千葉憲法集会での質問へのお答え

2008.05.10

*5月3日の千葉憲法集会における私のお話に対し21枚の質問が寄せられました。アメリカにかかわる質問が6枚と群を抜いて多かったのは、私の演題が「アメリカの世界戦略と日本国憲法」ということで、今回の改憲策動の震源地はアメリカであるということをお話ししたことによるものだと思います。日本関連の質問は、7枚とアメリカ関連を上回っていますが、内容的にはバラバラな印象を否めません。このほか中国関係が3枚(チベット問題)、北朝鮮関係が2枚等でした。会場では一つ一つにお答えする時間がありませんでしたので、このコラムでお答えするとお約束して帰りました。中国関係特にチベット問題については、すでにこのコラムで書いていますし、北朝鮮問題についてもたびたびこのコラムで取り上げていますので、それらを参照していただくことにして、ここでは、アメリカ関連の質問に対してお答えしておきたいと思います(5月10日記)。

質問内容は、「アメリカの戦略が生まれてくる要因と構造について」「その戦略とアメリカの国民生活との矛盾について」というものや、「アメリカの対日圧力はブッシュ後どうなるか(アメリカ支配層の動向はアメリカ国民、世論がどう変化するかにもよるはずだ)」、「アメリカの対テロ戦略というが、アメリカとしては「敵」の存在が必要なため編み出したのだろう。9.11はアメリカの支配層が仕組んだものという報道もある」というもの、「9.11陰謀説の背景には、アメリカの軍産複合体があり、絶えず戦争を起こしていないと、アメリカという国が持たないという説があるが、その点についてどう考えるか」というもの、「アメリカの産軍複合体が問題だということはよく目に見えているが、対応すべき言葉やシステムを見いだせない」というもの、最初の質問と関連するものとして、「アメリカが莫大な軍事費を使いながら、国民には公的な健康保険制度もない状況に対して、米国民からなぜ反対世論が興らないのか。そのような市民運動があれば、9条の会も「戦争ノー」の連帯を進める必要があるのではないか」というもの、同じように「アメリカ国内での反戦の闘いやそれにかかわる勢力が日本国憲法についてどう評価しているのだろうか」というものもありました。

まず、アメリカの世界軍事戦略が軍産複合体の強力な影響力の下で動かされていることについては、改めて説明するまでもないことでしょう。世界最大の軍事力を維持し、強化することを正当化するためには、なんらかの「敵=脅威」をでっち上げなくてはならないこともその通りだと思います。9.11が彼らにとって「格好な」材料を提供したことも、私がこのコラムでたびたび指摘してきたことであり、皆さんの疑問は基本的にその通りだと考えます。

ただし、9.11がアメリカによるでっち上げであるとか、仕組んだものであるとかの議論につきましては、私は深入りしないことにしています。一つには、私が外務省に勤務して情報分析をしていた頃から自戒していたことは、あくまで実証可能な材料に基づく分析を心がけるということだったということがあります。確かに仮説を立ててその裏付けをとるという手法はありえますが、私としては、証拠を丹念に積み重ねていくことによって物事の本質をつかむというアプローチが本道であるということを学んだからです。したがいまして、9.11陰謀説については、そういうこともあり得るかも知れないが、私自身としては、その説の助け(?)を借りなくても、アメリカ・ブッシュ政権の危険を極める世界戦略の本質は十分以上に明らかにすることができる(十分な説得力を明らかにできる)と考えています。

「対テロ戦略」あるいは国際テロリズムをもってアメリカに対する軍事的脅威とするブッシュ政権の主張については、テロリズムの本質は犯罪であって、基本的に司法・警察力を持って対応するべき対象であり、軍事力行使の対象ではない、という本質を踏まえるだけで、ブッシュ政権の主張の荒唐無稽さはそもそものはじめから明らかだったといわなければなりません。このポイントについては、これまでもコラムで何度も指摘しているとおりです。

ご質問の中に多くあったのは、アメリカ国民の世論の動向をどう考えたらいいのか、という趣旨のものだったと思います。まずお答えしやすいことからいいますと、アメリカ人の多くの平和観は、残念ながら私たちが期待するような内容のものではないだろうということです。銃社会の現実が示すように、彼らの発想においては、「正当な力の行使」があるという発想が前提にあります。確かに9条世界会議に出席して、私と同じ分科会で発言した二人のアメリカ人のように、今のアメリカ(そして日本も)は民主国家ではないと断じる人もいないわけではありません。しかし、そのようなまっとうな思想の持ち主はアメリカ社会では圧倒的少数であることも間違いないことです。もちろんこのような考え方の持ち主と連帯していくことは重要ですが、アメリカ国内に連帯のための広範な地盤が存在するというような幻想はもつべきではないと私は考えます。そのような期待感を持つことは、往々にして他力本願に結びつきかねません。私たちはあくまでも、日本の政治を私たち自身の手で変えていくという主体的発想を根底に据える必要があると思います。

軍産複合体と多くのアメリカ人の間に客観的に重大な矛盾が存在することは間違いないことだと思います。日本経済・社会をアメリカ式に作り替えようとする小泉「改革」の結果、日本において進行している巨大な矛盾の蓄積から見ても、アメリカ社会が深刻なまでに病んでいるであろうことは常識的に分かることです。しかし、文化・伝統・社会の仕組みのあり方・個人主義などにおいて、日本とは決定的に異なる歩み方を経てきたアメリカ社会においては、日本人社会において顕在化しつつある国民的危機意識がアメリカ人社会においても直ちに顕在化すると見るのは早計のように思います。ですから、私たちの価値尺度(モノサシ)を機械的にアメリカに当てはめることには慎重であった方がいいと思います。

もう一度繰り返しますが、私は、アメリカ国内における変化の可能性を期待するよりも、やはり私たちは自分自身の手でまずは日本を変えるという主体性を重視するべきだと思います。私たちに必要なのは、他力本願の悪い癖を徹底的に取り除き、自分自身の足で大地をしっかり踏みしめ、自分自身の内から発するエネルギーを信じて行動することであると思います。

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