佐藤元首相の核報復攻撃積極容認発言

2008.12.25

*12月22日付各紙は、1965年1月に首相就任後初訪米してマクナマラ国防長官(当時)と会談した際、中国との戦争に際しては「アメリカが直ちに核による報復を行うことを期待している」(中国新聞)と述べたことを大きく報道しています。しかし、私が定期購読している朝日、毎日、中国、長崎、神奈川、沖縄、琉球7紙に関する限り、識者論評が掲載されたのは共同配信の田中孝彦・早大教授のものと、琉球新報に載った我部政明・琉大教授のものだけでした。また、社説で目にとまったのも、朝日と中国ぐらいでした(朝日社説のお粗末さには唖然としました)。どうも、外務省が佐藤発言を公開した意味が正確に把握されていないように感じますので、私の理解を記しておこうと思います(12月25日記)。

1. なぜ黒塗りで塗りつぶさなかったのか

私もかつて外務省にいたときに外交文書の公開作業にかかわったことがありますが、機微な部分、国民に知られてはまずい部分は黒塗りにして見せないようにするのが普通です。それが、今回は佐藤発言がそのまま紹介されているということそのこと自体に、一種のメッセージ・狙いがあることに気が付かなければおかしいはずです。我部教授は、「今回の公開文書で興味深いのは、1965年の佐藤栄作首相-マクナマラ会談の文書だろう。ほかの首相訪米時のマクナマラ会談の文書は国務省公開文書の中にある。たくさん会談していて、なぜ今回の文書が米側で公開されず、外務省が公開したのかよく分からない」と述べています。米側公開文書に精通している我部教授ならではの鋭い着眼点だと思います。ただ、分からないですませるにはあまりにことは重大です。
外務省としては、国民の目に触れさせたくなければ、先ほどもいいましたように、黒塗りにすればすんだのです。逆にいうと、何らかの狙いがあり、佐藤発言を明らかにすることで何らかの政策目的に利用しようとしたに違いありません。これは、私の外務省生活25年を踏まえた直感です。
何を国民に伝えようとしているのか。私は、日米軍事同盟が変質強化されている中で、その最大の眼目は、日米支配層がもっとも警戒する中国との戦争に備えることにあることはほぼ間違いないと考えています(その点については、アーミテージ報告や第2アーミテージ報告を見ていただきたいし、これらの報告について書いた私のコラムも参考にしてください)。確かに1993年以後は、日本の支配層は「北朝鮮脅威」論を押し出して日米軍事同盟の変質強化に邁進してきましたが、日米軍事同盟強化の真の狙いは中国であることは、国際的に見れば軍事的常識です(ブッシュ政権の下で北朝鮮に対する先制攻撃の戦争を仕掛けることが真剣に考えられていたときでも、朝鮮が先手をとって始まる戦争の可能性を考えたものは、国際方向感覚を備えていない私たち日本人ぐらいであって、アメリカを含め誰もいません)。
コラムでも何度も書いてきましたように、米中軍事対決のシナリオは台湾海峡有事です。中国の核武装を「狂った人間に刃物」(琉球新報)と表現するほど中国に警戒感をあらわにしていた佐藤が「中国の通常兵器攻撃にも核で即応応戦する選択肢を打ち出し」(中国新聞)たことは、優れて今日的メッセージが込められているのです。つまり、将来における台湾有事がエスカレートしていく場合の米中戦争においては、中国が核兵器を使用する前の段階でもアメリカが中国に対して核兵器使用に踏み切るということがあるということです。外務省がわざわざ佐藤発言を公にした狙いはここにあると私は思っています。それは、決して「歴史文書の公開」などという低次元の話ではありません。
おそらく外務省は、戦後一貫して続けられてきた核兵器に関する矛盾を極める政策が、「嘘も百編言えば事実になる」ではありませんが、今や国民的に諦め混じりに受け入れられるようになっているとの判断の下に、彼らの考える「台湾海峡をめぐる潜在的に極めて厳しい国際関係の現実」について国民の認識を誘おうという意識が働いており、そのために佐藤発言を公開したとしても、私はまったく驚きません。
非核3原則の「持ち込ませない」についても、早くから洋上配備の核兵器が、搭載艦船の日本の港への寄港に当たってはそのまま日本の中に入っていていたことについては、ほぼ誰もが知っていることですが、今回の佐藤発言では、「陸上への核兵器持ち込みについては気を付けてほしい。(上記核報復の発言に続けて)その際、陸上に核兵器用施設を造ることは簡単ではないかもしれないが、洋上のものなら直ちに発動できるのではないかと思う」と述べています。私は、ここにも外務省の狙いが込められていると感じます。つまり、「非核3原則」は実際は守られていないことについて、国民に最終的引導を渡すことです。もちろん、これからも聞かれれば、「非核3原則は厳守します」「核の持ち込みは、アメリカが事前協議してくれば断りますが、事前協議をしてこない以上、持ち込みはありません」という木で鼻をくくった答えに徹するでしょう。しかし、「薄目を空けてご覧。実際はそうではないことは、佐藤発言でも分かるよね」と私たちの耳元でささやいているのです。

2.広島に問われていること

私は、今回の報道を見た時、外務省がはっきりと意識していたかどうかはともかく(おそらく広島に対する目線は自覚的にはなかったでしょう。なぜならば、中央政府・外務省が気にしなければならないような強力な発信を広島は東京に対して正面切ってしたことがかつてないのですから)、国民的になお根強い健全な核アレルギーを弱めることに、もう一つの狙いをつけていたとしても少しも驚きません。確かに広島のテレビ局(RCCなど)は、被爆者の方達の声を取材し、流していましたが、「ノーモア・ヒロシマ」を完全に無視したこのような発言が行われたことを公表しても、広島から強烈な反対・批判の声が起こることはあるまい、とたかをくくっていたことは十分ありうると思います。そして残念ながら、広島の反応は、極めて微温的にすぎません。
 これが沖縄にかかわることだったらどうでしょうか。私は、そう思うだけで、広島と沖縄の違いということを深刻に考えざるを得ません。私は、1.に述べたように、佐藤発言に込められたメッセ-ジ・狙いが極めて危険な意図に基づくものであることを広島が認識するのであれば、将来における対中核戦争を絶対に許してはならないという圧倒的な抗議・批判の声が広がらなければ、広島はもはや広島ではなくなってしまっている、と考えます。
 振り返ってみれば、呉(軍港)と岩国(米軍基地)に取り囲まれていながらその厳しい現実に向き合うことを避け続けてきた「国際平和都市」広島、毎年の8月6日に、矛盾を極める核兵器政策を公然ととる首相を平和式典に呼ばずにはすまない広島、憲法第9条についても曖昧な姿勢を崩そうとしない広島等々、広島はまずは最大の課題である日本という国家の核・戦争(安全保障)政策を正面から問いただすという課題を避けたまま、ひたすら世界に向かって核兵器廃絶を訴えるというスタイルに徹してきています。しかし、国内の政策も変えられないでいて(変わるようにまともな努力もしないでおいて)世界に訴えるというアプローチは、どう見ても説得力に乏しいのではないでしょうか。国内を変える力を持ってこそ、国際社会もそんな広島の声に耳を傾けることになるのではないでしょうか。私は広島に来てからの3年7カ月の間、ずっとこのことを考えてきましたが、今回の佐藤発言に関する外務省の情報公開に対してほとんど声を上げない広島に、改めて根の深い病があるように感じられてなりません。

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