民主党政権の外交の批判的検討と21世紀の日本外交への提言

2010.01.09

*ある雑誌の求めに応じて書いた文章です。100日あまりを経た民主党中心の連立政権の外交政策を検証し、主要な問題について日本外交がとるべき方向性について私の考えていることをまとめて指摘しました。外交に「節目」ということはなじみませんが、民主党連立政権の外交はあまりにも場当たり的で危うく、先行きが非常に懸念されます。改定日米安保50年、日本による韓国「併合」100年ということで、マス・メディアならずとも、日本外交のあるべき姿について襟を正して考えることが求められていると思います(1月9日記)。

1.鳩山政権の外交「実績」をふり返る

 鳩山・民主党政権は、社会民主党、国民新党との三党連立政権として2009年9月16日に発足した。他の政策分野におけると同じく、その外交を評価するに当たっての原点は同年9月9日に作成された三党合意である。三党合意における外交部分は、「9.自立した外交で、世界に貢献」という項目にまとめられている。短いので全文を紹介する。

国際社会におけるわが国の役割を改めて認識し、主体的な国際貢献策を明らかにしつつ、世界の国々と協調しながら国際貢献を進めていく。個別的には、国連平和維持活動、災害時における国際協力活動、地球温暖化・生物多様性などの環境外交、貿易投資の自由化、感染症対策などで主体的役割を果たす▽主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる。日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことで、より強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立し、東アジア共同体(仮称)の構築をめざす国際的な協調体制のもと、北朝鮮による核兵器やミサイルの開発をやめさせ、拉致問題の解決に全力をあげる包括的核実験禁止条約の早期発効、兵器用核分裂性物質生産禁止条約の早期実現に取り組み、核拡散防止条約再検討会議において主導的な役割を果たすなど、核軍縮・核兵器廃絶の先頭に立つテロの温床を除去するためにアフガニスタンの実態を踏まえた支援策を検討し「貧困の根絶」 と「国家の再建」に主体的役割を果たす

(注)「太字部分」:三党合意にはあって、マニフェストにはない部分
  「斜体字部分」:三党合意とマニフェストに共通している部分

 まず三党連立政権の外交上の重点施策として取り上げられている項目の中身に留意しながら、これまでの外交を検証してみよう。一目すれば明らかなとおり、外交に関する三党合意の中身は、国際貢献、日米関係、対アジア政策、北朝鮮問題、核政策、対テロ対策の6項目である。日本外交が直面する重要課題はこれら6項目に限られるわけではない。環境・温暖化対策が外交に先立つ第8項として独立して扱われている。しかし、対外経済関係が完全に抜け落ちているのは異常というほかない。WTO/IMF体制の行き詰まりは誰の目にも明らかであり、また、米英発の金融資本主義主導のグローバリゼーションが完全に破綻した今、世界経済をいかなる原則・理念に基づいて立て直すか、また、その中で日本がいかなる役割を担うべきかという課題は正に喫緊の問題だ。また、日本経済が外国産の資源に圧倒的に依存することを考えれば、また、地球規模で各国の資源外交が繰り広げられている状況を直視すれば、資源問題の重要性は到底見逃せない。2008年以来の世界経済不況の深刻さを考えるとき、そして日本経済が世界不況の影響をもっとも深刻に受けている(例えば、東京株式市場の回復率は諸外国市場に比較しても際だって低い状況がある)ことを考えるとき、三党合意がこの問題を取り上げてもいないのは深刻ですらある。ちなみに、経済関係で三党合意が触れているのは、第9項で「貿易投資の自由化」に触れていることを除けば、第1項の緊急雇用対策、第2項の消費税率の据え置き、第3項の郵政事業の抜本的見直しなど、もっぱら国内経済対策である。
鳩山政権が成立してから100日あまりが過ぎたが、鳩山首相の盛んな外交的パフォーマンス(就任直後の訪米と国連気候変動首脳会合出席、日米首脳会談、安保理首脳会議への出席と国連総会での演説(9月)、韓国訪問と日中韓サミット、日本・ASEAN首脳会議及び東アジア首脳会議(10月)、オバマ訪日及び日米首脳会談、APEC首脳会議出席(11月)、COP15への出席、訪印(12月)など)にもかかわらず、鳩山外交(あるいは鳩山・岡田外交)が何を目指そうとしているのかはいっこうに見えてこない。
その原因は多岐にわたる。そもそも鳩山首相が掲げる「友愛」外交の中身が全く意味不明であることだ。「友愛」という言葉は乱発するが、具体的な外交課題に取り組むに当たってその「友愛」なる理念が具体的な外交で肉付けされ、具現化されるということが全く見られない。最近では「友愛」という言葉すらあまり聞かれなくなった。
また、民主党政権がバラバラで、求心力が不在であることも深刻である。外交の中心に座るべき鳩山首相及び岡田外相の重要問題、特に日米関係(なかんずく普天間基地移設問題)に関する発言のぶれが激しく、両者に加え北沢防衛相など関係閣僚がバラバラな言動に終始し、ここでもまた政権としてのまとまりがまったく見られない。さらには、民主党の最大の実力者である小沢幹事長と政府の長である鳩山首相との間の意思疎通(協力関係)に疑念をいだかせるケースが多い(対米考慮から辺野古という選択肢を外せない鳩山首相に対し、辺野古以外への移設を明確に主張し始めた小沢幹事長、政府側の否定的姿勢を押しきって習近平中国副主席の天皇会見を強引に実現させた小沢幹事長、政府・外務省による政府間外交という正規のルートの存在を歯牙にもかけず、中国及び韓国との個人外交で存在感を誇示した小沢幹事長等々)。
民主党政権自体のまとまりのなさに加え、三党連立政権であることに起因する問題も深刻である。外交、なかんずく日米関係のあり方に関していえば、普天間基地移設先をめぐる三者、特に民主党と社民党の主張の食い違いはあまりにも歴然としていて、収拾先・着地点を探ることをますます難しくしている。そもそもの問題は、憲法第9条改定・日米軍事同盟の積極的肯定・対米核抑止力依存の立場を基本とする民主党と、護憲(特に第9条堅持)・対日米同盟依存度縮小・非核三原則堅持を重視する社民党とは氷炭相容れずの関係であるにもかかわらず、それぞれの現実的政治考慮・打算(民主党の場合は参議院での多数派確保の要請、社民党の場合は来るべき国政選挙での民主党との選挙協力による二大政党制への埋没回避の必要性)から連立政権を選択したところに起因している。 以上、ごく簡潔に外交に関する三党合意と民主党を中心とする連立政権の約100日間の外交を眺めてきたが、要するに主権者・国民が広く納得するだけの積極的な具体的な成果は皆無であったという厳しい評価は免れないであろう。むしろ100日間の連立政権の外交は目的地も定まらない漂流状態を続けてきた、と結論づける以外にないと思われる。

2.21世紀の日本が直面する外交課題

 以下においては、三党合意で挙げられた6項目(国際貢献、日米関係、対アジア政策、北朝鮮問題、核政策、対テロ対策)を視野に収めつつ、21世紀国際関係を展望する場合に、大国・日本の舵取りを担うべき政権(浅井注:今夏の参議院選挙の結果如何では大規模な政界再編が起きる可能性も排除できないことを考えれば、今の連立政権に絞るよりも、今後の日本を担う政権一般を考慮の対象とすることが妥当だろう)が国際的リーダーシップをとって取り組むべき外交課題及び目指すべき方向性について検討することとしたい。

(1)日本国憲法を体現した独立自主外交

 改めていうまでもないことだが、日本の外交は、どのような政権が直接担当するにせよ、主権者である国民の意思を体し、その平和と繁栄を実現すること及び世界の平和と安定に資することを目的とするべきは当然であり、個々の外交課題に取り組むに当たっての立脚点はこの目的の実現に資するかどうかを判断基準としなければならない。このことは、党利党略が立脚点として長らく居座ってきたこれまでの日本外交を根本的に転換する上での不可欠の大前提であることを強調しておきたい。
 かつての米ソ(東西)冷戦時代には、日本の立ち位置をどこにおくかをめぐって長い争いがあり、戦後日本を支配してきたのは日米安保体制を中心にした西側の一員としての立場だった。米ソ冷戦が終結した1990年代以後、このような外交のあり方は根本的に見直しが迫られたにもかかわらず、アメリカの一極支配体制に安住する形で、また、中国や北朝鮮をことさらに脅威視する冷戦思想を持続することにより、引き続き日米同盟最重視の政策が惰性的に維持されてきている(民主党中心の連立政権の立場も基本的には変わらない)。
 しかし、第二次世界大戦の終結を受けて確立した人間の尊厳という普遍的価値は、本質的に「力による平和観」と両立しない。しかも、東西冷戦時代から進行してきた国際的相互依存の流れはもはや不可逆的であり、そのことは国際関係のあり方において力による平和観の支配から「力によらない平和観」の支配への人類史的流れを生み出している。
 戦争体験(原爆投下を含む)に対する徹底した反省に立って生まれた日本国憲法は人間の尊厳及び力によらない平和観に立脚し、「脱・核の時代」を目指す21世紀国際社会の進むべき指針を豊かに提示している。日本国憲法を国内的に実現するとともに、憲法を指針とした外交を営むことこそ、今や世界の大国となった日本のとるべき道である。

(2)日米関係の根本的転換

 力によらない平和観(人間の尊厳尊重)の日本国憲法と力による平和観(人間の尊厳否定)の日米安保体制・日米軍事同盟は、根本的に共存できない対立物である。後者を選択した日本は、長年にわたって前者を実質的に空洞化する(解釈改憲)ことによって矛盾を糊塗してきたし、最終的に前者を否定する道(憲法改定)を追求してきた。改憲政党(民主党)と護憲政党(社民党)などによる連立政権は、憲法をめぐる国民的せめぎ合いの今日的表現と見ることも可能である。
 しかし、人類史的に見る限り、力による平和観を具現する日米同盟路線はもはや明らかに歴史の流れに逆らう遺物的存在である。改定安保50周年である2010年を期して、私たち主権者は、過去の惰性・思考停止に甘んじるのではなく、日米同盟を清算し、日本国憲法を踏まえた日米平和友好条約を締結し、真に世界平和に資する日米関係の構築に歩を進めなければならない。
残念ながら、オバマ政権のアメリカも、自らの意思によって力による平和観と決別するだけの力とエネルギーは持ち得ていない(オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説参照)。しかし、日本が力による平和観と決別し、日本国憲法の立脚する力によらない平和観を我がものとするとき、大国である日本はアメリカに対して根本的な政策転換を迫ることができる。日本が変わればアメリカも変わりうるのである。
民主党を中心とする連立政権の政治的運命は、このような思い切った日米関係の根本的転換を行うだけの決断力とエネルギーを発揮できるか否かによって決められるだろう。問題は、「緊密で対等な日米同盟関係」(三党合意)の内容如何を云々するような枝葉末節にあるのではない。根本にある問題は、自ら力によらない平和観に基づく外交を実践する日本が、力による平和観に固執してきたアメリカの対外政策の根本的転換を迫ることができるかどうかにある。普天間基地移設問題をはじめとする在日米軍基地問題は、日米関係の根本的転換という脈絡の中においてのみ、つまり、日米軍事同盟の清算及び在日米軍基地の解消によってのみ真の解決をもたらすことができるだろう。

(3)対アジア政策の根本的転換

 すでに述べたように、日本国憲法は過去の戦争(原爆体験を含む)に対する徹底した反省に立って第9条を制定した。しかし、戦前との連綿とした思想的・人的・組織的つながりを維持した戦後の日本政治は過去の加害の歴史と向き合うことを避け、あるいは歪曲し、さらには肯定しようとすらすることにより、日本国憲法の精神を我がものとすることを拒んできた。そのため、日本の侵略・植民地支配によって苦しめられた中国、南北朝鮮、東南アジア諸国との和解・友好は今日に至るまで成し遂げられてきていない。そのような現実を無視していたずらに「東アジア共同体」(三党合意)を口にすることは無意味である。
 2010年が日本による韓国併合100周年という節目の年であることを契機として、私たちは国民的に過去の歴史に正面から向き合い、朝鮮半島に対する植民地支配と南北朝鮮の人々に対するさまざまな加害を真摯に清算する歴史的な課題に国を挙げて取り組まなければならないし、日本政府がそうせざるをえないように働きかけていかなければならない。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)との関係も以上の観点から取り組むことが不可欠である。いたずらに人為的に作られた朝鮮に対する警戒感、憎悪感に身を任せるのではなく、日朝平壌宣言の精神と原則に基づいて国交正常化を実現しなければならない。力によらない平和観に立脚した対朝鮮外交こそが、朝鮮の対日警戒感を解き、いわゆる「拉致」問題などの解決をももたらすのである。

(4)核問題

 核問題を考える際の原点は広島及び長崎である。核兵器こそ、他のありとあらゆる兵器にも増して人間の尊厳を根本から破壊し、例え生き残ることができるとしても、生ある限り放射線後障害によって人間の尊厳を脅かし続けるもっとも残虐な兵器である。そしてその破壊力は、人類の意味ある存続そのものを不可能にするエネルギーを放出する最終兵器でもある。人類は核と共存できないのだ。非核三原則は正に広島、長崎を繰り返さない、繰り返させないとする私たちの決意を結晶化させたものである。
 核戦争は戦争の性格を一変させた。核兵器が登場するまでは、戦争は「政治の継続」として、すなわち手段として、正当化される余地があった。しかし、核兵器の登場によって戦争は、おそらく歴史的な民族解放戦争は別として、今や絶対悪となった。日本国憲法第9条の思想的根拠の一つこそはこの認識である(第9条の他の二つの思想的根拠は、侵略戦争・加害戦争に対する反省、人間の尊厳という普遍的価値は力による平和観を拒否するということ)。
 日本(及び欧米諸国など)において今日なお有効とされる核抑止の考えは、根底において核兵器を使用する決意を前提とするものであり、核廃絶の思想とは根本的に両立し得ない。また、核テロリズムに対抗するために提唱されるに至ったアメリカなどにおける核廃絶論は、実際にはテロリストの手に核兵器・物質が渡らないことを重視する核管理を重視する考えである(管理体制さえ確立すれば、ロシア、中国に対する根強い警戒感が核抑止論を下支えする)。
 日本が世界に体して強力に訴えるべきは核兵器廃絶である(三党合意に盛り込まれているような微温的措置ではない)。そして、日本の主張を国際的に説得力あるものとするための大前提は、アメリカの拡大核抑止(核の傘)に依存する政策をきっぱりと清算することでなければならない。そのためには、核兵器の持ち込みだけではなく、寄港、立ち寄り、領内通過のすべてを認めないという意味での「持ちこませない」を含む非核三原則を厳守するという方針を貫かなければならない。非核三原則堅持、日米核軍事同盟解消を実現する日本であってはじめて世界に対して核兵器廃絶を訴えることができるのだ。私たちは、日本のいかなる政権に対しても、非核三原則を厳守させていかなければならない。

(5)人間の尊厳を根底に据える新国際政治経済秩序の形成

 20世紀までの人類社会を支配してきたのは、政治では力による平和観(権力政治)、経済では資本主義(市場原理)であったし、それらの破綻が明らかになってきた今日においても、国家を単位とする無政府的な国際社会においては、古い思考に縛られ、長く暗いトンネルの先の光明を見出すには至っていないという現実がある。しかし、すでに述べたように、今や人間の尊厳こそが普遍的価値であり、どこに生を受けるにせよ、人間としての尊厳を全うする権利があることはすべての個人に承認されている、ということを否定することはありえない。これからの人類的課題は、一人ひとりの個人の人間としての尊厳を実現することを目的とする新しい政治経済秩序を一国ごとだけではなく、地球上にあまねく実現することでなくてはならない。
 ふり返れば、日本国憲法の前文はそういう新国際政治経済秩序を実現するための手がかりを豊富に与えてくれる思想的宝庫である。私たちはそういう資産を幸いなことに我が手にしている。これこそが私たちの最大の強みであり、また、それゆえに国際的に他に押しやることのできない責任を負わされているといわなければならない。国際平和維持活動(三者合意)などという矮小な次元の発想に自己を閉じ込めるような貧相な発想はやめ、国際社会をリードして、新国際政治経済秩序を創出する国際的イニシアティヴを発揮する力強い気概を持とうではないか。

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