく必要があると思います。具体的には、前者の立場から、イラン、朝鮮に対して核兵器開発を中止することを主張することはもちろんです。しかし、後者の立場を踏まえる時、イラン、朝鮮の政策を改めさせるためには、両国を核開発に追い込んでいるアメリカの核恫喝政策、そしてより根本的には核固執政策 (いわゆる核抑止政策)を改めさせ、断念させなければならないということが理解されるはずです。「いかなる国」問題は、以上の意味で今日なおその意味を失っていないと、私が考える所以です。
現時点で1960年代の「いかなる国」問題を振り返る時、当時は社会主義対帝国主義の次元云々でしか議論がなされておらず、私がここで提起しているような国際社会の未熟性という現実認識に基づく議論は一切なされていなかったと思います。私は、「いかなる国」問題について長い間引っかかるものを感じてきたのですが、「辛口提言」に対する共産党員の方の反応のお陰で、その引っかかりの拠ってくる所以を以上のように考えることができました。
最後にもう一つ附け加えておきたいことがあります。実は、1963年の原水禁大会当時に広島県原水協の責任者として正に渦中にあった方に最近お話を伺う機会がありました。その際、「いかなる国」問題と朝鮮の核開発問題とのかかわりについてご意見をお聞きしました。その方は、理論的にはともかく、広島の立場としては、あるいは運動としては、朝鮮のやっていることを肯定するわけには行くまい、と言われました。私は、肯定する、否定する(1961年のソ連の核実験の時のように)という次元の問題ではなく、当時の論争では「国際社会の発展段階という限界性を踏まえた議論がなされていなかった。しかし、今日の朝鮮の核問題を本当に解決する(朝鮮に核開発を止めさせ、朝鮮半島の非核化を実現する)ためには、アメリカの核政策を改めさせることが唯一でもっとも現実的な課題ではないでしょうか」と言いました。その方には言いませんでしたが、私の言いたかったのは、アメリカに核兵器を一切放棄しろと迫るのは非現実的ですが、朝鮮に核政策を改めさせようとするのであれば、まずはアメリカが韓国、日本に対する拡大核抑止政策を放棄し、朝鮮に対する核先制使用の政策を取り消すことが不可欠である、そしてその点で朝鮮がもっとも納得し、安心するのは、アメリカが朝鮮戦争の停戦協定を平和条約に変え、米朝国交樹立に踏み切ることだ、ということでした。要するに、道義的、法的な視点に立った方向性を追求しつつ、同時に国際関係の現実を踏まえることによって初めて現実的な問題解決の道筋が見えてくるということです。

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