北朝鮮の核兵器問題

2008.01.

私が共著『国際平和と「日本の道」』(昭和堂)で執筆した「朝鮮半島情勢と「日本の道」」について、読まれた方から2点にわたる批判をお書きになった手紙が寄せられました。残念なことにご住所・ご氏名がないので、直接お答えすることができません。しかし、提起されている問題はとても重要ですので、このコラムでそのご批判にお答えしようと思います。

第一の批判は、私が次のように書いた部分に関するものです(176ページ 5行から13行)。

最後に北朝鮮の核開発問題に触れておく。
 北朝鮮の核兵器開発の動機を理解する上では、1964年に最初の核実験をおこなって核兵器国への道を歩んだ中国のケースが参考になる。当時の中国は、アメリカおよびソ連という二つの核超大国から仕掛けられる核戦争の脅威に直面していた。その脅威に対抗する唯一の手段は、事の是非は別として、自ら核抑止力を保有することだった。ただし中国は、その後の展開が示すように、自らの核兵器保有を、相手が核攻撃を思いとどまらざるをえないために必要かつ最小限のものにとどめるという、いわゆる最小限抑止の戦略に立脚している。
 北朝鮮の場合も、核開発の動機は同じである。つまり、アメリカの先制攻撃を抑止し、政権の存続を確保する唯一かつ最後の手段として核兵器開発を急いだのに違いない。

この部分について、手紙を寄せてくださった方は、次のように批判されています。

「中国」を「日本」に「北朝鮮」を「日本」に、「アメリカ」を「中共」(中華人民共和国)と読み替えると、日本も核兵器を保持しても正しいことになります。
 中共、北朝鮮の核兵器保有は正しいのですか?
 すべての核兵器は「悪」ではないのですか?
 広島で被爆した(1941年生)人間として、すべての国の核兵器保有には反対します。米・露・中共・英・仏・印・パ・北朝鮮等すべて「悪魔の国」です。
 広島市立大学広島平和研究所所長の地位にあられる方が、又広島に住んでおられるのに被爆者の気持ちが解っておられないように思います。
 40年前、広島で共産党の露・中の核兵器の保持は「正しい」、社会党の「正しくない」の議論のようです。核兵器廃絶に対する国民全般の盛り上がりに欠けている事の原因が再現されているように思えます。高校生の時、心を痛めました。主義主張・政党の考えは入れずに、よく考えていただきたいと思います。「核は悪い」のです。「良い核はありません」。

二つ目のご批判は、同書の189ページの2行目から10行目(手紙を寄せられた方は1行目~9行目とされているが)で、私が次のように書いていることに対するものです。

また、日本国内の北朝鮮に対する世論状況が異様としか形容できない状況にあることも深刻な問題である。本章で明らかにしてきたように、北朝鮮は、日本にとって、脅威でも何でもない。経済的苦境にあえぐ非常に貧しい国である。北朝鮮がなけなしの資源を核開発を含む軍事的用途に振り向けるのは、アメリカ(および日本)が北朝鮮を圧殺しようとしている(北朝鮮から見れば、まさにそういう事態である)ので、自国の国家としての存続を図るためのぎりぎりの選択なのだ。その北朝鮮の実態をいっさい見ようとせず、政府・与党が演出し、メディアが呼応する「北朝鮮脅威」論に呑み込まれている世論が正されないかぎり、日本国内において冷静な北朝鮮に関する認識が育つことは望むべくもない。むしろ、政治と世論とが相乗作用を起して、ますます危険な方向に暴走する危険性がますます増大している。

この点については、この方は、次のように批判されています。

このような理由で核兵器を保有しても良いのですか?
どこの国の核兵器保有にも反対します。
平和研究所は、世界中から核兵器を廃絶し又戦争をなくすることがテーマとして研究するのではないのでしょうか?
特に「核兵器の廃絶」が主テーマではありませんか?

最初にはっきりと申し上げておきたいことは、私は、広島平和研究所の所長になるずっと以前から、核兵器は人類の意味ある生存をおびやかすもっとも危険な武器であると認識しており、一貫して核兵器の廃絶の必要性を主張してきている、ということです。そうであるからこそ、広島平和研究所の所長となるお誘いがあったときに、そういう考え方をさらに鍛えたいという気持ちもあって、喜んで広島に移り住んだのです。その点については、これまでの私のウェブサイトを読んできてくださった方も認めてくださると思います。

広島平和研究所は、世界中から核兵器を廃絶しまた戦争をなくすることを重要なテーマとして研究していることは申すまでもありません。「核兵器の廃絶」は最重要のテーマです。その点についてのこの方の指摘はその通りです。まずは、広島平和研究所及びそこの所長である私自身が核兵器廃絶に一点のためらいなく深くコミットしていることについて、手紙を寄せてくださった方を含む皆さんとの間で認識・理解を共有させていただきたいと思います。

私が書いたことについて、この方は、「北朝鮮が核兵器を持つことは正しい・良い」と私が言っているとされていることについては、私としてはそういう理解は間違っている、と申し上げないわけにはいきません。私が176ページで書いたのは、北朝鮮が核兵器開発に向かって突き進まざるを得なかった原因を事実に即して明らかにすることです。何故そういう分析が必要であるかと言えば、正しい分析を行ってこそ(北朝鮮の核兵器開発の動機を究明してこそ)、北朝鮮をして核兵器を放棄させる方向性を明らかにすることができるからです。

そして、1964年に中国が、また2006年に北朝鮮が核兵器開発に突き進んだのは、核超大国・アメリカがいつ何時中国・北朝鮮に先制攻撃の戦争(核戦争を含む)を仕掛けるか分からない(少なくとも中国・北朝鮮としては、そう考えざるを得ない)状況があったからなのです。この方は、国名を置きかえることによって日本が核武装することも正当化されることになると指摘しておられますが、そういうことにはなりません。非常にはっきりしていることは、1964年の中国、2006年の北朝鮮は、超大国・アメリカに対して圧倒的な弱国であり、その弱国がアメリカの現実の軍事的脅威にさらされている(いた)という客観的事実を抜きにした機械的な国名置き換えの議論は意味がないからです。 中国・北朝鮮の核兵器開発の最大のやむにやまれぬ動機がアメリカの危険きわまりない対中国政策、対北朝鮮政策にあることを踏まえれば、中国及び北朝鮮に対して核兵器放棄を説得する上でのカギは、アメリカの核兵器固執政策を改めさせること以外にないということが理解されるでしょう。私たちが核兵器のない世界の実現を目指す上で取り組まなければならないのは、何よりもまずアメリカの核政策を改めさせることです。

なおこの方は、1960年代前半に原水禁運動の中で起こった不幸な歴史の問題にも触れておられます。いわゆる「いかなる国」論争です。私も当時の論争を文献などに当たって勉強したことがあります。ごく大ざっぱにいえば、社会主義国の核実験は防衛的なものだから正しいとした共産党に対して、核実験はいかなる国のものであれ、認めることは許されないとした社会党の対立でした。

私は、北朝鮮の核兵器開発や核実験を誤っていると認識していますし、このコラムでもその立場をはっきり表明してきています。しかし、そういう認識の問題と、北朝鮮が核兵器に頼る以外アメリカの攻撃から身を守るすべはないと考えざるを得ない事情があるという事実認識の問題は明確に分けて考える必要があるということなのです。ですから、私の立論と当時の共産党の主張とを混同していただくことは、率直に申して、はなはだ迷惑であります。

私も核兵器は絶対悪だと思います。そうであるからこそ、絶対悪の存在をいかにして地上からなくすか、どうしたらなくすことができるのか、ということを真剣に考えなければならないのではないでしょうか。「絶対悪だ」と言っているだけでは核兵器は地上からなくなりません。私たちは、絶対悪の核兵器を北朝鮮が廃棄するために、その条件作り(可能性を現実にすること)をしなければならないでしょう。北朝鮮は、アメリカの北朝鮮敵視政策(先制攻撃で北朝鮮を地上から抹殺する選択肢を外していない)が放棄されれば(具体的には、テロ国家指定を取り消し、北朝鮮に対する制裁措置を解除し、休戦協定を平和協定に作り替え、アメリカが北朝鮮と国交を正常化すれば)、核兵器を放棄する用意があるとはっきり言っています。私は、北朝鮮のこの言葉を疑う理由はないと判断しています。今もっとも必要なことは、アメリカが北朝鮮との対話・交渉によって北朝鮮のアメリカに対する恐怖心と警戒心を取り除き、米朝国交正常化に向けたプロセスを加速することです。いわゆる6者協議の重要な意義は正にここにかかわっています。

私は、問題のカギはアメリカの核固執政策にあると言いました。それは決して私の思いこみではありません。2007年1月4日にキッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナン(いずれもアメリカの政治外交に深く関わり、かつては核抑止政策を推し進めたアメリカ政治の元老級の人物)がウオール・ストリート・ジャーナル紙で発表した「核兵器のない世界」という文章は、米ソ冷戦時代には核抑止力政策が有効であったとは言いつつ、米ソ冷戦が終わった現在ではもはや有効であるどころかむしろ危険であると主張しました。北朝鮮やイランの動向に代表される核拡散の危険性もそうですが、それ以上に彼らが重大視するのは、テロリストの手に核兵器が渡り、使われることです。そういった危険を防止するには、アメリカは核兵器廃絶にリーダーシップを発揮して取り組まなければならない、と主張するのです。アメリカがリーダーシップをとって初めて核兵器の廃絶が可能となることを、彼らは実質的に認めているということです。核兵器国の指導者たちが核兵器のない世界の目標を共通の課題にしてこそ、北朝鮮及びイランの核兵器国化を防ぐことができるという認識も明確に示されています。ちなみに彼らは、今年の1月15日にも再び「核のない世界に向けて」という文章を同紙に掲載しました。

私は、この二つの文章に示された彼らの認識・主張のすべてに同意するわけではありません。しかし、核兵器廃絶にはアメリカの率先した行動が何よりも必要であるという彼らの主張は、私がずっと前から主張してきたものであり、私が『国際平和と「日本の道」』で北朝鮮の核兵器開発問題に関して述べたこと(手紙を寄せた方が指摘された二つの部分)が正鵠を射ていることを示すものであることは間違いないと思います。

最後に、手紙の中では、私が被爆者の気持ちを分かっていない、という指摘もありました。

この点に関して、私は広島に住むようになってすぐ、中国新聞の被爆者を対象にした意識調査の結果の一つに大変なショックを受けたことから始めるほかありません。その質問は、「日本がアメリカの核の傘に頼る必要があるか」というものでしたが、被爆者のわずか24.6%しか「必要ない」と答えておらず、「必要だ」と答えた方が23.5%、「分からない」と答えた方が44.9%もいたのです。被爆者はみんな核兵器は絶対悪だと考えているに違いないという私のそれまでの受け止め方を突き崩すものでした。私はそのとき以来、「ヒバクシャ」をひとくくりにして考えることは大きな間違いに陥る可能性があるということを肝に銘じています。

このコラムでも書いたことですが、広島市は現在核攻撃をも想定した国民保護計画を策定中です。このこと自体、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」を掲げるヒロシマの基本的立場から言ったら、絶対に許されることではないはずです。しかし、恐ろしいまでの無関心がこの広島市を支配しています。
 わたしは、手紙を書かれた方のような核兵器を絶対悪とし、その廃絶を望む被爆者が多いだろうとは思いますが、しかし、中国新聞の調査結果に明らかなように、その絶対悪であるはずの核兵器に頼ることが必要だと考える被爆者が現実に4人に1人はいるということ、そして分からない人が半数近くいるということについては、深刻に考えなければいけない問題があると思っています。昨年来、少しずつ関連の文献や資料に当たっていますが、この問題について私なりの分析ができるのは、まだまだ先のことになるでしょう。

確かに私には被爆者の方々についてまだまだ分からないところだらけです。しかし、分かりたいという気持ちは決して他の人に劣らないものがあると思います。ですから、この手紙をお書きくださった方に是非お願いしたいのは、「おまえは分かっていない」と断定して切り捨てるのではなく、私が分かることができるよう、導いていただきたいということです。ですから、このコラムをご覧になったら、是非私にご連絡くださるようお願い申し上げます(下の「ご意見・コメント」のところをクリックしていただければ、私にメールをしてくださることができます)。1941年生まれということは、私と同じ年にお生まれになったということですので、ますますお近づきになれたら、と願っております。

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