オバマ政権と核政策

2009.11.08

*オバマ政権の核政策に関しては、このコラムでも何度も取り上げてきました。日本国内(そしてパグウオッシュ会議などのいわゆる「軍縮コミュニティ」ーノーベル平和賞の委員会もその中に含まれるでしょうー)において、オバマ大統領の述べた「核兵器のない世界」発言(その発言自体は、後世の歴史家によって「あの時を起点として核兵器廃絶への流れが本格的になった」と評価されることになる可能性を私も認識するのにはやぶさかではありません)が一人歩きし、あたかも現実に核兵器廃絶に向けた具体的な歩みが始まったと手放しで評価する雰囲気があることが、このコラムで何度も取り上げてきた主な動機です。
私は、①核兵器廃絶を目指す私達の取り組みを高め、オバマを後戻りさせないようにもっともっと国際世論を高め、運動を強めなければならない、②特に日本国内では民主党政権をして非核三原則を厳守させる(それは核兵器廃絶の課題と不可分に結びついている!)ためにも、オバマのひと言だけに着目するのではなく、オバマ政権全体としての核政策(核兵器廃絶はせいぜい「ビジョン」に過ぎず、日本に対する「核の傘」を含めた核抑止力堅持が政策の中心に座っている!)を冷静に見極める作業を格段に強める必要がある、と考えています。
私は、そういう観点に立って、米ソ冷戦終結後のクリントン・ブッシュ・オバマ三代の政権の下でのアメリカ政権の核政策を分析する作業を行っています(オバマ政権が2010年初にまとめることになっている「4年ごとの防衛見直し(QDR)」「核態勢報告(NPR)」を待って最終的にまとめる予定です)。しかし、オバマ政権(オバマ大統領個人ではない!)の核政策の方向性については、QDR、NPRの完成を待つまでもなく、おおよその方向性・特徴を窺える(その大きな材料は、このコラムでも時々言及してきたいわゆる「ペリー報告」です)と思います。本日付の朝日新聞は、当のペリーの発言を掲載しており、そこでもペリー自身が、この報告の内容が「オバマ政権内で…真剣に丁寧に読まれており、政策にかなり採り入れられるだろう」と公言しています。また、「米国は「核なき世界」に行き着くまでは、米国と同盟国のために安全で信頼できる核抑止力を維持する」とも明言しているのです。
確かにペリーはこの中で、「核ゼロと核抑止という二つの目標のバランスをどうとるか。NPRでのオバマ大統領の試練の一つだ」とも言っています。それは、「オバマなら何かやってくれるだろう」という神頼みで良いということではなく、私たちの核兵器廃絶論が核抑止論者の圧力に負けないだけのプレッシャーをオバマに感じさせる力を発揮することによってはじめて、オバマは「核ゼロ」へのコミットを強めることができる、という意味で捉えなければならないでしょう。ある意味、ペリーは、核兵器廃絶論の強まりがオバマの「核ゼロ」へのコミットメントの気持を強めることに繋がる可能性を感じるからこそ、こういう発言をしているのだということでもあると私は受け止めています。
前置きが長くなりましたが、私たちに今なによりも必要なことは、オバマ政権の核政策を冷静に見極めることだと思います。そういう観点から、QDR、NPRがどういう内容のものになるかを考える材料として、ペリー報告を中心にしてくわしく検討した文章をある雑誌用の予定原稿として書きましたので、それを紹介しておこうと思います。(11月8日記)

(はじめに)

 核兵器廃絶を真剣に目指すものにとっての中心的な課題は、主としてアメリカを中心とする核兵器廃絶に抵抗する様々な主張・政策(その中心に座るのがいわゆる核抑止論であることは改めていうまでもない)を理論的、政策的、倫理的さらには法的に突き崩す、現実的、強力かつ普遍的な説得力を持つ核兵器廃絶の主張及び政策を構築することでなければならない。
私たちはともすれば、例えば2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が如何なる成果を上げるか、というような目先の議論に目が奪われがちである。しかし、1995年、2000年及び2005年のNPT再検討会議の結果を顧みるとき、その成否はその時々のアメリカの政権の核政策によって大きく左右されたことを確認することはむずかしいことではない。そういう観点からするとき、2010年のNPT再検討会議の成否に関しても、オバマ政権の核政策の内容を正しく踏まえることにより、私たちはいたずらに一喜一憂することなく、冷静に対応することが可能となるだろう。
 そういう問題意識をもとに、以下においては、オバマ政権の下におけるアメリカの核政策、とくにその中心に座る脅威認識及び核抑止政策に関する検討を加える。もちろん、オバマ政権における核政策は今なお作成途上であり、ここでは参考にし得る文献に基づいてポイントを整理することが作業の中心となる。
考察するに当たっては、オバマ大統領自身も彼の考え方に影響を及ぼしたことを認めた(1)、2007年1月8日及び2008年1月15日にヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、サム・ナンというかつての錚々たる核抑止論者がウォールストリート・ジャーナル紙に発表した「核兵器のない世界」(A World Free of Nuclear Weapons)及び「核のない世界を目ざして」(Toward a Nuclear-Free World)と題する共同執筆の文章(以下それぞれ「2007年WSJ」、「2008年WSJ」)、本年1月にオバマが大統領就任直後に発表した政策アジェンダ(以下「アジェンダ」)、4月5日の同大統領のプラハ演説を検討材料とする。
また、オバマ政権は今後、2010年の早い時期にQDR とNPRを作成することになっている(2)が、それらに大きな影響を及ぼすと見られる、2009年5月に公表された米議会によって超党派で設立された委員会による「アメリカの戦略態勢に関する議会委員会の最終報告」(2007年WSJ及び2008年WSJの共同執筆者の一人であり、クリントン政権で国防長官を務めたペリーが委員長。以下「ペリー報告」)の記述内容を検討し、オバマ政権のもとにおけるアメリカの脅威認識及び核抑止政策の方向性を中心とした核政策を考える手がかりを求めることとしたい。

1.2007年WSJ及び2008年WSJ

2007年WSJはまず、「核兵器は、抑止の手段として、冷戦中は国際安全保障を維持するのに不可欠だったが、冷戦の終了により、米ソ間の相互抑止ドクトリンは時代遅れになった」 という認識を示す。2007年WSJの主張の根本にある認識は、「もっとも警戒すべきは、非国家主体のテロリストが核兵器を手にする可能性が増大していること」である。しかしテロリストの挑戦の本質は、「概念的に抑止戦略の枠外にあり、困難にして新しい安全保障上の挑戦となっている」ことにこそあるとされる。
 アメリカにとってもう一つ重大な懸念を持たざるを得ない要素として、2007年WSJは、朝鮮やイランを念頭に置いて、アメリカが手をこまねいていると、「核兵器国が増え、新たな核時代に入ることを強いられることになる」ことを指摘している。彼らの認識によれば、新しく核兵器を手にする国々は、「冷戦期におけるように、核の偶発事故、誤診断または無許可の発射を予防するために(米ソによって)長年にわたって積み重ねられてきたセーフガード」という蓄積(利点)を持たないために、世界が50年の冷戦期において核戦争に見舞われなかったという幸運は保証されない、とされるのである。
 これに対して2008年WSJの特徴は、核兵器廃絶を視野に収めた具体的提案を行ったことにある。大きく分類すると、世界の核弾頭の約95%を保有する米ロ両国が率先して行うべき措置と国際社会あげての取り組みとの二つである。その内容のいくつかは、オバマ政権によって受け継がれることになるが、ここでは省略する。
 2007年WSJ及び2008年WSJの主張については、大きくいって三つのポイントを指摘することができる。
 第一のポイントは、彼らが「核兵器廃絶」を唱える最大かつ直接的な動機は「テロリストの手に核兵器が渡らない」ようにする、ということである。つまり、日本国内ではほぼ異論のない核兵器の残虐性、反人道性、反国際法性を徹底的に認識した上での核兵器廃絶論ではないということだ。
 彼らの発想に基づけば、テロリストに核兵器・核物質が渡らないようにするもっとも確実な保証は核兵器がない世界を実現することであって、それ故に「核兵器のない世界」を提唱しているのだ。したがって、テロリストに核兵器などが渡らないことを確保する国際的取り締まりの仕組みが完成しさえすれば、彼らにとっての核兵器廃絶の緊急性・必然性は失われることになる。
 以上と関連する第二のポイントは、彼らが核抑止論の根本的否定の上に立った核兵器廃絶を主張しているわけではないということである。彼らは、米ソ冷戦時代において核抑止論は有効だったと明確に述べている。しかし、テロリストに対しては核抑止力が働かないがゆえに、その限りで核兵器は有効ではないという認識なのだ。
 そこからは直ちに次の疑問が浮かぶ。テロリストを取り締まる有効な国際的仕組みが生まれた暁に、アメリカの伝統的な国際観(要すれば、アメリカに挑戦する国家の台頭を警戒せずにはすまない権力政治の発想)が健在であれば、台頭著しい中国、核兵器大国として大国的復活を目指すロシアとの間で、再び核抑止論の有効性が再確認される可能性は高いと考えるほかないだろう。この推察が的外れのものではないことはペリー報告によって明確に裏付けられることになるが、その点は後述する。
 したがって第三のポイントは、キッシンジャー等の主張と、広島及び長崎の体験を踏まえ、「人類は核兵器と共存できない」というヒロシマ・ナガサキの思想に立脚する我々の核兵器廃絶論との間には、「核兵器廃絶」という言葉以外の如何なる接点もないという厳然とした事実があるということである。
 もちろんこのことは、キッシンジャー等の主張がまったく無意味であるということではない。かつてのアメリカは「核兵器廃絶」を口にすること自体がほぼ考えられない状況があったことを考えれば、彼らの主張の意味するところはそれなりに大きい。何よりも、彼らの主張を契機として米欧諸国において彼らの主張を支持し、補強する主張が相継いだことは、その後のオバマの核兵器廃絶問題に関する関心を深める上での土壌を醸成したことは間違いないであろう。

2.アジェンダ

 オバマ大統領は政権発足早々、そのホワイトハウスのウェブサイトにおいて、24項目に関する政策アジェンダを掲載した(3)。その中での核政策に関する部分は次のとおりである。就任時点においてオバマが何に優先順位を付しているかを判断する材料として、以下の記述はサイトにおける掲載順序に従う。
〇基本認識:「アメリカの人々に対するもっとも深刻な危険は、テロリストによる核兵器での攻撃の脅威と危険な政権に核兵器が拡散することである。」
〇管理の甘い核物質をテロリストから守る:「4年以内に世界のすべての管理の甘い核物質を安全にする。現存する核物質の備蓄を安全にするとともに、新たな核兵器原料の生産に関する検証可能な世界的禁止について交渉する。」
〇NPTの強化:「ルールを破る北朝鮮、イランなどの国々が自動的に強力な国際的制裁に直面するよう、NPTを強化することによって核拡散を厳しく取り締まる。」
〇核のない世界への前進:「核兵器のない世界というゴールを設定し、それを推進する。核兵器が存在する限り強力な抑止力を維持する。しかし、核兵器廃絶に向けた長い道のりにおいて、いくつかの措置を取る。」
 以上から窺われる大統領就任時点におけるオバマの核問題に関する認識・思想の特徴は、次の諸点にまとめることが可能だろう。
 まず、オバマの脅威認識の筆頭に来ていたのは、キッシンジャー等と同じく、核テロリズムであったことだ。次に、オバマは確かにNPT強化に強い関心を持っている。しかし、その関心は、核不拡散に重点があり、核兵器国自らの核兵器廃絶に向けた取り組みの重要性を認識していることを窺わせる記述は見あたらない。
 第三に、「核兵器のない世界というゴールを設定」していることは確かであるが、同時に「核兵器が存在する限り強力な抑止力を維持する」と明言している。「核兵器が存在する限り」とする認識表明自体、オバマが核兵器廃絶を中心課題と据えているとは見られないことを窺わせる。そのことを前提にして「核兵器廃絶に向けた長い道のり」という認識表明が続いている。
第四に、核抑止政策に関しては、核抑止力を維持すると述べるだけで、その理由付けについては口をつぐんでおり、オバマの考え方を窺う手がかりはない。

3.プラハ演説

 次に、就任約4カ月を経たオバマの脅威認識及び核抑止政策について、プラハ演説はどのような手がかりを与えているだろうか。オバマ大統領のプラハ演説の主要部分を整理することからはじめる。
 「多数の核兵器の存在は冷戦のもっとも危険な遺産である。」
 「核戦争はアメリカとソ連の間では戦われなかった。しかし幾世代もの人々が、たった一つの閃光で彼らの世界が消し去られるという認識とともに生きてきた。」
 「歴史の奇妙な展開で、地球的な核戦争の脅威はなくなりつつあるが、核攻撃のリスクは高まっている。これらの兵器を獲得した国は増えた。核実験は続いてきた。核の秘密や核物質の闇市場はあふれている。核爆弾を製造する技術は拡散している。テロリストはそれを購入し、製造し、盗もうと決意している。こうした危険を押さえ込もうとする我々の努力は地球的な不拡散体制に集中している。」
 「20世紀に自由のために立ち上がったように、21世紀においては、すべての場所における人々が恐怖から自由に生きる権利のために、我々は共に立たなければならない。核兵器国として、核兵器を使用した唯一の核兵器国として、アメリカは行動する道義的責任がある。」
 「だから今日私は、核兵器のない世界の平和と安全を求めるというアメリカの誓約を明確かつ確信を持って述べる。私はナイーブではない。この目標への到達は容易ではない。たぶん私が生きている間ではないだろう。忍耐と辛抱が必要だ。しかし今、世界は変えることができないと我々に告げる声を無視しなければならない。」
 「アメリカは核兵器のない世界へ向けて具体的な措置をとる。冷戦思考を終わらせるために、我が国家安全保障戦略における核兵器の役割を引き下げる…。誤解しないように。これら兵器が存続する限り、アメリカは、どんな敵をも抑止するために、安全で、確かな効果的兵器庫を維持する。そしてすべての同盟国を…防衛することを保証する。しかし、我々は兵器庫を削減する仕事を始める。」
「最後に、テロリストが核兵器を絶対に手に入れないようにしなければならない。これは、世界の安全に対するもっとも直接的かつ極端な脅威だ。一人のテロリストが一発の核兵器を持てば、大量の破壊を引き起こす。アル・カイダは爆弾を追求すると言っており、それを使うことにはためらいがない。地球上には安全でない核物質があることを知っている。人々を守るため、我々は遅滞なく目的意識を持って行動しなければならない。」
 プラハ演説は、アジェンダとの対比において、次の3点の特徴がある。
 第一、オバマの核戦争に関する認識には、核兵器を「冷戦のもっとも危険な遺産」と極めて否定的に位置づけていること、「たった一つの閃光で世界が消し去られるという認識」という表現に見られるとおり、真摯なものがあるということだ。
 第二、アジェンダにはなくプラハ演説ではじめて現れたのは、オバマが「核兵器を使用した唯一の核兵器国として、アメリカは行動する道義的責任がある」と述べたことだ。確かに「道義的責任」という発言は歴代大統領が口にしたことがないものだ。
しかし、全体の文脈で捉えるとき、それが、「「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言」(4)したものであると捉えることには無理がある。オバマが「行動する道義的責任」と言った時、そこには「何について」「どのように」「どこまで」行動するのかを示していない。
 この点に関して最も重要なポイントは、オバマが、アメリカによる広島及び長崎に対する原爆投下は“人類に対して絶対に行ってはならなかった、したがって二度と繰り返してはならない誤りだった”ことを認めたわけではないことだ。原爆投下が人類に対して犯された、二度とあってはならない誤りであることを承認しない立場からは、場合によっては再び核兵器を使用することを正当化する論理が導き出される可能性がある。
しかもプラハ演説では、オバマは明確に核兵器のない世界の目標への到達は「私が生きている間ではないだろう」、「(核)兵器が存続する限り、核抑止力を維持する」と発言している。ここでも、アジェンダにおけると同じく、オバマが如何なる核抑止政策を考えているのかを窺わせる材料はない。
 結論としては、プラハ演説は、核兵器廃絶に関するオバマのそれなりに真摯な認識を窺わせるが、核抑止戦略にとらわれている点において、アジェンダの認識・思想を超えていない。このような核抑止重視の姿勢の背景には、後述するペリー報告の強固な核抑止論の強い影響があると考えられる。ペリー報告の主要な内容はプラハ演説起草までに固まっており、演説の起草に当たって重視された可能性は高い。
第三、脅威認識とのかかわりでは、核テロリズムに関する位置づけの変化が注目される。核テロリズムは、アジェンダでは冒頭に取り上げられ、中心的位置を占めていたが、プラハ演説では具体的施策の一部として取り上げられているにすぎない。この位置づけの変化の背景を理解する上でも、後述するペリー報告の影響を考えないわけにはいかない。
つまり、核テロリズムに対する脅威認識に関しては、オバマは明らかにキッシンジャー等の提言に示された、したがってアジェンダにも反映された危機感あふれた認識から、ペリー報告で示される楽観的認識へと柔軟に自らの認識を変化させていることを窺うことができる。しかし、核テロリズムへの対応が最重要課題でなくなる場合、キッシンジャー等の提言における核兵器廃絶の主張の最大の根拠も失われるということだ。

4.ペリー報告

 ペリー報告は、冷戦の終結以来、三つの深刻な挑戦(つまり脅威)が台頭したとする。そのうちの二つは核拡散と核テロリズムであり、冷戦期に既に存在していたが、過去20年間において新たに顕著になったとされる。今ひとつは戦略環境の予見困難性という新しい挑戦である。
核拡散は、冷戦期には、米ソによる拡大抑止及び不拡散体制によって押さえ込まれていたが、冷戦終結以来、特に「アメリカに反対する好戦国(belligerent states)」が「隣国を威圧するため、または、アメリカもしくは国際的有志連合がこれらの隣国を保護することを阻止するために、核の脅威を使うことができると信じるようになっている」(5)ために、その危険が増大しているとされる。 また、核テロリズムに関しては、その由来は核時代の到来に伴う古い起源があるとしながら、特にビン・ラディンが核兵器獲得を「神聖な義務」と公言した過去10年間で突出してきたとする。そして核抑止は、テロリストを支援する国家に対してはある程度の効き目が期待できるが、テロリストには効果がないという判断を示している。(6)
問題は、新しい挑戦とされる「戦略環境の予見困難性」において何が意味されているかだ。ペリー報告は、「ロシア及び中国の将来における国際的役割には深刻な不確実性がある。両国は、「責任ある利害関係者」として台頭するのか。それとも秩序に対する挑戦者としてなのか。核兵器及びミサイルで武装する様々な「台頭国家(“rising powers”)」に関する不確実性もある。」と述べる。(7)
 核分野における挑戦の具体的対象として、ペリー報告は、核テロリズム、核拡散(8)、中国及びロシアと並べて「拡大抑止政策・計画を適応させることに伴う挑戦」を挙げていることが特に注目される。(9)ここでは、日本との関連でとくに「北朝鮮が核の敷居を越え、中国が戦略戦力を現代化しているので、アジアにおける拡大抑止の必要性も増大している。」(10)という指摘は要注意である。そして、明らかに日本などの核武装論を意識した次の文章が現れる。
「北東アジア及び中東における核武装の可能性のある国をざっと見ても、そういう国々の多くは、アメリカの友好国や同盟国ですらある。こうした友好国及び同盟国が核兵器を追求すると決定することは、アメリカの利益に対する深刻な打撃となるだろう。」(11)
 以上の新旧3種類の戦略環境における挑戦を受けて、ペリー報告は、「アメリカはかなり先の将来にわたって抑止力を維持する必要があるだろう。結局、このレビューが示すとおり、多くの抑止上の挑戦が残っている。明らかに冷戦時ほどに厳しくはないが、これらの挑戦が今後数年間で消えてしまうとか、悪化することはあり得ないと考える理由はない。」(12)という結論を引き出している。
 そして、以上の分析を前提として、ペリー委員長は報告の序文で次のように、核兵器廃絶の条件は今日存在していない、と明確に述べるのだ。
 「過去20年間で、アメリカの安全保障環境は、かなり全般的に改善した。しかし、核テロリズム及び核拡散の危険性増大という脅威による挑戦が現れた。オバマ大統領は、核兵器の世界的廃絶のために行動すると誓約したが、廃絶が現実になるまでは安全で確実な信頼性のある抑止力を維持すると誓約している。核兵器を世界的に廃絶することを可能にする条件は今日存在しておらず、その条件を創造するには世界政治秩序の根本的変質を必要とする。」
 それでは、ペリー報告が打ち出す核態勢の典型的な基準とは何か。報告は、アメリカの長年にわたる核政策において確認されてきた要素として、核兵器が特殊な兵器であること、抑止用であってその使用は最後の手段としてのみであること、アメリカの核戦力の他国に対する優越性確保、基幹同盟国に対する安全保障上の誓約支持、核戦力の三本柱の有効性、核兵器不使用の伝統の肯定的確認などを挙げ、核兵器の主要な機能である抑止は数十年間変化していないことを確認する。(13)その上で、これからの時代の核抑止力の典型的な基準として、同盟国に対して拡大抑止を保証することが際だって強調されるのである。(14)ここにペリー報告のもっとも重要な特徴があると思われる。
ちなみに、拡大抑止のほかにペリー報告が挙げるこれからの核抑止力の基準をなす要素としては、核兵器の領域でロシアと中国がアメリカと競う気持ちを起こさせないようにするような核戦力構成を心がけるという意味での「思いとどまらせ」(dissuasion)(15)、そして、数十年の期間で安全保障環境ないし地政学的急変が起こる場合に備えるという意味での「保険」(hedge)がある。(16)
ここではさらに拡大核抑止について、ペリー報告が具体的何を考えているのかを詳しく見ておくこととする。(17)
 「一つの決定的な要素は拡大抑止であり、これがアメリカの同盟国及びパートナーに提供する保証である。…これら諸国に対する保証は現在の安全保障環境におけるアメリカの最優先課題であり、ロシア、中国及び拡散と結び付いた、拡大抑止にとっての新しい重要な挑戦である。」
 つまり、拡大核抑止は、ペリー報告においては、新しい安全保障環境を踏まえ、そして前述したように、アメリカの同盟国が核武装に走る危険性を阻止するためにも、核抑止政策の中心を占めるまでにいたっているのである。当然のことながら、日本に対する「核の傘」もそういう意味合いで位置付けられているのだ。
 以上の文章に続いて更に次の記述があることも注目しなければならない。
 「同盟国の中には、…特定のアメリカの核能力によってのみ自国の需要が満たされると考えているものもいる。…特に重要な同盟国は、アメリカの拡大抑止の信頼性は、広範囲の標的を危険な状態に置き、状況に応じて可視的であるかステルス性であるかを選べる方式で兵力を展開する特別の能力に依存していると、私的に(ペリー)委員会に対して主張した。」(18)
                        そのため報告は、「他国に対する拡大的な保証及び抑止を満たすためには、自国防衛のためだけであれば不可欠ではないような数及びタイプの核兵器を維持する義務がアメリカに課せられることになり得る」とまで述べるのである。(19)なお、アメリカの対同盟国配慮(?)は、「同盟国に対する保証の一環として、アメリカは、ロシアとの間の戦略的均衡を放棄すべきではない」という表現で、米ロの核戦力水準のあり方にまで及んでいる。(20)また、「思いとどまらせ」の中での言及として、「アメリカ(及びロシア)は、中国がアメリカとの戦略的均衡またはアジア戦域で戦略的優位の態勢を達成しようという誘惑に駆られないようにするための十分な核戦力を保持するべきである」という認識も表明されている。(21)ペリー報告の根底を流れている発想は核軍縮ましてや核兵器廃絶などではあり得ず、せいぜい微温的な核軍備管理であることが確認されると言うべきであろう。
 ペリー報告は、以上のように核抑止力の今日的な意味合いを広義において捉えた上で、ではアメリカは如何なる核戦力を設計する必要があるか、と問題提起する。(22)
 報告は、今日の安全保障環境が冷戦時代より複雑かつ流動的であるので、冷戦期のような核戦力のみに依拠した単純なアプローチによることはできず、アメリカとしては核・非核の軍事的選択肢を必要とするし、抑止機能が働くようにするためには抑止対象国の戦略思考を洞察できるようになることが不可欠である、と述べる。しかし、如何に慎重に評価を試みても「抑止は不確実性である」(23)、というのが報告の結論となっている。
 そして、抑止が不確実性を免れず、信頼できないとすれば、戦争の際の攻撃者による損害を制限できるようにするための戦略的兵力を用意しなければならないという認識が導かれ、「損害の限定は、ミサイル防衛を含む積極防衛のみならず、アメリカまたは同盟国に対してまだ発射されていない戦力を攻撃する能力によって達成される」という表現で、先制攻撃の余地を残している。(24)
 それでは、アメリカが必要とする核戦力はどの程度の規模のものなのか。ペリー委員会は「適正規模の具体的な数量を示す」(25)ように求められたが、数量というのは多くの変数の関数だから答えを出すことはできないといったん退けている。ただし、大統領が具体的決定を行うに当たって依るべき基準として、報告は、標的の選定と並んで「同盟国に保証を与えるために必要な同盟国との緊密な協議」(26)を挙げていることが注目される。
 報告は、必要な核戦力を考える具体的目安を与えてはいる。つまり、アメリカの(核)戦力の規模は、圧倒的にロシアによって動かされるという。その理由としては、ロシアを敵と見なすからではなく、同盟国の中にロシアを潜在的脅威と見なしているものがあること及びアメリカを破壊する能力を保持していることによると説明している。さらに報告は、地域的核国家やテロリストによる攻撃に対する抑止として必要とされる必要量は、中国に対するものも含めて比較的小さなもので十分だとしている。(27)
 なお拡大核抑止との関連で非戦略核兵器を維持すべきかどうかという点に関して、ペリー報告が重大な指摘を行っていることに注意する必要がある。それは日本を含むアジアの同盟国に対する拡大抑止に係わる巡航ミサイルの扱いだ。報告は次のように述べる。  「アジアにおける拡大抑止は、ロス・アンジェルス級攻撃型潜水艦搭載の巡航ミサイル、つまりトマホーク対陸地攻撃核ミサイル(TLAM/N)の配備に大きく依存している。この能力は、それを維持する措置が取られないと、2013年には退役する。…アジアの同盟国の中には、TLAM/N退役に重大な関心を持つものがあることが、委員会の仕事の中で明らかになった。」(28)
 ペリー報告は、さらに、公式政策、軍備管理、不拡散、包括的核実験禁止条約(CTBT。委員会の議論を集約できず、両論併記に終わる)などについて言及しているが、以下においては、オバマ政権の今後の核政策を考える上で重要なポイントに絞って紹介しておく。
 軍備管理の項目でペリー報告が明確に述べているのは、「軍備管理プロセスは軍縮とは同義ではないことを明記することが不可欠だ。…数量がポイントではなく、安定性、安全性、検証及び遵守がポイントだ」と釘を刺していることである。(29)この点は、ともすれば、軍備管理を軍縮と混同しやすい日本国内の議論のあり方に対する客観的な牽制球ともなっている。
 そして、広義の軍備管理戦略を成功裏に進めていく上で必要なことの第一として、戦略対話プロセスをもっと活発にすることが強調されているが、そこに特に日本が名指しされて、次の記述がある。
 「特に今は、日本政府の願望によって制限されてきた核問題に関する日本とのより大規模な対話を確立するときだ。日本とのそのような対話は、拡大抑止の信頼性をも向上するだろう。」(30)ちなみに、このペリー報告で押し出された「核の傘」を含む日米核対話に関しては、既に具体化への動きが本格化している。(31)
 ペリー報告はまた、2010年NPT再検討会議を重視する姿勢を示しているが、その目的は「抑止を支持するアジェンダを広げるためにその演壇を利用する」ためとしている。(32)確かに報告は、「核兵器の世界的除去を究極的に可能にするような条件を創造するのに役立つように、アメリカの対外政策が行動する役割を認識する」とはしているが、それに続けて「国際政治の根本的変質がない限り、いくつかの国家及びテロリストが核兵器を追求する条件が消滅することはないだろう」と、極めて消極的な見透しを付け加えているのである。(33)
 核テロリズムへの具体的対処に関しては、「世界のもっとも脆弱な核施設を閉鎖し、安全にするキャンペーンを加速することは、国家的最優先課題である。…一つの見積もりに依れば、50億ドルの投資によって、世界中の攻撃されやすい施設のすべての分裂性物質を除去し、安全にすることができるという。」とする、楽観的な見解が打ち出されている。(34)この楽観的認識は、報告の結尾部分においても次のように強調されている。
 「アメリカ及び国際的パートナーが核の危険に対処し、減少させることに成功したことにより、将来に対してはより希望が持てる。今後10年あるいは20年の間に核の危険はさらに低下する可能性がある。テロリストによる(核)物質、技術及び専門知識に対するアクセスを取り締まる強力な協力的措置により、核テロリズムのリスクを減らすことができる。」(35)
 報告の最後は、今日においては核抑止を強調しすぎる必要はないが、その決定的な役割に関する認識をアメリカにおいて回復する必要がある、と指摘した上で、「1945年以来核兵器が使用されたことがないという事実はすごいことだ。核兵器の使用に反対する伝統が根づいた。アメリカは、この伝統を維持するために努力しなければならないし、他のすべての核武装国にも遵守するように主張しなければならない。(中略)将来核兵器が使われるようなことがあれば、世界秩序における大惨事的変化の始まりとなるだろう。…不使用の伝統を保全することは明らかに絶対的に必要なことだ。」と、抑止の考え方を前提にした核兵器の不使用(核兵器廃絶ではない!)の重要性を強調する文章で終わっている。つまり、核抑止が機能したからこそ核戦争は防止できてきたのであり、そういう核抑止の営んできた「決定的な役割」を改めて認識し直す必要があるというのがペリー報告の最終的結論である。(36)

(注釈)

(1) 2009年5月19日に、オバマ大統領は、キッシンジャーなど4氏をホワイトハウスに招いて歓談した。会談後、オバマは記者団に対し、「4氏の主張がプラハでの演説で示したオバマ政権の政策のきっかけになったと指摘」したという(同年5月21日付『しんぶん赤旗』)。
(2) 2009年6月4日付ワシントン発の共同通信記事は、「カートライト米統合参謀本部副議長は(6月)4日、ワシントン市内のシンクタンクで講演し、…来年(2010年)2月にまとめる「4年ごとの国防戦略見直し(QDR)」に新たな戦略を盛り込む考えを示した。」旨報道した。またそれに先だって同年4月25日付しんぶん『赤旗』は、「米国防総省は(4月)23日、核戦略の基本をすえる「核態勢の見直し」(NPR)報告と、4年ごとの「国防計画の見直し」(QDR)報告の行進に着すると発表しました。同省高官は、オバマ大統領のチェコ・プラハでの核軍縮に向けた演説が、新報告の「戦略的枠組み」となると述べました。今夏から秋にかけて更新作業をすすめ、来年の早い時期に議会に提出します。」旨報道した。
(3) 本稿執筆時点(2009年9月)においては、ホワイトハウスのウェブサイトには「課題」(issues)という題目のもとに23項目の政策が掲げられており、その項目の一つとして「国防」が含まれているが、そこには核政策に関する言及はない。
(4) 2009年8月6日の広島市平和宣言
(5) ペリー報告の正式タイトルは“America’s Strategic Posture”。 p.7
(6) 前掲書、p.8。
(7) 前掲書、同頁
(8) 核拡散による脅威にかかわっては、「現在の挑戦に対処できないならば、自前の核抑止力が必要だと結論づける国が更に現れるという転換点に直面しかねない。この転換点の扱いを誤ると、拡散の流れに直面しかねない」という、明らかに日本などにおける核武装論などを念頭に置いた危機感が表明されている。前掲書、pp.9-10
(9) 前掲書、p.10
(10) 前掲書、同頁
(11) 前掲書、同頁。ペリー報告のこの記述の背景を物語るのは、2009年6月3日付けの琉球新報に掲載されていた共同通信記事「核なき世界 人類の岐路 喜べない被爆国①」(太田昌克編集委員署名)の次の叙述である。
「2008年9月の首都ワシントン。元国防長官ウィリアム・ペリーら各専門家を前に、日本政府高官が語気を強めた。  「日本が核拡散防止条約(NPT)に加盟したのは米国の核抑止力があったからだ。だから抑止の前提が崩れれば、日本は政策の根本を見直さざるを得ない。」
 言葉の裏には、NPT加盟で核保有の道を閉ざされた日本を守る「核の傘」が弱体化すれば、独自核武装もあり得ない選択肢ではないとの“脅し”が込められていた。
 米議会が設置した超党派の「戦略態勢委員会」を率いるペリーは、新たな核政策を米政府に提言するに当たり、米国の核の傘に長年頼ってきた日本政府からも非公開で要望を聞いた。…
 核の傘は絶対に降ろすな。核開発にまい進する北朝鮮が生物・化学兵器で攻撃しても、核で報復する選択肢を堅持してほしい。中国の核軍拡に対し核抑止力維持は不可欠。さもなければ独自核武装も…。これが日本のメッセージだった。」
(12) 前掲書、p.13
(13) 前掲書、p.20
(14) 前掲書、同頁
(15) 前掲書、p.21
(16) 前掲書、p.22
(17) 前掲書、p.20
(18) 前掲書、pp.20-21。この記述の中で挙げられている「特に重要な同盟国」とは、注(11)の共同通信記事末尾に徴しても、日本政府を指している可能性は大きい。
(19) 前掲書、p.21
(20) 前掲書、同頁
(21) 前掲書、p.22
(22) 前掲書、同頁
(23) 前掲書、p.23
(24) 前掲書、同頁
(25) 前掲書、同頁
(26) 前掲書、p.24
(27) 前掲書、同頁
(28) 前掲書、p.26。2009年7月11日付中国新聞は、ペリー報告の審議過程にくわしいアメリカの安全保障専門家が、中国新聞の取材に対し、「同盟国とは日本だと複数の関係者が証言した」と解説した旨報じた。また、同年7月31日付の中国新聞が報道した共同通信記事でも、アメリカ政府高官が同月29日に、日本など同盟国の意向次第ではトマホークを退役させない可能性があることを明らかにした旨報道している。
(29) 前掲書、p.66
(30) 前掲書、p.70 (31) 2009年7月19日付中国新聞夕刊(共同通信記事)は、「日米両政府が(7月)18日、外交、防衛当局の局長級による日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)を外務省で開き、アメリカが日本に提供する「核の傘」を含む抑止力のあり方について、定期的な公式協議を新たに始める方向で一致した」と報道している。
(32) 前掲ペリー書、p.73
(33) 前掲書、p.75
(34) 前掲書、p.77
(35) 前掲書、p.93
(36) 前掲書、pp.94-95

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