オバマの核政策とヒロシマ

2010.04.03

*『週刊金曜日』(3月26日号)に掲載された文章です(4月3日記)。

――オバマのプラハにおける「核なき世界」の演説から、もうすぐ一年が経とうとしています。昨年は、日本国内でオバマに対する核軍縮の面での期待が非常に高まりましたが。
 振り返れば、日本国内での過度の思い込みにすぎませんでしたね。確かにオバマは「核なき世界」と述べ、「行動する道義的責任がある」とも言いました。しかし、この二つを結びつけて語っていたわけではない。しかも、一方で核兵器廃絶は「たぶん私が生きている間ではないだろう」とか、核兵器が存続する限り「米国はどんな敵をも抑止するために、安全で確かな効果的兵器庫を維持する」とも言っていた。挙げ句にその後、「核なき世界」はビジョン(つまり、政策ではない)と断りを入れる始末ですから。
――この演説があった後、ことし五月のニューヨークで開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて期待が集中しました。
 何か、「核なき世界」に向けて一歩が踏み出されるみたいなね。でもオバマ政権がこの再検討会議で重視しているのは「核廃絶」ではなく、「核不拡散」なのです。具体的にはイランと北朝鮮の「暴走阻止」であり、「テロリストに核が渡らないようにする」ということです。日本側のNPTに寄せる期待値と現実とのギャップはあまりにも大きいと言わざるを得ません。
――そのオバマですが、二月一日に発表されるはずだった『核態勢見直し』(NPR)の文書が三月一日に延期されるという発表があった後、なぜか異例にも今日まで動きがありません。政権内で、核政策をめぐる対立があるようですが。
 いや、米側報道を見る限り、根本的な政策対立ではなさそうです。オバマとしては「核なき世界」というビジョンと平仄が合うような内容を盛り込みたい。しかし国防総省は抑止力維持に万全を期したいという立場ですから、たとえば、核弾頭数の上限をいかに設定するかといった次元の、核兵器廃絶を立脚点とする私たちの視点からすると、抑止力堅持を前提にした意味のない議論をしているようです。
――そうすると、オバマは「ビジョン」らしきものはあっても、新たに盛り込むような独自の政策については乏しそうだと。
 現時点で言えるのは、議会に設置された超党派の「米国戦略態勢委員会」(ペリー委員会)が昨年五月に発表した報告書がNPR作成に当たって重視されており、したがってその報告書の内容から、基本的な方向性を窺えるということです。報告書では、米国による同盟国への「拡大核抑止」の重要性がことさらに強調され、またロシアと中国の「将来における国際的役割の深刻な不確実性」が指摘されています。そして、「核兵器を世界的に廃絶することを可能にする条件は今日存在していない」と断定しているのです。結局オバマ政権のNPRも、これにせいぜい少し色を付けた程度に落ち着くと考えられます。そのため、これまでの歴代政権の核政策と質的に大きな変化はないでしょう。
――当初期待されていたように、オバマの登場で何か核状況が好転するようにはなりそうもない。とすると、日本として核廃絶に向けた努力がこれから一層必要となりますね。
 私は、広島・長崎の声が日本の声になったとき、日本ははじめて国際的に極めて大きな影響力を発揮できると思います。かつてAP通信が一九九九年末に、世界三六カ国の主要報道機関七一社が選んだ二〇世紀の一〇大ニュースを報道しました。その第一位は広島・長崎への原爆投下であり、第二位がロシア革命、第三位がドイツのポーランド侵攻でした。私たちが二〇世紀を劃するそれほど重要な体験から学んだのは、「人類は核兵器と共存できない」という教訓であったはずです。
――憲法第九条も、この被爆体験によって生まれたという面が極めて強い。
   そのとおり。ですから、私たちがまなじりをけっして「核の傘」や「核抑止力」などという考えと決別し、「日本は平和に徹する。アメリカが率先して核兵器を廃絶することを求める政策を打ち出せば、国際社会を揺さぶるでしょう。各国からの大きな支持のうねりも巻き起こるはずです。
――こうした主張をすると、必ず「北朝鮮の脅威をどうするんだ」といった「反論」が出ます。
 他意(国民の目を欺く気持)あって言いふらしているなら悪質で許せないし、本気で信じているとしたら実に愚かですね。「朝鮮半島有事」とか「台湾海峡有事」といった類の主張は虚構であり、まったくのフィクションにすぎません。米国自身が先制攻撃の軍事行動を起こさない限り、こうした事態は起こりえないのです。確かに大手メディアを通じて拉致問題や核開発、ミサイル実験などを材料に、北朝鮮は「恐ろしい国」、「何をしでかすかわからない国」といったイメージが、民族差別意識も底流となって国民に植え付けられている。しかし米軍は過去に北朝鮮に対して原子力空母を意図的に接近させて威嚇しているほか、毎年のように実施している米韓合同演習も、北朝鮮にしてみれば自国への核攻撃訓練であり、それこそ国家存亡に直結する脅威なのです。国力がじり貧なうえにそこまで追い詰められたら、北朝鮮にすればハリネズミが針を逆立てるように、ミサイル実験や核実験で精いっぱいの強がりを示す以外、なすすべがない。
つまり、米国の先制攻撃を抜きにしてはあり得ない北朝鮮や中国の反撃を「脅威」とあげつらうなどという話は、米日軍事同盟の侵略性を覆い隠すための虚構の最たるものです。
――中国にしても、他国と戦争しなくてはならない理由がないですしね。一方でこうした悪質なデマが横行しているという現実もありますが、やはり「ヒロシマ・ナガサキの被爆体験」の風化も否定できないのでは。
 おっしゃるとおりだと思います。それを強く感じたのは、例の「核密約問題」の「有識者委員会」の三月九日に発表された『報告書』をめぐる報道でした。そこでは、意図的に広島・長崎、そして非核三原則が国民の総意に基づいてできた歴史的重みが無視されている。しかもこれを大きく報じた翌日の各紙朝刊には、政府寄りの人物の発言が大半で、広島や長崎の声を代表するのは皆無でした。のみならず、『報告書』に先だって、広島・長崎の二九人の連名で「日本政府が非核三原則を厳守・法制化し、核兵器廃絶の先頭に立つことを求める声明」を発表しましたが、中央のメディアに完全に無視されました。政府四首脳、全国会議員、メディア各社には、ちゃんと送付したのですが。
――そもそも「核密約問題」とは、非核三原則を唱えながらも裏でそれを破ろうとしたから起きた。そして非核三原則とは、広島・長崎の体験によって生まれたはずです。
 自民党時代の五十数年間に、ひたすら「ヒロシマ・ナガサキの被爆体験」の風化が図られました。「人類は核兵器と共存できない」という立場は日米安保のもとで米軍の核兵器の「傘」に入るという政策とは両立し得ない邪魔者以外の何ものでもなかったわけですから。それでも一九五四年三月一日のビキニ環礁における第五福竜丸の被爆事件は広島・長崎の原爆投下を思い起こさせ、二〇〇〇万筆を超える核廃絶の署名が集まった。自民党政府も米国も、国民のこうした「反核感情」を到底押さえ込むことができなかったのですね。だからこそ自民党政府も、非核三原則が「国是」であると言明せざるを得なかったのです。
――非核三原則は、本来なら「核の傘」と絶対に相容れないにもかかわらず。
 非核三原則を自ら提起した佐藤栄作元首相が後に「非核三原則は誤りだった」と述べています。例の「東郷メモ」にも書かれていますね、「国際情勢の変化が無く、国民の感情が有る限り、このまま(密約)でいくしかない」と。裏を返せば、「反核感情」が変わるならば、米国や自民党政権にとってはチャンスだと、彼らは考えているということです。実際、「北朝鮮脅威」論がここまで横行してくると、「核抑止」のために核搭載艦船の寄港は認めるべきだとする「非核二・五原則」論がさらに台頭しかねません。
――昨年の政権交代後、鳩山由紀夫首相は国連で、「非核三原則は堅持する」と演説しましたが。
 民主党の安保政策には、最初から期待はできないと思っていました。自民党とまったく同様に、「非核三原則」を唱えながら、「日米同盟の深化」とか「核抑止」を口にし、その理由としてやはり「北朝鮮の脅威」を挙げている。政権をとる前からこうでしたね。案の定、与党になっても小泉・ブッシュ時代の「2プラス2」(注=日本の外務大臣と防衛長官、米国の国務・国防両長官)の協議で合意された「朝鮮半島有事」「台湾海峡有事」について、丸ごと受け入れる姿勢です。結局は、米国の核抑止政策肯定なのです。岡田克也外相に至っては、三月一七日の衆議院外務委員会で、「有事には核持ち込みもありうる」と答弁しました。自民党時代ですら、こんな発言はなかったのです。しかも、これほど重大な答弁を報じた中央メディアの批判論調が皆無であったのも、空恐ろしい気がします。
――すると例の「事前協議」の問題も、自民党時代と変わらないと。
本来なら、米軍艦船の入港問題については、日本側から事前協議を提起するべきではないか。米側が「核の有無については肯定も否定もしない(NCND)」と答えたら、「答えないなら入港できません」と言えばいい。日米同盟にしがみつく人々は、「そんなことをしたら、米国は安保条約を破棄して、米軍を撤退させかねない」と大袈裟に騒ぐでしょう。しかしその時は、「どうぞお引き取りください」と返答する。米国にとって、日本列島の基地なくして世界戦略は成り立ちません。中東でも中央アジアでも戦争ができなくなる。それほど重要な場所から撤退できるわけがないのですから、米国も非核三原則を受け入れるしかない。仮にNCNDにこだわって米軍を引き上げるとすれば、それこそ米国の伝統的な権力政治の見直しにつながるわけで、国際平和につながりますよ。要は、私たちが本気で核廃絶を決意するか否かがポイントなのです。

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