オバマ政権に対する政策提起のIHT紙所掲文章(1)

2009.02.24

*2月19日付のインタナショナル・ヘラルド・トリビュン紙は、コラムニストであるロジャー・コーエン署名の「テヘランでハメネイを読む」と題する文章と、同じくコラムニストのウイリアム・パフ署名の「不可解な作戦任務」と題する文章を掲載しています。また、2月20日付の同紙は、二人の朝鮮問題専門家による「米朝:平和を第一に」という文章と、フィリップ・タウブマン署名の「核兵器削減:核兵器を好きにならないように学ぶこと」という文章を掲載しました。
最初の文章は、イランの最高宗教指導者・ハメネイが交渉相手になる人物だという判断を示し、アメリカがイランの核計画を認めることを公然と提唱する注目すべき内容です。二番目の文章は、アフガニスタン作戦にこだわるオバマ政権に厳しい質問を投げかけてその正当性を質すもので、やはり注目に値する文章だと思います。三番目の文章は、同じくオバマ政権にとっての重要課題の一つである朝鮮の核問題について、また、四番目の文章は核抑止の考え方そのものに踏み込んでオバマ政権への提言を試みる内容です。
 私は、オバマとブッシュの最大の違いは、ブッシュが確信犯的で思考が硬直しているのに対し、オバマの場合は、外交・安保問題には基本的に素人であることを自覚しており、白紙に近い状態で、多種多様な意見を聞きながら、政策を作っていく用意があるということではないか、と見ています。そういう意味では、日米関係に関し、肝心の日本側が新しい日米関係のあり方について積極的に提言するのではなく、まったく反対に従来の日米同盟路線死守だけを願った対米アプローチに固執していることは、2月のクリントン国務長官訪日のような既定路線固守の結果を招いてしまったと思っています。
 それに対して、上記四つの文章は、オバマ政権にとって死活的に重要な四つの課題について、一線級のコラムニストや学者が斬新な発言・提言をしているもので、オバマ政権のこれらの問題に関する政策の幅を広げることに寄与することが期待されるのです。
 以下におきましては、まずイラン問題とアフガニスタン問題に関する二つの文章(要旨)を紹介します。朝鮮問題と核抑止問題については別途紹介することにします(2月24日記)。

1.「テヘランでハメネイを読む」

イランの方向性を決める最高指導者であるハメネイにどう近づくかという問題以上に、アメリカ及び同盟国に欲求不満を起こさせるイランの謎はない。…彼はミステリーだ。
 この謎を解くことは、オバマ大統領にとっての挑戦の中心にある。なぜならば、彼の権威は絶対ではないが、その拒否権は絶対だからだ。彼をバイパスすることは、大恐慌をバイパスできないと同じくできない。
 (イランの政治体制が変わることはないことを指摘した上で)近年におけるイラン政治の中心的な事実はハメネイの強化ということだ。イランとどう関わるかは、彼に始まり、彼に終わる。…
 彼の「傲慢な大国」(「アメリカ」のこと)に対する攻撃は、ブッシュ政権の傲慢によって補強されてきた。パレスチナの大義に対する彼の情熱的な支持は、最近のガザにおける完全な失敗で共感を集めた。アメリカの「経済支配」に対して、権利を奪われた人々とイスラム革命を同盟させようとする彼の試みさえ、世界資本主義の苦悩によって元気づけられている。
 それでは、この抜け目のない人物は何を望んでいるのか。何を与えるだろう。ハメネイは昨年、「疑いなく、対米関係がイラン国家にとって利益になる日となれば、私はそのことを承認する最初の人物だろう」と発言した。
 ハメネイは自らの主要な任務を、独立、文化的科学的自足、(国民的及び国際的レベルでの)法の指導体系としてのイスラム及び社会正義の再活性化などを核心的価値とする革命を守ることだと考えている。彼は、アメリカが「その覇権に対して屈服し、降伏すること」を要求していると信じている。
 アメリカは、これらの確信を前提にして、予見力のある方向性のある変革に乗り出さなければならない。オバマは、アメリカが政権交代の目標を放棄しただけではなく、イランを地域の安定における中心的役者と見なしていることをハメネイに保証しなければならない。そのことが独立に関する(ハメネイの)強迫観念に対応する。
 オバマは、イランの核計画に対する軍事的脅迫をやめ、イランの核燃料サイクルを科学的にマスターする権利(ただし、それは兵器の製造に向けられないことを確保する検証可能な条件の範囲内である)を承認するアプローチを取るべきだ。そうすることがイランの知性的プライド(及びイランの隣にはイスラエル、パキスタン及びインドという核兵器国が含まれるという現実)に応えるゆえんだ。
 オバマは、ハマスとファタハの和解をアメリカの中核的目的とし、ハマスとヘズボラという幅の広い運動について「テロリスト」とする決めつけは適当な表現ではないことを承認し、二国的解決(浅井注:イスラエルとパレスチナ国家が共存するという解決)を不可能にする「イスラエルは悪い政策をとることはあり得ない」という政策を変更するように、イスラエル・パレスチナに対する政策を再調整しなければならない。
 その見返りにイランは、アラブ連盟が支持する二国的解決を受け入れなければならない(ハメネイは、「パレスチナの運命はパレスチナ人民によって決定されるべきだ」と述べたことがある)。イランは、ハマスとヘズボラに対するアメリカの動きに対して、彼らに対する軍事的(政治的ではなく)支持をやめるという対応をしなければならない。イランは、イラクとアフガニスタンを安定化させるアメリカの努力を支持しなければならない。イランは、人権の記録を改善しなければならない。そして、その善意を示すために、アメリカとのハイレベルの話し合いが始まり次第、濃縮中止ボタンを押さなければならない。
 ハメネイは話の分からない人物ではない。彼の世界観の四番目の柱である社会正義は重要である。彼は、「イスラムが追求するのは、社会のあらゆる層のための経済的な発展と繁栄だ」と述べている。1バレル35ドルの状況では、西側との関わりのみがもたらすことを可能にするより多くの富なくしては、それ(以上の発言)を実現することは不可能だ。

2.「不可解な作戦任務」

(パキスタン政府がタリバンとの間で、同国西北部におけるタリバンの宗教的支配を認める協定を結んだ事実を紹介した上で)いうまでもなく、ワシントンはこの取引を警戒し、取引は「危険な先例」と呼ばれているし、この引き裂かれた地域におけるアメリカの伝統的な目的からすると、確かにそうなるかもしれない。それは確実に次の質問を再び浮かび上がらせる:我々は、アフガニスタンとイラクにおいて何をしようとしていると思うのか。
 我々がそこにいるのは、彼らの宗教的恭順の形式を自由化するためなのか、それとも神学に対する戦争を行うためなのか、はたまたアフガニスタン(またはパキスタン)を永久に支配し、恒久的なNATOの基地を作る(アフガニスタン人の中にはそう信じているものもいる)ためなのか。それとも我々は、ビン・ラディン及び彼の主要な協力者を2001年の攻撃について法廷に引き出すために、彼らを捜し求めているのだろうか。
 我々はいちどきにこれらすべてのことをやっているように見える。しかし、どうしてなのか。
 オバマ新政権が我々に答えを示すことが不可欠だ。明らかに我々はビン・ラディンがほしい。しかし、イラクにおけるように、そこにおいてのこれまでの経験に基づけば同じように明らかなことは、すでにそこにいる40000人にさらに40000人の兵士プラス現存のNATO軍ということでアル・カイダの親分を捕捉することに成功するという保証は全くないということだ。
 実際はアフガニスタンに恒久的な基地がほしいということなのか。もしそうであるならば、アメリカ公民は、なぜそうなのかについての説明を受ける権利がある。
 1979年の革命前にイランが我々にとってそうであったように、あるいは、サダム・フセインが中東における我々の人間であった1980年代におけるイラン・イラク戦争の時期のイラクがそうであったように、我々はアメリカにとっての恒久的なお抱え国家がほしいのだろうか。
 我々は、本気でタリバンの宗教的信仰をぶっつぶし、イスラムを自由化したいのか。シリーズもののセミナーを開くために、牧師、社会改革家そしてフェミニストの学者を送るというのか。アメリカ式の銃口を突きつけた新宗教裁判をやるというのか。
 我々が現在パキスタン及びアフガニスタンでやっていることは、パキスタン人とアフガン人を逆上させている。…この地域をもっとも良く知るものが認めるように、アメリカとタリバンとの戦争は、2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻以来、パシュトゥーン人の間に宗教的民族的蜂起と似た何ものかを引き起こした。パシュトゥーン人は、中央アジアのこの地域で最大の部族集団である。彼らは、約4000万人の緊密に同盟した部族の民であるとされている。
 私が問いたい最後の単純な質問は、以上がオバマ及び彼のチームが本当にこれからの4年間アメリカの人々を引っ張っていこうとしている道なのかということだ。

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