朝鮮の核問題解決の糸口:朝鮮の主張に耳を傾けてみよう

2009.06.20

*朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が4月5日に人工衛星の打ち上げを試みたのに対し、国連安全保障理事会における議論の末、安保理議長は、同月14日に安保理を代表した議長声明を発表し、朝鮮による「打ち上げ」は安保理決議1718(2006)に違反すると非難しました。朝鮮は即日、この議長声明に込められているアメリカ以下の対外政策上の二重基準、宇宙条約違反の国際法違反性を指摘する外務省声明を発表し、「平和的衛星まで迎撃すると言って襲い掛かる敵対勢力の増大した軍事的脅威に対処して、我々はやむを得ず核抑止力をさらに強化せざるを得ない」と述べました。さらに4月29日付の外務省声明で、安保理が謝罪し、決議を撤回しないのであれば、「(朝鮮の)最高利益を守るため、やむを得ず追加的な自衛的措置を講じざるを得なくなるであろう。ここには核試験と大陸間弾道ミサイル発射試験が含まれるようになるだろう。」と宣言し、5月25日に第2回目の核実験(及び数度にわたるミサイル発射)を行いました。これらの朝鮮の行動に対して、韓国政府がアメリカ主導の「拡散に対する安全保障構想」(PSI)参加を決定(朝鮮は、韓国のPSI参加を宣戦布告と見なすと警告してきた)し、日米が主導した国連安保理は6月12日に厳しい制裁決議1874を採択しました。
 私は、このように事態がエスカレートしてしまっている事態に深刻な憂慮を感じています。何らかの外交的解決(原状回復)の努力が行われないと、事態が修復不可能になってしまい、最悪の事態(武力衝突→周辺事態→対日武力攻撃事態と発展する日本が戦争に突入する事態)を考えなくてはならなくなることを恐れます。事態収拾の手がかりを探るためにも、もう一度出発点(オバマ政権発足時)にまで立ち戻り、事態がエスカレートしてしまった原因を見極めることが必要だと思います。原因がはっきりすれば、事態打開の糸口も出てくるのではないでしょうか。以下はそういう試みです(6月20日記)。

1.他者感覚を働かせて金正日の考えを読み取る

私は、朝鮮問題に限らず、国際問題について取り組む場合には、他者感覚を働かせて物事を判断することが重要であることを、25年間の外務省における実務体験を通じて肌身にしみて痛感しています。そういう私からすると、日本(及びアメリカ、韓国)における朝鮮問題に対する対応は極めて決めつけ的、独善的(自己中心主義)であり、金正日から見た内外情勢が彼の目にどのように映っているか、彼が把握する内外情勢の下で、彼としてはどのような政策的選択肢があり得るのか、という視点(つまり他者感覚)を踏まえた分析が欠落していると感じないではいられません。このような極めて恣意的、主観的な分析、判断から導き出される政策は到底朝鮮(金正日)に対して説得力を持たないだけでなく、ますます彼を強硬姿勢へと追いやってしまい、好ましい結果を招くすべがないと思います。
それでは、金正日の思考を規定する要素としてどのようなものがあるでしょうか。
まず、私たちがしっかり踏まえるべきことは、金正日の朝鮮はモンスターでも何でもなく、巨象(アメリカ)、ライオン(日本)、虎(韓国)にいつ何時襲われるかもしれないと極度の緊張状態に置かれているハリネズミ(朝鮮)であるということです。金正日は、猛獣に取り囲まれて窮地に陥ったハリネズミさながらに、身を逆立てて絶望的な状況を何とかして打開しようと必死になっているであろうということです。朝鮮が行ういかなる軍事行動(核実験、ミサイル発射を含む)も、いつ襲ってくるか分かったものではない巨象、ライオン、虎に対して精一杯針を逆立てて我が身を守ろうとする自己防衛本能の現れにほかならないのです。そのような行動を「脅威」であると決めつけるアメリカ、日本、韓国の姿勢は、朝鮮(金正日)から見れば、朝鮮を押しつぶそうとする強圧以外の何ものでもないでしょう。
 次に、金正日の発想を支配しているもっとも中心的主題は、自国の国家的生存と民族的自尊心(主体思想)を何としてでも守り抜くという悲壮感に満ちた決意ではないでしょうか。現在の世界を見渡しても、朝鮮ほど孤立を強いられ、信頼するパートナーを欠いている国家は少ないように思います。ソ連から代わったロシアはもちろん、かつては血盟関係にあった中国も、今では朝鮮の立場に立って政策を立案・実行する存在ではなくなりました(私が北京で働いていた1980年代初期においても、中国の対朝鮮関係者から常に聞かされたのは、中国の朝鮮に対する影響力を過大評価することを戒める言葉でした。改革・開放政策の下で巨大な変貌を遂げた中国外交においては、まして何をか言わんや、だと思います)。中国との経済関係が朝鮮の国家的生存を可能にしていることはたしかです。しかし、中国の主たる考慮は、対朝経済関係断絶が中国にはね返り、巨大な(耐えきれない)代価が持ち込まれることをなんとしてでも食い止めたい(そのためには朝鮮の国家としての崩壊を防ぎ止めなければならない)という、優れて自国本位の打算的なものであり、今の中朝関係は双方の利害打算の微妙なバランスの上に成り立っていることは否定しようがないでしょう。そうであればこそ、金正日としては、経済的困難を打開する目処が立たない今、ますます朝鮮の国家的生存の確保を重視せざるを得ないし、その具体的手段としては精神的要素に訴える、すなわち、国民に民族的自尊心(主体思想)を鼓舞し、かつての軍国主義・日本におけると同じく、「国家に忠誠を尽くす」「欲しがりません、勝つまでは」精神を植え付ける以外に方法がないのです。
 さらに対外政策の中心に座るのは、6者協議の過程で定式化されてきた「行動対行動」の基本原則であると思われます。なにしろ朝鮮(金日成及び金正日)は、朝鮮戦争以来今日に至るまで、外国との関係において真に全幅の信頼を寄せるに足ると確信できる国家には出会ったことがないと思われます。それは、四囲をロシア、中国、韓国、そして日本、アメリカに取り囲まれるという極めて恵まれない国際環境に置かれてきたことに地政学的な原因を求めるべきかもしれません。しかし、主体思想を中心に置く金日成、金正日親子の主体的な国際観(中ロを含め諸外国に対して基本的に信をおかない主体性強調の国際観)の影響も無視することはできないと思います。このような客観的及び主体的な要因が強く働く条件の下では、西欧起源の伝統的国際関係を規律する外交及び国際法の働きを基本的に前提として(つまり、一定のルールの働きを互いの暗黙の前提にして)対外関係を営むという思考様式は、金親子にとっては決して所与のものではないでしょう。むしろ、「行動対行動」という表現に昇華されてきたように、ルールそのものの有効性を検証する行動の相互的積み重ねを重ねることによってのみ、国際関係を前進させていく確かな道のりを切り開くことができるという思考様式が金親子を特徴付けていると思います。
 そして、金正日にとっては、自らの病と老い、それと密接に結びついて極めて現実的な課題となる後継体制問題、そして出口・打開の目処が立たない経済問題という一連の国内問題が大きくのしかかっているであろうことも想像に難くはありません。個人崇拝体制、先軍政治は、金正日の健康、指導力に不安がないという前提条件が満たされる限りは、それなりに有効に機能してきたのでしょうが、その大前提にかげりが見えてくると、一気に不安材料を増幅する方向に働く要素となる可能性が大きいと思われます。そのことは、金正日自身がもっとも自覚していることでしょう。そうであるとすれば、「自分の目の色が黒いうちに、何とか少しでも朝鮮を取り巻く情勢を好転させる目星をつけておきたい」という意欲、願望も高くなるはずだと思います。
そう考える金正日にとって最大の目標は、朝鮮戦争以来最大の脅威であり続けてきたアメリカとの関係の改善であることは間違いないでしょう。私たちに求められていることは、金正日が一見強硬な政策を採り続けながら、しかしあくまでも目指しているのは、民族的自尊心を持つハリネズミとして「行動対行動」の基本原則に基づいて対米関係を改善する、ということであることをしっかり認識することであると確信します。具体的には、一触即発の不測の事態をもたらさないために、米朝対話の道筋回復の可能性を求めることに国際社会が全力を注ぐことがもっとも緊要であると考えるのです。
そういう私の判断からしますと、オバマ政権登場以来の米朝関係は、不運ともいえる事情が積み重なって泥沼に落ち込みつつあるとしか見えません。以下においては、絡みついた米朝関係の糸の固まりをほぐし、解いて、事態打開の糸口を探ってみたいと思います。

2.不運な朝米関係の動きを読み解く

(1)「対話重視」路線を掲げたオバマと朝鮮側の関心の所在

大統領選挙期間中を通じてオバマが強調したのは、軍事突出のブッシュ政治に対する批判的姿勢であり、ブッシュが「ならず者国家」と決めつけた朝鮮その他の国々との外交的対話路線でした。たとえば外交安全保障問題が主題となった2008年9月26日のオバマとマケインとの討論会で、オバマは、「ブッシュ政権が強硬路線をとったため06年10月の北朝鮮核実験などを招いたと主張。対話に転じたことで6者協議の進展が生まれたとして、対話すべきだという持論の根拠に挙げた」(同年9月28日付asahi.com)など、朝鮮との間でも対話重視の外交の必要性を強調してきました。
 朝鮮側も、大統領選挙の投票期間中(2008年11月)に外務省の李根・米州局長をアメリカに派遣して大統領選の帰趨に関心を寄せる具体的行動をとるとともに、基本的には、「我々はどんな政権が出てきてもその政権の対朝鮮政策に合うように対応する準備ができている」というアメリカ側の出方を見極める姿勢を覗かせ、「(オバマが)優先順位に置かなければならない問題は、アメリカの対朝鮮敵視政策だ。アメリカが変われば朝鮮も呼応するだろうし、新しい朝米関係の構築が充分に可能だ」(同年11月10日付朝鮮新報)と、オバマ政権の出方を好意的に見守る姿勢を明らかにしていました。

(2)優先順位が低かった朝鮮問題と朝鮮の人工衛星打ち上げに対する対応

オバマ新大統領が就任直後に直面したのは、100年に一度といわれる経済危機であり、ブッシュの対テロ戦争の遺産ともいうべきアフガニスタン・パキスタンにおける戦争の後始末でした。たしかに就任直後にホワイト・ハウスのウェブサイトに掲載されたオバマ政権の政策アジェンダでは朝鮮問題への言及はありましたが、その言及部分は「ルールを破る北朝鮮、イランなどの国々が自動的に強力な国際的制裁に直面するよう、NPTを強化することによって核拡散を厳しく取り締まる」という脈絡においてであり、朝鮮問題を包括的に外交課題として設定するものではありませんでした。後でも触れますが、アジェンダでは、イラン問題に関しては独立の項目を設け、「前提条件なしにイランとタフで直接の外交を行う」とまで踏み込んでいました。イランとの対比を見るだけでも、オバマ政権にとっての朝鮮問題の外交的優先順位が低いことは明らかでした。
また、オバマ政権は、早くも1月22日に中東問題特使に元上院議員のジョージ・ミッチェルを、また、アフガニスタン・パキスタン担当特別代表にリチャード・ホルブルック元国連大使を指名しました。これに対して朝鮮半島問題の特使としてスティーブン・ボスワース元駐韓米国大使が指名されたのは、それから約1カ月後の2月20日でした。
朝鮮がオバマ政権に対する不信感を決定的に強めたのは、米韓による朝鮮侵略戦争の予行演習と見なす米韓軍事演習が2009年3月(9日-20日)に実施されたことであったと思われます。朝鮮側は当然鋭く反応しました。
朝鮮の人工衛星打ち上げ問題は、このような背景の下で進行しました。
朝鮮宇宙空間技術委員会は2月24日に、実験通信衛星「光明星二号」を運搬ロケット「銀河二号」に搭載して打ち上げる準備を本格的に進めていると明らかにし、これを「経済強国に向け大きく踏み出すことになる」と意義づけました。金日成生誕100周年の2012年に経済強国の大門を開けるということは、金正日の国内的威信をかけた事業と位置づけられています。ロケット打ち上げが軍事的な意味を持つことは当然ですが、金正日にとってはその国内的意義も重要であったことは認めるべきでしょう。
また、3月12日付の朝鮮中央通信社報道は、「最近、朝鮮は「月その他の天体を含む宇宙空間の探査および利用における国家活動を律する原則に関する条約」と「宇宙空間に打ち上げられた物体の登録に関する条約」に加盟し」、「試験通信衛星「光明星2号」を運搬ロケット「銀河2号」で打ち上げる準備活動の一環として、当該の規定に従って国際民間航空機関(ICAO)と国際海事機関(IMO)などの国際機関に航空機と船舶の航行安全に必要な資料が通報された」と伝えました。つまり、1998年の第1回目の時とは異なり、朝鮮としては国際法・ルールに基づく人工衛星発射の試みであることを公にしたのです。そしてアメリカのブレア国家情報長官は、3月10日の上院軍事委員会公聴会で「北朝鮮は人工衛星を打ち上げると発表し、わたしは彼らが意図するものが人工衛星の打ち上げだと信じている」だと述べたのです。
ところが、4月5日の朝鮮による打ち上げを受けたオバマ大統領のプラハ演説は、一方的に朝鮮を激しく非難する言葉で満たされました。オバマは、「北朝鮮は、長距離ミサイルに使われうるロケットをテストすることにより、またもやルールを破った。この挑発は、本日午後の国連安保理においてだけではなく、大量破壊兵器の拡散を防止する我々の決意という点においても、行動の必要性を裏書きしている」、「今こそ強い国際的対応の時であり、北朝鮮は、安全保障と尊敬への道のりは脅迫と不法な兵器を通じては来ることがないことを知らなければならない。すべての国々がより強固な世界的体制を作るために一緒にならなければならない。そうであるからこそ、北朝鮮が歩みを変えるよう圧力をかけるために肩を組まなければならない」とまで述べたのです。
この決めつけが、4月14日の国連安保理議長声明への導火線になったことは明らかです。オバマ大統領にしてみれば、自らの重要演説の当日に朝鮮がロケットを発射したことが腹に据えかねたという感情問題が入り込んだ可能性はありますが、朝鮮が国内の発奮材料として人工衛星打ち上げを位置づけたこと、国際法上その他の正規の手続きをふんで事を進めたこと、アメリカ政府内にも冷静な判断が示す高官がいたこと等を無視した暴走・暴言であったことは否定しようがないでしょう。
ちなみにオバマのプラハ演説では、上記の朝鮮への言及の直後にイランに関して下記の発言がありました。「イランは、核兵器を作るにはいたっていない。わが政権は、相互利益及び相互尊重に基づいてイランに関与する道を求める。我々は対話に信をおいている。しかし、この対話において我々は明確な選択肢を提起する。我々は、イランが諸国家の共同体において、政治的及び経済的に正当な地位を占めることを望んでいる。我々は、厳格な査察の下におけるイランの平和的原子力への権利を支持する。(以下省略)」 ここには、いまだ核兵器開発までいたっていないイランとその境界を跨いでしまった朝鮮とを明確に区別して扱おうとするオバマの認識が反映されています。また、オバマ政権にとって最大の懸案の一つであるアフガニスタン問題を含め、中東政治に重要な発言力を有する地域大国であるイランと、東北アジアにおいて孤立する小国に過ぎない(とアメリカが見なす)朝鮮とを差別する発想が潜んでいることも明らかであると言わなければなりません。このようなオバマ大統領の暴走・暴言(と朝鮮が受け止めたもの)に対して朝鮮(金正日)が急速に不信感を高めたであろうことは想像に難くありません。
イランと朝鮮との比較においては、もう一点指摘しておく必要があります。イランの場合、ブッシュ政権の時代から、同政権の消極的姿勢にもかかわらず、英仏独の三カ国がイランの核開発問題について外交的解決を目指す動きを続けてきました。イラン問題の外交的解決を重視するオバマ政権を強力に支持する直接利害当事国が存在するということです。
これに対して朝鮮に関しては、英仏独の役割を担うべき日本と韓国が朝鮮に敵対する政策の先頭に立っており、オバマ政権に対しても朝鮮との対決を働きかける始末です。これでは、オバマ大統領が仮に異なる意見に耳を傾ける資質を持っているとしても、現実の事態が示すように、外交的アプローチの道は閉ざされてしまうことになるのです。

(3)国連安保理議長声明から朝鮮の第2回核実験への展開

4月5日の人工衛星打ち上げから14日の国連安保理議長声明の発出まで、対朝鮮強硬一本槍の日米両国と、朝鮮の打ち上げた物体が人工衛星であることを承認する中ロ両国の間で様々な議論が交わされたことは事実です。しかし、最終的に合意された声明の内容は、朝鮮にとって到底受け入れられないものであったことは間違いありません。朝鮮の怒りは、米日に対してはもちろんのこと、中ロ両国を含むいわゆる大国による国際政治支配の構図そのものにも向けられました。声明全体が朝鮮にとって受け入れ不可能な内容であったのですが、とりわけ次の諸点は我慢のいかないところだったと考えられます。
①朝鮮が何よりも問題にしたのは、「誰が行うかによって国連安保理の行動基準が変わる」という赤裸々な二重基準が横行したということです(4月14日付朝鮮外務省声明)。同声明は、「日本は自分たちの手先であるので衛星を打ち上げても問題がなく、我々は自分たちと制度が異なり、自分たちの言うことを従順に聞かないので衛星を打ち上げてはならないというのが米国の論理である」として、この論理を受け入れた安保理を糾弾しています。私は、朝鮮の言い分はもっともだと思います。朝鮮の非難は、大国が結託したときに国際関係をゆがめ、誤らせる危険があることを指摘するもので、中ロ両国を含む大国に猛省を促す意味を持っています。
②声明が「打ち上げ」を安保理決議1718に違反するとして非難したこと:中ロ両国も認めたように、朝鮮が行ったことは、宇宙条約(ひいては一般国際法)に基づくすべての国家に認められた宇宙の平和利用の権利としての人工衛星打ち上げである以上、同決議違反を云々する権利は安保理にはない、というのが朝鮮の言い分(上記外務省声明)であり、それは極めてまっとうな主張です。そもそも、安保理が国際法上主権国家に認められた権利を奪いあげるような決定を行う権限があるということは、国連憲章のどの規定に鑑みても到底考えられません。
③声明が朝鮮に対してさらなる「打ち上げ」を行わないことを要求したこと:これまた宇宙条約(一般国際法)上の権利を否定するものであり、朝鮮が宇宙開発に乗り出す権利を否定してかかるものとして、朝鮮としては到底受け入れられるものではありません。上記声明が、「我々は、強権の道具に転落した国連安保理の専横ではなく、国際社会の総意が反映された宇宙条約をはじめ国際法に基づいてわれわれの自主的な宇宙利用の権利を引き続き行使していくであろう」と宣言したのは当然であり、そこにはまったく無理がありません。
 朝鮮外務省の上記声明は続けて、この理不尽を極める(と受け止めた)議長声明に対抗して、6者協議への不参加とそこで達成された合意事項に拘束されない旨を宣言するとともに、「自衛的核抑止力をさらに強化せざるを得ない」という立場を表明しました。そして4月29日付朝鮮外務省声明では、「国連安全保障理事会は朝鮮民主主義人民共和国の自主権を侵害したことについて直ちに謝罪し、不当にも差別的に採択したすべての反共和国「決議」及び諸決定を撤回」することを要求し、即時謝罪しない場合には、「核試験と大陸間弾道ミサイル発射試験」を含む追加的な自衛的措置を取ることを明らかにしたのでした。
つまり、朝鮮が5月25日に行った第2回核実験は、朝鮮の立場からすれば、大国支配の国連安保理に対する精一杯の異議申し立てであり、「挑発」として非難される筋合いのものではあり得ないのです(ここでは、核実験をすることの不当性ということは、まったく別次元の視点からの問題として位置づけており、国際政治の動態としての朝鮮の立場を正確に理解することを意図しての記述であることを念のためにお断りしておきます)。
これに対して、米日が主導権を取った国連安保理は、朝鮮の主張には一切耳を傾けず、6月12日に決議1874を採択し、朝鮮の核実験を、安保理決議1718、安保理議長声明などに違反し、これらを無視するものとして非難するとともに、これ以上の核実験や弾道ミサイル技術を使用した打ち上げを行わないことを要求しました。これに対して朝鮮は、翌13日付で外務省声明を出し、「アメリカは、自らの反共和国圧殺策動に国連安全保障理事会を一層深く引き入れることにより、朝鮮半島にかつてなかった先鋭な対決の局面を作り出した」と断じ、「我々の2回目の核実験は、こうしたアメリカの敵対行為に対処して断行された、いかなる国際法にも抵触しない自衛的措置である」と主張し、「この対決は本質において、平和と安全に関する問題である前に、わが共和国の自主権と尊厳に関する問題であり、朝米対決である」と位置づけて、アメリカに対して一歩も引かない姿勢を明らかにしたのです。

(4)極限的状況におかれている朝鮮:圧力は答えにはならない

 このように、朝米対決は抜き差しならない事態に入り込みつつあり、このままでは歯止めがかからない事態に発展する危険性が深刻に憂慮される状況にあると思われます。
すでに触れたように、朝鮮が核実験を行った直後に、韓国が「拡散に対する安全保障構想」(PSI)参加を決定し、朝鮮との対決姿勢をいっそう明確化し、しかもオバマ政権がこの韓国政府の決定を手放しで歓迎したことは、今後、朝鮮半島沿岸海域での南北あるいは米朝の武力衝突の危険性を増大させるでしょう。
日本国内でも、朝鮮に対する強硬論が勢いを増すばかりです。アメリカ国内では、朝鮮の核開発が日本の核武装論を勢いづけることに対する警戒の声は出ていますが、朝鮮船舶に対する臨検を「可能」にする法律の制定(それは、戦争に直結する憲法違反が明確な行為)の主張や対敵基地攻撃論の台頭に代表される日本の異常を極める動きは、これまでのところ、むしろ一部のアメリカ政府関係者の好意的反応もあって、歯止めがかかる兆しもありません。また、アメリカにおいても、朝鮮半島担当のボスワース特使は任命されましたが、オバマ政権においては対朝鮮強硬派の発言力が明らかに増大している状況です。
このような状況の下で、中ロ、特に中国の朝鮮に対する影響力行使を期待する声が高まっています。しかし、すでに安保理議長声明や安保理決議1718に関する対応で朝鮮の強い不信感を招いている中国が、これまでのように米朝対話の糸口を切り開くだけの対朝鮮外交力を維持しているかどうかについては楽観を許さないように思われます。確かに中国は、朝鮮の経済・石油供給の生命線を握る立場にありますが、すでに述べた通り、中国としてはこれらの材料を振りかざして朝鮮の譲歩を強いようとすれば、朝鮮の国家としての存続そのものが危うくなりかねず、不測の事態が中国にはね返るマイナス要因を考えれば、これらの材料を外交的テコに自由に利用しうる状況にあるとは思えません。
そして、金正日には軍事的対抗・エスカレーション以外の選択肢はない、ということが今後の展望をますます楽観を許さないものにするわけです。朝鮮(金正日)にとっては、今や絶体絶命の境地にあり、朝鮮の国家としての崩壊は中国も韓国も望んでいない(日米は別として)ことを前提にすれば、「もはやこれ以上失うものは何もない」という一種の開き直りをすら生み出している可能性があります。つまり、アメリカや日本がこれ以上の強硬な対応で朝鮮に譲歩を迫るというアプローチは、まったく解決を導く展望がないということです。

(5)オバマ政権に解決・克服を求められる課題

オバマ政権が直面する緊急かつ最大の課題は、4月5日のプラハ演説でオバマ自身が打ち出した朝鮮に対する圧力重視のアプローチを根本的に見直すことであると確信します。具体的には、朝鮮との間でも対話による外交的解決を根本に据えることだと思います。
すでに指摘したように、朝鮮問題に関するオバマ政権の政策的対応は、あまりにもイラン問題との脈絡の中でのみとらえられている危険があります。確かに、核兵器開発にまで至っていないイランとその境界線を越えてしまっている朝鮮という違いは、核拡散防止という観点からは重視されざるを得ないポイントでしょう。また、中近東の地域大国としての影響力を無視し得ないイランと東北アジアで極端に孤立する朝鮮との違いは、オバマからすれば優先順位を左右する大きな要因であることも間違いありません。
しかし、朝鮮の核問題は、放置すれば東北アジアにおける核拡散を招きかねないことについては、アメリカ国内でも認識が進んでいます(6月に訪米した韓国の李明博大統領に、アメリカが核の拡大抑止を保証したのは、韓国が自前で核開発に走ることを恐れた結果であることはいうまでもありません。同じ問題が日本との関係でも存在していることは、中曽根外相の4月の演説からも明確に伺うことができます)。東北アジアにおいて核拡散が進むことは、アメリカとしてはなんとしてでも避けたいところでしょう。
また、朝鮮を自暴自棄に追い込むことは、朝鮮半島情勢の不安定化に直結しますし、それはとりもなおさず東北アジアの平和と安定を深刻に損なう事態となります。中国の憂慮する事態は、中国だけの問題ではなく、優れてアメリカのアジア・太平洋政策に直結する問題であることは明らかだといわなければなりません。
さらに、オバマ政権が、「イランが核武装に向かう場合にはこういう厳しい対応が待っている」という実例として朝鮮の核問題への対処の仕方を戦術的に捉えているのであれば、それは、あまりにも「木を見て森を見ず」式の拙劣かつ幼稚な発想であるといわなければならないでしょう。すでに指摘したように、朝鮮の核問題ひいては朝鮮半島問題は、アメリカの死活的利害に直結するアジア・太平洋地域の平和と安定という枠組みの中で捉えることを必要としています。
そのような発想、戦略の転換を行うことを可能にするためにも、オバマ政権と