千葉憲法集会と9条世界会議

2008.05

*5月3日の憲法記念日は千葉憲法会議主催の憲法集会でお話しするため、また、4.5日は幕張での9情勢会議に出席するため、GW後半はいわば憲法漬けの日々でした。

1.千葉憲法集会

千葉での集会は、300人収容の会場に500人の人々が集まり、会場に入りきれない人達(やむを得ず帰った人もいましたが)は、ロビーで集会に参加するという、私も久々に味わう熱気のあふれたすばらしい内容のものでした。用意した300部の資料では足りず、更に150部増す刷りしたというのですから、すごいと思いました。人数だけの問題ではなく、合唱には71人もの人が参加して、壇上があふれるばかりになりました。私の席を確保していてくださったのですが、一人でもよいから席を用意していただきたいと思い、お断りし、私は待機室でスピーカーを通して歌声を聞かせていただきました。

私のお話も好評であったことはありがたいことでした。文字通り熱気があふれる会場ですので、私も気合いが入ったことは否めません。皆さんが真剣そのもののまなざしで私の話に聞き入ってくださっていることをひしひしと実感することができました。休憩時間に寄せられた質問は21枚にも達し、15分の限られた時間ではすべてにお答えしようもなく、ウェブサイトのコラムでお答えを載せるので、ごらんいただけたらありがたいです、とお断りしなければならないほどでした。

その後開かれた懇親会にも出席させていただきました。皆さんが本当に楽しみながら憲法集会を企画し、開催されている様子が皆さんの話しぶりを通じて身近に確認できました。4月の読売新聞の世論調査結果、そして私がお話しした当日の朝日新聞に出た世論調査の結果でも、9条改憲ノーの声は確実に高まっていることが確認されますが、そのことのを裏付ける確実な手応えが千葉憲法集会にも如実に反映していたと思いました。

2.9条世界会議

私は9条世界会議の呼びかけ人にもなっており、分科会「核時代と9条」にもパネリストとして参加しました。正直言って、私がイメージしていたのとはずいぶん違う形で、ピースボート主導のイベント的大会になったというのが偽りのない感想です。9条をじっくり掘り下げて見つめ直す場というのが私の中での位置づけだったのですから。

とはいえ、イベントとしての9条世界会議は、それなりのものすごい集客力を示しました。私は、7000人もの観客が集まるとは想像もしていませんでしたが、会場に到着して集まってくる人々の群れには文字通り圧倒されました。結局7000人収容の会場に入りきれず、3000人もの人が会場外で待機するということになったのです(主催者によると、1万人が入場し、入れない人が3000人いたともされています)。これだけでも私としては脱帽でした。9条がこれだけの人々を引きつける力を持っているということが目の前で示されたのですから、イベント方式も侮れないとはじめて思いました。

二人のキーノート・スピーチも、今年が憲法施行61周年であるのを60年と勘違いする、国連(憲章)を無条件で賛美するなど、細かいところで問題がありましたが、特にコーラ・ワイスの話は迫力十分で、私も思わず引き込まれました。特に彼女が「9条は環境問題だ」と強調したことは、私ももちろんそう考えてはいますが、5月3日付の朝日新聞の世論調査で、全体としての憲法改正を支持する人が56%なのですが、そう答えた人の実に74%が環境権など新しい人権を盛り込む必要があるから、と答えているだけに、彼女の指摘をこれからの私のお話の中にも強く反映させる必要性を感じたのでした。

ピース・ウオークで1200キロを歩き通した人たちが壇上に上ったときも、私の中にこみ上げるものがありました。累計で7000人の人たちがウオークに参加したこと、さらにもっと多くの人達の支援があってウオークが可能になったこと等が報告されましたが、その通りだろうと思います。それにしても1200キロを歩き通すというのは並大抵の精神力でできることではありません。本当に頭が下がりました。

広島の子どもから始まった「ねがい」の曲の合唱と、弁護士と市民によるベートーベンの第九「合唱」も、場内の感動を生みました。それは稚拙云々という次元を超えた9条への熱い思いを見事に表すものとなっていたと思います。「ねがい」はこれまでにも何度か聴いたことはあるのですが、今回は4人の外国人が自国語で歌うなど、とても工夫が凝らされていて感動しました。幕間に「ねがい」の入ったCDをついつい求めてしまったほどです。

5日の分科会のシンポジウムは、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見で核兵器使用の違法性を強く主張したウィラマントレー判事が急用で来日できなくなったのでかなりインパクトが弱いものになってしまった感は否めませんが。それでも700人収容の会場がそこそこに埋まっていて(朝からその会場で二つの分科会が開かれ、私たちのは16時―18時半という時間帯だったので、閑古鳥が鳴くだろうと私は考えていたのですが、その予想は嬉しくも崩れました)、私としては改めて9条への関心の高さを実感することができました。アメリカのNGO活動家二人(アリス・スレーター、キャスリン・サリヴァン)と、長崎で被曝された吉田一人さん、それに私がパネリストを務めたのですが、アメリカの二人がよく日本の実情を知っていて、的を射た話をしたので会場は大いに締まりました。吉田さんの話は、被爆者の方の話を伺う機会の少ない会場を埋めた人達にとっては新鮮かつ衝撃的だったことが、その人たちの声にならない表情とお話が終わってからの鳴りやまない拍手から読みとることができました。私の話については、アメリカの二人が最大限の賛辞をくれたこと、また、シンポ終了後も何人もの人から丁寧なご挨拶をいただいたことからも、それなりの意味はあったのかなと思いました。

千葉の憲法集会の後、9条(日文と英文を両面に書いたもの)を胴体部に巻き込んで広げられるようになっているアイデアグッズとでもいうべきボールペンをいただいたのですが、このシンポで皆さんに紹介し、このボールペンを私たちひとりひとりが持って、機会あるごとに人に見せるというのはどうだろう、これはほんの一例で、私たちひとりひとりが創意を凝らし、自分の可能な範囲で9条を広める運動を心がけることが重要ではないかということもお話ししましたが、会場からは暖かい拍手が起こりました。

最後のまとめの発言では、それまでにもアメリカの二人からも指摘があったことですが、「日本が変われば世界は変わる。私たち主権者が明日から行動を起こし、民主的な話し合いを通じて世の中を変えていこうではないか」ということを強調しました。これは、私の強がりでも何でもありません。日本が9条を大切にし、アメリカの支配をきっぱり断り、アメリカの軍事的野心・戦略に協力しないことをはっきりさせれば、そしてアメリカの核の傘は要らないと言い切れば、アメリカはその侵略的政策を追求することはできなくなります。その時アメリカは、これまでの世界戦略そのものを見直さざるを得なくなるのです。そのことは、国際関係のあり方に地殻変動を起こすに違いありません。私たち日本人の多くは自覚するに至っていないけれども、日本がその気になったら世の中は変わるのです。私たちに必要なのは、主人公としての自覚と足を一歩前に進めるだけの勇気ではないでしょうか。

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