障害者自立支援法違憲訴訟「基本合意文書」

2010.01.24

*昨年(2009年)12月9日に障害者自立支援法訴訟全国弁護団長の竹下義樹弁護士を講師に招いた「障害者自立支援法訴訟勝利を目指す広島の会」の学習会が開かれた時の問題(唐突な「政府との基本合意文書(案)」に関する私の問題提起)については、この「コラム」で記しました。本年に入ってすぐの1月7日に、「障害者自立支援法違憲訴訟で原告団・弁護団と国の基本合意文書」が交わされたことはメディアでも報道されましたので、御承知の方もおられると思います。1月8日付の新聞『赤旗』によれば、この合意を受け、「原告団は訴訟の終結を表明」したとのことです。
また、それに先立つ本年1月6日には、翌7日の原告団及び弁護団と政府との交渉(話し合い?)を前にして緊急に開かれた広島の弁護団と「障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会」有志、原告の一人である秋保夫人との協議があり、私も出席して、その際に昨年12月9日の時点では分かっていなかったいくつかの事実関係を知るという経緯もありました。
そういう経緯を踏まえ、また、広島の「勝利をめざす会」の代表世話人をお引き受けしてきた従来の行きがかりにも鑑み、上記「コラム」での私自身の発言について検証を加え、現在の私自身の認識を明らかにしておく責任・義務があると考える次第です(1月24日記)。

1.1月6日の緊急協議で分かった事実関係

 12月9日の学習会での竹下弁護士以下の、国(厚生労働省)との和解を是とする、原告の気持ちをおもんばかることなく弁護団の立場を一方的に「押しつける」(としか私には映らなかった)意見表明に大いに憤慨した私でしたが、この日の話し合いを通じて分かったことは、国との交渉には秋保さんをはじめ原告側からも出席があり、国との「基本合意文書」(案)の内容は原告たちも了解しているということでした。したがって、12月9日に私が「原告の気持ちはいかばかりか」と憤激したのは私の思い過ごしであることが分かりました。
 ただし、1月6日の話し合いを踏まえてもなお、私には以下の疑問がくすぶっていることをはっきりさせておく必要があると感じています。
第一、 基本合意文書の内容及び1月7日に国と正式に合意することについては、秋保さんご自身、広島の弁護団さらには「めざす会」の人々を含め、決して100%納得しているものではない、ということが伝わってきたということです。
第二、 特に、私がその場で何度も指摘したように、障害者自立支援法の応益負担を撤廃することを国が約束するというが、応益負担制度は介護保険、高齢者医療保険制度、保育等々社会保障制度全般に国側が持ち込もうとしている大原則であり、障害分野にだけ異質な制度を適用するということが本当にありうるのか、という疑問が残ることです。
第三、 第二のこととかかわりますが、国にとっては障害者自立支援法違憲訴訟の運動がこのように全国規模で広がったことに対して危機感を持ったに違いなく、放っておいたらそれこそ社会保障制度における応益負担制度そのものが揺らぐ事態になりかねないので、傷を最小限度に押さえ込むために障害分野だけに譲歩をすることで応益負担制度の大枠を無傷に保つという戦略的考慮が働いたのではないか、ということです。
第四、 それに対して、そもそも今回の訴訟において「めざす会」を立ち上げたのは、障害者という垣根を越えて、社会保障全体の応益負担制度にメスを入れる広範な国民的な運動を視野に入れるということではなかったのか、ということです。今、国側から話し合い解決の誘いがあり、それに応じるということは、せっかく盛り上がりつつある国民的な運動の広がりの火の手に対して自ら水をかけてしまうことになってしまう、ということではないでしょうか。
 以上の疑問点を提起したうえで、しかし私は、秋保さんたち原告が基本合意書を国と結ぶことに賛成しているのであれば、そのことに反対することはできないと考えた次第です。

2.「基本合意文書」と原案(昨年12月9日時点での案文)との対比

 国との基本合意文書ができてしまった以上、その内容に対して一つ一つコメントすることは控えますが、私の強い印象としては、12月9日に私たちに示された案文とくらべても、最終文書の内容はさらに後退(国側に譲歩する形で)しているという印象が否めない、ということは指摘しておきたいと思います。もちろん、素人の私の読み方が間違っている可能性は十分ありますが、私がもっとも引っかかったのは、基本合意文書が原告団・弁護団と国(厚生労働省)との間のものとなっていることです。これに対して、この基本合意文書に付属する国に対する「要望書」は、「障害者自立支援法訴訟団」名で出されています。そして注記があり、それは原告団、弁護団及び「めざす会」の三者で構成されるとなっています。
 つまり、この訴訟を、障害者自立支援法を含む社会福祉制度の根本的あり方を改めさせる国民的運動の一環と位置づけて結成された「めざす会」は、基本合意文書の当事者から外されているということです。このことは、以下に述べますように、私にとって、「歴史は繰り返す」という思いを呼び覚まさずにはいられないことでした。

3.「きのこ会」の闘いとの類似性

 私が「歴史は繰り返す」という思いを強くしたのは、原爆小頭症の人たち(「きのこ会」)に対する国家補償を要求した1960年代の運動との間に強い類似性を感じたからです。当時の国側は、原爆小頭症患者の数が少ないということで、その「救済」に前向きに取り組み、運動はその要求を実現したことにはなったのです。しかし、きのこ会の運動を推進した関係者の気持ちは極めて複雑なものがありました。私は、今回の基本合意文書を見て、当時の関係者の発言をまざまざと思い出した次第です。それらの発言を紹介することで、私の今の問題意識を皆さんにも推察していただきたいと思います。今回の場合、原告団と弁護団は、いわゆる「物取り主義」に終わってしまったのではないか、それだけでは日本社会を根本的に変えるエネルギーとはならないのではないか、それが私の根本にある問題意思です。

秋信利彦(浅井注:当時中国放送記者で、東京在任、当時の厚生省と交渉した当事者)-1970年「きのこ会」会報No.6-

 「行政の枠から切り棄てられていたときには、冷淡な政府に対する怨みは執念と化したエネルギーとして15000円をひき出してきた。しかし、それを手にしたとき、行動のエネルギーとしての執念は変質してしまった。…
  原水爆禁止運動の枠のなかにいる人が、私たちの運動をさして、ものとり主義という名でよんだことがある。確かに、相手の土俵にのぼり妥協しながらでも何か具体的に獲得していくという方法をとったものだから、そう呼ばれても致し方ない面もある。しかし、わたしたちは、わたしたちがひとつずつ獲得していくなかで、現体制のなかの矛盾を露呈せしめていくというかたちでなによりも庶民の肌で、生活の場としての社会のもつ不条理、社会を運行する行政のひずみ、それらを含めて体制と呼ばれるものの正体にふれてきた。…確かな手応えのうえでともかくも5年間、まとまって活動してきた「きのこ会」が、理念的な次元でどう運動を展開していくのか…」

大牟田稔(浅井注:当時中国新聞記者。きのこ会の活動を支援)-1970年9月雑誌『未来』48号-

 「私の関心は胎内被爆と胎児性水俣病が“十字架の共通項”で結ばれる点に集っていた。また水俣病被害者が訴訟派と一任派に不幸な分極を起している点も、広島で被爆者団体が政党系列下で分裂している点と、現象的には似通っていると言えなくはない。それは日本の支配層が庶民を如何に欺瞞し、操作しているかということと同時に、日本の戦後史のなかでの民衆運動の脆弱な部分や、組織理念の未成熟な部分を露呈したものとして、やはり共通項があるように私には思えるのである。…
  夏が近づくと、ヒロシマに関する論評の類が次々に発表される。しかし、それらは、被爆体験という一つの固有の面からのアプローチではあっても、人間としての原存在から、核時代というとらえ方であれ、高度文明時代というとらえ方であれ、それらを包括した“現代”を告発する論理にまでは高まっていないように思われる。そして、そのことはヒロシマをますます特殊に狭めてはいないだろうか。…現代において原爆被災、公害は、それに当面する人間にとっては固有だが、その固有さが却って、原爆は例えば広島・長崎で、公害は例えば水俣や四日市で、といった具合にそれぞれ専門化し、独立化してしまって、それぞれが共通の根を見失う結果を招いているように思える。それは、裏返せば庶民が固有の問題ごとに巧みに分断され、孤立させられていることを意味すると、言えないだろうか。」

山代巴(浅井注:作家できのこ会の運動の精神的支柱だった)-1972年「きのこ会」会報No.8ー

  「我々の運動は8月が近づくと夏の夜空に色どられる花火のようにパッと燃えてはスーッと消えて行く一時的なはかないものであってはならない。(略)立ち上がろうよ子孫のために、血涙もって訴えるような世界平和と人類の幸福のために。追求し要求しようよ、日本政府が果たさなければならない被爆者への責任と、吾等が生きる権利のために。…
  広島で原爆に会うのも宿命なら、小頭児として生まれて来なければならなかった百合子も宿命であり、その子を持つという親も又その家庭へ姉妹として生まれて来た子供達もみんな大きな宿命を持って来ているのである。我々が、幸せになるためには、そうしたあらゆる宿命から生じる難を一つ一つ打開し、一歩一歩幸福へ前進して行く以外にない。そのためには先ず自分自身の革命からおこなっていかなければならない。…
  きのこ会の補償要求は戦争責任の追及なのですよ。戦争責任を問わずに核兵器の禁止はできんでしょう…。
  (きのこ会の生みの親でもある広島研究の会がめざしたのは)被爆者といえどもその平和要求の一番の砦は、自己の内面の革命で、このためには互いが実践し討論し、新しい自分、新しい相手を発見しつつ、連帯していくことだった。…ところがこれは抽象の世界での共通で、実践に移した場合には、この共通の言葉を、ある者は祈ればよいというようにも受け取り、ある者は古い日本人のままの努力を重ねて行き、ある者は古い日本人のままの努力に正面からぶつかり、あの侵略戦争の反省が行動の基礎であるというように受け取る。実践すれば必ずこの対立が起ってくる。そこから分裂と云うことも起きて来る。分裂せずに互いの内面の革命を助け合い、連帯を保って行くということは、大変むつかしいことなのだ。きのこ会がこの困難にかって一度もぶつからなかったということは、互いの内面革命の面は、実践の上での連帯へは向はず、抽象のところに止めて、今日までの連帯を保って来た証拠といえるのではなかろうか。…(浅井注 問題提起①:なかま・組織内部の切磋琢磨の必要性)
 「水俣病などの公害をもたらすものも、原爆をわたしたちの上におとしたものも、結局はその正体は同じなのだというところになかなか到達しない。そうならなければ「きのこ会」のこれからの運動の発展はないのだが。」(浅井注 問題提起②:権力に対する人間の尊厳・人権確保という共通項での連帯・共同の重要性)
  (なにか事が起きたときに)決然と人権の側に立つこと、人権の側に立つ訓練を積み重ねること(が「おっくう」退治の原点ではないか)」

大牟田稔-雑誌『軍縮問題資料』1996年8月号-

 「計画を立てながら果たせなかったのは水俣病患者、とりわけ胎児性水俣病患者との提携・交流だった。水俣の場合は平時災害で、戦争被害の広島・長崎とは全く異なるが、科学技術の発展が築き上げた現代文明の暗部、あるいは現代文明がもたらした負の部分である点は共通項がある。親たちの苦しみには共感可能な根があるはず、理解を深めるために交流したいと事務局は水俣で一人芝居に取り組む砂田明(故人)と話し合ったが、結局、会内部の“ヒロシマ意識”は予想外に固く、実現しなかった。
  知的障害や身体障害をもつ子ども、その親たちとの連携も話題にはのぼっても実現はしなかった。「きのこ会」のある親は「原爆にこだわる気持は理解できるが、子どもの将来を思ったとき、一般の知的障害者や身体障害者ととけ込む場を親がつくってやらねば……」と、あえて原爆への思いを傍らへ置いて、子どもを早くから作業所へ通わせた例もあるが、会の大勢としては、団体としての歴史も古く組織も大きい一般知的障害者(身体障害者)との提携には気遅れを感じているのが実情である。」

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