被爆者と障害者との関係についての興味深い見方

2008.10.25

*私がウェブサイトで「きょうされん全国大会inひろしま」について報告しましたところ、「自分史つうしん ヒバクシャ」の編集・発行を行っておられる栗原淑江さんから、長年にわたるヒバクシャとの交流を心がけてこられた方ならではのとても興味深い見方を紹介していただきました。私一人だけのものにしておくことはもったいないので、ご本人のお許しを得て皆さんにも紹介したいと思います(10月25日記)。

「自分史つうしん ヒバクシャ」の栗原です。 浅井さんのホームページで、「きょうされん全国大会 in ひろしま(浅井注:私のサイトの「広島」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/hiroshima/2008/1006.html参照)の成功について、うれしく、また興味深く拝見させていただきました。
ミニ・シンポにおいても、障害者と被爆者の間に橋を架ける第一歩となる深いお話し合いがされたもようで、さらにその詳細を知りたくなりました(浅井注:上記のページでも書いたのですが、「私はかねがね、多くの被爆者が障害者(肉体的のみならず、中沢正夫医師の研究で明らかにされたように、PTSDの精神障害にも見舞われている。また、原爆小頭症の人たちは知的障害者でもある)であるにもかかわらず、被爆者であるという意識の方が強くて、自分が障害者であるという意識を持っていないということが気になっていたのですが、その点についても問題提起をしてみました」ということに関する言及と思われます)。
久保浦さん(浅井注:ミニ・シンポにパネリストとして参加してくださった被爆した際に左眼を失明する障害を負われた方)にとっても、シンポはもちろんのこと、この大会そのものに参加されたことが、ご自身の障害(生涯)をあらためてふり返る貴重な体験となったことでしょう。いつか、舟橋(喜恵)先生とごいっしょに、久保浦さんご自身からこの経験についてお話をうかがってみたいとも思います。
被爆者のみなさんに、自らが「障害者」であるという意識がうすいというご指摘については、一般的にはそのとおりで、私はこんなふうに考えています。
久保浦さんにしても、小峰さん(浅井注:長崎の被爆者で障害をお持ちの小峰秀孝さんのこと)にしてもそうですが、障害ゆえの差別、いじめに苦しんできた被爆者は少なくないはずです。同時に、被爆者は、その障害が原爆(つまりは、国の起した戦争)によってもたらされた被害であることを、国に認めてほしい、という意識を強くもちつづけてきました。それは、被爆者のこうむった障害にしても、貧困の問題にしても、その原因を問わずに一般の社会保障(社会福祉)施策の枠内で対処しようとする政府の姿勢に対する批判であり、被害をもたらした国の責任を明らかにし、その被害を国として償わせなければ、また同じことがくり返される、という思いから出たものであったと思うのです。
障害者への施策や生活保護制度の利用に消極的だったという傾向は、そうした国のあり方への抵抗感に発するものであったのではないかと思います。それが国に対しての抵抗にとどまらず、障害者や一般国民への垣根をつくることにつながっていた面もなしとは言えないかもしれません。しかし、被爆者たちがその苦しみのなかから自らの主張と要求を築き上げてきた運動の実態からみて、おそらくそこまでの余裕はなかった、というのが実情ではなかったでしょうか。被爆者ばかりでなく、私たちの様々な社会運動をみても、従来、他の関連分野との相違はそれとして尊重しながら、互いの運動から学びあい、共通項を見出して連帯・共同するという努力は非常に弱かったように思うのです。
被爆者運動にとっても、在外被爆者や一般戦災者・一般戦災傷害者との連帯が意識的に追求されはじめたのは、90年代以降のこと。その意味で、今回の広島での大会は、障害者との連帯を切り拓く大きな画期となったのではないでしょうか。

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