志位・共産党委員長のオバマ大統領宛書簡

2009.05.04

*5月1日付の新聞『赤旗』は、共産党の志位委員長が4月28日付でアメリカのオバマ大統領に出した書簡を全文掲載するとともに、4月30日に同委員長が記者会見でその意義について説明した内容をも詳報しました。
 私は、この書簡の内容及び記者会見での志位委員長の発言内容は、オバマ演説の意味・内容について日本の側からオバマ政権に対して重要な政策提言を行った最初のもの(麻生首相は安倍元首相に託して親書をオバマ大統領に送ったそうですが、内容は公表されていませんし、4月27日に中曽根外相が行った演説で示した「ゼロへの条件-世界的核軍縮のための『11の指標』」から判断すると、従来の二重基準の核政策から一歩も出ていないことが読み取れますので、オバマ政権に対しては何らの意味をも持たないでしょう)として、それこそ党派の垣根を越えて、核兵器廃絶問題に関心があるものが熟読玩味する価値があるものだと思います。
ちなみに、4月26日付の『赤旗』は、「世界の社会民主主義政党が参加する社会主義インターナショナルの軍縮委員会は24日、核兵器の廃絶を含む10項目の包括的な軍縮計画を発表」したと報道しましたが、この報道による限り、「時代遅れの核抑止力体系が世界平和の危険になっている」という認識に基づき、核兵器廃絶を明確な目標とする点で、志位書簡と同じ認識・立場に立つもののようです。
すでにこのコラム(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2008/253.html)でも紹介しましたが、オバマ大統領のブレーンの一人であるジャヌージ氏は、昨年9月22日にワシントンで行われた討論会で、「この段階においては、我々は、日本のデモクラシーについて注意深くまたこれを尊重する必要があるとも考えている。ワシントンにいる人々、シンクタンクではなく、日本の人々が世界における日本にとって適切な役割を自ら決定しなければならない。我々は、彼らの選択を尊重するべきだ」と指摘したことがあります。オバマ政権の対イラン、対中東外交の動きを見ていても、様々な意見を踏まえ、中東和平、イラン問題に真剣な外交的取り組みを行う姿勢を示していることを見て取ることができます。アメリカによる原爆投下を受け、核問題についてアメリカに対して明確な政策を提起する当然の権利と責任がある日本から、志位委員長による本格的な政策提言が行われたことは、アメリカ政府が今後の核政策を考える上で無視することが許されない重みを持っていると思います。
志位書簡の提起している重要なポイントを整理しておきたいと思います。同時に、私は志位書簡及びそれに関連して行われた記者との一問一答における同委員長の発言に違和感を感じる点もあります。それらの点についても率直に私の見解を表明し、皆さんのご意見とご批判を承りたいと考えます。 (5月4日記)

 1.志位書簡のオバマ政権に対する重要な政策提言内容

 志位書簡のオバマ政権に対する重要な政策提言の中身は2点だと思います。
 第一点は、「(核軍縮に向けた)具体的措置は、核兵器廃絶という目標と一体に取り組まれてこそ、肯定的で積極的意義を持つものとなりうる」と指摘している点です。逆に言えば、「核交渉の全経過が、核兵器廃絶という目標ぬきの部分的措置の積み重ねでは、「核兵器のない世界」に到達できない」ということです。したがって志位書簡は、「大統領に、核兵器廃絶のための国際条約をめざして、国際交渉を開始するイニシアチブを発揮することを、強く要請する」としています。
 この指摘は、あとでも触れるように、アメリカにおける核兵器廃絶論が優れて核テロ対策関連であり、真摯な核兵器廃絶論とは異質な次元から出ていることを考えるとき、その限界性を鋭く指摘する意味を持っています。
 第二点は、「新規の核保有国やそれを計画する国が増え続けているのは、NPTが発効して以後39年間、この約束(浅井注:核保有国の核兵器廃絶への真剣な努力を行うことを約束したこと)が果たされてこなかったことに最大の原因がある」のであり、「核保有国は、自らが核兵器廃絶に向けた真剣な取り組みを行ってこそ、他の国々に核兵器を持つなと説く、政治的、道義的な説得力を持つことができる」ということです。したがって志位書簡は、「2010年の再検討会議において、核保有国によって、核兵器廃絶への「明確な約束」が再確認されること」を二番目の要請として提起しています。
 この点は、これまでのアメリカのイランや朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に対するアプローチが極めて一方的、高圧的だったことがむしろ強い反発を招くだけであったこと、これらの国々に非核化を説くためには何よりもまずアメリカ自身が率先垂範しなければ二重基準であって説得力を持ち得ないことを指摘するものです。

2.オバマ政権の核政策は志位書簡の二つのポイントに応えうる内容を持っているか

 以上に関する志位書簡の政策提言に対して、オバマ大統領が積極的に反応することを私は切に期待します。しかし、いくつかの重大な事実関係に鑑み、見通しは決して楽観できるものではないことを指摘しないわけにはいきません。
第一、オバマ政権の核兵器政策の出発点は、これまでのところ、すぐれて核テロ対策に力点があり、核兵器廃絶そのものを現実的かつ切実な目標と設定しているわけではないということです。プラハ演説において核兵器の廃絶を口にしたことは事実としても、自分の生きている間に核兵器がなくなることはないだろうという認識を表明し、核兵器がある限り核抑止力を堅持すると発言したオバマの今ひとつの側面を無視することは、プラハ演説の全体像を正確に捉えたものとはいえないでしょう。また、オバマ大統領のホワイト・ハウスのウエブ・サイトに就任当日掲載された政策アジェンダにおいても、核政策の冒頭に掲げられたのがやはり核テロ対策であったことも無視するわけにはいかないはずです。
以上のことは、そもそもアメリカ国内での「核兵器廃絶」問題の登場が、2007年及び2008年のキッシンジャーなど4人の手になる見解表明(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2008/205.html参照)に出発点をおいていることと無縁ではありません。そして彼らの主張も優れて核テロ対策を念頭に置くものだったのです。
私がなぜこの点を重視するかと言えば、核テロ対策を出発点とする核兵器廃絶論と、志位書簡や私たちの主張してきた核兵器廃絶論との間には大きな懸隔がある可能性があるからです。核テロ対策に力点がある核兵器廃絶論の場合、核テロの危険性を封じ込める有効な国際的管理の枠組みができた暁には、アメリカとロシア、中国との間の潜在的な相互警戒感が再び顕在化し、核抑止力を持つことはやはり必要だとする主張がアメリカ政府内において勢いを増す(そのことは当然にロシア、中国の対抗的な核政策を導く)ことが十分考えられるということです。その証拠に、オバマ大統領の政策アジェンダの記述(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/267.html)やヒラリー・クリントン国務長官の上院外交委員会での発言(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/264.html)を見ても、中国に対する根強い警戒感を見いだすことは難しいことではありません。
第二、オバマ大統領がプラハ演説で「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、アメリカは行動する道義的な責任がある」と述べたことは確かに重要ですが、しかしそのことは「広島及び長崎に対する原爆投下は誤りであったことを認める」こととまったく同義であるとは限らないことです。むしろ前述の通り、オバマがプラハ演説の中で、「自分が生きている間に核兵器はなくなることはないだろう」、「核兵器がある限り核抑止力を堅持する」という発言も行っていることとあわせて読めば、以上の発言がアメリカの原爆投下責任を認め、謝罪するものであると見ることは大きな無理があると思います。更にいえば、「人類は核兵器と共存できない」という広島の思想がオバマ自身の認識とならない限り、オバマが広島及び長崎に対する原爆投下という反人道を極め、国際法にも違反する国家としての犯罪行為についてアメリカという国家を代表して被爆者に謝罪し、核抑止論の虜から決別する条件は生まれてこないでしょう。

3.志位委員長の発言内容に対する違和感

 志位委員長は、オバマ大統領に広島及び長崎に来てほしいという被爆者の願いについて聞かれて、次のように答えています。「私も、ぜひオバマ大統領に、広島・長崎を訪問し、被爆者の方々にも会っていただき、被爆の実態をその目で見ていただくこと、そして亡くなられた方への追悼をしていただくことを願っています。」私は、「追悼」という言葉に正直大きな違和感を覚えました。「追悼」は「謝罪」ではありません。なぜ謝罪を求めないのか。何でもかんでも謝罪を求めるというつもりで言っているのではありません。真摯な謝罪を抜きにして核抑止政策からの真の意味での決別は出てこない(歴史的に見れば、核抑止力に固執する政策を正当化するために、アメリカは日本占領時代にプレス・コードを敷いて核問題を隠蔽しましたし、被爆者に対する日本政府の長年にわたる非人道的な政策も放射線被害を覆い隠そうとするアメリカの核固執政策と緊密に連動するものです)と思うからです。そういう違和感を持ちながら志位書簡を再び読むと、この書簡が核抑止力について一言も触れていないことに気づかされます。このことは単なる偶然なのでしょうか。
 志位書簡において表明されたオバマ大統領のプラハ演説に対する全体的、総合的な評価についても、私としては違和感を覚えざるを得ませんでした。志位書簡は、「あなたが米国大統領としての公式の発言で、こうした一連の言明を行われたことは、人類にとっても、私たち被爆国の国民にとっても、歴史的な意義を持つものであり、私はそれを心から歓迎するものです」と述べています。上記2.のような重大な問題を持っているオバマ大統領の核政策を念頭に置くとき、プラハ演説が「歴史的な意義」を持つとまで評価しうるものなのか、志位委員長が「心から歓迎する」と言い切るほどのものなのか、私は疑問だと考えます。
 もう一点加えるならば、志位書簡においては、「なぜ核兵器を廃絶しなければならないのか」という点についての詳しい解明が抜けています。「核兵器廃絶」はあたかも自明、当然であるという前提で書かれているという印象を受けます。しかし、核抑止論を正当化する主張が幅を利かせるアメリカ(オバマ大統領もいずれそういう主張からの影響を免れ得ないでしょう)を視野に収めるとき、「人類は核兵器と共存できない」という広島の思想を志位書簡は正面から取り上げる必要があったのではないでしょうか。

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