あけましておめでとうございます

2009.01.01

2009年の年賀状にしたためたのは、以下の文言です。

内外において1929年の大恐慌を上回る経済状況に陥り本当に先行きが読めませんが、広島での生活が残り2年強の今年は、私自身として以下のことに取り組みたいと思います。
〇ハプチョン世界平和公園建設
「韓国のヒロシマ」といわれる地に平和公園を作る計画が韓国で進んでいます。日本の植民地支配及び広島・長崎での被爆による二重の犠牲になった方達の無念を想い、広島共立病院名誉院長・丸屋博先生を中心に、資金協力の募金活動・建設賛同の署名活動・日本政府への働きかけ等を柱とする、ハプチョンでの公園建設に協力する国民的な運動の実現に取り組みたいと考えています。
〇障害者自立支援法違憲訴訟
孫娘・ミクを含む障害者・児が人間としての尊厳を全うすることができる国・社会を実現するべく、全国規模で行われつつある一斉訴訟に、私も微力ながら、協力させていただきたいと願っています。
〇ミクのセーフティ・ネット作り
ミクが将来にわたって一人の人間としての人生を全うできるよう、そのための社会的なセーフティ・ネット作りのために必要なことは何か、その基礎的勉強を意識的にしていきたいと考えています。
〇朝鮮語学習
最も近い隣国を少しでも理解するべく2008年から始めた朝鮮語学習ですが、最低限読めるようになるべく努力を続けます。
〇広島平和研究所の法人化移行
2010年度から法人化する広島市立大学の一部としての広島平和研究所の法人化移行という課題に、所長としての責任を果たしたいと考えています。

ハプチョンに於いて、広島の平和公園をも念頭に置いて世界平和記念公園を造成する計画があることを知ったのは、広島共立病院の丸屋博先生のご一行と一緒にハプチョンを訪問したときのことです。韓国議会に特別法が提案されるところまで行ったのですが、審議未了に終わり、私たちが訪問したときは、「また一から出直し」というお話をお聞きしていました。しかし最近訪日した韓国人被爆者協会の方が丸屋先生に再び特別法の議会提案が行われたなど、韓国側では公園建設計画の動きが再び活発化しているとの情報を提供しました。
私としては、日本国内でも公園建設に対して最大限の支援・協力することが、私たち日本人の当然なすべきことと考えています。日本の朝鮮半島に対する植民地支配の過去、その植民地支配における朝鮮の人々に対する過酷な仕打ち、そういう中で日本に強制連行され、あるいは故郷を追われ日本に移住せざるを得ない状況に追い込まれた朝鮮の人々が多数いること、そして広島と長崎に住んだ人々は原爆投下の犠牲者になることを余儀なくされたことなどを決して忘れてはならないからです。
そのために、日本国内の広範な層を対象に募金活動や署名活動をすることはもちろん、朝鮮人被爆者に対して冷たい仕打ちに徹してきた日本政府に対しても、公園建設に対して応分の資金協力をすることを働きかけることも重要な課題だと考えています。私のコラムを訪れてくださる方にも積極的なご協力をお願いします。

障害者自立支援法違憲訴訟を勝利に導くための闘いも、私は非常に重要な国民的課題だと確信しています。社会保障・福祉、労働、農業などの分野に新自由主義の市場原理を強引に持ち込んだ結果の一つの焦点が、障害者自立支援法の応益負担原則です。この裁判に勝利し、応益負担原則を撤回させることは、新自由主義の市場原理でゆがめられた他の分野での抜本的な政策転換をもたらすことにつながるでしょう。

私は、広島に来てから、縁があってきょうされん(障害者の作業所の全国組織)の活動に身近に接することが出来、障害のある人たちが元気に明るく生活に励んでおられる姿に元気と励ましをいただいています。孫娘・ミクにも是非そういう障害者として周りを明るくするような元気な障害者として育ってほしいとますます強く考えるようになりました。そのためには、ミクが一人の人間として生活していくことができるためのセーフティ・ネットを作ることが不可欠です。私の広島平和研究所との雇用契約は2011年3月まで残り2年強にまで迫ってきましたので、2009年を期してセーフティ・ネット作りのために必要なことは何かについて本腰を入れて勉強したいと考えています。

朝鮮語学習は、長年なぜか縁がなかった朝鮮半島を訪れる機会が、広島に来てから何度もあったことで、日本にとっての最隣国である韓国・朝鮮の朝鮮語を理解しないことが、私にとっては許し難い怠慢であると思うようになったことが動機です。67歳にしての朝鮮語学習だったわけですが、幸い熱心に指導してくださるL先生に巡り会えたことで、私の意思さえ硬いのであれば、勉強する条件・環境はそろっています。なんとか朝鮮語の新聞ぐらいは辞書を片手に読めるようなレベルまでにはなりたいものです。

広島平和研究所が所属している広島市立大学は、2010年4月1日を期して法人化に移行することがほぼ決まっています。研究所も大学と運命を共にすることになっています。
私自身は、国公立大学の法人化には基本的に反対です。これもまた新自由主義に基づく市場原理を持ち込むことに本質があるからです。2008年には4人の日本出身の科学者がノーベル賞に輝きましたが、その人達の基礎研究は市場原理の下では真っ先に淘汰される対象です。学問には「無駄」が積極的、肯定的に認められるべきだと、私は常々考えています。学問もまた、新自由主義とは両立しないのです。
とはいえ、すでに「賽は投げられた」以上、研究所所長としての私の責任は、これまで純然たる研究機関として運営されてきた広島平和研究所を、研究及び教育機関として、大学の生き残り戦略の中で重要な役割を担いうる存在に導くことだと思い定めています。幸い、広島市が設置した広島市立大学から「平和」というキー・ワードを取り除いたら、大学としての存在理由は成り立たなくなるだろう、という認識は広範に共有されていますので、私としては、2011年3月末までの任期中に研究及び教育機関としての平和研の基礎工事を成し遂げたいと考えているところです。

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