危うい非核三原則-オバマ政権の核政策の二重性を見極めよう-

2009.07.19

*7月10日に広島平和研究所の連続市民講座で「憲法第9条と日米安保体制」と題してお話をしました。その後の質疑において、新聞を賑わしている核密約についての質問が3人の方から出されました。ちょうどその日の朝日新聞トップに「核密約文書 外務省破棄か」という見出しの記事が出ていたことにも触発されての質問だったと思います(ちなみに翌日の毎日新聞一面トップ記事の見出しは、「外務省に密約本文」というものでしたし、11日の中国新聞の一面トップ記事の見出しは「外務省に密約本文」でした)。その場では私の見解をお話しすることができなかったので、このコラムで問題点などを整理しておきたいと思います。
質問された方たちの関心は、密約があるとしてその文書を外務省が破棄することなどあり得るのか、そもそも密約などどうして国民を欺くようなことをするのか、なぜ密約という手段で国民を欺いてまでアメリカに対して従属しようとするのか、という点にありました。また一連の新聞報道を見ますと、「日本政府のこれ以上のウソは正されなければならない」という点にのみポイントが置かれているように見られて仕方がありません。そこには、どのような方向でウソを正すのか、という肝心の視点がないのです。しかし、今回の一連の報道について私たちがもっとも注目しなければならないことは、まさにその点(つまり「どのような方向でウソを正すべきなのか」)にあると思います。
その点で外務省元次官たちの狙いは、非核三原則を非核二原則に変える(アメリカの核持ち込みを認める)ことに照準が当てられていることは明らかです。そして彼らの発言に飛びつくようにして出されている山崎拓、河野太郎などの自民党関係者、そして鳩山由紀夫民主党代表などの発言は、北朝鮮の核開発を口実に、非核三原則に引導を渡すことを狙っていることが明らかなのです。
それは、広島、長崎が訴えてきた核兵器廃絶を目指す立場から日本を引き離し、日本政府の対米核抑止依存政策を確立することを目指すものです。私は、一連の新聞報道によって、国民の関心が「ウソを言う政府はけしからん」という次元に押しとどめられ、この「チャンス」を自分たちの都合の良い方向に持って行こうとする永田町政治に利用される結果になって、非核三原則が非核二原則に変えられてしまう危険が高まっていることに、是非とも一人でも多くの国民が認識を深め、非核三原則を堅持する方向でウソが正されなければならないという世論が高まることを願っています(7月18日記)。
(追記)7月19日付中国新聞夕刊は、「日米両政府が18日、外交、防衛当局の局長級による日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)を外務省で開き、アメリカが日本に提供する「核の傘」を含む抑止力のあり方について、定期的な公式協議を新たに始める方向で一致した」と報道しました。本文4.で紹介した7月9日付中国新聞の報道が早くも裏づけられたのです。(7月19日記)。
また、7月24日付の中国新聞は、民主党の岡田幹事長が共同通信とのインタビューで、「実態とかけ離れた国会答弁が行われていました。密約の事実が確定すれば、政策にどう反映させますか」という質問に対し、「国内への説明と米国との約束の間に食い違いがある。その食い違いを何らかの形で正さないといけない」と答えたことを報道しました。「何らかの形で正す」という発言は、本文全体とのかかわりを踏まえれば、非核三原則を非核二原則にするという可能性を強く滲ませるものとして捉える必要があると思います。「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」は本当に崖っぷちに立たされているのです(7月25日記)。

1.非核三原則の「ウソ」に関する外務省元次官の発言

非核三原則(核兵器を「持たず、作らず、持ちこませず」)のうち、米軍による「持ち込み」が守られてこなかったのではないかという疑問は、74年9月のラロック証言や81年5月のライシャワー元駐日大使の発言などで早くから浮かび上がっていましたが、日本共産党が1990年代末に米公文書館で解禁になった文書を入手し、その文書をもとに2000年に不破委員長(当時)が国会の党首討論で日米両政府間の核密約の存在を明らかにしたことによって白日の下にさらされました(6月22日付しんぶん『赤旗』参照)。しかし、日本政府は密約の存在を否定し、その後も今日に至るまで否定し続けてきました。
 6月1日付の中国新聞は一面トップで共同通信配信記事(太田昌克編集委員執筆)を掲載し、外務省の4人の元事務次官に対する取材で分かったこととして、米軍の日本への核持ち込みに関する密約が歴代外務次官らによって引き継がれていたことを報じました。そして6月30日付の朝日新聞、毎日新聞及び中国新聞(共同通信配信記事)は、1987年から89年まで外務事務次官を務めた村田良平氏が歴代次官の事務引き継ぎに際して核密約に関する文書も引き継いでいたことなどを明らかにしたことを報道しました。そして日本政府といえば、麻生首相及び外務省の藪中次官を含め、相変わらず密約は存在しないと強弁し続けています。

2.なぜ今密約の存在を「暴露」したのか?

 なぜ今になって4人もの外務次官経験者が核持ち込みの密約に関して証言を行うことになったのでしょうか。また、村田氏が実名を明らかにして核密約の存在を明らかにしたのはいかなる動機に基づくものなのでしょうか。私の手元にある6月28日付の琉球新報記事(やはり共同通信の太田編集委員執筆記事)には、次のくだりがあります。

 「元次官はなぜこの時期に重い口を開いたのか。ある元次官は「抑止力として(核を)持ちこんだ方がいい」とし、「核を持たず、つくらず、持ちこませず」の非核三原則見直しのために事実関係を整理すべきだと力説した。」

 また、6月30日付朝日新聞の村田氏に対する取材に対して、同氏は次のように発言しています。

 「安保ができたばかりの時は、外交交渉の結果を表にできなかったこともある。だが50年がたち、核の持つ意味も変化した。北朝鮮も核を持っているのだから。」

 つまり、北朝鮮が核実験をした今、「北朝鮮の核の脅威から身を守るためには、アメリカの核抑止力に依存する必要があるから、いざというときには、アメリカが日本に核兵器を持ちこむこと(あるいは核搭載機・核搭載艦船の入港)を認めるべきだ」ということであり、そのためには非核三原則は邪魔である、という理屈が垣間見えています。

3.非核二原則を目指す政治家たち

 自民党の山崎拓氏は、7月9日に記者団に対して、「北朝鮮の核開発を阻止する上で、米国の核抑止力としてそのような(核搭載艦船の寄港)行動があると考えれば、容認されるべきだ」と述べ(7月10日付朝日新聞)、寄港を認める条件として、「日米両国が『日本と極東の平和と安全のために必要がある』と判断した場合はできる」と提案するとともに、非核三原則との整合性については「寄港だけは例外として扱うのが望ましい」 (同日付中国新聞) と指摘しました。
また同じく自民党の河野太郎衆議院議員(衆議院外務委員長)は、13日に記者会見し、村田氏らから聞き取りをした結果を踏まえ、「政府側がこれまでの答弁を修正し、密約の存在を認めるよう、外務委員会で決議したとの意向を示した」(14日付神奈川新聞)そうですが、その理由として、北朝鮮の核開発などへの懸念が高まる中、「米国の核の傘が本当に有効なのかも議論されていない。将来の核抑止戦略を考えるためにも、政府にはきちっとしたことを言ってもらいたい」(同紙)と強調したといいます。
民主党では、鳩山由紀夫代表の発言が注目されています。同氏は14日の記者会見で「非核三原則が堅持されていくなかで現実的対応がなされてきているという側面がある。北朝鮮の問題も含め、必要性があるからこそ、その方向で考えるべきだと思うが、党としてその議論を進めているわけではない」と述べ、また翌15日には「過去に密約にしたのは、政治としてやむを得ない措置だ。…北朝鮮の脅威と米国の拡大抑止力をどう見つめていくかという議論はあるべきだ。日米で大いに議論した方がいい」と述べたことが報じられました(以上、16日付朝日新聞)。

非常にはっきりしていることとして、三氏の主張に共通しているのは、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の核開発を前面に押し出して非核三原則の「持ちこませない」を取っ払い、アメリカによる持ち込みへの道筋をつけようとする意図が見え見えであることです。三氏の議論は、朝鮮の動きに対抗するため「核に関する議論もあっていい」と述べて日本独自の核武装の可能性を視野に収めていると見られている中川昭一前財務相の発言(4月5日)とは異なり、あくまでもアメリカの核抑止力に依存することを前提にしつつ、それを実効あるものにするためには「持ちこませない」という原則が邪魔になるという立論です。

4.日米両政府の危険な動き

 6月1日の核密約に関する報道があった直後、私は琉球新報に掲載された「核なき世界 人類の岐路 喜べない被爆国」という連載記事(第1回)に目を奪われました。そのタイトルは「変革にあらがう日本 「傘」は絶対降ろすな」(やはり共同通信の太田編集委員によるもの)でした。少し長くなりますが、重要な内容ですので、以下に紹介します。

 2008年9月の首都ワシントン。元国防長官ウィリアム・ペリーら各専門家を前に、日本政府高官が語気を強めた。
 「日本が核拡散防止条約(NPT)に加盟したのは米国の核抑止力があったからだ。だから抑止の前提が崩れれば、日本は政策の根本を見直さざるを得ない。」
 言葉の裏には、NPT加盟で核保有の道を閉ざされた日本を守る「核の傘」が弱体化すれば、独自核武装もあり得ない選択肢ではないとの“脅し”が込められていた。
 米議会が設置した超党派の「戦略態勢委員会」を率いるペリーは、新たな核政策を米政府に提言するに当たり、米国の核の傘に長年頼ってきた日本政府からも非公開で要望を聞いた。…
 核の傘は絶対に降ろすな。核開発にまい進する北朝鮮が生物・化学兵器で攻撃しても、核で報復する選択肢を堅持してほしい。中国の核軍拡に対し核抑止力維持は不可欠。さもなければ独自核武装も…。これが日本のメッセージだった。(以下省略)

 以上の記事で紹介されているペリー議長の戦略態勢委員会が2009年5月に公表したいわゆるペリー報告(私がこのコラムで書いた「オバマ大統領の核兵器廃絶に対する基本認識」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/288.htmlでは、「ペリー・シュレジンジャー報告」として紹介しましたが、これからは「ペリー報告」で統一します)は、日本をはじめとする同盟国に対するアメリカの核拡大抑止政策を堅持する必要性を強調するとともに、日米両国による「広範な核協議」を行うことを提言しました。上記記事は、日本政府が必死になってこの委員会に対して「核の傘」の必要性を強調し、その訴えが聞き届けられないときには日本独自の核武装の可能性すらほのめかしていた、という背景があったことを窺わせますし、ペリー報告はまさに日本政府の訴えを聞き入れて核拡大抑止政策の重要性を強調し、日米間で本格的な核協議を行うべきだと結論づけた、ということが分かるのです。

中曽根外相が4月27日に行った「ゼロへの条件―世界的核軍縮のための「11の指標」」と題する演説の次の部分も、以上の経緯を踏まえてみれば、さまざまな修飾語はちりばめられてはいますが、朝鮮及び中国を念頭においてアメリカが核拡大抑止政策を堅持することを要求することにポイントが置かれていることは明らかです。

広島・長崎における被爆を経験した日本は、核の惨禍を身をもって知っています。国際社会は、一致団結して、核のこれ以上の拡散を凍結し、過剰に蓄積した核を大幅に削減し、核を使ったテロリズムという深刻な危険を未然に防止し、核兵器のない世界に向けて前進していく必要があります。もちろん、核軍縮・不拡散を進めていく際には、現実の安全保障環境を踏まえる必要があります。先程述べた東アジアの状況(浅井注:中曽根外相は、「北朝鮮が、安保理決議第1718号に違反して、(ミサイル)発射を強行したことは、地域の平和と安定に対する重大な挑戦であり、不拡散という観点からも断じて見過ごすことはできません」、「中国の戦略的方向性は不透明な一方、核軍備の近代化を進めており、これまで核兵器削減に取り組んでいません。また、情報開示を一切行っていません」と述べています。)にかんがみれば、我が国にとっては日米安全保障体制の下における核抑止力を含む拡大抑止が重要であることは言うまでもありません。(太字は浅井)

また、先に紹介した山崎、河野、鳩山各氏の発言も、こういう日米間のやりとりを踏まえた上でのものであることは想像に難くないということも改めて確認しておく意味があると思います(野党の鳩山氏がどこまで舞台裏の事情を知っているかということは議論の余地がありますが、少なくとも公開情報しか知るよしもない私たちよりははるかに事情に通じていることは間違いないでしょう)。

こうした動きを踏まえるとき、7月9日付の中国新聞が報道した共同通信配信記事「日米、月内にも安保協議 (副題)局長級「核の傘」もテーマ」がただならぬ意味を持つことも理解されるはずです。この記事によると、「日米両政府は7日、米国の核戦略を福幅広い安全保障対話のため、外務、防衛両省と米国務省、国防総省の担当局長級による公式協議を月内にも開催する方向で調整を始めた。「核の傘」を含む抑止の在り方のほか、在日米軍再編、ミサイル防衛(MD)、米軍駐留経費などがテーマとなる見通しだ」との書き出しに続き、次のような叙述が続いています。

北朝鮮の脅威や中国の軍事力増強を背景に、日米同盟の内実を強化させる狙い。協議内容は日本の防衛政策の基本となる新「防衛計画の大綱」やオバマ政権が検討中の「4年目ごとの国防戦略見直し(QDR)」、核戦略指針の「核体制の見直し」に反映される。…
核戦略論議をめぐり両政府は、これまで米側の「核の傘」の確約以上に深入りしない傾向があったが、今回の協議では米側の核攻撃能力や軍事力展開に踏み込んで話し合う予定。

アメリカ・オバマ政権においてはQDRや新核戦略指針、日本政府においては新防衛計画の大綱という今後数年間の軍事政策の方向性を決める重要政策が作成されるわけですが、そこにおいては、「核の傘」(核拡大抑止)を強化する方向での動きが本格化しようとしていることを窺わせます。

以上の日米両政府の動きを予見したのがシュレジンジャー元国防長官です。7月13日付のウオールストリート・ジャーナル紙は、前期戦略態勢委員会の副議長としてペリー報告の作成に重要な役割を担ったシュレジンジャーとのインタビュー(6月に行われたものとのこと)に基づく記事を掲載しました。日本関連の部分は次のとおりです。

議会委員会(浅井注:上記の戦略態勢委員会のこと)は、アメリカの抑止力またはワシントンが抑止力を行使する意志に対する信頼を失えば、より多くの国々が核に踏み切る決定を行う拡散の「転換点」が近づくことを警告した。もしアメリカの同盟国が彼らを保護するワシントンの能力に対する確信を失えば、これら諸国は新たな核軍備競争を引き起こすだろう。
シュレジンジャー氏が日本を核協議に持ちこもうとする理由はまさにそれである。「委員会の一つの勧告は、日本を啓発するのを助けるため及び日本がアメリカの核の傘によって守られるであろうことを再確認させるため、戦略的能力に関して日本と対話を開始するべきだということである。過去においてはそうではなかった。日本はソ連の能力によって深刻に脅威を受けたことはなかった…。しかし今や中国の軍事力は、数百の(核)兵器にまで成長してきたので、長年にわたって欧州諸国に話してきたと同じやり方で日本側に話していく必要があると考える。」
彼は、2002年に、日本が核弾頭を作ることはたやすいこと、数千の兵器を作るのに十分なプルトニウムを保有していることを述べた日本の政治家である小沢一郎のコメントに言及した。シュレジンジャー氏によれば、「そのような数のことを考えるとき、不拡散の重要な部分がアメリカの核の傘で成し遂げられてきたことが分かる。核の傘がない場合には、いくつかの、いやおそらくかなりの数の同盟国が自分自身の能力を持つ必要性を感じることだろう。」

本論とは外れますが、シュレジンジャーの発言で一つはっきり確認しておく必要のある点があります。シュレジンジャーは、中国の核戦力との関わりで日本に対する核の傘を論じているということです。この記事の別のところでシュレジンジャーは、アメリカの核抑止力は北朝鮮やイラン、あるいは非国家主体に対しては何の影響力もないとし、「彼らが取る行動に対して核による反撃を受ける可能性によって(その行動が)抑止されることはないだろう」とも述べています。私自身は、朝鮮、イランを「ならず者国家」と見なし、理性的反応は期待し得ないとする、このシュレジンジャーの判断には同意しかねますが、ここではそのことがポイントではありません。先の山崎、河野、鳩山各氏の発言を思い出していただきたいのですが、日本国内ではもっぱら「北朝鮮脅威論」を引き合いにして非核三原則を変えてしまおうとする主張が行われているということです。しかし、「敵は本能寺(中国)」であり、日本国内の議論は、ホンネを前面に押し出すことは都合が悪い(中国と正面切って事を構えるだけの「勇気」はない)ので、朝鮮を身代わりにしているということなのです。ここでも、日本における核問題、安全保障問題に関する今ひとつの「ウソ」が横行していることを認識していただきたいのです。もちろん、中国はそんな日本国内の議論の「ウソ」については先刻承知ですから、非核三原則を変えてしまおうとする自民、民主を問わない日本の保守政治の動きについては警戒を深めているに違いありません。

5.非核三原則とオバマ政権の核政策

 以上の経緯を踏まえるとき、日本の非核三原則がまさに風前の灯火に近い状況にまで追い込まれようとしている実態が浮き彫りになったと思います。しかも、そこには日本政府の執拗な対米働きかけがあり、アメリカ側では、日本の核武装を思いとどまらせることを格好の材料にしつつ、オバマ大統領の個人的なこだわりとは関係なしに、核抑止論者が主導権を握って核兵器廃絶に逆行する動きを強めているという構図が働いていることも明らかです。ウオールストリート・ジャーナル紙が次のシュレジンジャーの発言を紹介していることを、私たちは見逃すべきではありません。

 (我々は近い将来に核のない世界に向かっているだろうかとの問いに対し)ノー。我々は強力な抑止力が必要だ。しかも少なくとも数十年という期間においてであり、私の判断では、ほとんど永久にということだ。我々が核兵器を廃絶できるという見解は、アメリカ的空想主義とアメリカ的偏狭主義の組み合わせの産物だ。…それは、国家の政策手段として戦争を否認したケロッグ・ブリアン条約(浅井注:1929年の不戦条約)のようなものだ。…それは現実に関する理解に基づくものではない。

 私は、オバマ大統領の核兵器廃絶に対する関心は青年時代からのもの(ニューヨーク・タイムズ紙が紹介した、1983年3月10日にオバマがコロンビア大学3年生の時に書いた文章参照)であり、決して浮ついたものではないことは認識しています。しかし、そのことは、彼がアメリカ内外の核固執勢力に敢然と立ち向かって核兵器廃絶に邁進することを無条件で保証するものではまったくないことを、私たちは冷静に踏まえておくことが必要であり、不可欠だと思います。この点を正確に踏まえないとき、根拠のない「オバマ頼み」によって私たちの主体性が失われることにつながりかねません。この点はすでに前記のコラムでも指摘しましたので、これ以上繰り返しません。
 むしろここで強調したいことは、安易なオバマ期待論が私たちの思考を支配することにより、危機的な状況に追い込まれつつある非核三原則に関する私たちの厳しい認識が妨げられる危険が高まっているということです。外務省次官経験者たちの核密約に関する発言は、彼らの主観的意図はどうであれ、非核三原則を変えてしまおうとする重大を極める政治的意図を実現するための布石として使われていることは間違いありません(ただし、村田氏は明確に非核三原則を変えることを意図していることは確実です)。非核三原則が非核二原則に変えられてしまうことを許してしまう私たちは、ますます「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」の訴えの空洞化を許すことになります。「人類は核兵器と共存できない」というヒロシマ・ナガサキの思想はさらにその普遍性の基盤を失うことになるのです。今こそヒロシマ・ナガサキは、日本政府の積年の二重基準を極める核政策を正面から告発し、ヒロシマ・ナガサキの声を日本全体の声とするべく、非核三原則を守り抜くための決意をうち固めるときだと思います。「災いを転じて福となす」上でのまさにラスト・チャンスだとすら考えます。

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