「新テロ特措法」問題と改憲、私たちの運動の今を問う

2007.12.26

*11月23日に東京の集会で行ったお話しを、主催者がテープ起こしをしてくださいましたので、文言を若干修正して、以下に紹介します。福田政権・自公政治は、新テロ特措法をどうしても成立させようとしていますが、その非なることを明らかにしたつもりです(2007年12月26日記)。

1.新テロ特措法に関して押さえておきたいこと

お話の最初に、新法案にどのような視点で私たちが臨む必要があるのかという点について、私の考え方を申し上げたいと思います。

(1)新テロ特措法の政治的意味

まず、政府はなぜ、「新テロ特措法」を重視するのか。それは軍事的意味というよりも政治的意味に注目する必要があると思います。いくつかポイントがあります。

「新テロ特措法案」の政治的意味①:日米軍事同盟の変質強化プロセスの加速
一つは、これまでの「テロ特措法」と同様に日米軍事同盟の変質・強化へのステップとして位置づけられている。アメリカは、給油の軍事的意味に重要性を置いているというよりも、日米軍事協力の実績を積み上げていって、日米軍事同盟を変質・強化のプロセスを加速させる。そこに重要な意味を見出している。したがって、「新テロ特措法案」の成立をとめるということは、日米軍事同盟の変質の流れに大きな障害を生ませることになる。ここに大きなポイントがあると思います。

新テロ特措法案」の政治的意味②:ヨレヨレのブッシュ政権を支える
第二に、残りの任期が一年ちょっとになったブッシュ政権は、国際的にも国内的にもヨレヨレの状態であり、彼としては、一カ国でも多くの支持が欲しい。特にアジアの要である日本の支持をどうしても繋ぎとめておきたいという気持ちがあると思います。そういう意味でも「新テロ特措法」の制定は、ブッシュ政権にとっても政治的に大きな意味を持っているということです。このことは、私たちの側から言えば、すでにイギリスのブラウン政権がアメリカに距離を置こうとし始めていますから、その中で、私たちの力で「新テロ特措法案」の成立を阻むことができれば、日本は必然的に対ブッシュ政権協力をやめなければいけないとなるわけです。そういう意味では、ブッシュ政権の死に体化を加速することができるということです。ここにも大きな意味があると思います。

「新テロ特措法案」の政治的意味③:自公の政権基盤の維持
第三には、福田政権、ひいては自公政権の人たちは、彼らの国内における基盤を維持する上で「新テロ特措法案」を重要だと位置づけてしまっている。本来なら、冷静に見ればこの法律の実質的な意味は小さいわけで、そんなに重視する必要はないはずなんですが、彼らは、この法律に相当な重要性を付してしまった。ということは、この法律の成立を阻止するということは、とりもなおさず、自公政権への打撃になるということです。

「新テロ特措法案」の政治的意味④:憲法違反のさらなる既成事実化
そして、第四には、この法律をめぐっては、法律に賛成か反対かとか、あるいは、法律の成立を受けた給油活動が是か非かというかたちでしか世論調査が行われていませんが、この法律の本質は、憲法違反の代物であるということにあります。この点についてはほとんど議論されていませんが、私たちの立場からすると、この法律の成立を許すということは、憲法違反の事態を積み重ねさせてしまうという意味があります。したがって、憲法を守る立場にある私たちとしては、この憲法違反の法律を制定させるわけにはいかない。ここにも大きなポイントがあると思います。

 以上、四つの政治的視点での重要性ということを、ふまえておきたいと思います。

(2)「新テロ特措法」の軍事的意味

次に、軍事的意味はどうかといいますと、先般のブッシュ・福田の首脳会談でのブッシュの発言を見ましても、開戦当時の2001年から02年にかけての自衛隊の給油活動はアメリカにとって多くの軍事的意味を持っていたと思いますが、最近数年間は、むしろアメリカにとって、あまり意味はない。軍事的意味は小さいと思います。

また、今回の新法案は、失効した「テロ特措法」と違って、テロリストの海上活動阻止というところに焦点を絞っています。しかし現実には、これまで給油した油が、本当に海上阻止行動のために使われていたのかということが問題になっているわけです。また、政府が発表した資料でも、テロリストの海上活動阻止の事例は年間数件しかない。新法案では、自衛隊の給油活動をさらにそこに集中させるといっているわけですから、果たして、テロリストの海上活動を阻止するということにどれだけの実質的な意味があるのか、果たしてこの法律が必要なのか、本当に意味があるのかどうか、きわめて疑問です。

いま、この法案については、政局がらみでマス・メディアが大きく取り上げて報道しています。それは、法案の実質的意味を離れたかたちの報道になっているので、私たちはこのような報道に左右されない冷静な目を持って見ることが必要ではないかと思います。

 しかも国際的に見ますと、ブッシュ政権が2001年に掲げた「テロとの戦争」という政策は、こんにち完全に破綻していることが明らかです。最近、アメリカ国内からも、アーミテージとジョセフ・ナイとによる〝アメリカはスマートなパワーにならなければいけない〟という報告書が出されています。その中では、〝「テロとの戦争」は終わり。「テロ」の問題は重要だけれども、それがアメリカの安全保障政策にとってすべてという問題提起は全くナンセンス〟だという提起まで行われています。そういう意味で、国際的脈絡においても、「新テロ特措法」がそんなに大した軍事的意味を持っていないということも見ておく必要があると思います。

(3)アメリカの9条改憲要求は長期的なもの

もう一つ重要なことがあります。ブッシュ政権の「対テロ戦略」は破綻したけれども、それでは、アメリカの対日重視、日本との軍事同盟を強化する、そのために日本に改憲を要求するという政策がブッシュ政権の後の政権において変わる可能性があるのかというと、それはないということです。たとえ、民主党政権になっても、ヒラリー・クリントンが大統領になっても、オバマが大統領になっても、アメリカの世界戦略において日本が占める地位は変わらない。戦略的にきわめて重要な地位を占めている日本を手放す気持ちがないことははっきりしていますから、アメリカの政権が変わろうと変わるまいと日本に対する改憲要求は変わらないであろうということを、私たちはしっかりとふまえておく必要があると思います。

 したがって、私たちの運動の側からいいますと、先ほど申し上げた四点の政治的意味からいって、「新テロ特措法案」の成立を阻止することを当面の運動の重点にするということは必要なことだと思いますが、やはり、私たちの根幹にあるのは改憲阻止、改憲をさせないことに運動の中心がおかれるべきだと思います。

 少し長くなりましたが、以上が、私が最初に申し上げておきたいことです。

2.講演の概略

 さて次に、これからお話しすることの概略をレジュメに沿って説明します。

 先ほども述べましたが、私は、政治的な問題の一つとして、この法律は良いか悪いかの次元の前に、まず許されていいのかどうか、すなわち、憲法上問題はないのかという問題、あるいは、国際法との関係で問題はないのかということを考える必要があると考えます。その点をレジュメの「2.法律の問題点(詳解)」で、二つの問題、すなわち、国際法上の問題(レジュメ4~5頁)と憲法違反の問題(レジュメ5~7頁)として扱っています。

 さらに、この法律自体について三つの問題があるということで、第一に国会承認の問題(レジュメ7頁)、すなわち、自衛隊の活動について失効した「テロ特措法」では、国会承認の対象にしていたものを新法案では国会報告だけにとどめているということがあります。そして第二に、前法と同じように、法律が適用される地理的範囲が曖昧であるということ。「戦闘地域」という概念が引き続き生き残っているという問題があります。それから、第三に、「(5) 給油の目的外使用」(レジュメ8頁)、これについてはすでにマスコミでも大きく報道されていますが、ほとんどの油が、実際には法律の目的とする「テロリストの海上での活動を阻止する」ために使われていないという実態があります。このことは失効した「テロ特措法」でも大きな問題でしたが、新法案では、法律の目的を「テロリストの海上での活動阻止」だけに限定していますから、さらに大きな問題が出てくると思います。

 それから、レジュメの「3.福田政権と民主党の対応」(8頁~)というところでは、福田政権の対応(8~10頁)と民主党がどういう立場をとっているのか(10~12頁)ということについて、要点を述べたいと思います。

 そして、レジュメの「Ⅱ 私たちの運動の今を問う」(12頁~)というところでは、まず、「テロリズムと国際的取り組みのあり方」ということで、テロリズムの本質は何か、そしてテロリズムという問題に関する私たちの取り組みのあり方はどうあるべきか、について触れています。それを考えなければいけないと考えた理由は、2001年以来こんにちまで私たちは、「テロ」という言葉にふりまわされてきた。それによって、私たち自身の認識、座標軸が狂っているという問題がある。そこで、このテロリズムと国際的取り組みのあり方というものを、もう一度根本から考えてみる必要があるんじゃないかと考えたからです。

 そして、「私たちの運動の今を問う」ということのもう一つの大きな問題として、当然ながら日本国憲法の問題があるということで、日本国憲法についてどのような認識を持つ必要があるのかということについて書きました(レジュメ14~16頁)。これについてもじっくり考える必要があるのですが、時間の関係上、どこまでお話しできるかは必ずしも自信がありません。その点をあらかじめお断りしておきます。以上が、レジュメと今日お話ししようと思っていることの概略です。

3.「新テロ特措法」の問題点

(1)国連憲章の目的達成のための活動か

この法律では、とくに国際連合憲章の目的を達成するための諸外国の活動に対して、日本が国際協調の立場から、給油などをするのだという論理、立場をとっています。しかし、そもそも、いまアメリカをはじめとする諸国の活動が、本当に国際連合憲章の目的を達成するための活動と言えるのかということが大きな問題です。

詳しくはレジュメを見ていただきたいのですが、結論を申し上げれば、国際連合憲章の目的――国際の平和及び安全を維持するということ――を達成するものだという主張はまったく成り立ちません。元をただせば、アメリカのアフガニスタン攻撃というのは、「9・11」に対する報復として、アメリカは〝自衛権行使の戦争〟と言ったわけですが、自衛権行使ということ自体が非常に疑わしい。というのは、「9・11」直後に反撃したとすれば、それは「急迫不正」の攻撃に対する自衛権行使だったと言えなくもありませんが、実際には、二ヵ月も経ってから行動をとったわけで、それは自衛権の行使と認められる範囲をはずれているという非常に大きな問題をはらんでいます。まして、「9・11」を実行したのは、一握りの者であって、それが、ビン・ラディンにつながり、さらに彼らが、アフガニスタンのタリバン政権に匿われているというだけで、そのアフガニスタンを攻撃の対象にするというのはどう考えてもおかしいわけです。これは、例えて言えば、「殺人犯をかくまったものも殺人犯」という論理と同じです。

ブッシュは「テロリストをかくまうものも同罪だ」と言ったことがありますが、そんな馬鹿な話はない。殺人犯はあくまでも殺人を犯した人であって、殺人犯を匿うことは、匿うことが罪になることはあるとしても、殺人犯ではありえない。アメリカのアフガニスタン攻撃は、殺人犯をかくまったアフガニスタンを殺人犯と一方的に断定して攻撃の対象にしたということですから、明らかに自衛権の行使を逸脱した行動であり、とても許されるべきことではないということです。

それから、もう一つには、国連憲章の目的に「国際の平和及び安全を維持する」ということがありますが、では、アメリカの自衛権行使と称する行動が、「国際の平和及び安全を維持する」こと、そういう目的達成のための行動なのかという問題があります。しかし、アメリカのとった行動は、自分は暴力をふるわれたから殴り返したんだという行動であって、それが「国際の平和及び安全を維持する」ことになるのかということ、それは全然イコールで結ばれません。「自衛権の行使」というのは、あくまでも自分で自分を守るという行動であって、仮に、アメリカの言い分を 100%認めたとしても、それが「国際の平和及び安全の維持」につながるわけではまったくありません。ということは、国連憲章の目的実現のための諸外国の活動に協力するということを立法根拠にしている「新テロ特措法」は、立法根拠という土台が崩れている法律だということです。

 ところが、それらについての議論が日本国内ではまったくありません。いやむしろ、その点については、政府の方が熟知している。実際、福田首相が官房長官だった2001年には、国会答弁で苦し紛れに「テロ特措法」は「目的達成に寄与する性格を有している」と言っています。「目的達成」そのものだとは言っていない。言えるはずがないわけです。ところが、そういうところを詰めた議論が、この六年間ほとんどなされていない。メディアも含め、論壇も含めて、そういう根本問題が正面から問われていないわけです。

 この法律の立脚点が崩れているということ、そのことをまず、しっかり認識していただきたいと思います。

(2)憲法違反の「新テロ特措法」

次に、「憲法違反の問題」(レジュメ5頁)に入ります。
 まず、日本政府は、失効した「テロ特措法」においても、新法案においても、国連安保理決議を引用していますが、それらの決議はいずれも、アメリカが軍事行動をとることを認める根拠にはなっていないということです。

そのことについては、レジュメを読んでいただければわかると思いますが、安保理決議が、ある国の軍事行動をとる根拠となるためには、二つの要件があります。

一つは、安保理決議がなされるのは大前提ですが、その安保理決議の中で、二つのことが書き込まれなければ、その決議によってアメリカなどの国が軍事的行動をとる法律的根拠が与えられるとは言えません。一つは、この決議に「国連憲章第7章のもとで行動する」という文言が入ることです。国連憲章第7章というのは、いわゆる集団的措置、集団安全保障体制の軍事行動をとる根拠になる章です。そして第二に、「必要なあらゆる措置をとることを認める」という文言が入ることです。「必要なあらゆる措置をとること」というのは、1991年にアメリカがイラクに攻撃した湾岸戦争のときに根拠になった 678決議に書かれて以来、武力行使を認める際の確立した文言です。要するに、加盟国が軍事行動をとることを授権するときに、安保理は必ずその言葉を入れます。それが入っていないと、軍事行動をとることを認めたことになりません。

ところが、失効した「テロ特措法」や新法案で引用されている安保理決議は、すべて以上の二つの要件を欠いたものであって、アメリカが軍事行動をとることを承認したものではない。したがって、アメリカがやっていることは、赤裸々な先制侵略攻撃の戦争であり、それに日本が加担するということです。これは憲法第9条に照らして許されるものではありません。

しかし、それでもなお政府は「給油活動は武力行使じゃない」から「憲法9条が禁じる行動ではない」と言って正当化しようとしているわけですが、しかし国際法上は、給油活動は立派な兵站活動(ロジステックス)であって、完全に軍事行動とみなされています。どんな屁理屈をこねようと、憲法違反の武力行使にあたるということ。そういうところを私たちは、しっかりと整理して考えなきゃいけないと思います。

政府はまた、「給油活動は、戦闘地域での活動ではないからいいんだ」としきりにいいますが、アメリカの軍艦が給油活動を受けながら戦闘行動を展開するがはずがありません。そんなことをやれば、引火して船が爆発してしまいます。危なくてしょうがない。だから給油を受けるときは必ず戦闘行動を休止するのは当たり前です。それを戦闘行動を展開していないから非戦闘地域だというわけですが、しかし、給油が終わると、その場で軍艦からミサイルを発射することも可能ですし、航空母艦から戦闘機を飛び立たせることも可能です。そうするとそこは戦闘地域になります。つまり、戦闘地域か非戦闘地域かという議論ほど馬鹿馬鹿しい議論、ためにする議論はないということです。それが、まことしやかに「ウソも百編言えば真実になる」とばかりに非戦闘地域ならいいということがくり返される。そういうことはおかしいということを知っていただく必要があると思います。まさにそれは、内閣法制局の解釈改憲の最たるものだということです。

したがって、以上の国際法上の問題、あるいは憲法上の問題を無視して、この法律に賛成か反対かという問い方、あるいは、給油活動継続に賛成か反対かという問い方、こんな問い方をするマスコミの責任は非常に重いということです。まず問わなければいけないのは、この法律は憲法上許されるのかどうかということです。そしてそのためには、問題の性格についてきちんと説明して問うべきです。ですから、そういうことを捨象したメディアの議論というのは、本当にいい加減だということです。

4.福田政権の対応

次に、レジュメの8頁の「福田政権と民主党の対応」についてです。
 「福田政権の対応」ですが、彼らが考えたことは、「新テロ特措法案」に対して6割の国民の支持を受けられたら、参議院で否決された場合に衆議院で再議決しても良いだろうということでした。つまり、6割というのは約3分の2で、衆議院で再可決するためには3分の2以上の賛成が必要であるから、世論が6割賛成しているのなら衆院再議決も許されるだろうという理屈をつけようとしていたわけです。

 そのために、自衛隊から給油を受けている11カ国の大使に2回にわたって日本人向けの会合・会見をしてもらい、日本の給油活動は大いに役立っています、継続をお願いしますと言わせてみたり、安保理決議にも、間接的な表現ながら、日本の給油活動は役立っていますというような文言を入れさせたりしてきたわけです。もっとも、このような文言を無理矢理入れさせたことにロシアは反発して、初めて関連する安保理決議に棄権しました。〝アメリカや日本の都合で、厳粛であるべき安保理決議の文書が左右されるということはおかしい〟と、もっともなことを言ってロシアは棄権したわけです。

 このことに敷衍して言いますと、なぜ日本が安保理常任理事国入りに熱心なのか、どうしてそれをアメリカが支持するのかが、今回のこの文言を入れたことに象徴的に示されています。日本が常任理事国になれば、日本が軍事行動に参加しようとするときは、それを可能とする文書を安保理決議の中に入れさせれば、それで、大義名分ができて日本が参加できるようになる。だから、日本とアメリカは日本が常任理事国になることを追求しているわけです。決して、国際の平和と安全に貢献するという高尚な気持ちではなくて、非常に赤裸々な野心があるということが、今回の事態によって図らずも露呈されたということで、この安保理決議をみなさんの記憶にとどめていただきたいと思います。

 話を戻しますと、福田政権は、6割以上の世論が支持すれば衆議院での再議決をやると目論んできたわけですが、詳しくは、レジュメの9頁を見ていただきたいのですが、最近の世論調査でも、「新テロ特措法」制定も給油活動継続も、賛成が反対を上回っていますが、5割ちょっとにとどまっています。6割には遙かに及ばない。ということは、彼らとしては世論の支持を背景にして再議決を行うという選択肢というのは非常に苦しいということを意味します。そこで、福田首相がうった手が、小沢民主党代表との大連立協議ということだったのですが、しかしそれも、民主党内の反対によって失敗に終わった。したがっていまや、自民党政府としては、手がうちにくくなっていると思います。

 いま、額賀財務相の疑惑とか、政府にとってかなりの逆風が吹いている状況ですので、福田政権は、かなり進退窮まった状態なのではないかと思います。

 ただ、福田首相は、ブッシュ大統領に全力を尽くすといったこともありますので、衆院再議決という強行突破してくる可能性はあります。その場合には、民主党が福田首相に対する問責決議案を出すかどうかが問題になりますが、民主党もまた福田・小沢の茶番劇で党内がかなり乱れましたから、問責決議を受けて福田首相が解散総選挙にうってでたときに、民主党も選挙で勝てるだろうかということがあります。その意味で、今後の政局は五里霧中の状況です。

5.成立しない小沢氏の憲法解釈

ちなみに、民主党の小沢代表が、国連安保理決議にもとづかない給油活動は憲法違反だといいながら、しかし、アフガニスタンに展開している国際治安部隊、これはNATOを中心にした部隊ですが、それへの日本の参加は良いのだ、これは憲法違反じゃないんだといっています。それは、どういう理屈なのかといいますと、レジュメの10頁から12頁にかけて述べていますが、個々の国が行使する自衛権の問題と、国際社会の平和維持のための国連の活動(これには軍事活動も含みます)とは、まったく法律的には別のものである。だから、憲法9条では、そういう国連のお墨付きのある活動をやることは想定していないのだからやってもいいのだという議論です。そもそも憲法9条が定める対象ではない軍事行動が国連の場合にはある。だから、そういう国連の軍事活動に日本が参加しても何ら憲法違反ではないというのが、彼の理屈です。

 しかしそれは、小沢氏の独特の憲法解釈でありまして、憲法9条の解釈というのは、憲法に則して行わなければいけません。憲法の制定経緯、その論理からいって、あるいは条文の定め方からいって、誰がやろうと国際紛争を解決する手段としての武力行使・武力の威嚇はいけないといっているのが9条ですから、小沢氏のいうような憲法解釈は成り立ちません。

もう一つ、国際治安部隊について申し上げます。この国際治安部隊というのはどういうものかといいますと、NATO軍を主体とする軍隊です。なぜ、NATO軍を主体とする軍隊なのか。それは、アフガニスタンにおけるタリバンの残党勢力は、ものすごく強い。したがって、普通の国連のもとに組織された各国の寄せ集めのような部隊では、とても対抗できません。NATO軍のような戦闘能力の高い軍隊が出て行ってはじめて対抗できるわけです。つまり、国連のもとに組織された寄せ集め部隊ではお手上げだから、NATO軍を主体とした国際治安部隊に代わりをやってもらっているということです。

 これを国内に当てはめて例えるならば、警察ではお手上げだから、暴力団の山口組に代わりをやってもらうというようなものです。この点については、時間の関係で十分お話しすることができませんので、後でレジュメを読んでいただきたいのですが、国連が承認すればどんな軍事行動であっても日本が参加することが許されるという、そんな馬鹿なことはないということを申し上げたいと思います。

6.改憲阻止のために片時も気持ちをゆるめてはいけない

最後に、私たちにいまどういうことが求められているのかということについてお話しします。
 私は、改憲手続き法である「国民投票法」ができたということは、私たち国民にとって大きな試練だと思います。端的に言って、最短だと法律制定3年以後は、いつ改憲案が発議されても驚いてはいけない状況になってしまった。ということは、私たち運動の側からいうと、彼らはチャンスありと見たら改憲をしかけてくる、そういう状況にあるということです。その意味で、私たちは、片時も気持ちをゆるめてはいけない、そういう状況が「国民投票法」の成立によって出てきたということです。これをまず、しっかりと押さえておく必要があると思います。

 7月の参議院選挙で民主党が大勝し、自民党が大敗したということで、「生活第一」を掲げて大勝した民主党がすぐさま改憲に飛びつくことはないから、最短の3年後に国民投票ということはないという安心感が生まれているようです。しかし、今回の福田・小沢氏の密室談合政治を見ると、決して安心してはいけないと私は思います。要するに、彼らにとっては何でもありなんです。彼らの最大の問題は改憲であり、改憲しないとアメリカに顔向けが立たないし、アメリカの要求は日増しに大きくなってくる――そのことは、自民党だけでなく、民主党も知り尽くしています。現に、今回の守屋前次官の疑惑がいろいろ明らかになってくる中で、民主党の前原前代表も完全に日本の国防族の一員であることが明らかになりました。そういう彼らが、アメリカの対日要求の所在を知らないはずがない。ということは、機会さえあれば、自民党に限らず、民主党に限らず、改憲に動きだすということを考えておかなければいけないと思います。

 このように言うと、よくメディアなどでは、自民党と民主党とで大連立するといっても、小選挙区での候補者を調整するのが難しいから、大連立はそう簡単ではないという議論が出てきます。しかし、本当に改憲をしようとなれば、そんなことは障害になりません。現職議員を次の選挙で立候補させると両党が合意すれば全員当選できるわけです。だから、全然障害になりません。そう考えると、状況は非常に厳しい。厳しい状況がこれからもずーっと続くということを覚悟しておかなければいけないと思います。

7.改憲反対派を増やす手がかりは何か

その上で、じゃあお先真っ暗なのかというとそうではありません。
 例えば、私がおります広島の地方紙「中国新聞」(10月19日付)で――おそらく共同通信社が配信した記事だと思いますが、2004年につくられた「九条の会」が全国で6733になったという数字をあげています。全国紙ではありませんが、共同通信が全国配信でこのような報道を行ったこと自体が大きな変化だと思います。

 また、中曽根元首相が、われわれ(=改憲派)も「九条の会」に対抗する国民的運動を組織しなければいけないと言っています。このことは、改憲派の元締めの一人でもある中曽根氏が、〝「九条の会」侮るべからず〟という認識を示しているということです。

 それから、メディアの世論調査の結果でも、いくつか力づけられるものが出てきています。その最たるものは、改憲派の筆頭と自他ともに認める「読売新聞」の世論調査です。彼らは、毎年決まった設問で世論調査をやっているわけですが、その中で、憲法改正に賛成か反対かという項目があります。それが、2004年に賛成がピーク(65%)になって、それから右肩下がりに落ち始め、2007年は何と過半数を切って46.2%にまで落ち込んでいます。これに対して憲法改正反対がかなり上がって、2007年には39.1%になっています。

また、「朝日新聞」の世論調査でも、2006年までは改憲反対が右肩下がりで落ちてきました。これに対して改憲賛成が上がってきて、2006年では賛成と反対が拮抗するところまで来ました。ところが、2007年では改憲反対が盛り返しています。こういう世論の状況をどう動かすかという課題は、私たちのこれからの運動次第だと思います。

 そして、私たちのこれからの運動の中で、改憲反対派を増やす手がかりが二つあると思います。  一つは、9条改憲には反対だけれども、しかし、自衛隊や日米安保条約は支持するという人がかなりいることです。こういう人たちと9条改憲阻止で手を組む必要があると思います。なぜなら、9条が改憲されると、それをもう一度取り戻すことは並大抵のことではない。だから、何としても9条がある状況を保たなくてはならないからです。

 それから、もう一つは、9条改憲に反対だけれども、憲法全体の改正には賛成という人が、これまた過半数を占めていることにも着目する必要があります。その中の非常に多くの部分は、「新しい人権」が入るのなら改憲に賛成という人が多数いるということです。そういう人たちに対して、自民党の「新憲法草案」などでは、人権の総則規定とも言える第12条、第13条でトリックを弄しているということをわかってもらう、そういうアプローチが必要です。

どういうことかといいますと、憲法第12条と第13条に「公共の福祉」という文言があります。これらの条文で「公共の福祉」と人権との調和を図っているわけですが、その「公共の福祉」という文言を自民党の「新憲法草案」の中では、「公益及び公の秩序」という文言に替えています。「公益及び公の秩序」とは何かというと、国益であり、国の安全であるといっています。つまり、国益と人権が競合する場合には、国益が優先するということです。そういうことによって、あらゆる人権が国益に従属するという仕組みになっています。

ということは、「新しい人権」に関する規定が新憲法に入ったとしても、全部国益には従属するということになってしまう。そういうからくりがあるということを、「新しい人権」を入れるべきだという人たちにわかってもらうことによって、改憲は危険なのだという認識を持ってもらうことができると思います。

 この二つの意見に属する人がかなりおりますから、その人たちを私たちの側に引きつけることができれば、改憲阻止は、大いに脈があることだと私は思います。

8.質疑での主要発言

① 「軍事貢献」ではなく非軍事の役割を

新テロ特措法は憲法違反かも知れないが、かといって何もやらないのはどうかという意見についてどう考えるかという疑問を持たれることが多いことは承知しています。私は、改憲派が私たちを揶揄するときによく使う「一国平和主義」であってはならないとは思います。というのも、日本はすでに世界の大国ですから、この事実を直視せざるをえません。日本が大国になったのは世界との交易があったことによるわけです。したがって、大国になったことに感謝し、国際社会に私たちの富を還元する。あるいは、国際社会のいろいろな問題に対して尽力するというのは当然のことだと思います。
そういう点で、問題は、何もやらないということではなくて、何をやるかということだと思います。そういう状況の下で、湾岸戦争以来、アメリカを中心として、軍事力を行使するということになってきたのが、米ソ冷戦終了後の国際社会の現実だと思います。しかしそれが、本当に答えになっているのかというと、ほとんどの場合が、軍事力の行使によって事態が悪化している。軍事力行使は答えにならないということです。
 私たちは、平和憲法の前文をもっていて、どのように国際社会に関わるかという明確な指針をもっています。それは、国際社会の貧困などに対する軍事力によらない尽力ということであって、それこそ平和憲法を持つ日本が、能力と資金と技術を使ってやるべきことだと思います。そのように私たちの国際社会との関わり方を変えていくんだということを積極的に発信していかないといけないと思います。
 私たちが国家の主人公になる、私たちが日本という国家を取り仕切ることができるようになれば、そういうことを十分やっていけるようになると思います。そういう展望と確信を持つ必要があると思います。

② 改憲論の二つの流れ

戦後日本政治の中で、改憲論者には二つの大きな潮流があります。一つは、対米追随の中でのアメリカの要求にしたがった改憲という流れと、もう一つは、アメリカから独立すべきだ、そのためには自主防衛という流れで、アメリカから距離を置くためにも改憲をという人の考え方は、後者だと思います。
 アメリカにくっついていくかたちでの軍事国家化というのは、アメリカにふりまわされることになりますから非常に危険だといえます。しかし、アメリカと距離を置くため、あるいは、自主防衛という考え方は、日本が世界にとって危険な存在になるという問題がもっと際だってくるということです。日米安保が日本の軍国主義復活に歯止めをかけているという〝ビンのフタ論〟というのがありますが、日本が自主防衛の道を歩むことは、中国、韓国、東南アジアの国々にとっては、日本に侵略された過去を思い起こさせ、とんでもなく許せないことになるでしょう。また、アメリカにとっても、アメリカのもとで動く日本なら許容できますが、アメリカの言うことを聞かない軍事大国・日本は絶対に許容しません。日本が自主防衛を志向しだしたら、アメリカは中国と手を組んででも日本を抑えにかかるでしょう。私たちは、戦わずして1945年の再来を迎えることになるでしょう。私たちは、日本がアメリカのもとで軍事国家化していくことにも、アメリカから自立して軍事国家化していくことにも、両方に反対していかなければいけないと思います。

③ 1368号決議は自衛権発動を認めている?

1368号の決議の要旨が配布されている資料(「毎日新聞」07年10月18日付)ではこのように書いてあるわけですが、決議では、正確には〝自衛権発動を認める〟とは書いていません。〝固有の自衛権があることを認める〟ということは書いてあります。自衛権があることは、決議で言わなくても国連憲章に書いてあることです。しかしポイントは、それを発動することを許すかどうかということで、この「資料」の書き方は、誤解を招きます。先ほども申し上げましたが、決議では、自衛権の発動は認めていません。ですから、そこは大きなポイントです。決議に〝国連第7章のもとに自衛権の発動を認める〟ということが書かれれば、それで武力行使をする根拠になります。しかし、1368号決議は、そこまで書かれていません。自衛権があることを認めるという事実を確認しているだけです。それを根拠にして自衛権を発動できると主張することは認められることではありません。
ただし、確かアメリカがアフガニスタンに対する攻撃を開始した当時、アナン国連事務総長(当時)が、アメリカには(自衛権行使の)権利があるというようなことを言った。だから、アナンが言ったのだからというので、みんなが黙ったということはあります。しかしアナン発言は、正確に言うとおかしいことです。私たちはここでも問題を正確に認識する必要があると思います。
 それから、「必要なあらゆる措置をとる用意がある」という文言の「用意がある」というのは〝措置をしていい〟ということではありません。措置をすることを〝オーソライズする〟=授権するというふうに書かないとやっていいということにはなりません。だから、1368号は、アメリカの軍事行動正当化の根拠にできない決議であるということです。

④ 安保理決議にまったく根拠がない「不朽の自由作戦」「海上阻止活動」

「不朽の自由作戦」(OEF)とか海上阻止活動(OEF-MIO)も安保理決議に全然根拠がありません。アメリカが勝手にやっていることです。国連が認めた活動とは言えません。その後、既成事実が積み重ねられたことを受けて、国連安保理決議の中で、OEF-MIOについて、言及している部分はあります。そして、決議の中で言及しているから、既成事実として安保理も認めたんだという立場を日本政府はとりたがっていますし、現にそういう発言もしていますが、それはいけません。安保理決議では、現に活動しているということを記述しているだけであって、それをもって後追い承認したことにはなりません。そのためにはやはり、OEFは安保理が認めた軍事行動であるという決議がちゃんとなされるべきです。そこを混同してはいけません。

⑤ ISAF、国連の問題点

ISAFについてですが、これについては、非常に手の込んだ工夫が国際的に行われました。  まず、NATOの側がISAFという派遣軍を用意することを決めて、国連に対して〝(ISAFに)来て欲しいといったらどうですか〟という誘い水をかけているわけです。そういう趣旨の決議をNATOがあげているわけです。そして、それを受けた安保理がお言葉に甘えてというかたちで決議をあげているわけです。
そういうやり方がどういう意味を持つかということです。例えば、日本がアメリカと一緒になって北朝鮮を叩きたいと考えたときに、それを安保理に要請しても安保理はそれはできないし、能力もないという。それに対して日本とアメリカが、私たちに任せてくれれば、いつでも北朝鮮を叩く用意がありますよ。ついては、北朝鮮を叩くことを安保理は私たちに授権しなさいと働きかけて、安保理がそれに従って決議をあげるということです。もちろん、現実には、中国やロシアが反対して決議があがらないとは思いますが、理論上は、大国が馴れ合ったらそういう決議があがることが可能だということです。そういうことを考えると、私がISAFを山口組になぞらえたこともおかしいことではないとおわかりいただけると思います。
 だから、日本では、国連というと正義の味方と思っちゃう人が多いのですが、しかし、国連というのは、大国の馴れ合い次第ではとんでもない悪事を働きかねないということです。その意味でも私たちは、国連についての正確な認識を持つ必要があります。

⑥ 紛争の原因を考えれば、軍事的手段では解決しない

その上で、武力を伴う活動をどのように考えるのかということについてですが、いまの国際社会というのは、中央政府も世界政府もないわけで、非常に社会としては未熟な発展段階にあります。そうした中で、いろいろな紛争が起きます。それが、メディアを通じて私たちの目に飛びこんできますから、どうにかしたいと思うのは人情です。けれども、紛争を解決するといって軍事活動をしたらどうなるかというと、問題が解決した例はありません。それどころか、事態がかえって悪化するのがほとんどです。
 私たちがまず考えなければいけないのは、どうしてそのような問題が起こるのかということです。多くは貧困であったり、歴史的・文化的な原因だったりするわけです。それは軍事という手段では解決しないということがはっきりしています。ですから私たちは、紛争の根っこ、病気の原因に対して内科的治療を行う。それは非軍事の国際的な役割を果たすということです。

⑦ 小選挙区制、二大政党制、民主政治のあり方を問う議論も必要

小選挙区制が導入された当初は、欠陥だらけだという議論がたくさんあったのですが、いまや、これだけ二大政党制論がまかり通って、小選挙区制も二大政党制も前提にした議論一色になっていますから、それに染まっちゃっている人には、まず、小選挙区制というのは本当に良いのか、二大政党制というのは本当に民主政治を保障するのだろうかというそもそも論から入らないと、〝民主党は当てにならないよ〟という次元の議論だけでは納得しないのではないかと思います。
 民主党万歳の人には、民主政治とはどういうものであるべきか、デモクラシーとはなんぞやという議論から始める必要があると思います。こういう議論はとても難しいので、是非、勉強してわかりやすい議論を解明して欲しいと思います。

⑧ いわゆる「拉致問題」について

いわゆる「拉致問題」について申し上げますと、日本政府が北朝鮮との約束を破って、五人の方を北朝鮮に返さないということをやって北朝鮮との関係が膠着してしまった。そこから、国内版「拉致問題」が発生したということが根っ子にあると思います。このこととアメリカの「テロ国家」指定解除問題は別の問題です。アメリカの北朝鮮に対する「テロ国家」指定は、「ラングーン事件」「大韓航空機爆破事件」とかがあって行われたことで、そのような事件を今日の北朝鮮はやっていないことを認めているアメリカは、「テロ国家」指定を解除することを検討するといっているわけです。それを、「テロ国家」指定をした後に出てきた「拉致問題」を取り上げて、この問題が解決しない限り指定解除はしないでくれといっても通用しないのは当たり前です。「テロ国家」指定解除は、米朝関係の進展の中で行われる問題です。「それはアメリカの国内問題だ」という指摘もありますが、その指摘は私も正論だと思います。
 もっといえば、私も拉致被害者家族のお気持ちも理解できますが、しかし、自分の家族が北朝鮮に居て、その家族を帰すために制裁措置をすべきだという発想は全然理解できません。そんなことをやったら、北朝鮮に居る家族の人たちがもっと辛い目に遭うと考えないのでしょうか。その意味で、私は、拉致被害者家族の方の発想にはものすごい違和感があります。
 また、日本政府が、国民世論があるからという理由をもって、アメリカ政府に「テロ国家」指定を解除しないように働きかけるというのもまったくナンセンスです。2002年の「日朝平壌宣言」においては、過去の問題を清算するというのが第一で、第二の「拉致問題」については、〝北朝鮮はそういうことを二度とやりません〟という約束で終わっています。「平壌宣言」は、生存している拉致被害者をどうするかということについては扱ってもいません。「平壌宣言」に則って国交正常化を進めていくことは日本政府も認めていることですから、生きているかも知れない拉致被害者の方を日本に帰すかどうかという問題を国交正常化問題と結びつけるのはおかしいのです。そういうところを私たちはしっかり見きわめなければいけません。
 生きておられる方がいれば、絶対に帰してもらわなければいけませんし、そのための交渉が必要です。しかし、それは、日朝国交正常化交渉とは別の外交交渉でやるべきであって、あくまで日朝国交正常化交渉とは切り離してやるべきものです。そして、それがいまの北朝鮮がとっている立場であり、それ自体は正しいと私は思います。この点では、日本の方が間違っています。

⑨ 反目を超えた市民の運動を広げて、運動の大同団結を

平和運動のあり方について、私も今年(2007年)の5月3日の憲法集会のときに、共産党の志位委員長と社民党の福島党首がいるということを前もって連絡を受けていたので、私が発言するときに、両党が「小異を残して大同につく」ということをやってくれないといけないじゃないかということを発言したのですが、残念ながら反応がありませんでした。
 私はいま広島にいますが、広島というのは原水禁運動分裂の後遺症もありまして、全国的な社民党系と共産党系の反目以上のしこりが残っています。さらに、広島は、同和問題も伝統的にとても根強い土地ですから、この同和問題をめぐる共産党と社民党系との対立が非常に強かったということもあって、非常に難しい状況があります。しかし、それにもかかわらず、私が伺った尾道とか、三原とか、東広島だとかの「九条の会」の集会では、立場・考えの違う様々な人々が一緒に参加するという実績もできています。
 確かに平和運動の負の面というのが残っているし、それは戦後62年間の歴史がありますから、一朝一夕に解決されることではないと思いますが、しかし、もうそんなことにこだわっている場合じゃないでしょうということを市民が一所懸命訴えることで、変わってきているところもあるというプラス面も確認する必要があると思います。
 今後どうしたらいろいろな考えの人びとが連携できるかということですが、この一手というような妙手があるわけでなく、地道な努力を重ねていく必要があると思います。確かに、私たちの側において「小連立もできない」というのは、不甲斐なくもあり、情けなくもあり、残念でなりませんが、やはり、そういう反目を超えた市民の運動が広がることで、共産党や社民党も無視できなくなってくるのではないかと見ています。

⑩ 平和教育、憲法教育実現のためにも運動を広げることが大切

平和教育と憲法教育についてですが、教育基本法が改悪されて、現場の教師の方が戸惑いを感じていらっしゃるというのは、そうだと思います。
 しかし、いまの憲法がある限り、改悪された教育基本法はいまの憲法と相容れないわけですから、改悪された教育基本法を改正する、そのためにもいまの憲法を変えさせない、生かしていくということが大切だと思います。
 とはいえ、いまの平和教育、憲法教育がどうなっているのかというと非常に厳しいです。解釈改憲で憲法が歪められた現実があるということで、既成事実に負けてしまうというところがあります。広島も、東の東京、西の広島といわれるくらいに、文科省にとっての攻撃拠点となっています。いま広島県では平和教育ができません。広島市でかろうじて原爆問題についての教育に力を入れ、それに依拠して平和教育が行われていますが、それも、4年後の市長選挙で保守派が候補を統一してひっくり返されれば、終わってしまう可能性があります。まして、全国的に見ても、教育委員会の息がかかるようなところでの平和教育、憲法教育というのは難しくなっている。かろうじて、国立や私立の学校で教員が健闘しているというのが現状です。だから、そういう状況をそうでなくしていくためにも、私たちが運動を広げ、陣地を広げることが必要だと思います。

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