「ノーモア・ウオー」についての田中熙巳・日本被団協事務局長の説明

2008.05.11

*私は、広島の世界に向けた訴えとして、「ノーモア・ヒバクシャ」「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」「ノーモア・ウオー」が非常に重要な意味があると思っていますし、機会あるごとにこの三つの訴えを結びつけて統一的に理解することが重要だと説いてきました。それこそが憲法9条の精神と一致すると思っていますし、その趣旨のことは、先ほどの9条世界会議の分科会でご一緒した被爆者の吉田一人氏も強調しておられたと思います。しかし、「ノーモア・ウオー」がいつからいわれるようになったか、ということについては、いろいろ調べてみたのですが明確なことは分からずじまいでした。思いあまって、日本被爆者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳事務局長に直接お尋ねしました。田中事務局長から丁寧なご回答を頂き、その内容は私一人が独占するべきではないとても重要なものだと思い、9条世界会議の分科会に出席された同氏のご快諾を得ましたので、そのご回答の文章を紹介します。
文中で田中事務局長は、「日本の平和運動の中に、植民地からの「民族解放戦争」を肯定する考え方があり、一般的に「戦争反対」と言い切れなかった時代があったようにも思われます」と言っておられる箇所があります。これは、1963-64年当時、原水爆禁止運動のなかで、「いかなる国…」論争というものがあり、当時の社会主義国・ソ連(さらにより根本的には、田中事務局長が指摘されているように、帝国主義による侵略に対する「民族解放戦争」勢力ー1964年に核実験を行った中国が含まれるー)が核実験をしたことに対する評価・姿勢のあり方をめぐって、社会主義の国の核実験であろうと反対すべきだとする主張(当時の社会党を中心とする)と、帝国主義に対する防衛的なものは肯定するべきだとする主張(当時の共産党を中心とする)とが真っ向から対立し、結果的に原水禁運動が分裂することにつながった歴史を指したものです。
今日からすれば隔世の感がありますし、しかし、そうした当時の歴史的現実に対する考慮が「一般的に「戦争反対」と言い切れなかった時代があったようにも思われます」という状況があったことについては、実に感慨深いものがあります。しかし、同氏が最後に言っておられるように、「被爆者は原爆の被害だけを受けたのではなく、戦争そのものの被害者でもあるわけですから。その意味で、戦争を放棄した日本国憲法の第9条は被爆者の心の支えになっています。戦争を知らない世代が人口の過半数をこえ、憲法9条の改悪が声高に叫ばれるようになっただけに「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」と「ノーモア・ウオー」を一体として捉える事はきわめて重要だと考えます。」というご指摘は非常に重要であると思いますし、私としては、今後も「ノーモア・ヒバクシャ」「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」「ノーモア・ウオー」の三つを不可分の一体として結びつけて、9条の精神として訴えていきたいと思っています(5月11日記)。

日本被団協が「ノーモア・ヒバクシャ」「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」とともに「ノーモア・ウオー」ということを言うことにつてのご質問ですが、実は、先生のご期待にそえるような返事ができるかどうか心もとない限りです。日本被団協は、21世紀を迎えるにあたり「核兵器も戦争もない世界を!」とか「核戦争も戦争もない21世紀を!」ということばを使いはじめましたが、「ノーモア・ウオー」「ノー・ウオー」という表現は、公式には、外国での口頭での訴えのとき以外は使ってなかったと思います。

口頭の訴えで、日本被団協の記録にある古いところでは、代表委員の山口仙二氏が第2回国連軍縮特別総会(1982年6月)のNGOセッションで、日本のNGOを代表して演説したときの最後の呼びかけにあります。第1回の国連軍縮特別集会での訴えを行ったNGO代表は故・田中里子(当時・全国地域婦人団体連合会事務局長)でしたので、日本被団協の代表委員の故・檜垣益人氏はハマーショルド公園でのラリー集結集会で訴えをしました。私の記憶ではこのときも、最後に「ノーモア・ウオー」で締めくくられたと思っていました(最後の原稿は私が清書しました)が、檜垣さんの自分史の中では「ピース・フォーエバー」と書いておられます。主旨は同じですが。

それ以前の日本被団協の記録には出てきませんし、40年来のメンバーに尋ねても使った記憶はないといっております。

山口仙二氏の発言以降も、外国向けのアッピールや口頭でのアッピールでは「ノーモア・ウオー」あるいは「ノー・ウオー」を使うことがありますが、国内向けでは「戦争も核兵器もない・・・」と使う場合がほとんどです。外国での平和運動は「ノーモア・ウオー」が基本ですので、外国では「ノーモア・ウオー」という訴えがないと納まりがつかない感じがします。

さて、「戦争も核兵器もない・・」あるいは「核兵器も戦争もない・・」という言い方を何時からするようになったかは、申し訳ありませんが、まだ調べ切れていません。21世紀を迎えるにあたり、「核兵器も戦争もない21世紀を・・・」と使い始めたように思います。

確かに、先生が指摘されますように、「原爆被害者の基本要求」では、「核戦争するな」「核兵器なくせ」と限定的表現になっています。
私の私見ですが、日本の平和運動の中に、植民地からの「民族解放戦争」を肯定する考え方があり、一般的に「戦争反対」と言い切れなかった時代があったようにも思われます。日本被団協も「核戦争に反対」というところで意思統一が出来たのかも知れません。

日本被団協の公式文書に「ふたたび戦争を起すな」「ノーモア・ウオー」「ノー・ウオー」の表現は使われていませんが、被爆者の心には、戦争はいやだ、という気持ちが根底にあることは間違いありません。被爆者は原爆の被害だけを受けたのではなく、戦争そのものの被害者でもあるわけですから。その意味で、戦争を放棄した日本国憲法の第9条は被爆者の心の支えになっています。
戦争を知らない世代が人口の過半数をこえ、憲法9条の改悪が声高に叫ばれるようになっただけに「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」と「ノーモア・ウオー」を一体として捉える事はきわめて重要だと考えます。

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