四川大地震救援と自衛隊機派遣中止に思うこと

2008.06.

町村官房長官は、5月28日の記者会見で、前日の27日に中国側から北京の日本大使館に四川大地震に対する救援物資の要請があり、輸送手段については、「自衛隊によるものを含めて要請があった」と述べ、政府として自衛隊派遣を検討していることを認めた、と報道されました(5月29日付朝日新聞)。外交筋によると、中国国防省の担当者は救援物資の輸送について、「日本の自衛隊機で構わない」と明言。日本の防衛駐在官が聞き直すと、「中国の空港に自衛隊機で運ぶことだ」と繰り返したそうです(同月31日付朝日新聞)。しかし翌日の日本の朝刊各紙が一面でで大々的に取り上げたことで、中国国内ではインターネットへの書き込みでこれに反対する声が一挙に高まり、結局29日夜に中国側から外交ルートで日本側に寄せられた結論は、「我が国の国内世論などを理解した方法で援助をお願いしたい」(前掲31日付朝日新聞)ということになり、自衛隊機派遣は取りやめになりました。

私は、この問題に関しては、中国政府、日本政府それぞれの対応について強烈な違和感を覚えました。また、わずか2日間の「大山鳴動してネズミ一匹」の騒ぎであったため、私たち自身の問題として考えるいとまもなく終わってしまったのですが、私たち自身の問題として考えるべきこともあると思います。

まず、上記で紹介した新聞報道が事実関係を反映していたという前提に立って考えることをあらかじめお断りしておきたいのですが、中国政府の初動からの問題です。私は前々から感じていることですが、中国の指導者は戦略的に物事をとらえ、決断を下すことが往々にしてあります。もっとも有名なのは、1972年に毛沢東と周恩来がやってのけた米中和解及び日中国交正常化です。私は、今回の中国側の日本側に対する打診は胡錦涛指導部の全面的関与及び決定に基づくものだったのだろうと思います。つまり、5月に訪日して日中関係を質的に改善・前進させることに強い戦略的関心を寄せる胡錦涛は、四川大地震に関する被害者救援という大義名分の下で、あえて自衛隊機を受け入れることによってその目的を達成するということを考えたのではないか、と思います。しかし、1972年と今日との決定的な違いはインターネットを介した世論の存在でした。実は、1972年当時でも、毛沢東及び周恩来が進めた戦略的行動に対しては中国国内に大いに異論があり、それを説得するための大規模な学習会が全国的に行われたということを、私は北京に在勤していた当時聞いたことがあります。しかし今の中国社会では、世界的な情報通信の革命的発展により、中国の指導者が働きかけを行ういとまもないままに、世論が自らを公然と主張することが可能になっており、胡錦涛指導部は、今回、その世論の圧力の前に、自らの戦略的行動を撤回することを余儀なくされたのだろうと思います。
以上にかかわって、私は二つのことを指摘しておきたいと思います。
一つは、胡錦涛指導部の戦略的決断(自衛隊機受け入れ)が正しいものだったか、ということです。私は、後で述べることになるのですが、日本側の中国侵略にかかわる歴史認識、憲法違反の既成事実を積み上げることによって今がある自衛隊という根本的問題を素通りにしようとした胡錦涛指導部の決断は決定的に誤っていると思います。であればこそ、インターネット世論の正論の前に彼らは方向転換せざるを得なかったのだと思います。
もう一つのことは、中国側の戦略的考慮はあくまでも中国にとってのものであり、自己中心的なものであるということです。1972年の日中国交正常化に際し、中国側はそれまでの姿勢を一転して日米安保体制を実質的に肯定しました。それは、対米対日関係を質的に転換させることにより、日米安保体制はもはや中国に関する限りは脅威ではなくなる、という判断からです。しかし、日米安保体制が国際の平和にとって脅威であるという本質は変わっていません。だからこそ、私たちはこの体制に対して反対しつづける訳です。しかし、中国がこのように方向転換したことは、日本国内において日米安保体制に反対する闘いに重大なマイナスの影響を与えたのです。
今回の胡錦涛指導部による、日中関係を戦略的に高めるという考慮に基づいた自衛隊機受け入れの決断はどうだったでしょうか。間違いなく政府・自民党の政策・立場を利する結果になったでしょうし、そのことは、私たちの日本国憲法・9条を守る闘いに消極的影響を及ぼすことになったと思います。そういう意味で、私たちは中国の国内世論が胡錦涛指導部の戦略的に誤った判断を押しとどめたことを高く評価する必要があります(後で述べるように、中国の国内世論に頼るような状況は本来あるべきではなく、私たち自らの世論で自衛隊機派遣を押しとどめるべきだったのですが)。

日本政府の動きにかかわって私が覚えた強烈な違和感というのは、中国側のアプローチを最大限利用して自らの政治目的の実現につなげようとする姿勢がありありだったということです。解釈改憲を積み上げることによってその存在を正当化することに腐心してきた自衛隊について「日本の侵略戦争に批判的だった中国ですら、今やその存在を認めた」と言えることになれば、日本政府としては正に願ったりかなったり、千載一遇の好機到来と受け止めたことでしょう。町村官房長官の記者会見での高揚感を漂わせた発言ぶり、石破防衛相の積極性むき出しの記者会見などは、四川大地震というこれ以上ない不幸な現実をまるで「四川大地震様々」として扱っているもので、私は本当に虫ずが走るほど嫌悪を催しました。このような誠実でない「人道支援」が中国国内のインターネット世論によって実現を阻止されたことは本当によかったと思います。
繰り返す感じになりますが、本当に中国侵略の歴史に対して真摯に反省するものであるならば、四川大地震という最大の不幸な出来事に対しても、邪念の一切ない救援を心がけるのが筋というものでしょう。誠心誠意の人道支援の方法を尽くすのが日本の取るべき道であるはずです。何事も自分たちの私利私欲のためにしか考えられないという日本政治の貧弱さ、卑しさを改めて思い知らされたのでした。

最後に、私たち自身の問題として今回のことについて考えておく必要があるポイントを上げてみたいと思います。
まず、私の知る限りでは、中国国内におけるような世論が日本国内では噴出しなかったのはなぜか、ということです。それは明らかに、日本の中国に対する侵略戦争の責任に関する私たち自身の認識の甘さ、というより認識そのものが極めて希薄であることの反映です。ここに日中での歴史認識の決定的な落差を見ないわけにはいきません。
次に、自衛隊機派遣ということ自体に対しても強い批判の声が出なかったのはなぜか、ということです。有り体に言えば、中国国内の世論の高まりがなかったならば、自衛隊機派遣がすんなりと実現することを許してしまう民意の程度だということです。それはそのまま、私たちの9条に関する意識、平和憲法に対する意識の曖昧さを露呈するものでしょう。

RSS