志位・共産党委員長「核兵器廃絶と日本国憲法第9条」

2009.05.

日本共産党の志位和夫委員長は、5月3日に東京の日比谷公園で開かれた憲法集会で「核兵器廃絶と日本国憲法第9条」(5月4日付新聞『赤旗』標題)について発言しました。手前味噌になりますが、私自身、第9条の思想源泉の重要な一つとして、広島・長崎に対する原爆投下により「人類と核兵器・核戦争は共存できない」、核兵器の出現により「戦争は政治の継続」ではあり得なくなったという認識があることをかねがね機会あるごとに強調してきました(「力による」平和観を根底に置く国連憲章と「力によらない」平和観を根底に据える第9条との平和観の決定的な違いもここに由来する)こともあり、今回の志位委員長の発言には全面的な共感を覚えています。
「核兵器廃絶のたたかいと、憲法9条を守り生かすたたかいは、実は深くむすびついています。」
志位委員長が「実は」と切り出さなければならないほど、核兵器廃絶の課題と憲法9条を守り生かす課題とが不可分の関係にあることは、戦後まもなくの間は「常識」であったのに、いつの間にか忘れられてきたという不幸な歴史があります。志位委員長は、1946年11月に内閣が発行した『新憲法の解説』の一節を紹介することで、両者が不可分の関係にあることは当時の政府によっても認識されていたことを紹介していますが、この認識は、1946年8月27日に幣原喜重郎国務大臣によっても明確に表明されたものです。また、政治学者・丸山眞男も両者の結びつきについて何度も言及しています。志位委員長がかつての「常識」を改めて強調したことを、私は強く支持します。
「日本国憲法第9条には、国連憲章を踏まえつつ、国連憲章からさらに前に向かっての飛躍があります。恒久平和主義を徹底する方向への飛躍があります。」
「原子爆弾の出現によって、文明と戦争は両立し得なくなった…」
この発言は、私のいう「力による」平和観から「力によらない」平和観への転換、「人類と核兵器・核戦争は共存できない」を指しているものだと理解しますが、この質的転換(「飛躍」)の根拠は、志位委員長が指摘する通り、国連憲章が制定されたときには「人類はまだ原子爆弾を知りませんでした」のに対し、日本国憲法は「(広島・長崎の)地獄を、世界のどこでも二度と繰り返してはならないという強い思いが、憲法9条という私たちの宝を生み出した」ということにあります。
「憲法9条には、「二度と戦争を起こしてはならない」という決意とともに、「核戦争を絶対に阻止したい」という願いが込められており、それを世界の人々に呼びかけたところに、この条文の世界史的な意義があるということを、私は訴えたいと思います。」 私は、以上の志位委員長の発言と同じ認識に基づき、21世紀の人類的課題は、「力による」平和観と決別し、「力によらない」平和観が主流になる社会の実現を目指すことであることを機会あるごとに訴えています。そして、核戦争の惨禍を体験した私たちは、国際社会との交易を通じて実現した豊かな経済力(世界第2位の経済大国であるという事実)と人的資源をもって、国際社会の平和と繁栄に積極的にかかわっていくという胸のわくわくするような可能性を備えていることを、一人でも多くの人々に知ってもらいたいと願い、発言しています。そういう日本であれば、権力政治に固執するアメリカ的な「大国」のあり方ではない、まったく新しい「大国」のあり方を世の中に示すことができますし、人類の発展の方向性について巨大な可能性を提起することにもなるでしょう。
そういう日本にすることができるかどうかは、ひとえに私たち主権者の政治的決断と行動如何にかかっています。そうです。日本は変わることができます。日本が変わることができるかどうかは、ひとえに私たち主権者の決断と行動次第なのです。

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