核兵器廃絶に向けて:広島から世界へ

2009.08

*核戦争防止国際医師会議(IPPNW)北アジア・南アジア合同地域会議が今日(8月22日)広島で開催され、そのシンポジウムにパネリストとして出席した際の冒頭発言を紹介します。持ち時間が10分でしたので、かなりはしょらざるを得ませんでしたが、ここでは用意した全文を載せます。

私は、世界から核兵器を廃絶する課題に直接かかわる、相互に関係のある三つの問題について発言し、その上で今後の私たちの課題に触れたいと思います。
 まず、オバマ政権の核政策をどう見るかという問題です。私は、オバマ大統領個人に関していえば、核兵器廃絶に強い関心を持っていることを認めます。とくに、ニューヨーク・タイムズが報道した、オバマが大学生当時に書いた文章を見る時、彼が若い時から核兵器廃絶の問題に強い関心を示していたことを疑うべき理由はありません。プラハ演説は、そういうオバマの若い時代からの核兵器廃絶に対する関心が大統領になった現在も持続していることを示すものでしょう。そのオバマがアメリカ大統領としてははじめて、「核兵器を使用した唯一の国家として行動する責任」という発言を行ったことは、核兵器廃絶を願う人々に注目され、歓迎されました。厳密に言えば、オバマが「行動する道義的責任」と言った時、そこには「何について」「どのように」「どこまで」行動するのかを示していない点において重大な曖昧さを抱えています。しかし、とくにブッシュ前政権の危険を極めた核政策に国際社会が深刻な危機感を抱かされてきた背景を考える時、そういう歓迎、期待の声が広がったのは、それなりに理解できることでした。
しかし、オバマ大統領が核兵器廃絶に本気で立ち向かう保証はどこにもありません。したがって、プラハ演説だけで手放しで楽観することは根拠がないのみならず、むしろ核兵器廃絶を推進しようとする私たちの緊張感ある取り組みにゆるみを持ち込みかねない危険が潜んでいることを、私はあえて指摘する必要があると考えています。私たちとしては、少なくとも以下のいくつかの点について考える必要があるでしょう。
最も重要なポイントは、オバマが、アメリカによる広島及び長崎に対する原爆投下は“人類に対して絶対に行ってはならなかった、したがって二度と繰り返してはならない誤りだった”ことを認めたわけではないということです。原爆投下が人類に対して犯された二度とあってはならない誤りであることを承認しない立場からは、場合によっては再び核兵器を使用することを正当化する論理が導き出される可能性があります。実際、オバマは“広島、長崎に対する原爆投下は第二次世界大戦を終結するためにはやむを得なかった”とするアメリカ国内で今日もなお多数を占める世論に対して発言していません。またプラハ演説では、オバマは明確に「自分の生きている間に核兵器は無くならないだろう」、「核兵器が存在する限り、核抑止力を維持する」という発言もしています。このように見る時、核兵器廃絶を目指す私たちの核兵器否定及び核兵器廃絶を目指す立場とオバマ個人の認識レベルとを無条件に同一視するのは根拠がないのです。
私たちに求められるのは、オバマに対して、広島、長崎への原爆投下が誤りであったことを明確に認めさせ、原爆投下を正当化することによってはじめて成り立つ核抑止論を根本的に否定する立場に立つことを明確に要求することでなければなりません。この点を不問にしたままでオバマにひたすら広島、長崎への訪問を求めることは、8月6日及び9日の核兵器廃絶を祈念する式典に、アメリカの「核の傘」に入ることを正当化する日本政府の首相を招くことと同じく、広島及び長崎の根本的立脚点、核兵器廃絶の主張の一貫性を根底から損なう結果になるでしょう。
次に、オバマ自身が核兵器廃絶に強い関心を持っていることと、オバマ政権が全体としてどのような核兵器政策を推進しようとしているかということとはあくまで区別して考える必要があるということです。
その点では、アメリカ議会が超党派で設立したいわゆるペリー委員会が5月に発表した報告が、アメリカ国内(及び日本をはじめとする同盟国)の核固執政策論者の大合唱としての性格を持っていることに重大な注目を払わないわけにはいきません。なぜならば、この報告の基調は、オバマ政権が進めている本年内にも作成される予定の‘核態勢報告’や来年2月にまとめる予定の‘4年ごとの国防戦略見直し(QDR)’にも大きな影響を及ぼすことが十分に考えられるからです。とくに、ペリー報告の要旨(Executive Summary)に示された次の認識は重大です。
「オバマ大統領は、核兵器の世界的廃絶に向けて努力すること、しかし廃絶が実現するまでは、安全で確固とした信頼性のある抑止力を維持することを誓約した。核兵器の世界的廃絶を可能にする条件は今日存在しておらず、その条件の創造には、世界政治秩序の根本的変質が必要であろう。」(President Obama has pledged to work for the global elimination of nuclear weapons, but until that happens, to maintain a safe, secure, and reliable deterrent force. The conditions that might make possible the global elimination of nuclear weapons are not present today and their creation would require a fundamental transformation of the world political order.)
私自身は、オバマは核兵器廃絶を求める国際世論と核兵器に固執するアメリカ内外の核抑止論者との間で自らの立ち位置を定めかねている状況にあると見ています。つまり、私たちが核兵器廃絶の声を格段に強め、核抑止論者のオバマに対する影響力を圧倒するエネルギーにまで高めない限り、オバマが‘核態勢報告’や‘QDR’において、核抑止論者の強い影響力を払いのけて核兵器廃絶に正面からコミットする政策を打ち出すことは極めてむずかしいと見るべきでしょう。
オバマ政権の核兵器に関する政策の本質及び問題を考える上では、朝鮮の核兵器開発問題及び日本国内の核兵器をめぐる矛盾した状況という問題に対するオバマ政権の立場・政策を考察する必要があります。
朝鮮の核問題にかかわって私たちが最初に正確に確認しておく必要があることは、朝鮮は宇宙条約に加盟し、同条約ですべての国家に認められた宇宙の平和利用に関する権利を行使して、しかもICAOやIMOに対して人工衛星の打ち上げに関して求められている所定の手続きを行った上で、4月5日にロケットを打ち上げたという事実です。朝鮮の行動は決して非難される筋合いのものではありません。
ところが、朝鮮が人工衛星打ち上げのロケットを発射した直後に行われたプラハ演説でオバマは、「北朝鮮は、長距離ミサイルに使用できるロケットをテストすることにより、再び規則を破った」(North Korea broke the rules once again by testing a rocket that could be used for long range missiles.)と断罪し、その後の安保理議長声明による朝鮮に対する根拠のない非難(国際法上の権利の行使を安保理決議違反としたこと)と要求(さらなる打ち上げをしないことを求めたこと)へのレールを敷いてしまったのです。公正に見て、朝鮮を「ルール違反」と断じたオバマこそが国際法を無視する言動に出た責任を問われなければならなかったはずなのです。しかし、そのような批判が国際的に起きることがなかったために、国際法を無視したオバマ政権(及びそれに追随した安保理)の朝鮮批判の言動に絶望感を強めた朝鮮は第2回目の核実験に踏み切ったのです。
私は決して朝鮮の核実験を肯定するものではありません。しかし、朝鮮の行動は、オバマが言うような国際社会に対する「挑発」などではあり得ず、アメリカ、日本、韓国といった朝鮮から見ればどう猛な肉食獣に包囲されて絶体絶命の境地に追い込まれたハリネズミが、自らの身を守るための必死の行動であったのです。そのことを理解しようともせず、自らが国際法という重要なルールを無視していることを反省もしないで、いたずらに朝鮮に居丈高にふるまうオバマ政権の核政策は極めて危険な綱渡りをしているという事実を指摘しておく必要があると考えます。
いうまでもなく、朝鮮の非核化は、6者協議で明確に合意されているように、朝鮮半島全体の非核化という枠組みの中でのみ実現することが可能です。それはいうまでもなく、朝鮮だけの非核化を要求するということではあり得ず、アメリカが韓国に提供している「核の傘」の政策をきっぱりと清算することをも含むものでなくてはなりません。そのことは米韓軍事同盟そのものの清算をも視野に収めたものになる必要があるでしょう。オバマ政権が「北朝鮮の非核化」というつまみ食いの政策に固執する限り、問題の解決への展望は開けないことを強調しておきます。
アメリカの「核の傘」という問題は、私が今日取り上げたい三つ目の問題と深くかかわっています。率直に言って、現在の日本国内における核兵器にかかわる状況はかつてない危機を迎えていると思います。この危機的な状況は、優れて「北朝鮮脅威論」を利用した日本の保守陣営の人々によって作り出されています。日本国内には、いわゆる「拉致」問題を含め、朝鮮に対する国民的な不安、反発、警戒を増幅する材料をマス・メディアが大量に垂れ流しています。そういう国民感情に付け入って、‘核武装した朝鮮’が日本の安全保障に対する重大な脅威となっているとする議論が横行しているのです。
極端な論者は日本の核武装を主張するまでになっています。そうでないまでも、多くの保守陣営の人々は、アメリカの「核の傘」によって日本の安全を確保することを正当化しようと躍起になっています。先ほど紹介したペリー委員会の報告においても、日本側からの強力な働きかけもあって、アメリカが拡大抑止戦略をとることが重要であるとの結論が導き出されています。オバマ政権自体、韓国に対してと同様、日本に対しても「核の傘」を保証することに力を入れています。
この点に関して考えなければならない問題は二つあります。
一つは、オバマ大統領自身が核兵器廃絶に関心があるということは、オバマ政権が日本に対して「核の傘」を提供すること、つまり拡大核抑止政策に力を入れるというこれまでの路線を継続し、あるいは強化することにとってなんら妨げになっていないということです。私たちがオバマ政権に対して安易な楽観論や期待感を持つことの重大な落とし穴は正にここに潜んでいます。ましてや、オバマ大統領に対する高い評価を与えたことに囚われるあまり、日米核軍事同盟に深々とコミットしているオバマ政権という本質に目を閉じるようなことは絶対にあってはならないことだと思います。
もう一つの問題は、アメリカの「核の傘」を実効性(?)あらしめるための障害物を取り除こうとする動きが日本国内で強まっていることです。それは非核三原則の問題です。今年の6月、外務省の4人の次官経験者がアメリカの核兵器持ち込みに関する日米間の密約があったことを明らかにして以来、「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則に関する議論が関心を集めています。注目しなければならないのは、自民党、民主党を問わず保守陣営の有力者たちが、「北朝鮮脅威論」を口実にして「持ち込ませず」の原則を改めるべきだとする主張を行っていることです。
改めて言うまでもなく、アメリカの「核の傘」に頼りながら、当のアメリカの核兵器の持ち込みは認めないという歴代日本政府の政策は、長年にわたって国際的には嘲笑噴飯ものでした。アメリカの核兵器に頼る以上は、アメリカの行動を縛るようなことは本来あり得ない話だからです。それにもかかわらず日本政府がこのような政策(?)を行ってきたのは、広島、長崎の原爆体験を持つ日本国民の反核感情を尊重するふりをせざるを得なかったからです。しかし、「北朝鮮脅威論」が国民の間に浸透しつつある状況に手応えを得た保守陣営の人々は、いよいよ非核三原則の束縛を取り払う、核のタブーを打ち破るという、彼らにとっての長年にわたる宿願実現に乗り出しているのに間違いありません。日本の核兵器廃絶論にとってはかつてない挑戦といわなければなりません。
以上、三つの問題について私の考えを述べてきましたが、最後に以上の三つの問題を踏まえつつ、核兵器廃絶を目指す私たちの主体的課題について簡単に述べておきたいと思います。
なによりも重要なことは、私たちが核兵器廃絶に関して国際世論をリードするために全力を傾けなくてはならないということです。オバマに頼るのではなく、核兵器廃絶と核抑止との間で揺れ動くオバマを私たちの側に引き寄せるだけの主体的なエネルギーを作り出すことこそが焦眉の急なのです。そういう時の「オバマ頼み」の依頼感情は百害あって一利なしです。
次に、私たちの主張の説得力を格段に強めることが必要です。現実には、「北朝鮮脅威論」の前にはひるんでしまう私たちがいます。冷静かつ客観的な国際情勢判断能力に裏打ちされた、多くの人を納得させるに足る核兵器廃絶論でなければ、多数派結成は到底実現できません。
そして、オバマ政権の核政策に対して冷静な視点を持つことが必要不可欠です。朝鮮の核問題にしても、日本の非核三原則の問題にしても、オバマ政権のアメリカは、極めて重大かつ危険を極める政策にコミットしています。オバマ個人の発言の片言隻句を見るのではなく、オバマ政権の核政策をトータルに見極め、判断することが、世界の核状況を誤らせないために必要不可欠です。
最後に、核兵器廃絶の要諦は、アメリカをして核抑止力政策の根本的誤りを認めさせることにあります。その誤りを認めさせうるかどうかは、冒頭に述べましたように、広島、長崎に対する原爆投下が絶対に犯してはならない誤りであったことを、アメリカが承認するかどうかにかかっています。オバマのプラハ演説で目を曇らされている状況を一刻も早く清算し、「人類は核兵器と共存できない」というヒロシマ・ナガサキの思想を全人類の普遍的な思想とするべく、私たちは目の色を変え、そして倦むことなく努力してことが求められていると思います。

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