民主党政権の日米安保・核政策 -「非核3・5原則」の詭弁-

2010.01.23

*1月19日が改定日米安保条約調印50年ということで、鳩山首相が談話(以下「談話」)を出し、日米安保協議委員会(2+2)は共同声明(以下「共同声明」)を出し、朝日新聞は長島昭久・防衛政務官が岡本行夫(外交評論家)及び山口昇(防衛大学教授)両氏と行った対談(以下「対談」)を掲載(1月19日付)しました。それらを総合してみることによって、民主党政権の安保・核政策の輪郭が浮かび上がってきた、と言えると思います。それは、談話と共同声明により、①ブッシュ・小泉政治のもとで推進された日米軍事同盟の再編・強化の結果を全面的に受け入れ、継承する、②アメリカの拡大核抑止力(「核の傘」)に依存する自民党政権の政策を忠実に踏襲する、ということが明確になったこと、またそのことを基礎に対談を見ると、③非核三原則については、民主党政権としては、核密約をそのまま維持する(それは政治的に不可能)のではなく、「定義の明確化」(長島氏)という口実(癖玉の変化球)に訴えることによって核密約の実質(アメリカ艦船等による寄港・立ち寄り・領域通過-いわゆるトランジット-を認める)を維持する、ということです。私たちとしては、自民党政権の政策を全面的に踏襲することが民主党政権の安保・核政策の本質であることを速やかに(ごまかされないで)認識し、そういう政策を許してはならないことをしっかり認識することが求められていると思います(1月23日記)。

1.鳩山首相談話

鳩山首相の談話の日米安保・核関連部分は次のとおりです。

 我が国をとりまく安全保障環境は、北朝鮮の核・ミサイル実験に見られるよう厳しいものがあります。こうした中、現在及び予見し得る将来、日米安保体制に基づく米軍の抑止力は、核兵器を持たず軍事大国にならないとしている我が国が、その平和と安全を確保していく上で、自らの防衛力と相俟って、引き続き大きな役割を果たしていくと考えます。

 この部分から次のポイントを読みとることができるし、また、読みとる洞察力が求められていると思います。
談話は、国民に植え付けられてきた「北朝鮮脅威論」を利用するべく、北朝鮮の核・ミサイル実験をことさらに取り上げることによって日本を取り巻く安全保障環境が「厳しい」という判断があたかも自明であるように提起しています。この判断自体を批判する目を持たないでいると、日本自らは核兵器を持たないのだからアメリカの核に頼るほかない、という談話のロジックにまんまと乗せられてしまいます。鳩山首相のホンネとしては、朝鮮の核兵器ではなく中国の核兵器を持ってきたいところでしょうが、今や日本経済の頼み綱にすらなろうとしている中国を正面切って「脅威」と決めつけるのにははばかりがある(アメリカも対中考慮から望まない)し、「北朝鮮脅威論」は、横行する「北朝鮮バッシング」で国民の頭の中に染みこんでいるから、それをふんだんに利用しようということです。
談話は、「日米安保体制に基づく米軍の抑止力」とサラッと言っていますが、ここでいう「抑止力」には、わざわざ言わない(そこがまたミソ)けれども、当然核抑止力が含まれているわけです。なぜならば、「北朝鮮の核」という「厳しい安全保障環境」に対抗するためのアメリカの「抑止力」である以上、「核には核」という意味が当然込められているからです。
鳩山首相が日米安保肯定・支持の立場から国民に対して誠実に議論するのであれば、「朝鮮のなけなしの核兵器に対する抑止力としては、米軍の圧倒的な非核戦力で十分すぎておつりが来る」ということを認めるべきです。けれども、アメリカの「核の傘」を正当化することが眼目の一つなので、そんな律儀な議論をする気持ちはさらさらないということです。こうして談話は、「核の傘」の必要を明言せずして、自民党政権の安保・核政策を忠実に踏襲する、という実を取っていることが明らかです。

2.日米安保協議委員会の共同声明

 安保・核関連部分の共同声明では、次の2個所が要注目です。

 この地域(東アジア)における最も重要な共通戦略目標は、日本の安全を保障し、この地域の平和と安定を維持することである。日本及び米国は、これらの目標を脅かしうる事態に対処する能力を強化し続ける。日本と米国は、北朝鮮の核・ミサイル計画による脅威に対処するとともに、人道上の問題に取り組むため、日米で緊密に協力するとともに、6カ国協議を含むさまざまな国際的な場を通じて日米のパートナーとも協力している。閣僚は、中国が国際場裏において責任ある建設的な役割を果たすことを歓迎し、日本及び米国が中国との協力関係を発展させるために努力することを強調する。(中略)
 閣僚は、グローバルな文脈における日米同盟の重要性を認識し、さまざまなグローバルな脅威に対処していく上で、緊密に協力していく決意であることを改めて確認する。日本及び米国は、必要な抑止力を維持しつつ、大量破壊兵器の拡散を防止し、核兵器のない世界の平和と安全を追求する努力を強化する。

今回の共同声明の最大のポイントは、2005年2月19日に小泉政権の自民党政府がブッシュ政権のアメリカ政府との間で行った日米安保協議委員会(「2+2」)の「共同発表」の中身を全面的に確認しているということです。この共同発表がスタートとなって、60年安保を変質させるその後の日米軍事同盟の再編強化が行われることになったわけですから、今回の共同声明は、鳩山政権の民主党政府とオバマ政権のアメリカ政府がブッシュ・小泉政治を全面的に継承することを確認したということがもっとも重大な点です。端的に言えば、日米安保関係に関する限り、日本における自民党から民主党への政権交代及びアメリカにおけるブッシュ(共和党)からオバマ(民主党)への政権交代は、何らの変化を持ちこむのではなく、その全面的継続・一貫性が明確に確認されているということです。 したがって、安保・核政策に関する限り、民主党政権に対して何らの幻想も持つべきではないと思います。一部には、社民党との連立政権だから、こういう決めつけはおかしいという批判がありうると思います。しかし、前の談話及びこの共同声明には、社民党の主張のひとかけらも反映されていない-そもそも、社民党がどこまで明確な安保・核政策を持っているかについても、私自身は納得していませんが-ということは誰も否定することはできないと思います。
本論からは外れますが、共同声明の朝鮮、中国に関する言及についても一言しておく必要を感じます。
共同声明は、談話と平仄を合わせて「北朝鮮脅威論」を全面に押し出しています。2005年の共同発表で掲げられた日米「共通の戦略目標」は、第一が「日本の安全を確保し、アジア太平洋地域における平和と安定を強化するとともに、日米両国に影響を与える事態に対処するための能力を維持する」、第二が「朝鮮半島の平和的な統一を支持する」、第三が「核計画、弾道ミサイルに係る活動、不法活動、北朝鮮による日本人拉致といった人道問題を含む、北朝鮮に関連する諸懸案の平和的解決を追求する」となっていました。今回の共同声明は、内容的にその第一及び第三の部分を取り上げてより簡単にまとめていますが、共同発表の第二の点(平和的統一の支持)が抜けた点では明らかに対朝鮮半島政策の後退が見られることを指摘する必要があるでしょう。
さらに「拉致」問題に関して一言すれば、2005年段階では日米共通の戦略目標としていたのが、今回は「さまざまな国際的な場を通じて日米のパートナーとも協力」とすることで、「拉致」問題をますます国際問題化する方向で踏み込んでいるという点で、自民党政権より民主党政権の方が朝鮮に対してより硬直しているという重大な後退が見られることにも注意しておく必要があると思います。そもそも「拉致」問題は日朝二国間問題として扱うべきなのに、ことさらに国際化させようとする民主党政権の立場にははなはだ危ういものを感じないではいられません。
対中国に関しては、2005年共同発表の日米共通の「戦略目標」の第四として「中国が地域及び世界において責任ある建設的な役割を果たすことを歓迎し、中国との協力関係を発展させる」という文言がありました。今回の共同声明でもほとんど同じ文言が踏襲されているということに気づきます。ここでも、日米安保関係の一貫性を確認させられます。
本論に戻ります。共同声明は談話と同じく、「北朝鮮の核の脅威」を前提にした上での「必要な抑止力」への言及をしているわけですから、ここにいう「必要な」の中には核抑止力が含まれていることは明らかだと言わなければなりません。

3.長島昭久防衛政務官の発言

 朝日新聞における長島昭久防衛政務官などの非核三原則に関する発言の意味は、以上のように、対米核抑止力依存という自民党政権以来の政策を民主党政権が忠実に継承することが明らかにされた文脈の中で位置づける必要があります。長島氏などの発言の重要な部分は次のとおりです。

-日米間の核密約問題の調査結果がいずれ公表される。有事での米国の核戦略や拡大抑止との関係をどう説明するのか。
長島 これまでは、日本の非核三原則と米国の拡大抑止をバランスさせる歴史の知恵があったと思う。米国の拡大抑止に依存している現状を考えたときに、密約の調査結果は今後の政策を縛るものであってはならない。大事なのは非核三原則の意味を明確化することだ。 -核搭載艦船の領海通過や一時寄港を認めるのか。
長島 91年以後そのような運用はなされていない。今後の政策にあたっては、非核三原則は堅持し、「持ちこませず」の定義をより明確化する。事前協議は求める。 岡本 米国の解釈は一時寄港や領海通過は「持ち込み」ではない、だから非核三原則は守っていると。実際、日本が言っているのは3・5原則だ。本来の三原則に一時寄港と領海通過という0・5がくっついてしまっている。これは依然として今日的な問題だ。日本に来た潜水艦に「念のために聞くけど核は積んでないですよね」と確認を求めれば、日米安保体制は停止する。個別艦船について核の存否を明らかにすることは、彼らは今も拒否するからだ。
-領海通過や一時寄港を三原則の外に置いた場合、事前協議を求めるのか。
長島 いまの岡本さんの定義でいけば、それはプラス0・5で三原則の外だから求める必要はない。求めたら拡大抑止論は崩壊する。日本独自の核武装という議論を封じるにはそれしかない。
(太字は浅井)

長島氏が核密約を「歴史の知恵」と形容したことは、核密約を肯定するということであり、きわめて重大な発言です。つまり、非核三原則と「核の傘」は両立しない根本矛盾であることを暗黙に認めた上で、その矛盾を取り繕ったのが「核密約」だから「歴史の知恵」という評価になるわけです。民主党切っての軍事・安保通と言われる長島氏が自民党歴代政権のウソを肯定しているという重大発言であって、この発言を看過してしまうような私たちの感覚であれば、そういう私たちの感覚の麻痺こそ問題です。
長島氏は更に、密約の調査結果が「今後の政策を縛るものであってはならない」と発言していますが、その意味は、その後に続く岡本氏や同氏自身の発言を踏まえてみれば、要するに寄港、立ち寄り、領域通過を含むこれまでの非核三原則は維持できないし、維持するつもりはないということを断言しているに等しい、これまたとても重大な発言です。
それに続けて長島氏は、非核三原則の「定義を明確化する」と発言していますが、これは歴史的事実を踏まえた場合、きわめて異様なものです。というのは、非核三原則の意味内容、あるいは「定義」は、寄港、立ち寄り、領域通過を含むものとして繰り返し歴代政権によって確認されているのであり、一度だって曖昧だったことはないからです。このような無責任かつすり替えを試みる発言は、一昔前だったら、それだけで引責辞任ものでした。
今回の対談における、「核の傘」支持論者の側から明らかにされた最大・最重要のホンネの部分は、肝心要の「寄港、立ち寄り、領域通過」の部分(核密約の対象部分)は非核三原則の外にある0・5だと強弁することにより、その0・5を取り外すことで「従来通り非核三原則を守る」という主張を可能にしようとしていることです。国連演説などで鳩山首相は「非核三原則を厳守する」と公言しましたが、そこでいう「非核三原則」は長島氏のいう「定義の明確化」を踏まえたものだということになるのでしょう。
私はこれまで、核密約の存在を認めたあと、どういう理屈を民主党政権が持ち出すのかと考えてきました。
一部報道では、「密約は死文化した」ということで非核三原則と核安保とは矛盾しないという切り抜け方を考えている、という見方もあります。しかし、「死文化」したものが「生き返る」ことは十分ありうるわけです。また、岡本氏の上記発言に照らしても、アメリカの戦略原潜が日本に寄港するときは核ミサイルを搭載したままである以上、「死文化」という説明では立ちゆかないはずです。
民主党政権としては、なんとかしてアメリカの艦船・軍用機による「寄港、立ち寄り、領域通過」を事前協議なしで認めるという実を挙げなければならないので、「非核三原則を2・5原則化する」以外にないわけです。しかし、「これからは2・5原則です」というのはいかにも具合が悪いし、いくらお人好しの私たちでも、「ああ、そうですか」とはならないでしょう。
岡本氏と長島氏の「3・5原則」というアイデア(?) は苦し紛れの詭弁・トリックとはいえ、今の低調な国民的問題意識の現状を前提にするとき、この詭弁・トリックがまかり通ってしまう危険はかなり高いと危惧せざるを得ません(現に朝日新聞は、長島氏や岡本氏の発言をそのまま伝え、正に垂れ流しです)。正直言って、彼らの発想には、ある意味脱帽で、そこまで悪知恵が働くか、と思わされました。最悪の意味での「コロンブスの卵」です。つまり、彼らにいわせれば、非核三原則にはもともと寄港、立ち寄り、領域通過は含まれていなかった(だから「定義は明確ではなかった」!?)ので、これからは、その0・5を外した「非核三原則」を遵守する、というわけです。この詭弁・トリックが国民の目をすり抜け、パスしさえすれば、核密約に頼ることなく、「核安保と非核三原則との整合性」を従来通り主張し続けることができるということになってしまうでしょう。

(皆さんに是非考えていただきたいこと)

 日本の領域において核兵器を「持たず、作らず、持ちこませず」という非核三原則は、広島及び長崎に対する原爆投下の惨禍を経験した私たち日本国民が二度とその惨禍を繰り返さないことを決意し、そのための根本的保証として確立した国民的総意の結晶です。日米間の安保体制・軍事同盟関係に対する国民的な合意が形成されなかった東西冷戦期においても、「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」を原点とする非核三原則は、「国是」として広範な国民的合意によって支えられてきました。
 私たち日本国民はまた、いかなる国際環境のもとにおいても、地球上のいずれの地においても第二、第三のヒロシマ・ナガサキを生んではならず、人類は核兵器と共存できないことを確信して、核兵器の廃絶を一貫して主張してきました。しかし東西冷戦期においては、この確信・主張は必ずしも国際的に受け入れられず、核兵器国及びその同盟国においては核抑止理論が政策の中心に座り、大量の核兵器が地上に存在し続けてきました。
東西冷戦が終結した今日、核兵器・核抑止力に依拠する安全保障政策の危険性に対する認識は国際的に高まっています。核テロリズムという新たな危険性に対する国際的な警戒の高まりもまた、核兵器・核抑止力を肯定する政策の見直しを迫る要因となっています。核兵器廃絶が国際的に提唱されるに至ったのは、このような認識及び警戒を客観的に反映しています。しかし、伝統的な権力政治の発想は国際的に根強いものがあり、ヒロシマ・ナガサキを教訓とする日本発の核兵器廃絶の主張がアメリカをはじめとする核兵器国の政策の根本的変更を主導するまでには至っていません。その日本国内での代弁者が、アメリカの拡大核抑止(「核の傘」)政策を支持する長島氏、岡本氏などなのです。
 そもそもヒロシマ・ナガサキが、アウシュビッツのように人類共通の負の遺産として国際的に受け入れられるに至っていない根本原因は、歴代日本政府が核兵器廃絶を唱えながらアメリカの核抑止力に依存するという矛盾を極める政策を行い、しかもそのことに対して国内世論が異議申し立てすら行うことがなかったという異常さにあります。つまり、ヒロシマ・ナガサキの原点がおろそかにされてきたということです。その政策の矛盾を露呈させず、国民的な認識を妨げるための歴代日本政府の工夫がいわゆる核密約であったことはいうまでもありません。
 非核三原則にかかわる以上の歴史的原点を踏まえるとき、私たちは、民主党政権の姑息を極める安保・核政策を見過ごすようなことがあってはならないと思います。非核三原則は、決して安全保障政策の「各論」的「個別」的な問題ではありません。「人類は核兵器と共存できない」という思想を政策として結晶させたものなのです。それはまた、広島・長崎を繰り返さないという平和憲法の思想の具体化でもあります。21世紀の人類社会を「脱・核の世紀の社会」とするために、私たちは、民主党政権を含むすべての日本政府に、「寄港、立ち寄り、領域通過も持ち込みとして認めない」非核三原則を堅持させていかなければならないと思います。

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