「4年ごとの国防見直し」(QDR)報告等

2010.02.08

*2月1日に公表された米国防省の「4年ごとの国防見直し」(QDR)報告は、オバマ政権の安全保障政策を見極めるうえで重要な手がかりを与えるものとして、私も心待ちにしていました。しかし、QDRを読んだうえでの率直な感想を述べるならば、「イラク・アフガン戦争への対応に手一杯で、腰を入れた国際情勢分析もままならないままに、本格的な戦略方針も打ち出すことができないままに終わった中途半端な報告」という評価は免れないと思います。
しかし、そのことは、オバマ政権のもとでのアメリカの軍事戦略がブッシュ政権時代よりも危険性が低くなったということでは決してありません。むしろ、QDRから見えてくることは、オバマ政権の軍事戦略がブッシュ政権時代と本質的に変わりない侵略性を特徴としているということです。
QDRとともに、「弾道ミサイル防衛見直し」(BMDR)報告も出されましたし、「核態勢見直し」(NPR)報告も近い将来に出される予定であり、三者をまとめて検討を加えた方が良いとも思いますが、とりあえず、QDR及びBMDRについて主な気づきの点を書きとめておこうと思いました(2月8日記)。

1. 脅威・国際環境に関する認識の不明確性・曖昧性

 まず指摘しておかなければならないことは、脅威の所在すら明確にすることができないまま「国防を見直す」という、きわめて不可解なQDRだったということです。脅威認識のような軍事・安全保障戦略の根幹にかかわる事柄は当然QDRで正面から扱うべきですし、今回のQDRで素通りということではないのですが、以下に書きますように、これまでのQDRと比較しても、「脅威」(その言葉自体定義を与えられることなく、また他の「潜在的敵」というような言葉と相互代替的に使用されている)に関してきわめて曖昧な叙述しかなく、これでは、オバマ政権の国際観、安全保障観そのものが「砂上の楼閣」ということになりかねないということです。  脅威認識だけではありません。国際環境をどのように認識するかという根本問題においても、QDRは判断を下せないでいます。そのことは、冒頭の「要旨」における最初の見出しとして「複雑な環境」(*)が出ていることに反映しています。そこでは、「アメリカは、変化のペースが加速し続ける複雑で不確実な安全保障環境に直面している。世界の政治的、経済的及び軍事的力の分布はますます拡散している。世界最大の人口を持つ中国及び世界最大の民主国であるインドは、もはや簡単には定義できない国際システムを形成していくだろう。この国際システムにおいては、アメリカは最も強力なアクターではあるが、安定及び平和を維持するためには、主要な同盟国及び友好国に依存する度合いを高めざるを得ない。」という認識が正直に表明されています。

(*)本文では、「複雑で不確実な安全保障環境」として、①新しい大国の台頭、②大量破壊兵器(WMD)その他の破壊的技術の拡散、③一連の持続的に台頭する社会経済現象の三つが挙げられています(p.1、PP.5-9で更に詳しく扱っています)。

 もちろん、脅威などありはしないのだという認識にオバマ政権が立つとしたら、それはそれで一つの優れた見識ですし、それこそ、「力による平和観」(権力政治)との決別につながる契機を含むものとして、私のようなものからすればきわめて重要なことだと思うのですが、今回のQDRはそういうきっぱりした認識の転換を行っているということではまったくありません。要するに中途半端なのです。

2. 国際関係の性格に関する伝統的認識の復活

 この曖昧さは、オバマ政権が今地球上を支配している国際関係の性格を、米ソ冷戦時代のアメリカ国際政治学において多用されていた「国際システム」(the international system)として捉えていることと無関係ではないと思います。
『丸山眞男集』を読んでいる中で気がついたのは、丸山が『「国際社会」(the international community)』とわざわざ英語を付している個所があったことでした。ということは、丸山はかなり早い時期から、「国際社会」にあたる英語表現が’international community’であると認識していたことを示しています。私は正直それほど多くの国際政治学の原書を読んではいないのですが、私の限られた知識からいいますと、米ソ冷戦終結までのアメリカの国際政治学においては、日本語の「国際社会」にあたる個所を’international system’というケースが多いという印象であり、’international society’という表現には出会った記憶がありません。そして、ヘッドレー・ブルを筆頭とする(ブルが師としたワイト(Wight)はsystemとsocietyの使いわけはしていなかったと思います)イギリス国際政治学において比較的早くから’international society’という捉え方をしているという印象です。別の観点から言い直すと、アメリカ国際政治学では、’international system’、’international community’という捉え方はあるけれども、’international society’という捉え方はないという印象が強いのです。
あまり些細なことにこだわりすぎているのではないか、というお叱りを受けそうですが、私は、ブルの”The Anarchical Society”に影響を受けているせいか、アメリカ国際政治学とイギリス国際政治学との間における以上の捉え方の違いには、国際関係の本質の捉え方における重要な認識の違いがあるという印象を強く持っています。つまり、ブルなどのイギリス学派は、多様な価値観の国家を成員(メンバー)とし、外交、国際法、戦争、バランス・オブ・パワーなどの最小限のルールで成り立つ国際「社会」の存在を認める立場です。そこでは、特定の価値観が成員資格を規定するということはあり得ませんし、したがって、「ならず者国家」などという範疇は出ようがありません。価値観を異にする国々の間でも、外交、国際法などによって関係を規律するという思考が貫かれることになるのです。
しかし、アメリカ国際政治学においては権力政治(パワー・ポリティックス)的国際観が支配的ですから、外交、国際法、戦争、バランス・オブ・パワーなどの一定のルールの存在・働きをまったく無視するわけではないけれども、それらによって国際「社会」が成立しているとまでは考えず、国家のエゴ(実力)が最終的かつ基本的な原理として働いた米ソ冷戦時代のように、国家間に存在するのはせいぜい力を最終的よりどころとする国家「システム」程度のものだ、ということになります。
丸山が国際政治学を「夜店」的に扱った1940~50年代の状況がどうだったのかは不勉強でまだチェックしていませんが、米ソ冷戦終結を受けて「西側」的価値観が勝利を収めたと俗的な受け止め方が大方の国際観の形成の基礎に座るようになってから、その価値観の共有に基づく国際「共同体」という概念が一気に国連及び国際政治学の著作、さらにはジャーナリズムなどにおいて頻繁に使われるようになりました(日本の外務省では、日本語としては「国際社会」を使い、英語ではわざわざ’international community’を当てています)。クリントン及びブッシュ政権においては、アメリカ及びアメリカと価値観を共有する国々が圧倒的になったという前提のもとに「国際システム」に代えて「国際共同体」という表現を押し出してきたのです(そういう「国際共同体」に敵対するイラン、イラク、朝鮮などは「ならず者国家」として扱われるわけです)。
今回のQDRでも、アメリカ及び同国と価値観を共有する国々を一体として表す際に「国際共同体」という表現を用いている個所は散見されますが、基本的には「国際システム」という表現へのこだわりが見られます。両者の明らかな使いわけ(本文pp.9-11参照)から見て、QDRが’international system’を気まぐれに使っていると見過ごすことはできず、オバマ政権の伝統的な国際観への復帰の反映と見るべきでしょう。単純にこのことからオバマ政権の国際観がどういうものかを見極めることは無理ですが、しかし、今後のオバマ政権の対外政策を眺める上で常に考慮しなければならないポイントの一つではあると思います。

3. アフガニスタン戦争に忙殺されて長期的視野に立つ余裕がないQDR

 脅威認識・国際観が明確さを欠き、曖昧であるということは、今回のQDRが自ら認めるように、「アメリカは戦時にある国家である」(要旨)という認識、したがって2010QDRは、「今日の戦争でアメリカ軍が優位に立つ能力と将来の脅威に対抗するために必要な能力を構築することとのバランスをとること」及び「戦闘員が緊急に必要とするものの支援を向上するよう国防省の制度とプロセスを更に改善すること」を「二つの明確な目標」としていることに端的に表される中長期的視点に目を配る余裕を欠いていること(同じく要旨)の反映でもあるということです。アフガン戦争は今や明確に「オバマの戦争」になっていますが、2010QDRそのものがアフガン戦争への対応に大半を費やすという内容になってしまっており、「対テロ戦争」を呼号したブッシュ政権時の二つのQDRと比べても、中身の薄っぺらさが際だっています。

4. 世界の「力の支配人」の立場への固執

 ところがQDRは、アメリカが世界の「力の支配人」であるという立場には相変わらずしがみついているのです。それは、「要旨」の二番目の見出しが「アメリカの世界的役割」となっていて、次のような叙述が行われていることに端的に見られるのです。

 「アメリカの利害は、国際システムの統合及び活力に分かちがたく結びついている。これらの利害とは、なかんずく安全保障、繁栄、普遍的価値の尊重及び協力的行動を促進する国際秩序である。(中略)世界におけるアメリカの利害と役割にとり、絶対的な能力を持つ軍事力並びに我が国の利害及び共通善を防衛するためにその軍事力を行使する用意とを必要としている。アメリカは、はるか遠方まで大規模な作戦を行使し、維持できる唯一の国家だ。この独特な立場により、歴史、決意及び状況に基づく、責任ある力及び影響力の支配者たる責任が生まれる。」

 そういう立場からの国防戦略は、基本的にブッシュ政権時代の内容と大差がありません。アルカイダを筆頭とするテロリストとの闘いを相も変わらず戦争の範疇で扱っていますし、「核兵器のない世界」は目標にしか過ぎず、その目標が達成されるときまでは「核能力は、国防省の中核的任務として維持される」(要旨)と明記しています。また、抑止が失敗したときには実力で対応すること(本文では先制攻撃に訴える可能性を明記)、二正面作戦で勝利する軍事力を維持すること、紛争を抑止し、防止する上での軍事同盟関係の重要性(その関連では、前方展開態勢及び基地インフラ-アジアへの前方展開及び在日米軍基地の強化と関連してはp.33、p.34、pp.63-66の記述にも要注目-を強化し、海外展開兵力のプレゼンス及び即応力を高める重要性が指摘されていることは、日米軍事同盟の再編強化との脈絡で捉える必要があるでしょう)なども指摘されています。
 対日関係では、「日本における米軍の長期的プレゼンスを保証し、アメリカの最西端の主権的領土であるグアムをこの地域における安全保障活動のハブにする双務的な再編ロードマップ合意を実施するだろう」(p.66)という記述があることも見逃せません。沖縄ではなくグアムを「ハブ」にすると明記していることは、沖縄の米軍基地の扱い、ひいては在日米軍基地のあり方を考えるうえでも、従来の硬直的な考え方に固執することへの再考を迫る客観的な意味を持っているのではないでしょうか。

5. 核抑止戦略

 QDRは、核抑止戦略についてはNPRで別個に扱うとしています(p.17脚注参照)が、まったく言及していないわけではありません。例えば、「紛争の予防及び抑止」(pp.13-15)では、核兵器について次のように述べています。拡大核抑止が明確に含まれています。特に日本及び韓国に対する拡大抑止については別の箇所にわざわざ記述があります(p.66参照)。

 「核兵器のない世界という平和及び安全を追求しつつ、アメリカ及び同盟国の利害と合致する最低限のレベルで安全、確実かつ効果的な核兵器庫を維持すること。
 アメリカの防衛コミットメントを確実に保証するには、抑止力に対する周到なアプローチが求められる。その周到さには、潜在的敵(個人、組織、国家を問わない)の能力、対象、意図及び政策決定に関する透徹した理解が必要となる。…アメリカ、同盟国及び友好国に対する攻撃を抑止するため、我々は安全、確実かつ効果的な核兵器庫を維持する。(中略)
 同盟国及び友好国に対するアメリカの誓約を強化するため、我が前方プレゼンス、従来型能力(ミサイル防衛を含む。) 及び核抑止を拡大する誓約を結合する、新しく、周到で地域的な抑止の仕組みを、これら諸国と緊密に協議する。…」(p.14)

6. BMDW

 BMDRの作成は、今回が初めての試みであり、議会によって授権され、大統領の指令に従って作られたものであるということです。ここでは、箇条書きに、私の気づきの点だけを記します。
-弾道ミサイル防衛(BMD)は、イラン、朝鮮のようなBMの保有数が少ない国々を対象にしたものではないと盛んに力説しており、警戒感を高めるロシア、中国に対しては、アメリカ、日本などが配備するBMDの規模が小さいことから脅威にはなり得ないという論法で懸念を和らげようとしていますが、ロシア、中国にとっては到底説得力がないでしょう。
 特に中国との関係では、露骨に台湾海峡有事に言及していますから、中国としてはますます警戒心を高めるほかないでしょう。台湾海峡有事に関する記述は次のとおりです。
 「特にアメリカにとって関心がある地域的傾向としては、台湾海峡をはさんだ力関係が中国に有利になりつつあることだ。中国は、その隣国に脅威となる先進的なBM能力と地域の海軍力を標的にしうる対艦BMを開発している。(中略)中国のミサイルは、台湾の重要な軍事及び民間の施設だけではなく、地域におけるアメリカ及び同盟国の軍事施設にも到達できる。」(p.7)
-BMDRが主要な対象としているイラン及び朝鮮がどのような場合に無謀を極める対米(対日本など)ミサイル攻撃に踏み切るのかという点については、まったく分析、説明、解説がありません。そこでは、次の一文があるだけです。
「抑止力は強力な道具であり、新たな脅威に対して、アメリカは抑止力を強化しようとしている。しかし、強力な攻撃的な対応という脅迫による抑止だけでは、政治軍事的危機の時に、これらの国々に対しては効果的ではないだろう。危機を顧みない指導者は、ミサイルで危害を加える能力を誇示することによって勝負をかけることができるならば、アメリカとの対決にも臨むことができると結論を下すかもしれない。したがって、アメリカのミサイル防衛は、地域的な抑止力を強化することに不可欠である。」(p.7)
ちなみに、台湾海峡有事に関する文章は、以上のくだりに続いて出てくることを指摘しておきます。
-BMDに対するアプローチは、NATOの枠組みの中で進める欧州と個別(二国間)で進める東アジトでは違っており、日米間の協力の進展が特筆大書されています(pp.32-33)そして、「この共同開発計画は、重要な技術協力分野であるだけにとどまらず、地域的安全保障を強化する高次元の運用協力の基礎でもある。米日パートナーシップは、地域における固有の脅威及び能力に対する段階的適合的なアプローチを仕組むための傑出した例である。」と評価されています。
 このような記述を中国側はどのように受け止めるでしょう。すなわち、BMDに関する日米協力は、台湾海峡有事に備えるためのものであり、中国としては、BMDを含む日米軍事同盟が中国に対して向けられたものであると受け止めるほかないでしょう。私たちは、「北朝鮮脅威論」でごまかされていますが、正に「敵は本能寺」なのです。

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