名古屋高裁による自衛隊イラク派遣違憲判決

2008.04.27

4月17日に名古屋高等裁判所が下した自衛隊のイラク派遣に関する違憲判決については、私も気にはなりつつ、今日に至るまで判決全文に接していないこと、また、身辺の雑事に珍しく追われていたことなどもあって、書きそびれてきました。また、憲法学専攻の早稲田大学の水島朝穂教授(4月18日付朝日新聞)や東京大学の長谷部恭男教授(4月19日付中国新聞。共同通信の配信記事)が早速コメントを出しており、私もお二人の見解にとりあえず納得しましたので、特に私の素人的な意見を書くのも意味がないのかなと思う気持ちもありました。

今もなお、私の手元にあるのは判決の要旨のみですが、今日(4月27日)改めて読み直して、一つの点についてだけコメントを書いておく必要を感じました。それは、「判決は政府が積み重ねてきた解釈に沿ったもので、むしろ政府見解を丁寧にフォローしていることに驚かされる」(水島教授)、あるいは、「違憲判断の論理は、政府の憲法解釈を土台にしたもので、突飛な論理の展開や非常識な判断は見当たらない」(長谷部教授)という点についてです。

私は原告たちの控訴状も読んでいませんので推論するしかないのですが、判決要旨において「政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる」としていることから推察すれば、原告たち自身も政府側憲法解釈、したがってイラク特措法そのものは合憲とする立場を踏まえた立論をしたことが窺われます。水島教授及び長谷部教授の見解もその点を踏まえた上でのものであることは、上記の引用からも明らかです。

私がこだわらざるを得ないのは、政府の憲法解釈を踏まえた上での今回判決であったことについてです。つまり、政府の憲法9条に関する解釈は、自衛隊合憲解釈以来、武力行使目的による「海外派兵」は許されないが、武力行使目的でない「海外派遣」は許される、他国による武力の行使への参加に至らない協力(輸送、補給、医療等)については、当該他国による武力行使と一体となるようなものは自らも武力の行使を行ったとの評価を受けるもので憲法上許されないが、一体とならないものは許されること、他国による武力行使との一体化の有無は、個々的に判断されることなどなど、長年にわたって積み重ねられてきた9条空洞化の解釈改憲の上に成り立っているということです。しかし、これらの解釈そのものが本質的に成り立ち得ないものであること、従ってイラク特措法そのものが違憲の代物であることを、私たちはしっかり確認しておく必要があると思うのです。そうでないと、今回の判決内容が今後の憲法9条の内容理解の出発点になってしまう恐れがあると恐れるからです。

念のために改めて強調しておきたいことは、武力行使を目的とするかしないかによって一方は違憲の海外派兵、他方は合憲の海外派遣とする政府側解釈は、まったくの詭弁というほかありません。同じように、武力行使と一体化しない輸送、補給などは憲法上許されるという主張も、輸送、補給は兵站活動という戦争遂行に欠くべからざるものとして戦争の一部(集団的自衛権の行使)を構成することは常識です。高裁判決では、すでに述べたとおり、「政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても」という慎重な言い回しをしており、「もっと厳密な憲法解釈を行うならば、本来的には政府の解釈自体が問題視されなければならないはず」とするニュアンスを感じ取ることができます。

私も、政府・与党との同調性を強め、保守反動化が顕著に進行している今日の司法の現状を踏まえるとき、名古屋高裁判決が出色のものであったことを認めるにはやぶさかでありません。しかし、この判決に喜ぶあまり、9条の正確な解釈・理解が損なわれる恐れがあることを見逃すようなことがありますと、角を矯めて牛を殺すことになってしまう危険があるのではないでしょうか。

RSS