「スマート・パワー」(CSIS報告)を読んで

2007.12.07

*アーミテージとナイが中心になって作った「スマート・パワー」に関する報告(11月6日発表)は、2008年の選挙で選出される次期大統領に対して、ハード・パワーとソフト・パワーを綜合的に活用するスマート・パワーのアメリカとして、ブッシュ政権において失われた国際的指導権を取り戻す総合的政策を打ち出すことを提言したものです。一月遅れになりましたが、若干気になる内容があるので取り上げます(12月7日記)。

1.スマート・パワーの本質

報告によれば、ハード・パワーとは、「国家が手に入れたいものを得るために用いるアメとムチ」であり、7500億ドルのペンタゴンの予算や世界最大の経済力が含まれる。また、ソフト・パワーとは、「強制なしに人びとをアメリカの側に引きつける能力」であり、その中心にあるのは正当性(レジティマシー)である、とされる(p.6)。それに対してスマート・パワーとは、ハードとソフトのパワーを巧みに結びつける能力を指す、と定義される(p.7)。より正確には、「ハード及びソフト双方の力によりながら、アメリカの目的を実現するために、総合的戦略、資源基盤及び手段を展開すること」、あるいは、「アメリカの影響力を拡大し、アメリカの行動の正当性を確立するために、強力な軍事力に依拠しながら、同盟、パートナーシップ、あらゆるレベルにおける諸制度にも大いに投資するというアプローチ」(同)とされる。以上の定義における核心となる要素は、アメリカの目的実現・影響力拡大ということである。その根底にあるのは、アメリカの対外政策に一貫している、赤裸々なまでの権力政治追求の姿勢であることを正確に読み取る必要がある。

スマート・パワーを強調する背景にある情勢認識に座るのは、9.11の後遺症を深刻視する観点である。それは、9.11以来、アメリカが、希望・楽観に基づく価値ではなく、対テロ戦争を世界政策の中心に据えることによって、アメリカに対する国際的不信が深刻なまでに進行しているという危機感(p.10)であり、また、テロに対抗するためには、アメリカの内外でこの闘いを行うためのコンセンサスの広がりと持続性が求められているという判断(p.11)である。

報告によれば、2008年の大統領選挙で問われるのは、どの候補及び政党がテロという世界的な脅威に対抗してアメリカを最も安全にするか、ということであり、その際、以下の4点が共通の認識にならなければならないとする。

第一、アメリカは海外でテロリストの目的に対抗するために攻勢であり続けるべきだが、彼等の挑発に過剰に反応するべきではないということ。報告は、テロリストが大量破壊兵器を手に入れるのを防止するためにより多くの注意を向けるべきであるが、そのような悪夢のシナリオを除けば、テロリストは、アメリカの存在そのものにかかわる脅威ではない、と断じている。

第二、不寛容・虐待・不正なアメリカというイメージを生み出してきたシンボルを消し去ること。報告は、グアンタナモ収容センターの閉鎖を皮切りに、拷問及び捕虜虐待から手を切らなければならない、と訴えている。

第三、外交力を積極的な目的のために使用すること。報告は、グアンタナモ閉鎖と同じように重要なのは、イスラエルとパレスチナの紛争の深刻な影響を終わらせるために力をふり向けることである、と指摘する。

第四、対テロ戦争よりも偉大な積極的なビジョンを世界に提示すること。報告によれば、アメリカの目的は、文明の衝突を挑発することではなく、諸々の文明の向上を推進することである、とされる。

以上を要するに、テロリズムとの戦いとアメリカの偉大さを回復することに成功するかどうかは、アメリカの対外政策において、対テロ戦争に代わるだけの新たな中心的前提を見つけることができるかどうかにかかっている、ということだと、報告は結論づけている(p.12)。

疑問の余地がないことは、報告がブッシュ政権の対テロ戦争一本槍の政策に完全な落第点をつけ、次期大統領にはこの政策から決別することを求めていることである。しかし、報告の他の部分を読んでも、それではイラク及びアフガニスタンでの泥沼状態から如何に抜け出すか、という喫緊の問題についてはなんら言及していない。その点についての的確な展望も示し得ないまま、仮に以上の4つの点、なかんずく「偉大な積極的ビジョン」を提示しても、アメリカに対する国際的不信が劇的に好転するとは考えにくい。また、より根本的には、アメリカが権力政治を当然の前提とし続ける限り、21世紀の国際関係は真の平和と安定を期待することはできない、というべきだろう。如何にしてアメリカをして権力政治固執の考え方を改めさせるかが、引き続き国際政治における最も大きな課題である。

なお、日本の私たちにとっては、アメリカの有力なオピニオン・リーダーたちによってブッシュ政権の対テロ戦争政策が完全に落第点をつけられているにもかかわらず、そのブッシュ政権に協力するために新テロ特措法の成立に躍起になっている福田政権は、もはや落第点以前の政治的失格であるという深刻な事態にあることを認識することが求められるはずである。

2.注目すべき中国の扱い

報告は、地域ごとの評価を行っているが、北東アジアの部分では、「米中関係ほど世界の安全と繁栄にとって重要な二国間関係は恐らくほかにない」(p.24)と言いきっている。これに対して日本に関する言及は、「韓国人の過半数がアメリカの影響力を消極的に見ているのと対照的に、約3分の2の日本人はアメリカを好意的に見ている。米日同盟は、過去7年間で一貫して強化されてきた、重要且つ多層的な協力関係である。」(同)とあるにすぎない。アメリカの言うがままの日本及び日本人は、戦略的構想を示す意図で書かれたこの報告において、この程度の軽い扱いしか受けないのである。

日本を軽んじているとすら見られるこの報告は、中国については破格の取り上げ方をしている。すなわち、地域ごとの評価の後に「中国のソフト・パワー」という独立の項目を設けており、その出だしは、「北京は間もなくアメリカの指導力に対する有力な代替軸になるだろうか?」である。その後に続く文章を要約すれば、次のとおりだ(pp.25-26)。

「多くのアメリカの専門家は、中国が勝利者となるゼロ・サム・ゲームを懸念している。ワシントンが中東で手がいっぱいになっている間に、中国は器用に立ち回ってアメリカが残した空白に踏み込み、主に経済的利益を追求しながら、地域大国であるだけでなく、世界的大国になるという長期的戦略的目的を追求している可能性がある。中国は、ハード・パワーの資源を強化しながら、同時にソフト・パワーの影響力を展開するという両面作戦をやっている。
 中国の増大するソフト・パワーの最たる例は、アメリカの役割が減退したかあるいはまったく存在しない国際組織(特に中国の縄張り領域)を抱え込み、時には指導力を発揮していることだ(ASEAN、上海協力機構などを例示)。中国は、「善隣」政策を強調しながら、地域における多くの領土紛争を解決してきた。北京はまた、アジアの安全及び政治にかかわる諸々の取り決めに積極的にかかわることにより、アメリカがほとんど無視している「ASEAN方式」を尊重する姿勢を打ち出している。
 ラ米からアフリカ・中東にかけて、北京は、新しい市場に売り込みをかけ、資源をむさぼり、儲かる石油取り引きを行い、債務を免除し、政治的条件なしの援助及び友好を気前よく提供し、世界規模で信用と政治的影響力を築いている。例えば、「北京の代案」は、アフリカ諸国に対し、アメリカと比べると、援助により少ない条件を課し、内政にも文句をつけることがより少ない選択肢を提供している。ラ米の多くの国々も、アメリカの無関心によって生まれたとされるギャップを埋めるために、中国に目を向けるという「太平洋観」に向けての動きが加速している。
 西側の民主国家の間でさえ、多くの国は、中国がスーダン、ビルマ、イラン等のならず者国家や独裁国家と関係が良いにもかかわらず、中国が国際問題において積極的役割を高めていると見ている。中国が国際社会において真に責任ある当事者となるべく努力している証拠として、国連の平和維持活動に参加することが増えていることや、北朝鮮に関する6者協議における役割が指摘されている。中国及びその将来的意図や目標について健全な疑問符はつけられるであろうが、全体としては、近年の国際世論において中国の評価は上がってきている(強調は浅井)。
中国のソフト・パワーは今後とも増大するだろうが、だからといって、ワシントンと北京が世界的影響力を争って衝突への道を歩んでいるということではない。第一、国内の政治的、社会経済的及び環境的課題等の要因によって、中国のソフト・パワーは最終的に制約されるだろう。第二、米中間には、協力し合える相互利益となる多くの重要な分野がある。エネルギーの安全保障及び環境協力がそれらのトップに来るが、公衆衛生、不拡散などのトランスナショナルな問題もある。
 最後に、世界的指導力という問題は、ゼロ・サム・ゲームであるとは限らない。中国が卓越するのは、アメリカがその魅力を減じ続ける時にのみである。」

このように報告は、ソフト・パワーを存分に発揮した中国の端倪すべからざる台頭に対して、言葉の端々に羨望やねたみ更には警戒感を交えながら、アメリカも正面から対抗していくスマート・パワーとなる必要があることを強調しているのだ。本来、平和憲法の前文と第9条を持つ日本こそがアメリカの権力政治に対する対抗軸を示すべきだが、対米追随に埋没してしまって、それがなしえないでいる時に、中国が現実にアメリカの対抗軸としての立場・役割を担いつつあることを、報告は率直に認めているということだ。

そのアメリカは、日米軍事同盟を変質強化することにより、台頭する中国を牽制し、抑止する強力な役割を担わせようとしている。そして幼稚を極める「中国脅威論」的発想しか持てない日本の保守政治は、アメリカの思いどおりに行動する以外の選択肢を構想することもできないでいる。保守政治の支配下にあり続ける限り、日本の前途は暗いという以外にない。逆に、平和共存5原則を全面に掲げる中国が今後もこれらの原則に忠実な対外政策を展開していけば、アメリカの権力政治固執の姿勢に対する見直しを迫る可能性を持つであろう。そういう意味で、報告に露わな対中警戒感とは逆に、私たちとしては、日本が根本的に生まれ変わる日までは、中国の平和外交路線が成功を収めることに期待を寄せることしかない、という結論になる。

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