林東源著『南北首脳会談への道』(岩波書店)

2008.10.24

昨日(10月23日)読み終えました。いやあ、久しぶりに夢中になり、読むことに引き込まれました。遠い昔に通勤途上でキッシンジャーの回顧録を英語の原文で読んではまったことがありますが、その時と酷似した感慨を味わいながら読みました。林氏自身が「韓国のキッシンジャー」と形容されたこともあると書いていますが、「さもありなん」と合点がいきました。私自身は自分のことを理想主義的現実主義者と考えますし、キッシンジャーや林氏は現実主義的理想主義者ということで本質的に違うのですが、彼らの発想からはずいぶん学ぶことが多いというのも改めて確認したことでした。つまりは、冷静な現実認識を踏まえかつ長期的視野に立った戦略的思考の重要性ということを彼らは教えてくれるのです。その思考方法は、理想主義的現実主義においても極めて重要です。また、朝鮮半島問題について正確な認識を持つことを考えるものにとって、この本は必読だと思います。とくに、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)について客観的な認識及び冷静な政策立案を心がけるものであれば、林氏の視点から学ぶことは実に多いと思います。林氏は、金大中大統領の時代に、南北朝鮮関係の本質的改善のために文字通り昼夜を分かたず献身した人物といってよいでしょう。その彼は、1980年代までは反共・韓国に献身した人物(本著第3章参照)だったのですから、ますます説得力があるというものです。

私がこの著作から学んだこと・確認したことを思いつくままに列挙すれば、次の通りです。
まず、朝鮮の核・ミサイル政策は生き残り戦略そのものだという指摘です。つまり、圧倒的なアメリカの戦力による脅威に直面している朝鮮としては、その生き残りのすべとして核兵器というカードしか持っていないということです。この認識は、私がこのコラムで度々指摘していることです。林氏は次のように書いています。「北朝鮮代表らと接触してきて感じるのは、北朝鮮は体制の危機に直面して「生き残り戦略」を追求しており、最大の目標を米国との敵対関係解消と外交関係の樹立に置いているということだ。北朝鮮が国際核査察を遅らせているのには、米国との直接取引に持ち込み、米国が北朝鮮に核の脅威を与えないという「法的な安全保障」を引き出す事に狙いがある。北朝鮮は核問題を対米関係改善のための交渉カードに利用しようとするだろう……….米国が、そうした考え方に沿って北朝鮮と関係を改善するとき、初めて核問題の解決が可能になるだろう」(p.145)
次に、林氏が使えた金大中大統領は、南北関係の改善のためにはアメリカに対しても韓国の考え方を断固として主張し、また、そういう林氏・金大統領であるからこそ金正日の厚い信頼を得たということです。二人の硬骨漢としての真骨頂は、ネオコン支配下のブッシュ政権が体調線強硬政策に走ったときに遺憾なく発揮されました。金大統領は2002年2月20日に青瓦台でブッシュ大統領と首脳会談をするのですが、そのときの模様を林氏は次のように描いています。「金大統領はまた、「韓国民は朝鮮半島問題は平和的に解決しなければならないと考えており、できる自信がある」と言い、「戦争には断固反対する」と強調した。また、北朝鮮に対する軍事的措置は必ず全面戦争につながり、どのような軍事的措置も反対だと力を込めて語った。ペンタゴンは朝鮮半島で戦争が起きた場合、3ヶ月で韓国軍50万人、米軍5万人、そして民間人に100万人以上の死傷者が出、産業施設のほとんどが破壊されると判断していると付け加え、戦争には勝つだろうが、このような惨禍は防がなければならないと力を込めた。」(p.343)
アメリカの朝鮮に対する先制攻撃の戦争にしっぽを振らんばかりについて行こうとする日本の保守政治家との対照の際だちはあまりにも明らか、と言わなければなりません。日本の保守政治形は、朝鮮半島有事が日本の私たちにどれほどの惨禍をもたらすかということを真剣に考えてみたこともないのでしょう。
第三に、林氏の思考の弾力性ということです。彼は、共産主義批判と対共戦略論を講義し、自主国防を叫んで軍事力の増強を主導した反共保守主義者がなぜ、そんなふうに変わってしまったのか」という質問を受けたことを紹介した上で、二つの理由を挙げてそれに答えたと述べています。
「一つは、何よりも世の中が変わったということだ。朝鮮半島をめぐる戦略的環境の地殻変動がわたしを変えた」ということです(p.93)。「いまは反共が問題なのではなく、どうしたら朝鮮半島に冷戦を終わらせ、分断を克服し平和的に統一できるのかが問題なのだ。あらゆる思想、政策はその時代の産物だ。時代が変わったのに、古い時代の思想、考えに執着していたら落後するしかない。」(p.94)
「二つ目は、わたしの個人的な経験と認識の変化に関係している。南北高位級会談の代表として何度か平壌を訪れて北朝鮮の実情に直接触れ、北の高位級幹部との対話を通し、この間、わたしたちが不必要な被害意識と間違った情報によって北をあまりにも過大評価してきたことが分かったことだ。広がった南北の国力格差と、北に不利に展開する国際情勢、そして破綻状態の経済で、北は吸収統一の恐怖と北進の脅威におびえ、ひたすら生存戦略を追求している。それなのに、わたしたちは北の企図、能力をあまりに過大評価してきたのだ。」(同)
現実主義的理想主義者としての面目躍如と感じませんか。ここでも、「北朝鮮脅威」を鼓吹して、日米軍事同盟の変質強化に血道を上げる日本の反動政治家たちとの「質の違い」を感じないわけにはいきません。

このほかにもいろいろ指摘すべきことはありますが、後は皆さんが直接本著に触れて直接味わわれることにお任せします。もちろん、私としては林氏の考え方に100%同感ということではありません。理想主義的現実主義者である私は、林氏が前提とする「ソ連の崩壊=社会主義の崩壊」などという図式に与するわけではありません。むしろ、アメリカ式市場万能主義の新自由主義がいよいよ破綻している現在、「資本主義が社会主義に勝利した」などという見方の安易性は極めて明らかであると言わなければなりません。

また、米朝関係の緊張をもたらした「北朝鮮のウラン濃縮疑惑」がネオコン勢力によって演出された虚構である可能性を林氏は注意深い表現で示唆している点は極めて興味深い(金大中大統領の政権末期に起こったものであり、林氏は問題の渦中にいた)のですが、彼が政権から離れていたときに起こった1993年から94年にかけての第一次核疑惑に発端を持つアメリカの軍事力行使の危機については説得力のある解明はありません。林氏が政権にいなかった時期のことなので仕方がないことですが、この点については他の当事者によるさらなる解明が待たれるところです。

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