キッシンジャーなどによる「核兵器のない世界」及び「核のない世界を目ざして」

2008.01.22

*ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ、ウイリアム・ペリー、サム・ナンは、2007年1月8日にウオール・ストリート・ジャーナル紙に「核兵器のない世界」(A World Free of Nuclear Weapons)と題する共同執筆の文章を発表し、本年1月15日にも同紙に「核のない世界を目ざして」(Toward a Nuclear-Free World)と題する共同執筆の文章を発表しました。核抑止戦略の推進者だった彼らが核兵器廃絶を公然と唱えた点で世界的に注目されました。
私は、核兵器廃絶を実現するための最大かつ中心的なカギはアメリカが核兵器固執政策を改めることにあると認識し、このコラムでも指摘してきました。その意味で、核抑止戦略の強力な推進者だったアメリカ政治の元老たちが、アメリカが率先して核兵器廃絶に向けた行動をとることを主張したことは重要な意味があると認識します。
この二つの文章を改めて見ておこうと思います(1月22日記)。

1.「核兵器のない世界」

ここではまず、「核兵器は、抑止の手段として、冷戦中は国際安全保障を維持するのに不可欠だったが、冷戦の終了により、米ソ間の相互抑止ドクトリンは時代遅れになった」として、米ソ冷戦の終了によって、核抑止戦略がもはや今日の状況に応え得なくなっている、という認識を示します。たしかにキッシンジャーたちは、「多くの国家にとって、他国からの脅威に関して、抑止は引き続き意味ある」と述べており、「抑止」という考え方を全否定しているわけではないことに留意する必要があります。しかしその後に、「抑止として核兵器に頼ることは、ますます危険で有効ではなくなっている」という認識表明が続いています。キッシンジャーたちが、核抑止という考え方の有効性を根本的に見直さなければならないと判断しているのは、主に次の二つの新しい展開に注目するからです。

キッシンジャーたちにとって、「もっとも警戒すべきは、非国家主体のテロリストが核兵器を手にする可能性が増大していること」です。なぜならば、テロリストが核兵器を手にすれば、彼らはためらいなくそれを使用する以上、もはや抑止という考え方は根本的に意味をなさないからです。キッシンジャーたちによれば、「核兵器を手にしたテロリストは、抑止戦略の範疇外にあり、新たな困難な安全保障上の挑戦ということになる」のです。

もう一つの新たな事態は、北朝鮮やイランを念頭に置いて、アメリカが手をこまねいていると、「核兵器国が増え、新たな核時代に入ることを強いられることになる」という問題です。キッシンジャーたちの認識では、「冷戦期においては、米ソが時間をかけて安全措置を積み上げ」たために核兵器が使われずに済んだのですが、新しく核兵器国になる国々についてはそういう学習期間がないだけに、世界がこれからの50年間も核兵器を使わないですむという保証はないということです。。

確かに21世紀に入った国際社会が直面している核をめぐる最大の危機は、無差別殺戮を旨とするテロリストが核兵器等を手に入れる危険性であり、核兵器の拡散であることは間違いありません。そして、この二つの危機を根本的に解決するためには、アメリカを始めとする核兵器国が核固執政策を抜本的に見直し、核兵器の廃絶に向けた行動をとることにコミットしなければならないはずです。キッシンジャーたちの発想には、こういう事態を招いたそもそもの原因はアメリカの中東政策や外交における二重基準にある、ということに対する反省がありません。また、核兵器・核戦争がそもそも人類の意味ある存続とは背反するという倫理的な認識をまったく窺うこともできないという重大な問題があります。それらのことを確認したうえで、核兵器廃絶に明確にコミットしていることは積極的に評価すべきだろうと思います。

彼らの文章に立ちかえれば、以上の二つの危険性を未然に防止するためには、アメリカがイニシアティヴを取って核兵器全廃に向けた行動をとるべきだというのが、キッシンジャーたちの結論です。つまり、核兵器を全廃し、核分裂性物質を国際的に厳重な管理の下におく体制を構築すれば、テロリストが手を伸ばすことはできなくなるということです。また、アメリカが率先して核兵器廃絶という大胆な行動をとることによって、アメリカからの軍事的脅威を感じる北朝鮮やイランが核武装に走ることを防ぐことも可能になるし、核兵器拡散の流れを未然にチェックすることができることになるというのです。このような考え方はなんら新しいものではないのですが、キッシンジャーを始めとする核抑止戦略の信奉者だった人物たちがこのような考え方を公然と表明したことに重要な意味があります。

キッシンジャーたちは、自分たちの主張が決して唐突かつ非現実的ではないことを示すために、1953年にアイゼンハワーが国連で行った演説、ケネディの発言、1988年にラジヴ・ガンジーがやはり国連で行った演説、そして特にレーガンとゴルバチョフがレイキャビック首脳会談で行った核兵器全廃に関する協議を高く評価する形で紹介します。また、NPTがすべての核兵器を廃絶することを目ざす内容であることにも触れています。 その上でキッシンジャーたちは、核兵器廃絶という可能性を現実にするためには、「アメリカは、具体的段取りで積極的な答えを生み出す努力を開始するべきである」と主張しているのです。そして、「最初になによりも重要なことは、他の核兵器保有国の指導者とともに核兵器のない世界というゴールを共同の事業とすることに鋭意取り組むこと」であると提唱しています。またキッシンジャーたちは、核の脅威のない世界に向けての土台を据えるべき一連のステップについても言及しています。

一連のステップとしてあげられているのは、冷戦期の核兵器配備体制を、警報時間を長くすることによって核兵器の偶発的ないし承認されない使用の危険を減らすこと、核兵器保有国全てにおける大幅削減、前方展開の短距離核兵器の全廃、CTBT批准のための上院における超党派の手続開始、世界中の兵器や兵器転用可能なプルトニウム及び高濃縮ウランの安全基準を最高度に設定すること、ウラン濃縮過程の管理及び原子炉用ウランの合理的価格での供給保障、兵器用核分裂物質生産の世界的禁止、新規核兵器国を生み出す地域紛争の解決努力などです。

率直にいって、これらのステップが核兵器全廃に結びつく措置であるかどうかについてはかなり疑問です。おそらく、そのことについてはキッシンジャーたちも認識したのでしょうか、以下の2008年の文章では、彼らとしてはさらに突っ込んだ具体的な提案を行うことになります。

2.「核のない世界を目ざして」

この文章では、1年前にキッシンジャーたちが出した文章が世界中から積極的な反響を引きおこしたことを紹介することから始まっています。ゴルバチョフ、ベケット英外相更には、アメリカで国務長官、国防長官、安全保障担当補佐官を務めた14人の名前が挙げられています。こうした反応に力づけられて、2007年10月には過去6代の政権の経験者などからなる会議を行い、核政策に関する思考を導くものとして核兵器のない世界というビジョンの重要性について合意が得られたとしています。

すでに触れましたように、この文章は、1年前の文章と比較して、さらに具体的な提案を行っていることに特色があります。その提案は、米ロ両国が主にとるべき行動についてのものと、多くの国々の参加を得てとるべき行動とに分かれています。

キッシンジャーたちはまず、世界の核弾頭の約95%を保有するアメリカとロシアがリーダーシップを発揮することに特別の責任を持っていると指摘し、すでに取られつつある核弾頭・ミサイルの削減に加え、2008年から開始して次の措置をとることを提唱しています。それらの措置として、1991年の戦略兵器削減条約(2009年12月5日失効予定)のカギとなる規定の効力延長、偶発的攻撃等の危険性を少なくするための核弾道ミサイルの警報及び決定時間の増加措置、冷戦時代から残っている大量攻撃計画の廃棄、2002年のモスクワ首脳会談で提案された多角的弾道ミサイル防衛と早期警戒システム開発のための交渉開始(ミサイル防衛をめぐる米ソ間の緊張緩和を意図したもの)、テロリストが核爆弾を入手できないように世界中の核兵器及び核物質の安全基準を最高度にする仕事を大いに加速すること、前方展開用核兵器を統合するための対話の開始、NPT遵守をモニターする手段の強化、CTBTを発効させるためのプロセスの採用があげられています。

これらの措置も、必ずしも核兵器全廃に直接結びつくものではありません。しかし、ブッシュ政権の核政策の全面的見直しを迫る内容であることは確かです。また、米ロ両国が核兵器削減を始めとした一連の行動に踏み出すことが現実になれば、国際的な核兵器をめぐる環境が変わることを期待できるとはいえるでしょう。また、そういう行動をとることにより、他の国々が核兵器廃絶という課題に対して真剣に取り組む姿勢を喚起する効果は確かに期待できるでしょう。

キッシンジャーたちは、米ロの率先した行動の基礎の上に、国際社会あげての取組の提案を次のように行います。すなわちキッシンジャーたちは、米ロによるこれらのステップと並行して、非核兵器国をも含む国際的な対話を行い、核兵器のない世界という目標を国際的な現実的事業にすること、核燃料サイクルの危険性を管理する国際的なシステムの開発、米ロの核戦力の大幅な削減及びそのプロセスへの他の核兵器国の参加等を議題にすることを提唱しています。

以上のことをするに当たって、キッシンジャーたちは、「信頼せよ。されど検証せよ」というレーガンの格言は再確認されるべきだと強調します。各国が兵器用核物質を生産することを防止する検証可能な条約を重視するからです。また、協定を破る国々の秘密の試みを阻止し、必要があればこれに対応する方法についても国際的コンセンサスを作るべきだともしています。キッシンジャーたちは、ゼロに向かって進むというビジョン・究極的ゴールを明確にすることによって、以上の課題についての進展を図ることができると述べます。

3.まとめ

以上のアプローチに対して、国際社会、特にこれまでアメリカの軍事的圧力にさらされてきた北朝鮮、イランなどの国々が直ちに具体的な反応を示すことは考えにくいことです。なぜならば、かつてアメリカ政治の中枢にいた人物たちによる提案であるとはいっても、今の段階ではあくまで民間サイドからの動きであり、ブッシュ後の政権がどのような政策をとるかは全く未知数だからです。特に北朝鮮からすれば、その最大の関心は自国の生存がかかる米朝協議であり、核兵器廃絶そのものが焦点ではありません(アメリカの北朝鮮の国家としての存続承認と引き換えに約束するべき交渉材料)。

むしろ注目したいのは、キッシンジャーたちの提案を大統領候補たちがどのように受けとめるかにあります。1月21日付の中国新聞の特集記事は、有力な大統領候補のウェブサイトから核兵器廃絶・削減、NPT・核不拡散、核テロ対策に関する各候補の主張を要約して載せています。核兵器のない世界に向けて積極的に取り組む意思を表明しているのは、今のところオバマとエドワーズだけです。クリントンも、共和党のいずれの候補もなんら発言していません。しかし、北朝鮮やイランの核兵器開発問題には全ての候補が発言しており、核テロ対策を含め、今後の選挙運動のなかで論争の対象になることは十分可能性があるでしょう。そういう中で、キッシンジャーたちの提案が注目されるようになることを期待したいと思います。

(参考)
キッシンジャーなどの2007年の文章です
キッシンジャーなどの2008年の文章です

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