ある書評の顛末

2008.05

「このたびは浅井さんに書評を一本お願いしたく、…突然ですがメールをお送りさせて頂きました。お願いしたいのは太田昌克著「アトミック・ゴースト」(講談社)です。著者は弊社外信部記者で、初任地の広島支局での体験に始まり、ワシントン支局勤務などで核取材を重ねた経験を本にまとめたものです。07年に核の「終末時計」の針が2分進んだところから書き進めていて、冷戦崩壊後に小型核の使用が現実味を帯びて「核の亡霊」が蘇っている現実をレポートするとともに、原子力の平和利用を進める日本が海外諸国からどのようにみられているかを伝えています。評論家的に国際平和論を展開するというよりも、記者らしく日米政府高官ら多くの人への取材をもとにしたジャーナリスティックな一冊だと思います。」という書評執筆の依頼メールが入ったのが4月28日でした。

私は、以下のような書評を書いて送りました。

「広島で記者生活をスタートさせた著者が、その原点での体験を大切に暖めながら、アメリカ特派員の4年間(2003年-2007年という期間はまさに、ブッシュ政権が「使用可能な核兵器」の開発を含む先制攻撃戦略の追求を目指し、議会及び世論の反対で挫折する時期に当たる)に、その恵まれた取材環境をフルに生かして精力的に取材し、その成果をまとめ上げたのが本書である。
何よりも圧倒されるのは、アメリカにかかわる本書の情報量の豊かさということだろう。核テロという自ら作り出した恐怖に対抗するために、ブッシュ政権が如何に危険な核政策を追い求めていたかが文字通り浮き彫りにされている。叙述はあくまでも裏付けが取れていて、著者の主観が紛れ込んでいない点は立派だ。
また、9.11で国民的にパニックに陥り、ブッシュ政権の暴走をいったんは許してしまったアメリカだったが、イラク戦争の泥沼もあって、ブッシュ政権に対する批判力を取り戻し、その暴走に待ったをかけるアメリカの議会、世論に関する叙述に、わずかではあれ今後への可能性も感じる(無批判なアメリカべったりの日本政治と比較せよ)。
以下は無い物ねだりの注文として2点ばかり。
本書はあくまでもアメリカの視点に貫かれている(テロリズムや「ならず者」国家を悪者視することが当然の前提になっているなど)が、もう少し事態を客観的に見つめる視点がほしかった。ブッシュ政権の致命的過ちは、本来犯罪として扱うべき対象(テロ)を軍事的脅威にでっち上げたことにある。その過ちを見据えれば、その核政策をより突っ込んで批判的に叙述し得たのではないか。
本書の構成としては、第8章(「漂流する核超大国」)の問題意識を中心に据えてほしかった。冷戦期はともかく、冷戦後の時代に核兵器・核抑止はもはやいかなる存在理由も主張できないことが根底にある問題だろう。広島の訴えが持つ今日的意義と結びつけた、本格的な核廃絶に向けた問題提起にまで至っていないのが惜しまれる。」

すると程なくして依頼者からメールが入り、全面的にほめてくれというつもりはないが、上記原稿では注文が多すぎるので、書評の性格上注文部分を少なくして、その分(とは明言はしませんでしたが)日本に関する叙述部分にも触れてほしい、など、要するに書き直しの注文でした。

私は、結果的には依頼主の求めに応じて下記の文章を送りましたが、その際、核兵器廃絶問題に真剣に向き合っている広島の人間にこの本の書評を書くことを依頼するからには、上記初稿のような内容になることぐらいはあらかじめ認識しておく必要があったのではないか、と依頼者に付け加えざるを得ませんでした。

「広島で記者生活をスタートさせた著者が、その原点での体験を大切に暖めながら、アメリカ特派員の4年間(2003年-2007年という期間はまさに、ブッシュ政権が「使用可能な核兵器」の開発を含む先制攻撃戦略の追求を目指し、議会及び世論の反対で挫折する時期に当たる)に、その恵まれた取材環境をフルに生かして精力的に取材し、その成果をまとめ上げたのが本書である。
何よりも圧倒されるのは、アメリカにかかわる本書の情報量の豊かさということだろう。核テロという自ら作り出した恐怖に対抗するために、ブッシュ政権が如何に危険な核政策(「使える核」「次世代核」など)を追い求めていたかが、核政策担当者、議会、研究者などに対する精力的な取材を通じて、文字通り浮き彫りにされている。叙述はあくまでも裏付けが取れていて、著者の主観が紛れ込んでいない点は高く評価できる。
また、9.11で国民的にパニックに陥り、ブッシュ政権の暴走をいったんは許してしまったアメリカだったが、イラク戦争の泥沼もあって、ブッシュ政権に対する批判力を取り戻し、その暴走に待ったをかけるアメリカの議会、世論に関する叙述に、わずかではあれ今後への可能性も感じる(無批判なアメリカべったりの日本政治と比較せよ)。
また、本書の主題ではないが、日本の核武装という問題がアメリカを含めた海外では真剣に憂慮されていることを指摘している点(序章)は、私たちとして真剣に考えなければならないところだろう。イラン政府当局者が「われわれは日本のような状況になりたい」と言ったそうだが、そのイランは正に「ならず者」国家の筆頭に位置づけられているのだ。
なお、本書の構成としては、第8章で示されたアメリカの核政策の漂流問題を中心に据えてほしかった。核固執政策のアメリカを如何にして核廃絶に向けさせるのか。広島の訴えが持つ今日的意義と結びつけた、本格的な核廃絶に向けた問題提起にまで結びついていないのが惜しまれる。」

正直言って、依頼者からの再注文が来たとき、書評を書くことを断ろうかとも思ったのですが、これぐらいのことでそんなことをするのは大人げないと思う自分もおり、依頼主の求めに応じた文章を書くことになったのですが、未だに「書評だから、注文は少なく」というという依頼主の言い分には納得できないでいる自分がおります。

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