「イラン:脅威」(トーマス・パワーズ)

2008.07.02

*イランが続きますが、見逃せない文章にぶつかりました。1971年のピューリッツァー賞受賞者であるトーマス・パワーズは、”The New York Review of Books”において、「イラン:脅威」と題する文章を7月17日付で発表しました。その内容は、ブッシュ政権のイランを名指しにした先制攻撃戦争の脅迫に対する答えとして、イランが信頼できる運搬手段を伴った核兵器を持つことになるのだ、と指摘するものです。つまり、アメリカがイランを軍事的に恫喝し、締め上げようとする政策をとるからこそ、イランとしては我が身を守る唯一の手段として核兵器開発に向かわざるを得なくなる、ということを指摘するものです。これは、私がこのコラム(「北朝鮮の核兵器問題」参照)で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核兵器開発について指摘したこととまったく同じ認識を示したものであると思います。今日における核拡散問題の根っこの原因がアメリカ・ブッシュ政権の先制攻撃戦略そのものにあること(決して、イランや北朝鮮が「ならず者国家」であるからなどではないこと)を明らかにするもので、私としては非常に納得がいきました(ただしパワーズは、イランが本当に核兵器開発に向かっているかどうかについてはあまり重視していません。文章中には、ウラン濃縮能力を持つことは核兵器製造能力を持つことと同義であるという認識の表明があります。こういう彼の認識からいえば、日本などはもう確固たる核兵器製造能力がある国家と格付けされていることになります)。またパワーズは、常識的にいえば、イランに対する戦争という選択肢はあり得ないが、対イラク戦争の前科のあるブッシュなので絶対とは言い切れないという言葉で締めくくっています。
 イラン問題をどう考えるかという点に関し有益な視点を提供している文章なので、特に注目したい点を抜粋して訳し、紹介します(7月2日記)。

〇明らかなことは、イランが核濃縮をやめろというアメリカの要求を拒み続けるのであれば、アメリカは、イランを攻撃するべきか、あるいはするだろうか、ということである。とりあえず、アメリカにはイランを攻撃する法的又は道義的正当性があるかどうかは無視しよう。ゲーツ国防長官が最近主張したような「断固として核兵器を取得しようとしている」かどうかも脇に置こう。そうではなく、徹底して現実的な問題に焦点を当てよう。いかなる点から見てもイランはつぶすには堅すぎるナッツである。イランは、テキサスの3倍のサイズの、7千万の人口を持ち、世界が捨てるわけにはいかない石油から巨大な収入を得ている国家である。イランは、世界の多くの石油が市場に向かうときには通らなければならないペルシャ湾のホルムズ海峡を封鎖する能力があると信じられている。石油価格の上昇はすでに世界経済を脅かしていることを心にとめておこう。イランは大きい軍事力を持ち、お隣のイラクのシーア派人口と深いつながりもある。アメリカ軍はすでにイラクで扱いきれない戦争で手が一杯で、しかも増大するアフガニスタンでの反乱に対処するために、さらに追加の軍隊を送ろうとしている状況だ。イランとの戦争は避けるべきだというこれほど十分な理由があるにもかかわらず、アメリカは、イランに対して5年間もの間武力攻撃の脅かしを繰り返してきた。

〇時には、大統領の脅しは背筋が寒くなるほどに露骨である。政権は4月に、イスラエルが昨年9月にシリアの大型で方形の建物に対して行った空爆に関する詳細な情報を公開した。…イランに対するメッセージは、中止しなければ同じような攻撃の危険を負う、という明快なものだった。…一時は、イランの防護された核の目標に対する攻撃の選択肢の中に核兵器の使用を含むようロビー活動をした政権の役人もいたが、統合参謀本部が猛烈に反対したために2年前に食い止められた。

〇現代の国際関係において、核兵器の効用及び危険性についてほど、全面的に分析され、議論された問題はないが、イランの(核)兵器によってもたらされる危険に関してはほとんど議論されてきていない。それは所与のものとして扱われている。その核となる考え方というのは、イランは核兵器を持ったら使用するに決まっている気の狂った宗教的狂信者によって支配されているから信用できない、というものだ。この種の議論がなされたのは今回が初めてではない。1940年代後半には、核兵器を持つモスクワの危険ということで、ソ連に対する先制攻撃戦争は正当化されると、空軍の将軍を含むアメリカ人もいた。20年後にはそのロシア人が、核兵器を持つ北京という可能性に警戒して、アメリカ側に対して、中国の核開発努力を共同の先制攻撃で破壊することを静かに提案してきたこともあった。

今日までの核兵器に関する世界の経験から分かることは、核兵器国は核兵器を使用しないということであり、核兵器を使用すると真剣に脅迫するのは攻撃を抑止するためだけであるということである。イギリス、フランス、ロシア、中国、イスラエル、南アフリカ、インド、パキスタン及び北朝鮮は、国際的反対にもかかわらず核兵器を取得した。しかし、その新たな力があるからといって向こう見ずに振る舞ったものはない。変わったことは何かといえば、核兵器国の扱いは違っていなければならないということであり、特に、(核兵器を保有した国家に対して)不用意に脅迫してはならないということだ。

〇核兵器を持ったテヘランが他の国々以上に信用できないのはなぜかという点を明らかにしようということに対する抵抗感は、テヘランはなぜそもそも核兵器を持とうとするのかを考えることに対する抵抗感と即応している。…イラン政府は、断固としてかどうかはともかく、核兵器を目指しているということをきっぱり否定している。…しかし、それが本当かどうかということは、ある意味において関係がない。核兵器製造における難所(90%程度)は核分裂物質を作ることにあり、その点に関して、イランはウラン濃縮用の遠心分離のための新型でより効率の高いデザインによってかなり成功に向かっていると見られるからだ。だから、イランの濃縮計画は兵器を作るレベルを目指しているのか電力生産用なのかという問題は脇に置こう。どちらかを手にすれば、双方を手にすることになるのだから。高濃縮ウランを兵器にすることは、相対的に、あくまで相対的に、簡単な仕事である。高濃縮ウランを持つイランは、核兵器を持つイランとほとんど同じぐらいの脅威となる。では、我々が考えるべきことは、イランはなぜ核兵器を作るための自前の製造能力を持とうとしているのか、ということだ。

〇アメリカの役人にいわせれば、何か言うとすれば、ペルシャ湾を支配し、隣国特にイスラエルを脅迫するために核兵器をほしがっている、ということだ。このような説明では、他の核兵器国がそれぞれの核兵器を正当化していることが説明できない。つまり核兵器は、強圧外交の道具としてはほとんどまったく役に立たないが、大規模ないしは政権を脅かすような攻撃を阻む上ではきわめて有効だ、ということだ。イランが他の動機を持っているという証拠はなく、イランがそういう攻撃を恐れる理由は十分だということが真の説明なのだ。
ブッシュ政権は、イランの恐れを鎮めることに努力するどころか、数ヶ月ごとに彼らの恐れを確認させることをしている。こういう脅迫は言葉だけに限られず、イランの国境であるイラクとアフガニスタンにおけるアメリカの大規模な軍事プレゼンス、及びイランのペルシャ湾の沿岸に沿って世界最大級の艦隊を派遣することなど、実際の行動によっても裏付けられている。ブッシュ政権はさらに、イランが隣国の出来事に「くちばしを入れている」とか、アメリカ人を殺すべくイラク人に武器を提供しあるいは彼らを訓練しているとか、世界の主要なテロ支援国家であるとかと非難している。サダム・フセインがテロリストのグループに核兵器を提供するという恐れがアメリカのイラク侵攻を正当化する主要な理由だったわけだが、イランに対しても同様の懸念がしばしば引用されている。
アメリカの脅威が深刻であるということは、アメリカの有力な国民的指導者の誰一人として、明確に、力強く、信念を持って以上のことについて正当性を否定し、又は反対するものがいないという事実によって裏付けられるのである。それはあたかも、国中が息をのんで政権の脅迫を聞いており、ブッシュとチェイニーが本当に有言実行するのかと考え、物事の決定を実質的に二人に委ねてしまっているかのようなのだ。アメリカ人は大統領が再考することを頼りにするかもしれないが、7千万市民の生命に責任を負うテヘランの指導者が自分たちの生き残りと安全とをブッシュの自制に頼れるであろうか。ブッシュには前科がある。彼自身の権限に基づき、いかなる国際機関の許可もないままに、彼は5年前にイラクを攻撃し、終わる見込みもない血なまぐさい事態を引き起こした。自分の隣で起こってきたことを見た以上、テヘランのいかなる政権であろうとも、イランを同じような運命から救うことができるのは何かと自問するのは、当たり前であり、むしろ不可避というべきである。答えを探すのは難しくない。信頼できる運搬手段を伴う核兵器がイランの運命を救うことができるということだ。(強調は浅井)

〇政権も末期に近づいた今、ブッシュ政権は二つの消耗する戦争の中に落ち込んでおり、軍事的には伸びきってしまい、借金生活を強いられ、知的にも枯渇している。現在ほど政治問題に取り囲まれているときはまず考えられないのであり、したがってこれ以上の軍事的巻き込まれを避けるべき理由は見あたらないほどだ。ブッシュとチェイニーはその手のことを認めようとしておらず、逆に、イランが挑戦し続けるならば「深刻な結果」を招くと言い続けている。イラン攻撃に対する反対の中心が議会ではなく、ペンタゴンであるというのは奇妙な事実である(浅井注:ペンタゴンの動向を詳述)。

〇数年前、イランの大統領が比較的穏健な人物で、アメリカに対して大きな譲歩をする用意があったとき、アメリカはイランとの話し合いそのものを拒絶した。今アメリカは話し合う用意はあるが、それは、イランがウラン濃縮計画を中止した後でのみのことなのだ。言葉遣いは若干変化したが、頑固な立場には変わりはない。

〇大統領のいらだちは目に見える。サダム・フセインは去ったが、イランは相変わらず挑戦的で、かつてなく力強い。大統領の男としてのプライドが刺激されたように見える。彼は、イラン問題を解決すると言ったし、引き下がろうとはしない。彼の言動からは、この最後の敵を粉砕したいという気持ちがありありだが、彼がその脅しをやり遂げる力は残っているのだろうか。
見方によっては答えは明らかだ。もう遅すぎる。ネオコンの信奉者を除けば、アメリカとイランの対決を注目しているものであれば、政権の脅迫は空っぽであり、イランを侵略して占領することは論外として、イランの核施設に対する全面的空襲をやろうにも、アメリカは軍事的資源もなければ、国内の政治的支持も同盟諸国の合意もない。…しかし、攻撃は不可能であるとしても、どうしてブッシュは脅迫し続けることによって自分自身を追い詰めているのだろうか。彼は、そういう言葉だけを人々が聞き入れると思っているのだろうか。次期大統領の手を縛ろうと思っているのだろうか。あるいは、彼はテーブルの上にある最後の選択肢を実行するために最後の力を振り絞ろうとしているのだろうか。問題を深刻に受け取るべきかどうかは知るよしもない。現実がかくも明確である以上、そういうことを考えること自体、警戒的すぎで、興奮しすぎかも知れない。しかし、絶対にないとは言い切れない、なぜならばブッシュには前科があるから。

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