オバマのプラハ演説
―ヒロシマの発信今こそ必要/オバマ氏への過大な期待戒めー

2009.04.25

*4月5日にチェコのプラハで行われたオバマ米大統領の核兵器問題に関する演説は、私の視点からすれば、核兵器を使用した唯一の国としての道義的責任に言及した部分以外は、これまでのオバマ政権の核兵器問題に関する立場を繰り返したもので、特に驚く内容ではありませんでした。このコラムでも特に取り上げるつもりはなかったのですが、朝日新聞(広島版)でインタビューを受け記事になりましたので、参考までに以下にそのまま掲載しておきます(4月25日記)。

 オバマ米大統領が5日のチェコ・プラハでの演説で核軍縮に向けた構想を表明した。被爆地・広島では「核兵器廃絶へ一歩近づく」と期待が高まる。ただ、広島の目指す核廃絶への具体的な道筋まで示されたわけではない。元外交官の浅井基文・広島市立大広島平和研究所長(67)は「ヒロシマの思いとの間には相当な距離がある」と指摘する。オバマ演説をどう読み解くべきなのか聞いた。(加戸靖史)

 ――オバマ氏は「核兵器を使用した唯一の核保有国として核軍縮を進める道義的責任がある」と述べました。
 歴代の大統領にない発言で、一歩前進といえる。ただこの言葉をもって、彼が原爆を投下した広島、長崎に対して心から謝罪したとみるのは飛躍しすぎだ。「道義的責任はあったが、あの時点では戦争を早く終わらせるために仕方なかった」と口にする可能性も十分ある。彼の今後の発言を注視する必要がある。
 ――ブッシュ前政権で崩壊の危機に瀕(ひん)した核不拡散条約(NPT)体制を強化したいとの考え方も示しました。
 ロシアと交渉を始めるなどNPT加盟国の核軍縮問題を無視してはいないが、大きなねらいの一つは、イランのように原子力の平和利用に乗り出そうとする国々への核拡散防止と、ルールを守らない国への制裁強化だろう。「一国主義」だったブッシュ時代と色合いは異なるものの、オバマ氏も「米国中心主義」であることは明らか。例えば演説での北朝鮮への厳しい言及ぶりを見ても、米国を中心に国際秩序を再形成したいとの気持ちが非常に強く感じられる。
 ――核抑止論の肯定ととれるくだりもあります。
 核兵器を抑止力とみる考え方を彼は牢固として持っていると思う。オバマ氏が言う「核のない世界」は、キッシンジャー氏ら米国の元政府高官4人の(07、08年に発表した)提言と同じく「核テロリズムをどう封じ込めるか」が出発点になっているからだ。
 ――被爆地の核廃絶の願いとのずれとは?
 核テロリズムから出発した核廃絶論は本来の姿ではない。仮にテロを恐れずに済む時代が来た後も、中国やロシアが脅威であると米国が認識する限り「核抑止力はやはり必要だ」との声が台頭してくる可能性が高い。広島、長崎が示した「人類は核兵器と共存できない」という考え方が根底にこない限り、オバマ政権で核廃絶への道のりが一直線で進むと期待するのはあまりに現実離れした考え方だ。
 ――広島はオバマ政権にどう働きかけていくべきなのでしょうか。
 「生きている間に核兵器廃絶は難しい」と言うオバマ氏と、2020年までの廃絶を掲げる平和市長会議(会長・広島市長)のビジョンとの距離は大きい。オバマ氏に広島訪問を求めるだけでいいのか。オバマ氏を広島の思想に近づけるために、核兵器廃絶に向けた具体的なステップを積極的に提言していくことが求められる。オバマ氏任せにしていてはだめだ。
 ――被爆国・日本の政府がオバマ氏の発言を大歓迎しているようには見えません。
 日本の歴代政権は「米国の核の傘の下で安全を保つ」との発想でこり固まっている。まして北朝鮮の核問題もある状況で、日本政府が「オバマさん、そこまでおっしゃるなら核兵器のない方向に突き進んでください」と言うことはありえまい。日本政府の核に対する二重基準こそ、広島がこれまで目をふさいできた点だと思う。オバマ氏が「道義的責任」に言及した今こそ、日本政府に対し「本気で核廃絶に取り組め」と広島が強烈に働きかける好機にするべきだろう。

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