イランに対するインセンティヴ・パッケージ

2010.12.19

1.「5+1」によるイランに対するインセンティヴ・パッケージ提案

6月15日付のイランのIRNA(イスラム共和国通信社)は、EUの外交及び安全保障担当のソラーナ代表がイラン側に手交した、「5+1」(5安全保障理事国プラスドイツ。英仏独の欧州3カ国と米ロ中3カ国として「E3+3」ともいう)外相からイランのモッタキ外相に宛てた書簡における「イランとの協力可能分野」と題するインセンティヴ・パッケージの要旨を紹介しています。これは、私がこのコラムで紹介したイランのパッケージ提案に対する反対提案と思われます。IRNAによれば、その内容は次の通りです。

「我々は、現在の状況を変えることは可能であると確信している。イランの指導者が同様の大志を共有することを期待する。」(浅井注:引用の形をとっているのはこの冒頭の一文のみ)
イランはもちろん自らの提案を示す自由がある。
正式の交渉は、イランの濃縮関連及び再処理活動が中止され次第開始することができる。
我々は、イランがその署名国である国際諸条約に基づく諸権利を承認していることを明らかにしたい。我々は、民用原子力計画に必要な燃料供給の保障の重要性を十分に認識している。
しかし、特にイランの計画に対する国際社会の確信を回復するためには、権利に伴う責任がある(浅井注:文意が若干分かりづらいですが、原文に従って訳しておきます)。
我々は、イランの必要及び国際社会の関心の双方に応える方法を見出すために、イランと協力する用意があり、イランの原子力計画が完全に平和的であることに関する国際社会の確信が回復され次第、イランがNPTの如何なる非核兵器国に対すると同様に扱われることを確約する(浅井注:後述するように、そうであるとすれば、イランが「日本並み」の処遇を要求することもできるということになります)。
我々は、この書簡及び我々の提案を慎重に考慮することを求める。
我々が行っている提案は、イラン及びこの地域の政治、安全保障及び経済上の利益にとって重要な機会を提供している。
イランは、主権的な選択を行うべきである。あなた方が積極的に対応することを我々は希望する。そのことは、我々すべてにとって安定を増し、繁栄を高めるであろう。
<パッケージの主たる内容>
(6カ国)側としては、次の用意がある。
-NPTにしたがって平和目的のために原子力の研究、生産及び使用を発展するイランの権利を承認すること
パッケージは、いくつかの分野に分けられる。
<原子力>
-イランの原子力の平和的使用のために必要な技術的及び財政的な支援の提供並びにIAEAによるイランにおける技術協力プロジェクト再開支持
-最先端技術を使用した軽水炉建設支持
-国際的確信が回復するに伴い原子力のR&D支持
-法的拘束力のある核燃料保障の提供
-使用済み燃料及び放射性廃棄物の管理に関する協力
<政治>
-国際関係においてイランが重要かつ建設的な役割を果たすことに対する支持
-信頼醸成措置及び地域の安全を助長するため、イラン及びその他の国々と協力すること
-地域の安全保障問題に関する会議の支持
-イランの核問題の解決が不拡散の努力に貢献し、及び大量破壊兵器(運搬手段を含む。)のない中東という目的の実現に貢献することの再確認
-国際関係において、如何なる国家の政治的独立の領土的保全に対しても又は国連憲章に合致しない他の如何なる方法によっても、武力による脅迫又はその行使を行うことを慎む国連憲章に基づく義務の再確認
<経済>
-国際諸組織(WTOを含む。)への完全な統合に対する現実的支持を通じて、イランの国際社会、市場及び資本に対するアクセスを改善することを含め、貿易及び経済関係を正常化すること、並びにイランに対する直接投資の増大及びイランとの貿易の枠組みを創造することに向けたステップ
-環境保護、インフラ、科学技術及びハイテクの分野における民間プロジェクト
-民間航空協力(イランに対する航空機輸出の製造者に対する制限の撤廃の可能性を含む。)

2.提案にかかわる諸情報

 「5+1」の提案に関しては、いくつかの関連情報を目にしましたので、あわせて紹介しておきたいと思います。

(1)セイモア・ハーシュ記者
 7月7日付の“The New Yorker”に掲載されたセイモア・ハーシュの「戦争への準備 イランに対する秘密工作を強めるブッシュ政権」は、傍論においてではありますが、この提案の起案には、6月にブッシュ大統領の欧州訪問に同行したライス国務長官が深く関わっていたことを指摘しつつ、しかし、イランとの交渉はイランがウラン濃縮計画を中止しない限り行わないというアメリカの立場は変わられなかったと述べています。
ただしハーシュは、ドイツのフィッシャー前外相が、「この提案は、イラン側は新たな遠心分離器の製造を中止(浅井注:英語はstop)しなければならず、他方の側(浅井注:「5+1」)は国連安全保障理事会におけるすべてのさらなる制裁活動を中止する、と述べている」点において、アメリカ及び欧州諸国が中間的ステップとして濃縮の完全停止以下の内容(浅井注:英語はsomething less than a complete cessation of enrichment)を受け入れる意思があるという新しい要素を含んでいる、と解説したことを紹介しています。もっともフィッシャーは、正式な交渉が開始するときには、イランはやはり濃縮活動を凍結(浅井注:英語はfreeze)しなければならない、とも付け加えています。そしてフィッシャーは、「もしイラン側が善意であるならば、受け入れ可能かもしれない」と述べています。
IRNAの紹介した内容に即する限り、フィッシャーが指摘しているような新しい要素が含まれていることを窺うことはできません。しかし、以下に紹介するイギリス外相の文章に鑑みれば、何らかの表現が盛り込まれた可能性は否定できません。

(2)ミリバンド・イギリス外相
6月25日付のインタナショナル・ヘラルド・トリビュン紙(IHT)は、イギリスのミリバンド外相の「我々の政策は失敗しつつあるか?」と題する文章を掲載しました。同外相は「5+1」の提案について様々なことを述べていますが、「この提案が最初のものではないけれどももっとも広範囲にわたるもの」と位置づけ、「この提案とは実際には、イランが原子力技術を開発することを支援する用意があるということを含んでいる」、「提案にはまた、イランが核濃縮活動を一時停止(浅井注:英語はsuspend)すれば、座って話し合う(浅井注:英語はsit down and talk)というE3+3の外相(アメリカを含む)の提案が含まれている」と述べているところが、上記のハーシュ紹介のフィッシャー発言とのつながりを示唆しています。
IRNAの紹介によれば、「正式の交渉は、イランの濃縮関連及び再処理活動が中止され次第開始することができる」とあり、その点ではフィッシャーの言う「正式な交渉が開始するときには、イランはやはり濃縮活動を凍結しなければならない」と見合うのですが、IRNAは、何らかの判断に基づいて、フィッシャーの言う「中間的ステップ」あるいはミリバンド外相が言及した「一時停止」の場合については触れなかった可能性があると考えられます。
なおミリバンド外相は、「我々のテヘランに対する提案は、我々のアプローチが孤立化と圧力だけのものではないことをイラン人民及び世界に対して注意喚起するものである。…我々は、厳しい懲罰的措置を寛大なインセンティヴとバランスさせる決意である」、「イランは犠牲者面したがっている。人民に対して、イランが世界から不公正に扱われていると話している。しかし、イラン政権自体がその不幸の演出者である。国連の要求を無視し、IAEA(との関係)をややこしくし、E3+3のイランとの接触の努力をはねつけるという道を選んできた」とも述べています。したがって、この文章をIHTに寄せたことと合わせて考えれば、この提案の主な狙いは、イランが5月に行ったパッケージ提案に対抗して、イラン国民や国際世論に対して自らの正当性を強調することに力点があり、「アメとムチ」の使い分けであることを自認する点において、事態を打開するための真剣な布石と見ることは無理のような気がします。
その点については、6月24日付のIHTに載ったHelene Cooper記者の“For Bush, hard line yields little with Iran”と題する記事の中で、欧米外交官の話として、「先週、欧州の外交官が新たなインセンティヴ・パッケージを携えてテヘランに旅したのは、おもにイラン世論向けであり、また、まだイランを説得しようとしていることを示してロシアと中国をなだめるためのものだ」という指摘が正鵠を射ていると思われます(ただし、IRNAの紹介及びミリバンドの発言でも確認されるように、今回の提案は「5+1」(「E3+3」)の外相によるものですから、ロシアと中国もはじめから提案に当事者として加わっているということですので、ロシアと中国を「なだめる」という表現が的を射たものであるかどうかは、私の判断の限りではありません)。

(3)イラン高官
 最後に、6月23日付の朝日新聞が報道した、イラン国会議員であるバホナール第2副議長(保守派)の同紙記者との会見(21日)での発言も興味深いものです。それによれば、「5+1」の「見返り案」(浅井注:イランの提案に対するものという意味で「見返り」と述べたものと思われる)について、ウラン濃縮を前提にする点は「受け入れられない」としつつも、評価できる「前向きな部分もある」と話した(詳細は明らかにしなかった)ということです。フィッシャーやミリバンドの発言内容にイラン側が一定の注目をしていることが窺われるのではないでしょうか。
ちなみにバホナール議員は、核問題で「5+1」との交渉に進展があれば、IAEAによる抜き打ち査察を認める「追加議定書批准も議題に上る」とも述べたそうです。イランの核濃縮計画があくまでも平和目的であることを強調する意図が窺える発言だと思われます。

3.若干のコメント

2008.

イランのウラン濃縮計画に関しては、私はいろいろな視点で考える必要があると思っています。

第一、私は前にコラムでも書きましたように、核兵器廃絶だけではなく、「原子力の平和利用」なかんずく原子力発電を含めた核廃絶そのものを真剣に考える必要があるのではないか、と思うようになっています。そういう観点からすると、NPTが原子力の平和利用を全面的に肯定する立場に立ち、各国に対して法的権利を保障していること自体に根本的な疑問を持たざるを得ません。そういう立場からしますと、イランのウラン濃縮計画も、また、当然日本の濃縮計画も批判的にとらえる必要があると考えます。

第二、しかし、そもそも論を離れて、NPT上の権利を前提にして考えるとき、ハンス・ブリックスの『大量破壊兵器』が明確に指摘するように、ウラン濃縮の権利は、NPT上の権利としてすべての国家に認められていることは明らかです。そして日本はまさに、そういう権利に基づいてウラン濃縮を行っているのですし、さらには使用済み燃料の再処理として、核兵器にすぐさま転用できるプルトニウムの生産にまで乗り出しているのです。日本がその権利を享受していることを批判しない(肯定する)ものである限り、イランがIAEAによる抜き打ち査察を認める追加議定書を批准するのであれば、同国のウラン濃縮に反対する根拠はないと言わなければなりません。上記のバホナール議員の発言は、明らかに以上の法的因果関係を踏まえたものであるに違いありません。

第三、前回のコラムで紹介したトーマス・パワーズの文章で示されたように、「ウラン濃縮能力≒核兵器製造能力(≒核拡散)」であるとするならば、欧米諸国、というより国際社会がまず考えるべきは、そういう認識に立っていないNPTの改定に取り組むのが本筋であり、イラン(あるいは北朝鮮)のような特定国家だけを狙い撃ちにして差別化するというのは、条約上も、もっと言えば主権国家の対等平等を原則とする一般国際法上も許されるものではありません。

第四、しかし、核軍縮、不拡散及び平和利用の三本柱の微妙なバランスの上に成り立っているNPTをいじるということは、自らに不都合を招来する可能性が大きいだけに、欧米諸国としては論外であり、とにかく何が何でもイランにウラン濃縮計画そのものを断念させなければならないというアプローチをとるということでしょう。しかし、イランのアラグチ大使が私に述べたように、「イランは日本をモデルにしている」のであって、日本に関して「ウラン濃縮能力≠核兵器製造能力」という立論が成り立つ(IAEAも欧米諸国も承認している)以上は、イランだけにはウラン濃縮能力を認めないというのでは、どうしても二重基準ということになるでしょう(もっとも日本の潜在的な核兵器製造能力については、アメリカ国内でも警戒的に取り上げられていることは、このコラムで前に取り上げたところです)し、要するに直近のコラムで紹介したトーマス・パワーズが指摘したように、「イランは核兵器を持ったら使用するに決まっている気の狂った宗教的狂信者によって支配されているから信用できない」といういわゆる「ならず者国家」論に基づく国際法違反の差別であり、NPT上のイランの正当な権利を侵しているといわざるを得ないでしょう。

第五、北朝鮮も6カ国協議の枠組みの中で非核化プロセスに応じているのだから、イランもウラン濃縮に固執するべきではない、という議論もあり得ると思います。「今日までの核兵器に関する世界の経験から分かることは、核兵器国は核兵器を使用しないということであり、核兵器を使用すると真剣に脅迫するのは攻撃を抑止するためだけであるということである。イギリス、フランス、ロシア、中国、イスラエル、南アフリカ、インド、パキスタン及び北朝鮮は、国際的反対にもかかわらず核兵器を取得した。しかし、その新たな力があるからといって向こう見ずに振る舞ったものはない。変わったことは何かといえば、核兵器国の扱いは違っていなければならないということであり、特に、(核兵器を保有した国家に対して)不用意に脅迫してはならないということだ」とするパワーズのユニークな解釈は、北朝鮮に関しては主観的にも客観的にも100%当てはまりますし、イランの主観的動機はともかくとして、イランについても客観的には当てはまると言えるでしょう。
だからこそ、北朝鮮やイランを危険視するアメリカ以下の国々は、その危険性を取りのぞくために、国際社会における「市民権」を保証すること(及び攻撃の対象としないことを約束すること)を代償として提供しようとしているわけです。国際的に孤立を強いられてきた北朝鮮の場合には、国際的「市民権」を獲得すること特にアメリカに「認知」されること自体が死活的課題であるため、その取引に応じようとしているわけですし、それを具体化する上で「行動対行動」というルールが機能し始めています。しかし、イランからすれば、欧米諸国からは毛嫌いされているかもしれませんが、国際的な市民権は当然のこととして、地域大国としても十分すぎる存在感を示しているわけですから、そのような代償はまったく取引の材料になりません。確かにアメリカ(イスラエル)による攻撃の可能性は否定しきれないわけですが、イランの場合は、アラグチ大使が冷静に私に指摘し、また、パワーズも並べ上げたように、アメリカをして攻撃をためらわざるを得なくさせる豊富な対抗手段をもっています(その点で、北朝鮮とは決定的に違います)ので、その点でも取引の材料にはならないのです。

 第六、イランは、アラグチ大使が指摘したように、いずれ枯渇する石油に代わるエネルギー資源としての原子力の平和利用特に原子力発電に、自主独立の立場(なぜ自主独立かについては、欧米諸国に不信感を持たざるを得なくなった歴史があることについてアラグチ大使が私に紹介しました)で本格的に取り組む政策を追求しようとしていることは、額面通りに受け止めるべきだと思います。現に、アメリカは、5月にブッシュ大統領がサウジアラビアを訪問し、同国に対して原子力発電について協力する約束をしています(16日)。世界一の石油埋蔵を誇るサウジアラビアが原子力発電に意欲を持つことをブッシュ大統領自身が認めたわけですから、イランが同じような発想を持つことは何ら不自然ではありません(「5+1」提案自体、イランの原子力平和利用の権利は認めています)。そのサウジアラビアは、ビン・ラディンを筆頭として過激派テロリストを輩出している国家であり、今日なお国王専制の民主からほど遠い国家です。確かに両国の約束においては、サウジアラビアが中東地域における不拡散のモデルになるとことさらに述べていますが、すでに核兵器国になっておりしかも政情のきわめて不安定なパキスタンと同じく、その将来はどうなるか分かったものではありません(したがって、体制転換がそのまま核拡散につながる可能性がきわめて大きい)。それに引き替え、イランにおいては「イラン・モデル」といってもおかしくない独自のスタイルの民主政治が機能し始めています。
 2005年10月26日にアハマドネジャド大統領が「イスラエルは消え去るべきだ」と発言したことなどが大きく取りざたされ、それはイランの好戦性、危険性を示すものだと攻撃材料にされてきましたが、パワーズが「ブッシュ政権は、イランの恐れを鎮めることに努力するどころか、数ヶ月ごとに彼らの恐れを確認させることをしている」と指摘しているように、ブッシュ大統領ははるかに激越な言動をイランに対して繰り返してきたことも想起するべきでしょう。

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