核廃絶と第9条は双子の関係にある

2008.05

*5月5日の9条世界会議の分科会「核時代と9条」で「核廃絶と第9条は双子の関係にある」という題名で私が行った冒頭発言を紹介します。

私は、「核時代と9条 ヒロシマ・ナガサキから21世紀へ」と題するこのシンポジウムで、憲法9条と核廃絶とは切っても切り離せない関係にあること、従って、核廃絶を真剣に希求するものであるならば、9条に深々とコミットしなければならないこと、言い換えれば、9条を我がものとしないものは核廃絶を語る資格はないことについて意見を述べたいと思います。

ちなみに、私は「核時代」という言葉そのものにも強い違和感を持っていることをあらかじめはっきりさせておきたいと思います。なぜならば、「核時代」という言葉は、核の存在を肯定するニュアンスを持っていると思われるからです。私自身としては、核兵器が一刻も早く廃絶されるべきであることについてはいうまでもありませんが、原子力の平和利用なかんずく原子力発電が本当に人類の意味ある生存にとって不可欠であるのか、ということにもますます疑問を強く感じるようになっています。それは改めていうまでもなく、発電に伴って生まれる放射性廃棄物の最終的処理の方法がないこともありますし、地球が絶え間なく地殻変動を繰り返している中で、原子力発電のための100%安全な立地を保証することはできないのではないか、と考えるからです。昨年7月に起こった中越地震によって柏崎原発に起こったことは、決して日本だけの問題ではありません。
 私たちは、21世紀の人類社会からあらゆる意味での原子力/核エネルギーがもたらす危険を取り除くことを目指すべきであります。私自身は、21世を「脱核時代」と規定するべきだと考えています。つまり、21世紀を、核兵器を廃絶するだけにとどまらず、原子力エネルギーに依存しない形で人類の意味ある生存を実現する世紀にしなければならない、という意味です。地球温暖化を食い止めるための手段として、原子力発電を重視する主張が強まっていますが、私は、このような安易な発想には同意できません。

 以上のことをあらかじめお断りした上で、本論に入りたいと思います。

憲法9条の思想的な源としては、大きくいって三つの要素をあげることができると考えます。
一つは、周知のとおり、かつて軍国主義・日本がアジア諸国に対し侵略戦争・植民地支配を行い、第二次世界大戦を引きおこした過去を徹底して反省し、二度とその過ちを繰り返さないことを国際社会に対して誓約したということです。この点については、過去を嘘で塗り固めようとする反動的なしたがって9条を邪魔に思うような人びとを除けば、私たち日本人の間でまずは異論のないことでしょう。ただし、この点は9条世界会議で議論として取り上げる問題ではなく、私たち日本人自身が取り組むべきことだと思っています。
9条の思想的な源としては、さらに二つの重要な要素があると思います。そして、それらは国際的、普遍的な意味を持っています。
一つは、広島・長崎に対する原爆投下及び筆舌に尽くせない人類破滅に直結する被害により、核戦争につながる戦争そのものはもはやあり得ない、また、あってはならないということが明らかにされたことです。「戦争は政治の継続」という古典的理解は、恐るべき破壊力と人間の尊厳を抹殺する放射線後障害を伴う核兵器の登場で吹き飛んでしまったのです。核兵器と人類の意味ある存続とは根本的に両立しません。 1946年に制定された日本国憲法なかんずく9条は、以上の認識を踏まえて作られました。その意義は、日本国内にとどまるものではなく、21世紀の人類社会のあるべき戦争観、というより戦争否定観を代表しているのです。
もう一つは、第一次世界大戦及び第二次世界大戦の惨禍を通じて、普遍的価値としての人間の尊厳、人権・民主が国際的に確立したことが9条の思想的な源となっているということです。あらゆる暴力は、人間の尊厳、人権・民主を損ないます。戦争という暴力はその最たるものです。人間の尊厳、人権・民主と戦争とは、根本的に対立する概念なのです。
もっと言うならば、「力による」平和という20世紀までの国際政治を支配してきた考え方、その考え方を前提にするのが権力政治、バランス・オブ・パワーですが、この考え方は、人間の尊厳、人権・民主が普遍的価値として承認され、その世界の隅々にわたっての実現が目ざされるべき21世紀の人類社会においては、「力によらない」平和の考え方に席を譲らなければなりません。9条は、そういう「力によらない」平和観によって国際関係を規律しようという、21世紀の人類社会が進むべき方向性を指し示す本質をもっています。つまり、人間の尊厳、人権・民主という普遍的価値は、「力によらない」平和観のみを選択するのです。

残念ながら、日本国憲法なかんずく9条は、その誕生間もない頃から厳しい環境に置かれることになりました。米ソ(東西)冷戦の進行に伴い、日本を占領支配したアメリカは、日本の人権民主国家への転換を促す政策からアジアにおける反共の砦とする政策に大きく舵を切り替えました。日本の独立回復は、力による平和観に立つ日米安保条約の締結とのパッケージでした。力によらない平和観に立つ日本国憲法特に9条は、日米支配層にとって今や邪魔者となったのです。しかし、平和憲法は広く国民に受け入れられていましたので、公然と憲法を改定することは難しいことでした。

アメリカが要求する力による平和観と日本国憲法が立脚する力によらない平和観との間の矛盾を切り抜けるために、戦後の歴代政府が採用してきたのは憲法解釈を変えることによって9条の中身をゆがめる、あるいはタテマエとホンネの使い分けという手法でした。前者の手法によって軍隊である自衛隊も合憲、日米安保条約も憲法に違反しない、自衛隊の海外派遣も許される、内戦まっただ中のイラクに自衛隊を送り込むことも憲法に違反しない、等々の強弁が横行してきました。核兵器でも自衛のためであるならば保有すること自体は憲法に違反しないという解釈まで公然となされる始末です。

タテマエとホンネを使い分ける手法が駆使されたのはアメリカによる核兵器の日本への持ち込みに関してです。すでに述べましたように、9条はヒロシマ・ナガサキの体験を人類が二度と繰り返してはならないという認識に立っているのですから、核兵器を日本に持ち込むことなど、到底あってはならないことです。

ところが日本政府は、9条のよって立つ思想的な源を無視し、日本の安全についてはアメリカの核抑止力に依存する、したがってアメリカによる核兵器の持ち込みも黙認するという政策をとってきました(ホンネ)。しかし、国民の間に強い反核感情を無視できない日本政府は、1967年以来、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を国是として表明せざるを得なくなりました(タテマエ)。このホンネとタテマエの間の明らかな矛盾を切り抜けるために日本政府がとった手段が、アメリカ軍の日本における装備の重大な変更については日米間で事前協議をするという約束を利用することでした。核兵器の持ち込みは当然事前協議の対象となるのですが、日本政府はアメリカが事前協議を持ちかけてこないから核兵器の持ち込みはないと言い張ってきているのです。しかし実際には、アメリカの艦船が核兵器を装備したまま日本に入港してきたことは公然の秘密ですし、有事となったら日本の領土に核兵器を持ち込むことがありうるという核密約があることもアメリカ側の文献などで明らかになっています。

また、広島、長崎に対する原爆投下そして1954年に起こったビキニの水爆実験で被爆した第5福竜丸の事件を受けて、国民の核兵器廃絶を願う気持ちは非常に強いものがありましたから、日本政府としても核兵器廃絶を口にしないわけにはいきません(タテマエ)。しかし、アメリカの核抑止力に依存する以上、アメリカに対して核兵器を廃絶するように働きかける意志は毛頭ありません(ホンネ)。そこで日本政府が編み出したのは、「究極的核廃絶」という言い方でした。「究極的」とは「無限に先の将来」ということですから、これならばアメリカにとっては痛くもかゆくもないということになります。

日本政府の9条を解釈でゆがめる手法と核問題に関してホンネとタテマエを使い分ける手法とは、長年にわたって行われてきた結果、国民の憲法意識そして核問題に関する意識のあり方にも重大な後遺症を持ち込んできました。今や多くの国民は、力によらない平和観に立つ9条を支持するというよりも、力による平和観に立つ自衛隊も日米安保条約・日米軍事同盟も受け入れた上で、これ以上軍事大国になるのは好ましくない・食い止めたいという現状維持の立場で9条を支持するという状況が生まれてしまっています。また、核廃絶が望ましいとは思いつつも、核兵器をなくすことは望めないだろうという半ばあきらめに似た気持ちが多くの国民を支配するようになっているのも事実だといわなければなりません。

もちろん、ヒロシマ・ナガサキそして9条が果たしてきた役割については、しっかり確認しておく必要があります。
なんといっても、1945年に原爆が投下されて以後今日に至るまで60余年もの間、実戦で核兵器が使用されることが食い止められてきたという事実を考える上で、広島、長崎、第5福竜丸さらには世界に広がる様々な形での悲惨な放射線障害(チェルノブイリ、セミパラチンスクなど)を背景として何度も澎湃と起こった反核の国際世論が核兵器保有国にその使用を思いとどまらせる上で大きな力として働いてきたことは、紛れもない事実でしょう。
 また、日米軍事同盟の下での日本が、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などアメリカが世界各地で仕掛けた戦争の発進・兵站基地として枢要な役割を担ってきたことは直視しなければなりませんが、日本がアメリカと一緒になって作戦行動をとる正真正銘の軍事大国として自己主張することを9条の存在が食い止めてきたこともまた事実です。

最後に、以上を踏まえ、核兵器の廃絶に向けて私たちが追求するべき方向について、私の考えを述べたいと思います。

21世紀を脱核時代にしなければならないと冒頭にいいましたが、21世紀初頭の今日、国際社会は、核兵器にかかわって、主に三つの課題に直面していると考えます。一つは、冷戦が終わったにもかかわらず、核兵器国が頑迷なまでに核兵器にこだわって手放そうとせず、核兵器の廃絶に真剣に取り組む姿勢を見せないという問題です。もう一つは、核兵器国が自らの核兵器を手放さないでおいて、一方的に特定の国家(イラン、北朝鮮など)を危険視し、そのことに対してそれらの国々が身構えざるを得なくなって核兵器の開発に走り、その結果として核兵器拡散さらには核戦争という悪循環を招きかねない状況が生まれていることです。最後に、国際的に活動を広げるテロリストが核兵器をはじめとする大量破壊兵器に食指をのばす危険が増大しているという問題があります。

私が最近注目しているのは、アメリカ国内において、核テロリズムの危険を根本から取り除き、また、核拡散の事態を食い止めるためにも、アメリカが率先して核兵器を廃絶することに真剣に取り組むべきだという主張が行われるようになっていることです。それは、2007年及び本年の1月にキッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナイという錚々たるかつての核抑止論者たちが共同で発表した主張のことです。彼らの主張は、核兵器が人道的にも、国際法的にも許されてはならないし、残虐な大量破壊兵器だから廃絶されるべきだとする私たちの主張とは全く立脚点が違います。また、核廃絶とはいうものの、具体策としては核兵器廃絶に真剣に足を踏み入れるものにはなっていないという重大な問題もあります。しかし、明言はしないですが、アメリカを筆頭とする核兵器国の核固執政策こそが、核拡散の可能性及び核テロリズムの危険性という他の二つの問題を生み出しているという認識に基づいていることは、やはり注目するべきだと思います。

また、3月にはイギリスのブラウン首相そしてフランスのサルコジ大統領が相次いで自国の核政策について立場を表明しました。いずれも核抑止力堅持を確認するものですが、冷戦終了を受けて自国の核戦力を削減することを明らかにするとともに、2010年のNPT再検討会議を重視し、核軍縮に真剣に取り組む姿勢を打ち出しています。

私たちは、このような動きに対してどういう立場・方針を持って臨むべきでしょうか。

第一に、核戦争に反対し、核兵器の廃絶を目指すこれまでの蓄積を足がかりにして、もう一度澎湃とした国際世論を盛り上げ、核戦争反対、核兵器廃絶の運動の主導権を私たちが確保し、アメリカ以下の核兵器保有国国内の世論にも強力に働きかけることにより、核軍縮・核兵器廃絶の流れを加速させることに全力を尽くすということです。これまでの蓄積としては、主なものだけでも、1955年以来今日まで続く核兵器禁止世界大会、ビキニ水爆実験を受けて出された1955年のラッセル・アインシュタイン声明及びそれを基に創設されたパグウオッシュ会議の活動、1996年の国際司法裁判所の勧告意見、国際的な非核地帯の広がりなど実に様々なものがあります。
特に、動機は異なるにせよ、かつての強力な核抑止論者ですら核兵器廃絶に言及せざるを得なくなっているアメリカ国内で、核兵器の危険性、反人道性に関する市民の意識を高めることは決定的に重要です。また、英仏首脳が2010年のNPT再検討会議を重視する姿勢を打ち出していることに鑑みても、2010年に向けて核兵器廃絶の国際世論を高める重要な手がかりがあると思います。
私は、アリス・スレーターさんとキャスリン・サリバンさんが、アメリカ国内で市民の意識を高めることにますます大きな力を発揮されることを強く期待します。

第二にそして根本的に、私が冒頭に述べた、9条が立脚する二つの普遍的な思想的源を文字通り人類的な共通認識にするために積極的に行動することです。確認のためにもう一度繰り返せば、一つは、核兵器が登場したことによってもはやあらゆる戦争が政治の延長としての意味を持ち得なくなったということです。もう一つは、人間の尊厳を最重視する限り、核戦争を含めたあらゆる戦争を認めることはできないということです。私は、この9条世界会議が世界に向けて9条の持つこうした思想的意味を発信する場となることを強く希望しています。

これで、私の発言を終わります。ありがとうございました。

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