「ハプチョン世界平和公園建設に協力する会」(仮称)準備委員会

2008.08.16

*日本が敗戦し、朝鮮半島が日本の植民地支配から解放された記念日である8月15日に、6月に韓国のハプチョンを訪問した丸屋博先生を中心にして、「ハプチョン世界平和公園建設に協力する会」(仮称。以下「会」)準備委員会を立ち上げることになり、広島市庁舎の記者クラブにおいて、対プレス発表を行いました。冒頭に丸屋先生から、「今日皆さんにお集まりいただいたのは、韓国の広島といわれるハプチョン(陝川)に広島などの平和公園をも念頭に置いた平和公園を建設する計画が進んでおり、その計画に日本の私たちも、署名、募金などを通して積極的に協力するべきではないかと考え、そのための「ハプチョン世界平和公園建設に協力する会」(仮称。以下「会」と略称)を立ち上げようと思っているからです。」という趣旨の発言を行っていただいた後、私が準備した書面にしたがって以下のように説明しました。準備委員会の活動は、韓国側において公園建設に向けた具体的な動きが本格化するのにあわせて始める予定であり、準備委員会の立ち上げは、そのための受け皿づくりという意味を持っています。準備委員会の共同代表は広島の団体・個人を中心になっていただきますが、会を本格的に始動する段階では、なるべく広い範囲で組織化し、国民的な活動にしたいと考えています。そういう志を知っておいていただきたく、以下に、私が説明した内容の大要を紹介します(8月16日記)。

まず、ハプチョンという町がどこにあるかについてですが、プサンから西北西にある、バスで約3時間のところです。

次に、私たちがこれから動こうとしていることについては、ハプチョンの方に話しており、次の文面での全面的な賛同をいただいていることをお知らせしたいと思います。

厳しい猛暑の日々が続くなかで、韓国「平和公園」建設を支援する後援会発足にご参加いただき、共立病院の丸屋博名誉院長をはじめ、皆様に心より感謝を申し上げます。
広島市の平和公園は、さる1951年3月に着工され、55年6月に開館したことと聞いております。これに比べれば、韓国では、およそ60年も遅れた今になって、韓国人の原爆被害者を追悼し、核兵器廃絶と平和教育の新しい場となる「平和公園」が建設されることになったことで、まことに感慨無量でございます。
何よりもまた、韓国「平和公園」建設を支援するための後援会が、広島市民によって発足されるとのことで、千軍万馬を得た如くその喜び申し上げます。
特に、韓国の光復節に当たる8月15日の終戦記念日に合わせて、発足式が行われることとなり、その意義がより大きいと存じます。
本協会は、皆様のご期待に添えるとともに、世界に向け平和を発信できる韓国「平和公園」建設に、全力を尽くすことを誓います。
もう一度、皆様のご協力とご声援に、心より感謝申し上げます。
皆様のご健康とご家庭のご幸福を祈りながら、挨拶の言葉を代えさせていただきます。
2008年8月15日
社団法人 韓国原爆被害者協会
会長 金龍吉

第三番目に、ハプチョンで進んでいる計画の中身についてですが、私たちがこの6月にハプチョンを訪問した際に、韓国原爆被害者協会ハプチョン支部の方からいただいた資料によれば、この計画はかなり具体的なもので、すでに韓国議会で与野党議員22名の提案により、公園を作るための特別法の案が提出されたのですが、審議未了で廃案になったので、これからふたたび法案提出から始めなければならないとのことでした。韓国側としては、すでにチェジュとコチャンに建設された公園の前例にならい、総事業費約400億ウオンを全額国費でまかなうという計画のようです。
すでに建設された二つの公園の場合は、まったく国内的な事件にかかわるものですので、全額国費で建設されたのは当然といえば当然ですが、ハプチョンの平和公園についていいますと、明らかに日本による植民地支配と原爆投下による二重の被害者である韓国の被爆者を追悼し、記念するとともに、未来の世代に対して二度とこのようなことが起こってはならないことを伝えるための公園という位置づけがあるとお聞きしていますので、私たちとしては、お願いしてでもこの公園の建設に協力させてもらうべきだと考えた次第です。

第四番目に、私たちがどのような協力を行おうと考えているかについてですが、私たちとしては、なるべく多くの日本人がこの公園建設に協力し、そのことを通じて、何かと問題が起こりがちな日本と韓国との間の相互理解・相互信頼の増進に寄与することができることが望ましいと考えています。
そのため、私たちとしては、どのような「会」を立ち上げるか、また、「会」でどのような活動を進めるかについて話し合い、内容を固めるために、まず「会」立ち上げのための準備委員会を結成したいと考えています。「会」そのものは、なるべく国内の幅広い人々や団体に呼びかけたいと思っていますが、その点も含めて、準備委員会でよく話し合って決めることになると思います。この準備委員会につきましては、広島で活動している原爆・平和関係の団体と韓国・朝鮮の団体の責任者の方に呼びかけ、共同代表になっていただいています。ただし、私たちの活動は、公園建設のための法案が再び韓国議会に提出された段階で始動するべきだと考えております。

第五番目に、私たちが現時点で考えている「会」の活動について、かいつまんでお話ししておこうと思います。先ほどもいいましたように、具体的なことは準備委員会で話し合って決まることなので、これから申し上げることは、あくまでも準備委員会の結成を呼びかけた私たちの個人的な意見として聞いてくだされば幸いです。
私たちは、「会」の活動内容として、署名、募金、日本政府への働きかけ、そして韓国側との連携という四つの柱を考えています。 署名活動については、日本の植民地支配と原爆投下の二重の犠牲者である韓国人被爆者を追悼し、記念し、二度とこのようなことが起こってはならないことを未来の世代に伝えていくという韓国側での平和公園建設の意義を私たち日本人が正確に踏まえ、その成功を心から支持する、という趣旨で行えたらいいのではないか、と考えています。その趣旨の署名を広く日本国民の間で多く集めることにより、私たち日本人の気持ちを韓国側に届けたいという趣旨です。
募金活動については、ハプチョンにおける平和公園の建設に対して、私たち日本人も具体的に協力させていただきたいという趣旨を具体化するものと考えています。どれだけの募金額を目指すかなどについては、「会」がどれほどの地域的な広がりを持つようになるかによっても変わってくると思いますので、私たちとしてはできるだけ多くの金額を集められたらいいな、と希望している段階です。
日本政府への働きかけという点についてですが、在韓被爆者と日本とのかかわりについては、簡単な歴史年表を入れておきますので、参考にしてください。

1945年8月6日 広島原爆投下:広島在住の朝鮮人約5万人が被爆
8月9日長崎原爆投下:長崎在住の朝鮮人約2万人が被爆
8月15日終戦:朝鮮は日本の植民地支配から解放された
1957年 原子爆弾被爆者の医療などの関する法律(原爆医療法)成立・施行 被爆者と認定された者に被爆者健康手帳を交付した
1965年 日韓基本条約:日韓請求権および経済協力協定締結 被爆者補償なし
1968年 原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)制定、実施
1974年 原爆特別措置法は「日本国内に居住関係を有する被爆者に対し、適用されるものであって、日本国の領域を超えて居住地を移した被爆者には同法の適用がないものと解される」とのいわゆる402号通達をだした
1978年 孫振斗さん最高裁で勝訴 在外被爆者も原爆手帳申請が可能に
1980年 政府間による渡日治療開始(~1986)
1984年 在韓被爆者渡日治療広島委員会結成 民間での渡日治療開始(現在も継続中)
1990年 日韓首脳会議で、日本政府が在韓被爆者医療支援金40億円の拠出を表明(1996年韓国陜川に「陜川原爆被害者福祉会館」が建設された)
1995年 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)施行 在外被爆者援護を規定した条文なし
2002年 郭貴勲さん高裁で勝訴 出国後も手当てが支給されることに
2007年 在ブラジル被爆者最高裁で勝訴 5年の時効撤廃
2007年 在韓元三菱徴用工損害賠償訴訟 最高裁勝訴賠償命令

日本政府の基本的立場は、日本の植民地支配に伴う韓国側の対日請求権は1965年の日韓基本関係条約締結に際して結ばれた日韓請求権並びに経済協力協定第2条の規定によって放棄されたというものです。つまり、在韓被爆者の日本政府に対する賠償請求の権利はない、ということです。
確かに、ハプチョン原爆被害者福祉会館は、1990年に日韓両政府が合意した40億円の基金を柱とした在韓被爆者支援策の一つとして造られ、96年に開館しました。しかし日本政府は、それ以外には在韓被爆者支援についてはなんの措置も講じていません。上記の協定に基づき、そのようなことをする理由はないという立場です。しかし、私たちとしては、ハプチョンの平和公園建設に対して、日本政府が誠意をもって対応するべきだと考えますので、そのための行動を取ることを考えたいと思っています。そのためには、日本政府が積極的に対応することを求める署名活動を行うことも考えられると思いますし、この問題に関心を持つ可能性のある国会議員などに働きかけるのも一つの方法だと思います。
韓国側との連携という点については、私たちのこれからの活動については、常に韓国側との緊密な意思疎通を図りながら進めるべきであり、間違っても私たちの独断、押しつけになってはいけないと思いますので、その点は非常に大切なことだと思っています。今回の活動を通して、日韓関係の増進に少しでも役割を果たしたいというのが私たちの願いです。

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