中国訪問雑感

2008.11.21

*11月15日から20日まで数年ぶりに上海と北京を垣間見てきました。中国・当代世界研究中心とドイツ・ローザルクセンブルグ基金が共催した「中国は世界を必要とする 世界は中国を必要とする 中国と世界の関係の新変化に関する国際検討会」という国際会議に招かれ、出席したのですが、国際交流協会(中国共産党対外連絡部の外郭団体)の好意で上海も見学できたのでした。改革開放政策が始まった1978年からちょうど30年の中国です。私は、1980年から83年までの3年間の間、中国大使館に勤務していました。当時北京に駐在していた記者達から、「浅井の中国の先行きに関する見通しは甘すぎる」と揶揄されたものですが、その私が予想すらできなかった中国のめざましい発展は本当にすごいと思いました。30年前も中国の人たちから「中国の抱える問題は多すぎる」と耳にたこが当たるほど聞かされましたが、今回も相変わらず同じ言葉を何度も聞かされました。ということは、中国が30年間一貫して冷静に自分自身を見つめているということだと思います。短い滞在でしたが、色々なことを考えさせられる旅行となりました。バラバラになりますが、頭の中に残った記憶を紹介しておこうと思います(11月21日記)。

<上海雑感>

上海は、2010年に万博を開催することになっており、万博開催を目指したスケールの大きい都市建設計画が進行中でした。上海の空気汚染は凄まじいものですが、北京オリンピック開催を目指して北京が大気汚染解決に成功した(後述)ように、上海も何かやってのけるのかも知れないと思わされる意気込みを感じました。大した期待感も持たないまま「都市計画展示館」なる建物に連れられていったのですが、2010年に向けての壮大なまでの都市建設計画に正直肝をつぶしました。関係者の口からは確かに世界金融危機に関する懸念表明はありましたが、しゃにむに万博開催に向けて突き進むのだという意気込みに圧倒されたというのが正直な感想です。中国には内需を喚起する材料が無尽蔵にあるように感じました。
上海の有名な繁華街にも案内してもらいましたが、豫園、外灘が私のかつての記憶を確認させてくれた以外は、新世界を始め別世界に変化していました。ただ、東方明珠テレビ塔に登ったのですが、すごいスモッグで何も見渡すことができなかったことも非常に印象に残っています。
上海市の外事弁公室の副主任の方に夕食をごちそうになり、その際に同席した上海国際問題研究院の副院長とお会いしましたが、二人の話にはうらやましさを禁じ得ませんでした。彼らによると、今までの研究院の研究の80%が文字通り国際問題関係で、上海にかかわる研究は20%にすぎないのだそうです。副主任は、研究院が国家的任務を負っているのだからその仕事を応援するのは上海市の当然の責任と語りました。他方、上海市に直属する研究機関として、今後は上海にかかわる研究量も増やすべく研究員の増加を進めているというのです。広島市の緊縮財政の下で、年々予算が削られている広島平和研究所とは雲泥の差がありました。新自由主義の市場原理最優先は基礎研究を犠牲にせずにはおきませんが、社会主義市場経済の中国においては健全なバランス感覚が働いているのでした。

<北京雑感>

北京空港に降り立ったときの第一印象は、空が青いということでした。つまり、スモッグがないということです。市内に向かうときには夜空になっていましたが、車中から星が望めたことは、私にとっては驚き以外の何ものでもありませんでした。北京で星が望めるなんていうことは考えもしませんでした。感激すら覚えました。北京オリンピックへの出場を辞退したマラソン選手がいましたが、この澄んだ北京の空気は私が北京に滞在していた1980年初頭以上のものでした。
 17日の前日及び18日の午前は会議に出席しました。主に印象に残ったことは2点です。
世界金融危機が重くのしかかっていた(ちなみに、中国では「金融危機」ではなく「金融津波」という表現で現状を認識していました。津波の破壊力のすさまじさを認識すればこその表現です)ことはもちろんですが、私が何より痛感したのは、日本の存在感の薄さでした。中国の研究者は、北京はもちろんのこと、上海、南京、広州などからも出席者がいましたが、日本ことを口にする人はほとんどいませんでした(ただし、後述参照)。国内の「政局」に明け暮れする日本の政治の貧困を改めて痛感させられました。そのことは、この経済危機に際して2兆円の財政支出(「生活給付金」!!)しか打ち出せない麻生政権と50数兆円の内需拡大政策を打ち出した胡錦涛政権との違いに端的に表れていると思います。「民」の存在がない日本と「民」の存在を十二分に意識している中国。私は、つくづく日本政治が絶望的状況にあると思いました。
 もう一つ印象に強烈に残ったのは、南京から会議に出席した学者の発言でした。彼は、胡錦涛政権が唱える「和平崛起」(申し訳ないのですが、日本語の定訳を知りません)について中国国内でそういう提起の仕方について激論があったこと(軍部からは、「和平」という冠は妥当でないという意見があり、外交関係からは、「平和共存5原則」があるのに今さらそのような提起の仕方は不必要であるとの異論が出されたとのこと)を紹介した上で、三つの根拠からこの提起の仕方が定着したと紹介したのです。
 一つは社会主義中国自身の体験です。つまり、外敵との対抗が何ものをも生み出さなかった1970年代までの歴史の総括ということです。国際的な平和環境のみが中国の発展を保証するということが認識されたということです。二番目は、ソ連の崩壊の教訓です。ソ連は軍事強大国にはなりましたが、そのことが正にソ連崩壊の引き金を引いたということです。三番目は日本とドイツの教訓でした。つまり、軍事路線に走った両国は滅亡し、その後経済建設にいそしんだ両国は経済大国に発展したということです。
 私は、彼の発言に非常に納得しておりました。日本国内では「中国脅威」論がかまびすしく唱えられていますが、彼の紹介はそういう議論の根拠のなさを極めて説得力ある内容で証拠立てていると感じたのです。中国の大国化路線はあくまでも平和的なものであると確信しました。

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