安保理首脳会議での核不拡散及び核軍縮に関する決議

2009.09.28

*9月24日の国連安全保障理事会は、オバマ大統領が司会する首脳会議を開催し、核不拡散及び核軍縮に関する決議1887(2009)を採択しました。この決議については日本国内では各メディアがトップで取り上げるなど、大きな反響を呼んでいます。私は、広島での取材に対して私なりのコメントを出してきていますが、私の考え方が正確に伝わっていないので、このコラムで簡単にポイントを記しておこうと思い立った次第です(9月28日記)。

1. 決議の意味

 この決議は、オバマ大統領が自ら司会したことから明らかなとおり、彼が4月5日にチェコのプラハで行った「核兵器のない世界」を目指すものとして知られているプラハ演説の延長線上にあるものです。そのことは、決議の前文冒頭が「すべてのものにより安全な世界を求めること及び核兵器のない世界への条件を創造することを決意し」という文章で始まることにも示されています。オバマが核兵器廃絶に対して大きな関心を持っていること、その関心は大学生当時の彼の文章からも窺えることについては、このコラムでも書いたとおりです。プラハ演説はアメリカ大統領であるオバマの演説であるのに対して、安保理決議は、安保理という国際の平和と安全に対して第一義的な責任と権限を持つ機関(5大国の意思がなれ合いを生み出しやすくなっている状況の下で、その当否について私は手放しで肯定できませんが)によるものということで、核不拡散及び核軍縮に対するオバマ(ないしはアメリカ)の決意表明という以上に国際社会の決意表明となっているという点に、そのもっとも重要な意味があるのだと思います。
 確かに、ブッシュ政権までのアメリカからは「核兵器のない世界」という言葉を期待するべくもなかったことを思えば、このアメリカの変化は評価することができるでしょう。また、国連を無視し、一国主義を取っていたアメリカが今や明確に国連を重視する姿勢を示すようになったことの意味も小さいものではありません(ただし、今回の決議でも、名指しこそしなかったけれども、イラン、朝鮮に対する累次決議を確認するなど、やはり5大国がなれ合う場合の危険性を含んでいます)。

2. 私たちに求められるもの

 しかし、私は日本のメディアの今回の決議に対する度外れた報道の仕方には非常に危ういものを感じています。ここでは2点に限って指摘したいと思います。
第一、決議の力点は核不拡散に置かれており、核兵器廃絶が中心的内容になっているわけではないということです。核兵器廃絶に係わる内容としては、第5項で、NPT第6条に基づく交渉を行うことを約束するように呼びかけるというごく一般的かつ概括的な規定があるに過ぎません。そのほかには、核実験の自粛、CTBTの署名及び批准(第7項)、核分裂性物質生産禁止条約の交渉(第8項)を呼びかける内容程度で、これまた別段目新しいわけではないのです。それに対して第10項から第28項までは核不拡散に関する詳細な規定が盛り込まれており、この決議の性格・力点は核不拡散であることが明らかです。そういう意味では、プラハ演説と比べても力点の置き方の相違は明らかです。したがって、プラハ演説及び今回の安保理決議を同列に置き、したがって「核兵器廃絶への流れ」が加速しているというような報道は事実関係をゆがめていると言わざるを得ないでしょう。
第二、私が何よりも強調したいのは、アメリカや国連の動きに安易な期待を寄せる前に、やはり日本が本気になって核兵器廃絶に取り組まなければ、核兵器廃絶の国際的な流れを引き起こすことはできないということです。
確かに鳩山首相は、今回の国連総会演説でも、また、安保理首脳会議の席でも非核三原則を堅持すると発言しました。また、岡田外相は非核三原則の密約の有無を調査し、11月末までに結果を提出するように命令しました。しかし、鳩山首相の代表時代の発言、岡田外相が約1年前の2008年8月9日に長崎で発表した東北アジア非核兵器地帯条約(案)を見ますと、彼らが核密約の存在を明らかにした後に、核兵器搭載艦・機の立ち寄り・無害通航を含めた「持ち込み」を認めないという従来の非核三原則を堅持するかどうかについては重大な懸念材料があります(この問題についてはまた別稿で論じることにしていますので、ここではそれ以上は立ち入りません)。
これまでの非核三原則を堅持することとアメリカの「核の傘」に入ることとは根本から矛盾することです。非核三原則を堅持するということは、「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」をひとり広島と長崎の声に留めるのではなく日本の声とすることであり、アメリカの「核の傘」を出る、日本の平和と安全を核兵器に「依存」するという政策と決別するということなのです。鳩山・民主党政権に求められているのはその選択をするかどうか、ということです。
鳩山政権が密約の存在を認めても、その密約どおりに非核三原則を「変更」するということになれば、つまり、非核三原則を有名無実化するとすれば、その日本が核兵器廃絶を世界に対して主張する根本的立脚点は崩れます。そんな日本がいくら「唯一の被爆国」といったところで、国際社会は日本のいい加減さに呆れかえることはあっても、そのようにいい加減な日本の声をまともに扱うことはないのです。
そして、オバマ政権のアメリカは「北朝鮮の核開発」に対抗して核武装に走る危険性のある(とアメリカが危険視する)日本に「核の傘」を提供することで押さえ込もうという方向を目指している可能性が大きいのです(それがペリー報告の一つの中心的内容です。この点についてもまた別稿で紹介することにしています)。つまり、オバマの「核兵器のない世界」の点にだけ目が奪われていると、アメリカ政府の核政策の全体像を見失い、その結果、日本の非核三原則という根本問題に対する正確な視点を見失う危険性が大きいということなのです。
私は、日本が世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきだという確信ゆえに、現在の日本の世論状況に対しては重大な懸念を持たざるを得ません。そして、そういうゆがめられつつある世論状況を正すのは広島及び長崎をおいて他にないと思います。だからこそ、広島と長崎に奮起を求めたいと心から願っている次第です。いま広島と長崎は、「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」という核兵器廃絶の主張に魂を入れる第一歩として、非核三原則問題を直視し、日本国内の世論を変えるために行動を起こすべきではないでしょうか。

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