オバマ大統領の核兵器廃絶に対する基本認識

2009.06.14

*オバマ大統領のプラハ演説以来、彼の核兵器廃絶に関する認識について、このコラムでも取り上げた日本共産党の志位委員長(及びそれを受けた新聞・赤旗)を含め、極めて高い評価が寄せられています。私自身、そういう評価ができる実体があるのであれば、双手を挙げて賛成なのですが、正直言って、客観的分析に耐えうるのかという点について疑問を感じています。ある雑誌にNPT再検討会議とのかかわりで寄稿することを依頼された機会に、私の疑問を検証しようと思い立ち、文章にまとめてみました。結論的に言いますと、オバマは確かに核兵器廃絶に対して問題意識を深めているし、その方向をさらに深める可能性は持っているけれども、彼における核抑止力に関する伝統的考え方もかなり牢固としたものがあり、今後の彼がどちらの方向に向かって進むかについては、優れて私たちの働きかけが功を奏するかどうかにかかっており、手放しの「オバマ頼み」では核兵器廃絶の展望は開けないだろう、ということだと思われます。この問題についてはとにかく根拠のない期待論が先行するのは危険だと思いますので、あえてここで問題提起する次第です(6月14日記)。

<はじめに>

ブッシュ政権(2001年―2008年)が推進した核政策(核兵器と通常兵器の垣根を取り払う、地下に潜む敵基地を攻撃するための地中貫通型核兵器の開発・使用を当然視する、先制攻撃で開始する戦争における核兵器使用の可能性を排除しない、新型核兵器の開発意欲及びそのための包括的核実験禁止条約(CTBT)批准への否定的態度)の下で、核兵器をめぐる21世紀国際社会は極めて出口のない、重苦しい状況で幕を開けた。
しかも、いわゆる同時多発テロ(9.11)を引き起こしたと目されるビン・ラディン及びアル・カイダは、圧倒的な規模の惨劇を引き起こす確実な手段としての核兵器・核物質の取得・使用に関心を示すようになった。そのため、核テロリズムを如何にして未然に防止するかという課題は、極めて切迫した、一刻を争うものとして国際社会にのしかかることになっている。
米ソ冷戦時代には、核拡散防止条約(NPT)が曲がりなりにも一定の存在理由を納得させるだけの成果(米ソ核軍縮交渉の進展、5核兵器国以外への核拡散が起こらなかったこと(例外はイスラエル)、非核兵器国の原子力平和利用の権利に関する深刻な問題が起こらなかったこと)があったが、21世紀に入ってNPTの権威性、信頼性を突き崩す重大な事態が次から次へと起こってきた。その元凶は何といっても上記のような核政策を推進したブッシュ政権の存在そのものだろう。ブッシュ政権は、NPT及びその体制を無視する政策を公然と採用した(その端的な結果が2005年の再検討会議の失敗)。
ブッシュ政権はまた、対テロ戦争の不可分の一環としての「ならず者国家」論により、イラク(2003年に対イラク戦争を発動)、イラン、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)などに対する高圧的挑発的政策を採用した。反発した朝鮮による核実験(2006年10月)は核拡散防止というNPTの目標を突き崩すことにつながったし、イランのウラン濃縮計画に対するアメリカを先頭とする先進諸国による「核兵器開発計画」疑惑提起は、非核兵器国の原子力平和利用というNPT上の権利と核拡散防止という要請との間の矛盾であり、いずれもNPT体制そのものの存在理由を揺るがせない事態だった。
核兵器国であるか否かによって条約上の権利義務に差別を設けたNPT体制は、本質的に不平等であるという根本的矛盾を抱えている。この矛盾は、NPT加盟を肯んじないイスラエルの事実上の核兵器保有、インド及びパキスタンによる核兵器開発により、すでに21世紀に入る前から露わにはなっていた。2000年のNPT再検討会議において、核兵器国の核軍縮履行義務の確認を含む13項目が合意されるなど一定の成果があったこともあって、国際社会はいったんは核軍縮に向けて生気を取り戻したのだが、以上に述べた事態の展開によって21世紀は極めて暗い幕開けを迎えたのだった。
このほかにもNPTの前途を考える上では、考慮に入れておくべき重要な問題がいくつかある。ひとつは、アメリカ・ブッシュ政権がNPTに加盟していないインドと原子力平和利用協定を締結(2008年。フランス等が追随)したことにより、NPT体制に重大な二重基準を持ち込むという極めて深刻な行動を取ったことである(核兵器開発を行ったNPT非加盟のインドに対してアメリカが原子力平和利用の条約上の権利を認めることは、アメリカ以下の核兵器国に対して核兵器開発を行わないことを約束し、その条件の下に原子力の平和利用の権利を認められている非核兵器国の加盟国にとっては、NPTの根本的前提を覆すに等しい)。
もう一つの問題は、原子力発電所の世界的拡散という問題である。原子力発電それ自体は、原子力の平和利用というNPT上の権利の最も重要な構成部分である。しかし、ウランを燃料とする現在主流の原子力発電の最大の問題は、核燃料廃棄物として核兵器の原料となるプルトニウムを生み出すことだ。核拡散が21世紀国際社会の対処しなければならない最重要問題の一つとして位置づけられる中で、「環境対策(温暖化対処)」を理由として「クリーンなエネルギー」とされる原子力発電が大手を振って世界各国に拡散すれば、それはとりもなおさず潜在的な核拡散を生み出すに等しい。
2010年のNPT再検討会議に向けて国際社会が取り組むことが求められる問題は、このように非常に多く、また、多岐にわたる。私たちは、どのような方向性を追求することが求められているのだろうか。本稿は、この問題について考える一つの試みである。
 冒頭に断っておきたいことがある。本稿は、本年4月~5月にニュー・ヨークで開催されたNPT再検討会議準備委員会そのものについては検討対象としていない。結論的にいって、今回の準備委員会は、NPTを重視し、具体的提案を準備してこの会議に臨む姿勢を明らかにしたアメリカのオバマ政権のペースで進められた。また、2010年の再検討会議についても、客観的当否は別として、オバマ政権主導の下で進められることがほぼ確実視される(オバマ政権が多難な国内問題によって足をさらわれ、対外政策に積極的姿勢で臨む余裕が失われるような状況が発生すれば話は別になるが、ここではそういう仮定の問題は論じない)。したがって、NPTの可能性と課題を考えることは、要するにアメリカの核兵器政策を批判的に検討することと同義である。したがって、本稿は、優れてオバマ政権の核兵器政策を批判的に検討することを主題とする。また、個別のテーマを扱うよりも、オバマ政権が核兵器廃絶に本気でコミットする可能性があるのか、それとも、国内のいまだ圧倒的主流である核抑止論者の主張との同調に向かうのかという、核兵器問題に関する根本問題に焦点を当てることとする。

1.「核兵器廃絶」機運を生み出した流れ

 「核兵器廃絶」の新しい機運を生み出したのは、皮肉にもかつてはアメリカの政権の中枢にいて核抑止政策の担い手であったヘンリー・キッシンジャー(元国務長官)、ウイリアム・ペリー(元国防長官)、ジョージ・シュルツ(元国務長官)、サム・ナン(元上院軍事委員会委員長)が2007年及び2008年の1月にウォールストリート・ジャーナル紙に発表した連名による「核兵器のない世界」を呼びかけた二つの文章であった。彼らの主張については、大きくいって三つのポイントを指摘することができる。
 第一のポイントは、彼らが「核兵器廃絶」を唱える最大かつ直接的な動機は「テロリストの手に核兵器が渡らない」ようにするため、ということである。つまり、日本国内ではほぼ異論のない核兵器の残虐性、反人道性、反国際法性を徹底的に認識した上での廃絶論ではないのである。
 彼らの発想に基づけば、テロリストに核兵器・核物質が渡らないようにするもっとも確実な保証は核兵器がない世界を実現することであって、それ故に「核兵器のない世界」を提唱しているのだ。したがって、テロリストに核兵器などが渡らないことを確保する国際的取り締まりの仕組みが完成しさえすれば、彼らにとっての核兵器廃絶の緊急性・必然性は失われることになる。
 第二のポイントは、彼らが核抑止論の根本的否定の上に立った立論をしているわけではないということである。彼らは、米ソ冷戦時代において核抑止論は有効だったと明確に述べている。しかし、テロリストに対しては核抑止力が働かないがゆえに、その限りで核兵器は有効ではないという認識なのだ。
 そこからは直ちに次の疑問が浮かぶ。テロリストを取り締まる有効な国際的仕組みが生まれた暁に、アメリカの伝統的な国際観(要すれば、アメリカに挑戦する国家の台頭を警戒せずにはすまない権力政治の発想)が健在であれば、台頭著しい中国、核兵器大国として大国的復権を目指すロシアとの間で、再び核抑止論の有効性が再確認される可能性は極めて高いと考えるほかないだろう。私のこの推察が的外れのものではないことは、2009年4月に公表された、米議会が超党派で設立したアメリカの戦略態勢に関する検討委員会(ペリーが議長、シュレジンジャー元国防長官が副議長)の報告(以下「ペリー・シュレジンジャー報告」)によって明確に裏打ちされることになるが、その点は後述する。
 したがって第三のポイントは、キッシンジャー等の主張と、広島及び長崎の体験を踏まえ、「人類は核兵器と共存できない」という思想に立脚する私たちの核兵器廃絶論との間には、「核兵器廃絶」という言葉以外の如何なる接点もないという厳然とした事実があるということである。
 このことは、キッシンジャー等の主張がまったく無意味であるということではない。動機、アプローチ、目的が異なるにせよ、かつてのアメリカは「核兵器廃絶」を口にすること自体がほぼ考えられない状況が圧倒的主流であったことを考えれば、キッシンジャー等の主張の意味するところはそれなりに大きい。何よりも、彼らの主張を契機として米欧諸国において彼らの主張を支持し、補強する主張が相継いだことは、その後のオバマ大統領の核兵器廃絶問題に関する関心を深める上での土壌を醸成したことは間違いないであろう。米欧等諸国有力者による主要な発言としては、ブラウン英首相(2008年1月21日)とサルコジ仏大統領(同年3月21日)のNPT2010年再検討会議への積極的姿勢を示した演説、オーストラリアのラッド首相の2010年に向けた核不拡散及び核軍縮国際委員会設置の発表(同年6月9日)、イギリスの3人の外相経験者及び一人のNATO事務総長経験者連名による文章(同年6月30日付イギリスのタイムズ紙所掲)等がある。

2.オバマ大統領の核政策とプラハ演説

オバマ大統領の核兵器問題に関するチェコのプラハにおける演説(4月5日)の内容は、良い意味においても悪い意味においても思いつきのものではなく、彼なりの核問題に関する認識・思想に裏打ちされたものである。プラハ演説に関しては、オバマが述べた「核兵器を使用した唯一の大国としての道義的責任」という点のみが特筆大書される傾向があるが、私は、そのような見方はオバマの核政策の本質を見誤る危険があると考えている。オバマの核問題に関する認識・思想は、プラハ演説以前に示されたオバマの認識・思想、キッシンジャー等の主張、そしてより直接的にはペリー・シュレジンジャー報告との関連性なども含め、総合的に判断する必要がある。

(1)政権発足時のオバマの核政策と認識・思想上の特徴

オバマの核兵器に関する認識・思想及びその変化の中身を理解するためには、出発点として、彼が大統領選挙期間中に如何なる発言をしたかについて遡って見ておくことが重要なのだが、紙幅の関係で本稿では割愛せざるを得ない。ここではプラハ演説に思想的・政策的に接続するものとして、オバマが大統領就任直後に、新しいホワイト・ハウスのウェブサイトに掲げた政策アジェンダにおける核兵器にかかわる部分を紹介しつつ検討することにしたい。就任時点におけるオバマが何を重視し、何に優先順位を付しているかを見る上での重要な判断材料として、以下の記述はサイトにおける掲載順序に従っていることを断っておく。
〇管理の甘い核物質をテロリストから守る:「4年以内に世界のすべての管理の甘い核物質を安全にする。現存する核物質の備蓄を安全にするとともに、新たな核兵器原料の生産に関する検証可能な世界的禁止について交渉する。このことにより、テロリストが管理の甘い核物質を盗みまたは購入することを許さないようにする。」
〇NPT強化:「ルールを破る北朝鮮、イランなどの国々が自動的に強力な国際的制裁に直面するよう、NPTを強化することによって核拡散を厳しく取り締まる。」
〇核のない世界への前進:「核兵器のない世界というゴールを設定し、それを推進する。核兵器が存在する限り強力な抑止力を維持する。しかし、核兵器廃絶に向けた長い道のりにおいて、いくつかの措置を取る。すなわち、新しい核兵器の開発をやめる。アメリカとロシアの弾道ミサイルの即時警戒態勢を解除するべくロシアと協力する。米ロの核兵器及び物質の備蓄の大幅な削減を目指す。米ロの中距離ミサイルに関する禁止を拡大する目標を設定する…。」
 以上から窺われる大統領就任時点におけるオバマの核問題に関する認識・思想の特徴点は次の諸点である。
 まず、オバマがもっとも重視しているのは、キッシンジャー等と同じく、核テロリズムを押さえ込むことであると見られることだ。アジェンダにおける項目の掲載順序だけからでも、核兵器廃絶そのものがオバマにおいて最重要テーマになっているとすることは困難である。
 次に、オバマは確かにNPT強化に強い関心を持っている。しかし、その関心は、核不拡散に重点があり、核兵器国自らの核兵器廃絶に向けた取り組みの重要性を認識していることを窺わせる記述は見あたらない。
 第三に、「核兵器のない世界というゴールを設定」していることは確かであるが、「核兵器が存在する限り強力な抑止力を維持する」と明言している点の方に力点が置かれているという印象を免れない。この認識表明には重大な意味があると思われる。核兵器廃絶への国際的な取り組みは、アメリカ(及びロシア)が目の色を変えない限り本格的に推進される可能性はない。「核兵器が存在する限り」とする極めて他人事のような認識表明自体、オバマが核兵器廃絶を中心課題と据えていないことを窺わせるのである。そのことを前提にして「核兵器廃絶に向けた長い道のり」という認識表明が続いている。
 オバマが掲げたアジェンダの以上のわずかな文章から、このような速断を行うことは酷であり、行き過ぎだという批判はあるだろう。私も以上の諸点にあくまでも固執するという気持ちはない。しかし、アジェンダの以上の記述に接したとき、私が以上の印象を強く受けたことは確かである。むしろより重要なことは、オバマのプラハ演説と以上のアジェンダの記述との間の整合性・非整合性をチェックすることによって、オバマの核兵器問題に関する認識・思想の不変的な部分と可変的な部分そしてそこから出てくるであろう核兵器政策の方向性を可能な限り見極めることであると考える。その点を見極めることにより、2010年のNPT再検討会議展望の十分な視座が得られることにもなるだろう。
 オバマのプラハ演説の検討に移る前に、アジェンダから窺われるオバマの認識・思想とキッシンジャー等の主張との間の連続性・不連続性を可能な範囲で確認しておく必要があるだろう。
 まず連続性が明確であるのは、両者が核テロリズムの問題を最重視していることだ。つまり、核兵器廃絶そのものは彼らの問題意識の中心には座っていない。
 もう一つの連続性は、核抑止力という考え方そのものを否定してはおらず、むしろその有効性(テロリストという非国家主体には有効ではないが、ロシア、中国などの伝統的な国家主体に対しては有効であるということ)を前提にして物事を考えていることが窺われることだ。
 核兵器廃絶を公然と口にしたキッシンジャー等の基本認識は明確(核抑止力が働かないテロリストに核兵器が渡らないようにするもっとも確実な保証は核兵器廃絶であるとするもの)であるが、「核兵器のない世界」を口にしたオバマの基本認識はアジェンダからだけでは判断する手がかりがない。つまり、両者の間には連続性があるのか、それとも不連続性が存在するのかはなお不明であり、この点はプラハ演説を手がかりに考える必要がある。

(2)オバマのプラハ演説

 まず、プラハ演説の主要部分を整理して示しておく。
 「数千((ママ))の核兵器の存在は冷戦のもっとも危険な遺産である。」
 「核戦争はアメリカとソ連の間では戦われなかった。しかし幾世代もの人々が、たった一つの閃光で彼らの世界が消し去られるという認識とともに生きてきた。」
「歴史の奇妙な展開で、地球的な核戦争の脅威はなくなりつつあるが、核攻撃のリスクは高まっている。これらの兵器を獲得した国は増えた。核実験は続いてきた。核の秘密や核物質の闇市場はあふれている。核爆弾を製造する技術は拡散している。テロリストはそれを購入し、製造し、盗もうと決意している。こうした危険を押さえ込もうとする我々の努力は地球的な不拡散体制に集中している。」
「20世紀に自由のために立ち上がったように、21世紀においては、すべての場所における人々が恐怖から自由に生きる権利のために、我々は共に立たなければならない。核兵器国として、核兵器を使用した唯一の核兵器国として、アメリカは行動する道義的責任がある。」
「だから今日私は、核兵器のない世界の平和と安全を求めるというアメリカのコミットを明確かつ確信を持って述べる。私はナイーブではない。この目標への到達は容易ではない。たぶん私が生きている間ではないだろう。忍耐と辛抱が必要だ。しかし今、世界は返ることができないと我々に告げる声を無視しなければならない。我々は、「イエス、ウィ キャン」と主張しなければならない。」
「アメリカは核兵器のない世界へむけて具体的な措置をとる。冷戦思考を終わらせるために、我が国家安全保障戦略における核兵器の役割を引き下げる…。誤解しないように。これら兵器が存続する限り、アメリカは、どんな敵をも抑止するために、安全で、確かな効果的兵器庫を維持する。そしてすべての同盟国を…防衛することを保証する。しかし、我々は兵器庫を削減する仕事を始める。」
以上の認識・思想の表明に続けて、オバマは、ロシアとの間で2009年末に失効するSTART-Ⅰに代わる条約締結交渉、包括的核実験禁止条約(CTBT)の「批准の模索」、核分裂物質生産禁止(いわゆるカットオフ)条約の「締結追求」、NPT体制強化、テロリストに核兵器が渡らないことを保障する「4年以内に世界すべての脆弱な核物質を安全にする新たな国際的努力」等の具体的政策を掲げている。

(3)核兵器問題(NPT再検討会議を含む)に関するオバマの認識・思想的位置

以上のオバマの発言から、核兵器問題に関するどのような認識・思想を読みとることができるか。また、就任当時のアジェンダに反映された認識・思想と比較してどのような特徴が看取できるか。さらにより根本的にそして我々の最大の関心事として、オバマは本当に核兵器廃絶に本気で取り組む認識・思想上の可能性を持っているのか。
私の印象をまず述べれば、オバマは徹底した核抑止力の信奉者ではないが、しかし核兵器廃絶に原則的にコミットするまでには至っていないということだ。彼のすぐれた資質の一つとして、前任者であるブッシュと異なり、広く多様な見解に耳を傾けながら自らの認識・思想を練り上げていく柔軟な現実への対応能力があると思う。以下に見るように、プラハ演説にはアジェンダにおける以上に核兵器廃絶への真剣なまなざしを窺うことができる。他方、核兵器廃絶に一気にコミットするには、彼はなおあまりに核抑止論の影響(より直接的には、核抑止論堅持の必要性を強調したペリー・シュレジンジャー報告の影響)のもとにある。オバマ政権全体が核兵器廃絶と核抑止力固執という二つの選択肢の間でどのような方向性を選択するかは、核兵器廃絶を求める国際世論と核兵器固執を主張するアメリカ国内の核抑止論者という二つの陣営のオバマ政権に対する働きかけのいずれが勝利を収めるかによって大きく左右されることになるだろう。
アジェンダと比較した場合のプラハ演説の特徴は次のように整理できるだろう。
まず、核兵器を「冷戦のもっとも危険な遺産」と極めて否定的に位置づけていることである。「たった一つの閃光で世界が消し去られるという認識」は、「人類は核兵器とは共存できない」という広島・長崎・被爆者の思想(それを要約したのが「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」であることは改めて指摘するまでないだろう)、したがって核兵器は廃絶しなければならないという認識に到達する可能性を示している。アジェンダにはオバマのこのような認識・思想的契機を示す手がかりはなかった。
「核兵器を使用した唯一の核兵器国として、アメリカは行動する道義的責任がある」という日本国内、特に広島及び長崎で注目された発言も、以上の発言の延長線上で肯定的に位置づけることができる。被爆者が、自分たちの訴えがオバマの耳に届いた、と受け止めるのは不自然ではない。
しかし、オバマは続けて、核兵器廃絶という「この目標への到達は容易ではない。たぶん私が生きている間ではないだろう」と発言している。この「暫定的肯定-根本的否定」式の論理展開は、「アメリカは核兵器のない世界へむけて具体的な措置をとる。冷戦思考を終わらせるために、我が国家安全保障戦略における核兵器の役割を引き下げる…。誤解しないように。これら兵器が存続する限り、アメリカは、どんな敵をも抑止するために、安全で、確かな効果的兵器庫を維持する。」という発言にも共通するものである。つまり、オバマは核抑止論の影響からいまだまったく自由になっていないことが明らかである。
「核兵器を使用した唯一の核兵器国として、アメリカは行動する道義的責任がある」というオバマの発言もまた、核抑止論の影響からまったく自由でない彼の認識・思想状況の中で総合的に理解する必要がある。原爆投下の「道義的責任」を承認することは、その犯罪性(反人道性・反国際法性)を承認することとは直ちに同義ではない。仮に同義であるとすれば、「(核)兵器庫を維持する」という発言が出てくる道理を説明することはできない。
結論としては、プラハ演説は、核兵器廃絶に関するオバマの認識の深まりを窺わせるが、核抑止力維持という選択を優先する点において、アジェンダで示された認識・思想を超えていない。このような慎重な姿勢の背景には、ペリー・シュレジンジャー報告の強い影響があると考えられる。この報告は、明確に核抑止力堅持の立場に立っており、「地球規模で核兵器を廃絶することを可能にする条件は今日存在しない。その条件が創造されるためには、世界政治秩序の根本的変質が求められるだろう。」とまで言っている。プラハ演説はこの報告の公表以前に行われたが、報告に盛り込まれた多くの知見は、プラハ演説の起草に当たって重視された可能性は極めて高い。
次の特徴は、核テロリズムの位置づけである。アジェンダでは冒頭に取り上げてあたかも中心的位置を占めていたが、プラハ演説では最重要課題という位置づけからは明らかに後退しており、具体的施策の一部として取り上げられている感が深い。この位置づけの変化の背景を理解する上でも、ペリー・シュレジンジャー報告の影響を考えないわけにはいかない。この報告に盛り込まれている核テロリズムに対する対応可能性に関する楽観的判断が、プラハ演説を準備する過程であらかじめオバマに提供されていた可能性は高い。報告では、テロリストに核兵器が渡らないようにするために、「4年以内に世界の脆弱な核物質を安全にする新たな国際的努力」が、一つの見積もりでは50億ドルでできると述べて、極めて楽観的な判断を示している。プラハ演説の該当部分はこの判断を踏まえたものと見ることが自然だろう。
つまり、核テロリズムの問題に関しては、オバマは明らかにキッシンジャー等の提言に示された危機感あふれた認識からペリー・シュレジンジャー報告で示された楽観的認識へと柔軟に自らの認識を変化させていることを窺うことができるのである。しかし、核テロリズムへの対応が最重要課題でなくなる場合、キッシンジャー等の提言における「核兵器廃絶」の主張の最大の根拠も失われるということだ。すでに指摘したように、キッシンジャー等提言は、伝統的国家主体に対抗する核抑止力の有効性を否定するまでのものではなかった。核テロリズム対処への楽観的認識を示したペリー・シュレジンジャー報告は、ロシア及び中国の存在を最大限に重視して全面的に核抑止力を堅持する必要を主張している。
オバマがこの報告に示された核抑止力堅持論を退けることは、並大抵の努力ではできることではないだろう。というより、いまだ核抑止論から思想的に自由になっていないオバマが、核兵器廃絶の全人類的必要性・必然性という思想を我がものにすることができるか自体もいまだ不明なのだ。
もう一点指摘する必要があるのは、NPT体制に関するオバマの認識の変化である。アジェンダでは核拡散防止の必要性のみが強調されたが、プラハ演説においては、拡散防止を強調するとともに、非核兵器国の原子力平和利用の権利を尊重する発言にも踏み込んでいる(その関わりで、イランの原子力平和利用の権利についても柔軟な発言をしていることは注目すべき点である)。ここでも、核兵器問題に対する総合的アプローチの必要性を繰り返し強調し、拡散防止へのきめ細かい対応の必要性を指摘しているペリー・シュレジンジャー報告の色濃い影響を読みとることはむずかしいことではない。

私たちが銘記するべきは、核兵器廃絶は「オバマ頼み」では実現しないということ、オバマをして核兵器廃絶に断固として取り組むようにさせる強力な国際世論を我々自身の手で作り出していく必要があるということだ。特に広島・長崎の体験を持つ日本の我々は、アメリカの「核の傘」に固執する日本の保守政治の二重基準の政策に引導を渡すだけの主体的力を蓄えない限り、国際世論を動かすだけの発信力を備えることができないことを肝に銘じる必要がある。

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